Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

スモーランド博物館とコスタガラス博物館

2022-07-17 22:41:55 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

スエーデンの南部中央に位置するウ”ェクショーは、森と泉に囲まれた小都市で、ガラス工芸の歴史を紹介するスモーランド博物館とその近くの移民博物館が見所です。

 

スモーランド博物館ではガラス製作工程をビデオ紹介、過去からの素晴らしい工芸品の展示が行われています。又特別展では最新のデザインのガラス工芸を見せていて、写真禁止と言われているので、終わって博物館の外から写真を写していたら見つかってしかられました。絵葉書でもあれば写真を写す事もないのにと思いましたが、此れこそ盗人にも三分の理というものかも知れません。

 

 

移民博物館は1850年から1930年にかけ120万人にのぼるスエーデン人がアメリカに移民したとのこと、タイタニックで亡くなったスエーデン人も数十人か数百人(覚えていません)居ます。その頃のスエーデンは現在の福祉国家とは程遠く、貧民が多くて、生きるために新大陸を目指したのでしょう。

ここスエーデン南部には2−300年の歴史を持つ有名なガラス工場が散在し、私たちはその中のひとつコスタ工房を訪れました。

観光客のために広い駐車場があり、ガラス製品のみならず、あらゆる工芸品を売る大きな店が2軒もありました。ガラス工場はひとつのワイングラスを作るのに多くの人が働いていて、ガラスを吹く人、ステムを伸ばす人、ガラスを切る人、運ぶ人といろいろな工程のひとつだけをしているのです。

ほとんどオートメーションみたいで短時間の間にどんどん出来てゆくので、私たち観光客はただ呆然と見ていました。

コスタガラス博物館は写真撮影可で素晴らしいモダンガラス製品や、今は亡くなった有名なデザイナーの作品などがたくさん飾ってありました。

 

コスタの近くのひなびた町のキャンプサイトに落ち着いたときのこと、北欧のキャンプサイトには必ずあるのがロルブー(ノルウェー語)やヒュッテ(フィンランド語)とかスチュガー(スエーデン語)と呼ばれる簡易宿泊施設です。

このキャンプサイトのスチュガーにポーランドの若者3人が泊まって、アイルランドの道路工事請負人に雇われて10日ほど働いていました。ところがアイルランド人が彼らにお金を払わないで逃げてしまったのです。若者たちはスチュガーの支払いが出来なくて、キャンプサイトから追い出されてしまったのです。

どうしたことか、薄ら寒い夕方にまだ10代と思われる男の子が一人戻ってきて、長い間サイトの隅に座っていました。

ティーシャツにショーツの彼は寒さにたまりかねたのか、私たちのキャンパーに来て携帯電話を貸して欲しいというのです。友達二人と連絡を取るためだとのことですが、私たちの携帯電話は英国ラインなので、町の公衆電話で連絡しなさい、そしておなかも空いてるようだから食べ物を買うようにお金を上げました。彼は喜んで町へ向かって歩いて行きましたが、この夜はもしあの子が帰ってきたらカレーでも作ってあげようか、何処に寝かせようかと心配しました。 世の中には悪人が居るものですね。

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ヨーテボリ ( 英語名ではゴッテンバーグ)

2022-07-17 03:59:28 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ヨーテボリのキャンプサイトはバスを乗り換えて1時間ほどかかる海辺のリゾート地にあり、8月とは云え毎日の雨で、海へ遊びに行く人は一人も居ませんが、キャンプ場はスエーデンで一番高い料金を払いました。

おまけに指定されたサイトにキャンパーを駐車したところ、泥にタイヤが空回りして動けなくなり、ジープに引っ張り出してもらう有様でした。

 

このヨーテボリはスエーデン第二の都市として栄え、バスを降りたヨーテボリ駅から歩いて主要観光物を見ることができます。写真の白いきれいな証券取引所の前の広場に建つのがグスタフ2世アドルフ王でヨーテボリの創始者です。17世紀オランダの建築家を招いて建設された町は運河をめぐらせた石造りの建物の多い町並みです。

 

運河の中に死んだ人魚のオブジェが浮かんでいて、公害の危険を訴えています。死する人魚はなんとなく不気味な感じですが、運河の中に立つ少女がいったい何を象徴するのかわかりませんでした。

 

ヨーテボリ美術館の前には舞台が作られて、オーケストラとバリトンのおじさんがリハーサルをしていました。美術館で聞いたところ、この一週間はヨーテボリ・フェステバルで美術館も今週だけ無料、この夜は前の舞台でカーミナ・ブラーナが上演されるとのことでした。

 

美術館は大変大きく、19世紀半ばから20世紀半ばまでに活躍した北欧の画家や同時代のヨーロッパの画家の絵が目白押しでした。ムーラ出身のアンデース・ソーンのNatteffect と言う題名の女性の絵はルノワールに似たやわらかいタッチで忘れられません。

又ピカソの初期の絵ではThe Acrobat Family という題名のピエロの夫と男の子を抱く妻、横に座っている猿の取り合わせで、さすが天才とうなりたくなるような絵です。

ロンドンのナショナルギャラリーに有るのと同じ絵がここにもあり、又オスロで見たムンクのThe sick Childも同じのが有ったのでコピーかと聞きましたら、同じ絵が何枚か描かれているとのことでした。

スエーデン南のこのあたりでも氷河で磨かれた岩が露出していて、岩の間にはヒース(ヘザー)の花が咲いています。

 

 

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ヘルシンオア と クロンボー城 デンマーク

2022-07-16 04:48:51 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

コペンハーゲンの郊外のキャンプ場を探して行って見ましたが、どうしても気に入らず、北のヘルシンオアへ先に行って見ようとキャンパーを北に向けました。途中でキャンパーやキャラバンの行列に出会い、???だったのですが、直ぐ判ったのはヘルシンオアは港町で、対岸のスエーデンの港町ヘルシンボリ(Helsinborg)からフェリーが着いたのです。

 

ヘルシンオアのキャンプサイトは対岸のヘルシンボリ(スエーデン)が目の前に見える海辺にあり、午後海辺の散歩道を通って町へデンマーク・クローネを下ろしに行きました。

 

 

直ぐ近くに立派なお城を見つけて、ここがハムレットで有名なクロンボー城だとわかりました。お城の内庭までただで入れたので一回りしもう一度お金を持って、ゆっくり見物に来ようと決めました。

お城の入り口の壁にシェークスピアの像がはめ込まれています。シェークスピアは実際この城に来たことはなく、実在した王子アムレス(Amleth)の最後の H を前に持ってきてHamlet という名前の主人公をつくり物語を書いたのだそうです。城の内外には派手さはなく質実剛健な中世の城砦そのものでした。少々派手なものと言えばこの城の教会くらいでしょう。

朝9時半ごろに行ってみると30人位の日本人団体が中庭でガイドの説明を聞いていました。そして解散になるとシェークスピアの像の前で、"さあハムレットと写真を写そう!!”と叫んでいました。”ほんとにこの田舎者め”と思いましたよ。 

城は10時半まで開かなかったので、日本人団体は城内を見ないでサーと引き上げてゆきました。

城の内装には特別金襴華美というほどのものもなく、気に入った絵画の展示はありませんでした。

毎年9月にこのお城でハムレットが上演されます。

城の地下室に眠っている像はデンマークの伝説の英雄ホルガー・ダンスク(Holger Danske)で、デンマークの危機には数百年の眠りから立ち上がり、祖国を救うといわれています。この像が出来て今年で100年だそうです。

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マルメ スエーデン

2022-07-16 02:01:01 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

スモーランドと呼ばれるスエーデン南東部はガラスの王国としてこの国を代表する製品を世界に輸出しています。スモーランドから南部の海岸線をたどってマルメへやってきました。

マルメは一時デンマーク領として対岸のコペンハーゲンと肩を並べる大都市だったそうです。

ここマルメからコペンハーゲンまで長い橋がかけられ道路と鉄道が開通しました。キャンプサイトがこの橋の袂にあって朝夕海辺を散歩して撮影です。コペンハーゲンは海のかなたにかすんで見えません。

(追記 2022年9月 過去10年以内にBBC4でスエーデンとデンマーク共同で作られたテレビドラマがThe Bridgeという。この橋がメインでストーリーがここから始まる非常に面白くて何度見ても飽きない。日本でも放映しただろうか?)

 

ここの海岸には鵜が非常に多く、岩に一列に並んで羽を広げて乾かしている様子は思わず笑ってしまいます。

 

上の写真はスエーデンで一番古い薬局だそうです。

金曜日の午後にバスで町へ繰り出したのですが、この日までの一週間はマルメ・フェスティバルが開かれていて、大変な人出でした。露天も広場いっぱいに軒を並べて、あらゆる食べ物の店開きでした。ここのストートリ広場では、この夜最後のロックフェスティバルが開かれるとあって、ピンクやグリーンに髪を染めたパンクの若い男女が仮設ステージの前に陣取っていました。

 

翌日マルメ城を見るべく町へ行ってみると、フェスティバルは昨日で終わり、あの人ごみが嘘みたいに消え、露天もほとんど見かけませんでした。

 

マルメ城は15世紀に造られ、現在はマルメ博物館として公開されています。博物館の入り口で、この城のペットのヤギが2匹飼われていて、へたな演技をしてくれました。

2階3階が美術館になっていて、北欧アートを展示しています。フェルディナンド・ファゲルリン(1825−1907)の作品で、聞いたこともない画家ですが私はこのような物語性のある絵が大好きです。

この写真も19世紀末から20世紀中ばの画家の絵でこの時代の印象派の絵となんら見劣りすることはありません。

 

晴天の日曜日の朝、あの長い橋を通って(有料)デンマーク・コペンハーゲンへ向かいました。

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ルイジアナ現代美術館とヒレロズ(Hillerod)キャンプサイト

2022-07-15 20:28:51 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ヘルシンオアからバスで南に向かって20分、着いたところは1950年以降の現代美術のコレクションでは、世界でもトップクラスと言われるルイジアナ現代美術館です。

入り口が狭くて外から見ると小さな平屋の建物でしたが、海辺の崖の上に建っているガラス張りの回廊で結ばれた建物は大変ユニークです。

奥行き広く2−3階の建物の中には、モダン絵画や写真展、又コンピュータによるデザインなどの展示があります。

広い庭のいたるところに石や金属のオブジェが見られます。一番多かったのはヘンリー・モアです。どのオブジェを見てもいったい何か判らず、ふーん と言うのが私たちの感想です。見る人が見ればとってもエキサイティング

こんな日本人の作品も展示されていました。

写真のこんな変な像も芸術なのかと首を傾げたくなります。でべその宇宙人?

リチャード・アベドン(Ricyard Avedon)はアメリカの現存するプロカメラマンです。この時には彼の特集をしていて、1950−60年代の有名映画スターや各国王室のメンバーなどの写真から、ファション雑誌のためのモデルを写した写真など、さすがプロとため息の出るような展覧会でした。

又セシル・バルモンド(Cecil Balmond)のFrontiers of Architecture は現代建築物をコンピューター分析したり、簡単な力学の応用などからパターンを作り出したりと、すごい芸術家だと脱帽です。写真は彼のアイデアのメタルで出来た芸術作品です。

 

午後遅く美術館を出てバスの来るのを待つ間、バス停の近くの道端が墓地になっているのに気づき、一回り歩いてみました。

大変手入れの行き届いた墓地で、ゆっくり散歩していると、なんと気持ちの安らぐ場所だろうと二人の気持ちが一致しました。

 

翌日コペンハーゲンの北西に位置する町ヒレロズ(Hillerod)へ移動しました。まだ若い美人の女主人の経営するキャンプサイトで、今までに彼女ほど友好的なキャンプサイトの主人には出会ったことがありません。デンマークやこの町のフレデリクスボー城の情報もすべて教えてくれ、夕方にはキャンプサイトのいたるところに、松明や、キャンドルを灯し雰囲気を出しています。テントやキャンパーの人たちを集めて合唱したり、週末には籠いっぱいの飴やチョコレートを配って皆を楽しませていました。私たちはこのキャンプ場を基地にして三日間コペンハーゲンに通い、五泊もここで過ごしました。

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コペンハーゲン 2日目

2022-07-14 23:30:34 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

コペンハーゲンの二日目はアメリエンボー宮殿を目指して、電車も中央駅より二駅前で降りて歩きました。

 

アメリエンボー宮殿は現在の王室の住居ですが、全体に質素な造りで、どれが本館なのか判らないまま、アメリエンボー博物館として一般公開されている宮殿へ入りました。ここは1863年から1972年までの王族家族の寝室や居間、宝物などを展示してあり、特に気に入ったのが現女王の母親皇太后のドレスです。

この宮殿の直ぐ近くには遠くからでも目立つフレデリクス教会が有ります。ノルウェー産の大理石をふんだんに使った立派な教会です。

ここから人魚姫の像を見ようと歩いているうちに見つけたのが、デンマーク工芸博物館です。ちょうど、中央アメリカ・ニカラグアの陶芸展(8月31日ー9月30日)のプレビューで、素晴らしい芸術作品に見とれていると、急にシャンペンを片手にした大勢の人たちに囲まれてしまいました。

多分ニカラグアの大使夫妻やデンマークの高位高官の人たちと思われ、狭い部屋で陶芸よりもおしゃべりに興味の在る人たちだったようで、そのうるさいこと。

この陶芸展のほかにも常設された陶器やガラス器、絵画、織物など素敵なものが多数あり、一日中見て居たかったのに・・・・・・。

 

次に見つけたのが、自由博物館で第二次世界大戦で、レジスタントとして処刑された20代のデンマーク人たちの、家族へ送った最後の手紙が英語に翻訳して展示されていました。これには泣かされました。

この博物館から海辺を歩いて程近いところに、人魚姫の像があります。この像はコペンハーゲンのシンポルくらいに世界的に有名ですが、期待より余りに小さく、岸辺に近く、がっかりしました。2001年の9月11日のNYテロから一年後にイスラム・テロリストに爆破され、再生に一年近くかかったそうです。本当に理不尽な事をするものだと腹がたちます。でもこの日は人魚姫を慕うたくさんの観光客に囲まれていました。

 

大通りを中央駅に向かって歩いていて見つけたのが、国立美術館です。立派な建物で奥行きが深く、展示されている絵画も数知れずです。ルーベンスのソロモン王の裁決(The Judgement of Solomon)という巨大な絵に見入っているとき、隣に居たドイツ人の夫人にこの絵のストーリーを聞きました。わが子に死なれた婦人が他人の子をわが子と言って争い、ソロモン王がそれなら子供を半分づつにしろと裁決、まるで大岡越前之守西洋版です。色彩も素晴らしく、二人でしばしたたずんで鑑賞していました。

その絵の下の新生児の沐浴、温かい絵ですね。

 

この博物館の向かいの公園の中にローゼンボー離宮が在り入ってみましたが、工事中で、ほとんど見られませんでした。

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コペンハーゲン1日目

2022-07-14 00:10:48 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ヒレロズ(Hillerod)からコペンハーゲンまで郊外電車で45分、キャンプサイトで薦められたコペンハーゲンチケットはここまでの交通費も入っていて、市内の交通機関と観光地の入場料も含まれたカードです。二人で三日間80ポンド弱(約1万8千円)とのことで此れを買って、翌日から三日間コペンハーゲンに通ったのです。

 

北欧は自転車が交通機関のメインで、素晴らしくきれいな郊外電車の中にも通勤客の為の自転車置き場がありました(写真1)。コペンハーゲンの駅に着いてみると、駅の周囲の駐輪場は自転車でいっぱいでした。

まず初めに歩ける距離でと行った所は、ニュー・カールスベア美術館です。この美術館はデンマークの代表的なビール会社、カールスベア社(Carlsberg)の社長カール・ヤコブセンによって開設され、エジプト、ローマ、メソポタミア、ギリシャなどの多くの彫刻や石棺、美術品が集められています。2006年に全館をリニューアルしたのだそうで大変きれいな明るい建物です。

正面玄関を入ってすぐの緑に囲まれたパテオの白亜の彫刻が見事です。

19世紀のデンマークの彫刻を集めた一室には人間の悲しみの感情をよく表現した像が多くとっても感動しました。又デンマークの画家の絵が集められた一角はフラシュなしで写真可と有って、素敵な絵をたくさん写してきました。

この絵はマーティナス・ロルビイ(Martinus Rorbye)(1803−1848)の作品です。この人の絵はデンマークやドイツ・スエーデンでも見かけましたが、いつもトルコの風景を描いていてひと目で彼の絵だと判るほど、独特の画風をもっています。

 

コペンハーゲンは12世紀から発展してきた町で、17世紀に現存する歴史的な建造物が多数建築され、現在市街地では古い建築物が保護されていて改築は建物の中しか許可されません。(此れはロンドンの歴史建造物も同じです。)又市庁舎の塔(105.6m)より高い建物も禁止されていて、町並みは独特の重量感を保っています。

美術館の次には近くのクリスチャンボー城へ行ってみました。城の中での撮影は禁止されていました。何処でも宮殿や城の中の装飾、宝物など同じようなもので、見飽きて思い出すこともなくなるものですが、ここの大広間では大いにショックを受けました。

デンマークの王室はヨーロッパで一番古く、骨董品の宝物を見慣れた私たちに、大広間の壁を埋める色鮮やかなタペストリーには呆然としました。

これらはマーグレーテ二世女王の50歳の誕生日を記念して、デンマークの画家によって過去と現在の王室を漫画風な下絵に描かれ、10年かかってプレゼントされたものだそうです。

今まで見て来た色あせた宗教画のタペストリーとは余りの段差にショックと、このようなモダンな絵を受け入れる国民に尊敬すら感じました。

写真は三十万本以上のマッチ棒で造ったタジマハール宮殿で、此れは”信じるか信じないかは貴女次第”と言う博物館(Ripley's Believe it or not)で見たものです。ここの展示物は古くて埃が立つような感じがして早々に引き上げました。

キャンプサイトへ帰る前に立ち寄ったのが、チボリ公園(Tivoli)です。中央駅の直ぐ前にあり、一日中歩き回って疲れた体で、騒々しい音楽とジェットコースターや歓楽乗り物は見るだけで疲れて、早々に帰ってきました。公園内のお土産店やレストランの屋根に草花が生い茂って花盛りだったりレタスがきれいに植えられていました。

 

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コペンハーゲン 3日目

2022-07-13 00:41:06 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

コペンハーゲンへ行く列車を待っていた3日目の朝、見かけたのがこの電車です。車両一面の落書きで 'ああっここでもか!!”と衝撃を受けました。昨年はローマの電車のひどい落書きに落胆したものですが、北欧の設備の整った清潔さや文句なしの社会保障で、この国の若者に落書きを書き散らしたいほどの不満があるのだろうかと不思議です。

さてコペンハーゲンでまず入ったところが、国立博物館です。ここは英国の大英博物館にも劣らないほど大きく、内装も新しく改装されて居るのですが入り口が一箇所だけしかないのです。入り口を求めて非常に大きな建物をほとんど一周しました。展示物もギリシア、ローマの遺跡からの出展物や、中世のデンマークの遺物など一日では決して終わらないくらいの量があって、興味のある人には最高の場所でしょう。

 

この博物館の直ぐ後ろに日曜マーケットが開かれるとのインフォメーションで行ってみました。古いデンマークの陶磁器やガラス製品、土産用の人魚姫のお皿などを売っていますが、たいして安いものはありませんでした。

この魚屋のおばさん像は多分最近のものと思われます。昔は像といえば有名人と決まっていましたが、この頃普通一般の働いている人の像を見かけるようになりました。ここデンマークだけでなく、ロンドンやダブリンでも同じです。

 

遠くのタワーはクリスチャンボー宮殿のあたりから見え、歩いて見に行ったのですが、途中から雨がひどくなり寒さも加わって、教会の塔だということを確かめただけで、バスで王立劇場前まで帰ってきました。

 

コペンハーゲンの最後の見ものはラウンドタワー(円塔)でした。高さ34.8mのこの塔は天文観測所として建てられたのですが、らせん状の通路が幅広く1716年ロシアの皇帝が馬で駆け上がったそうです。それも簡単に出来るくらい通路の長さは209mもあるのです。屋上の展望台からは教会のタワーやコペンハーゲンとマルモをつなぐ長い釣り橋が見渡せました。

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イーエスコウ城とオーデンセ デンマーク

2022-07-12 08:11:11 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

デンマークは二つの島とドイツと陸続きのユトランド半島からなる国で、コペンハーゲンの在るシェラン島とオーデンセの在る小さなフュン島はいずれも橋で結ばれています。

6日も滞在したヒレロズのキャンプサイトの美人のオーナーが、別れを惜しんでくれました。日曜日に長いつり橋を渡ってたどり着いたフュン島で、オーデンセのキャンプサイトに落ち着いたものの、アンデルセン博物館が月曜日は休館と気づいて、直ぐキャンプサイトを後にし、南のイーエスコウ城を見に行くことにしました。

 

イーエスコウ城(Egeskov Slot)は貴族の館で16世紀湖上に、1万本以上の樫の木を組んで土台を作った水上城郭で、中世を代表する城として世界中に知れ渡っているそうです。(城内で聞いたところによれば、北海道にこの城の外側をそっくり真似た建物が造られ、中は水族館になっているとか)

 

過去5世紀の間に城の持ち主は、建設時の貴族とは全く異なる貴族に売られて、変遷しています。城内はコペンハーゲンで見た王家の豪華さはありませんが、過去の持ち主が狩好きだったのを現す狩の間や、簡素な寝室などまあまあでした。

 

でも写真のベッドカバーは、公爵?伯爵?婦人が趣味で造ったものだそうで、中々良く出来ていると感心しました。

この城の敷地は非常に広大で、ここの庭園はルネッサンス、バロック、そして現代の造園技術の粋を集めた逸品といわれているそうです。

 

 

庭園の一部にある納屋風の建物にはクラッシクカーのコレクションや馬車・コーチそして膨大な数のモーターバイクの博物館があります。

 

この城から近い海辺の町ファーボー(Faaborg)は、中世の町をとりまく壁と門があり、こじんまりとしたきれいな町です。街中を走る面白いタクシーを見つけました。

 

彼はこのような切り絵が上手だった。

 

 

火曜日にユトランド半島へ行く前に立ち寄ったオーデンセは、アンデルセンの生誕の地です。アンデルセン博物館は彼の生涯をいろいろなメディアで紹介してあり、貧しい家庭で育ち恋多き独身生活に一生を旅で終わったとのことです。知らなかった童話作家の一生をわずかながらに知って、もう一度アンデルセンの童話を読んでみたいものだと思いました。

 

 

写真はアンデルセンが子供時代に住んでいた町の周辺だそうです。

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フレデリクス城 デンマーク

2022-07-12 07:43:52 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ヒレロズ(Hillerod) のキャンプサイトから歩いて20分位に在るフレデリクス城は、北欧で今まで見て廻った宮殿やお城の中では多分最高でしょう。

16世紀の建物ですが、1859年に火災で崩壊したこの城を、カールスベア・ビール会社の社長J・Cヤコブセンが再建援助して、完成後は国立歴史博物館として一般公開しています。(ビールの力は偉大ですねー)

 

お城の近くで民族衣装の小母ちゃんたちに会い、写真を撮らせてと頼むと大喜び、彼女たちの服は日本人の着物と同じで、よそ行きらしく普段に見かけることはありません。この日(日曜日)はこの町のお祭りだったようです。直ぐ鼓笛隊の軽快な音楽が聞こえてきて通り過ぎて行ったのが写真の派手な一団でした。

 

 

何処もかしこも絵になる装飾、素晴らしい内装や絵画、宝物などで、フラッシュ無しなら撮影可、もちろんじゃんじゃん取り捲りました。城内の一角にある豪華な教会に感激したのに、大広間ではもう感激を通り越し、唖然とするばかりでした。

 

このデンマーク王室のプリンセスメアリーは英国王室に嫁いで、エリザベス女王の祖母に当たる。

 

 

城内から見える庭園も素晴らしくて2−3時間かけて庭園を歩き回り、とうとう湖を一回りして帰ってきました。

もしどなたかデンマークへ来られるチャンスがありましたら是非お勧め、万難排してみていただきたいと思います。

 

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オーフス

2022-07-11 23:49:46 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

フュン島からつり橋を渡ってユトランド半島にたどり着いた私たちが一路目指したのはオーフス(Arhus)です。オーフスはウ”ァイキングの居住遺跡も発見されたくらい古い町ですが、現在はデンマーク第二の都市で魅力的な美術館や博物館など見所の多いところです。

キャンプサイトでオーフスパス(Pass)を購入し、バスでタウンセンターへ行き旅行案内所を探しました。案内所で薦められたのがデン・ガムレ・ビュ(オールドタウン)です。歩いて行けるとのことで、行き先を教えてもらい歩いている途中で大変モダンなアロス・オーフス美術館を見つけ入ってみました。

ここは北欧最大級の現代美術館で、斬新なデザインの建築物です。一階にこの美術館のシンボル・巨大な少年像があります。

18世紀から現代に至るデンマークの画家の作品1100点をメインに展示しており、写真の部ではミワ・ヤナギのカラフルな大型写真が大変印象的でした。このオーフスに居を定めた画家ヤナス・ラ・クアー(1837−1909)の素晴らしい風景画の特別展をしていました。

そして地下へ行って大変驚いたのが、コペンハーゲンのクリスチャンスボー宮殿で見た最新のタペストリーの下絵展をしていたのです。ビヤーン・ナゴー(Bjorn Nargaard)と言う画家(漫画家?)の絵で、11枚は4mX7m、6枚が4mx1.5mの巨大な絵をフランスで10年かかってタペストリーに織ったものです。過去1000年のデンマークの歴史を現したものだそうですが、何百万クローナを払ってこの斬新さ、改めてこの国の国民の懐の広さ、大きさに感嘆しました。

 

デン・ガムレ・ビュは野外博物館で、デンマーク各地方の民家,商家,市長館など60軒を集め中世の世界を再現しています

 

 

スエーデンでも野外博物館で各地方から集められた建築物を見ましたが、さすが古い歴史と文化を有するこの国は、建築物が北欧のそれではなくドイツや中央ヨーロッパに近いように感じました。

 

写真は現在のオーフスの町並みです。そしてオーフスフェステバルの真っ最中で、その一環として世界一長いソファーが通りに置かれてありました。 このソファーは長さ 51.4m 重さ1.25トンあるそうです。

 

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レゴランド

2022-07-11 23:06:05 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ユトランド半島のほぼ中心に位置するビルン(Billund)には、子供のおもちゃで有名なレゴを製作する本社があります。1968年にビルンの郊外にレゴランドがオープンしました。

 

広大な敷地に(10万平方m)にレゴで造られたほとんどの思いつくもの、有名な建物や動物や町全体、自由の女神あり、大阪城ありでどれも本物そっくりのミニチュアで大変工夫されていてただただ感心するのみです。

 

日本のコーナーには金閣寺や日本家屋、新幹線が走り、田植えのシーンまで有って思わず笑ってしまいます

牧場に居る牛もレゴで出来ていて、ミルク工場から牛乳配達の車までレゴなのです。そしてこの車や、新幹線や船、フェリー,電車、飛行機などが全部動いているのです。

 

園内は乗り物もいろいろあって、ポールなど乗り物全部に乗るのだとおお張り切り、園内を一回りするレゴ電車やモノレールなど童心に帰って大いに楽しみました。ショーもあちこちにあり、海底探検のショーでは熱帯魚だけは本物でしたが、潜水艦やダイバーなど本当に感心します。

アメリカのケープ・カナベル

写真は町のマーケット風景

私の後ろにはバンコックのタイ寺院

本物そっくりのホワイトハウス。

これはベルゲンの町並み

フットボールスタジアム

コペンハーゲンの王宮と衛兵

エジプトのアブシンブル

 

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リーベ デンマーク

2022-07-09 23:25:08 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

レゴランドにリーベのミニチュアの町並みがあり、説明書にはデンマークで一番古い町と書かれていました。

それでレゴランドからリーベを目指して南下しました。

 

キャンプサイトはリーベの町から2−3Kmくらい離れた処に有って、周囲は全く平らな牧草地帯です。フィンランドの南から、もう一月以上も見えなくなって、壊れたものと思っていた衛星テレビがここリーベのサイトから見えるようになりました。そしてはじめてみた英語のニュースでパバロッテの死を知り、少なからずショックでした。心がシンとするような寂しさを感じました。

 

キャンプサイトから歩いてへリーベの町を見物に行きました。八世紀にリーベ河に沿って生まれた町は862年に建てられたリーベ大聖堂を中心に発達したものです。それほど古い歴史を持つ大聖堂ですが、内装のモダンなステンドグラスや祭壇の絵など決して古さを感じさせません。

 

 

 

大聖堂の高い塔の上からはまっ平のリーベの町がぐるっと見渡せます。歩いて2−3時間もすれば町を全部廻れるほどの大きさです。

 

リーベ美術館は1750年から1940年のデンマークの画家の絵を集め展示していますが、350点にのぼる常設絵画は撮影可で、気に入った多くの絵をカメラに収めました。

私は写真(ヨハネス・ウ”ィルヘルム1902年のFishing Boats in Danger)に見られるような物語のあるような絵が好きです。小さな美術館でデンマーク人のみの絵ながら、何処に出しても見劣りしないような素敵な絵がいっぱいありました。

家に帰る労働者たち。

メルヘンのような絵。有名な画家の絵に似ているが誰か思い出せない。

 

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リューベック  ドイツ

2022-07-08 07:22:45 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

ユトランド半島を南下し、国境を越えるとドイツです。北部ドイツの大都会と言えばハンブルグですが、大都会はキャンプサイトを探すのが大変と言う理由で遠慮して、ハンブルグから北東に当たるリューベックへ行くことにしました。

リューベックは南のリューネブルグで採掘した岩塩を、バルト海沿岸の国々へ輸出することで栄えた通商都市で、レンガつくりの重厚な建築物と石畳の道が素敵な旧市街はユネスコの文化遺産に指定されています。

15世紀に建てられたホルステン門はこの市のシンボル的存在です。内部は市立博物館になっています。

 

 

この門の右側の建物はかっての塩倉庫です。たかが塩でと思うのですが、塩の売買で財を成したこの市の商人たちは12世紀から聖霊養老院を作り一部は今も使用されているとのことです。

 

街角の人形劇オペラの宣伝版

きれいな住宅の軒先の飾り?か建物の守護像?

 

 

市の北の入り口ももっとも古い部分は13世紀から成る門で、周囲にも立派な建物が並んでいます。

 

 

市の中心部に在るベーンハウス博物館は、外観はそれほど大きくありませんが、過去には塩商人の大邸宅だった三階建ての素晴らしい内装の屋敷です。ここは19−20世紀の芸術絵画、彫刻など又リューベックの文化史を展示しています。

 

写真の大聖堂は1173年に建設されたバルト海地域で最大の建築物です。歩いて一回りできるこの旧市街には数知れぬ教会があります。

 

狭い町並みの一角に人形博物館があり700点にのぼる世界中からの人形をゆっくり見ましたが、この博物館の隣では操り人形のオペラ公演をして居るそうで、明日の晩セビリアの理髪師を上演すると、云っていました。

 

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リューネブルク ドイツ

2022-07-07 03:14:04 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

リューネブルクは岩塩の産地として栄えたハンザ同盟の町で、レンガつくりの整ったきれいな中世の町です。このあたりの小さな町は第2次世界大戦でも戦火を受けていないため中世の家屋そのままです。

キャンプサイトが町外れの遊園地の傍にあり、この週からドイツの有名なオクトーバフェスト(10月祭)が始まりました。

 

町まで歩いてゆける距離でたいした期待もせずに行ったところ、オクトーバフェストもあってたいそうな人出です。石畳の通りを観光馬車が走り、素晴らしい建物がいたるところにあって、写真を写すには最高です。

写真の立派な建物は町の中心の広場に面する市役所(タウンハウス)です。

写真に見られる魚は町中に飾られていて、一匹も同じものが有りません。観光案内所で聞いたところ、この町出身のアーティストが、彼のプロジェクトとして、町中を美術館とみなして、作品を展示しているのだそうです。魚はこの町の川で取れる小型の鮭だそうです。この魚たちは各店のショーウィンドーにも飾られ、極め付きが屋根の上から魚釣りをする人です。これはドイツ式ユーモアでしょうね。

 

川渕には昔のクレーンがあり此れがこの町の観光スポッツになっています。

 

観光案内所でどうして9月から10月祭をするのかと聞いたところ、本当に英語が離せない若者だったのかそれとも、本当にその理由を知らなかったのか、うまくかわされて理由がわかりませんでした。キャンパーに帰って案内書を読んだところ、10月第一月曜日に終わるよう16日遡った日から行われるので会期の大半は9月中だと書かれていました。

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