Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 28 ラトヴィア・ナショナル美術館

2011-08-03 19:09:10 | 東ヨーロッパの旅 2011



エストニアでは美術館博物館は12時からしか開かなかったから、ここラトヴィアも同じかと思って11時過ぎ、バスに乗った。
バスの中でラトヴィア人の中年男性から片言の英語で日本人かと聞かれ返事をしたところ、彼は喜んで”日本人は大変礼儀正しいすばらしい国民だ”と手放しの誉めよう。何でも公園で6人の日本人男女に出会い、感銘を受けたらしい。こんな異国で日本を誉められてとってもうれしかった。

日曜日は最初から美術館を目指していたから、この銀色のデブの像のあるところが美術館だと思い込んで入ったところ、ここは美術アカデミーだといわれた。美術館は隣の建物だという。

この美術館はラトヴィアの美術の最多収集を誇り、その他はロシアの絵画収集のみ。この美術館が良かったのは自然採光が取り入れられているため明るくて、カメラも色彩が自然に近い色で写る事だ。それに中世の無表情な宗教画が無いことがいい。






一階の右翼から見始め先ずはこのそりを引く2頭の馬の像に見ほれてしまった。すごい動きのある像で馬が今にもいななきそうだ。




この”ロシアの田舎娘”という題の絵は見てると笑いたくなる、ほんとに頬の真っ赤な娘たち。ラトヴィア人フィリップ・マラヴィンス(1869-1940)の作品。




コンスタンティン・ジュオヌス(1875-1958)の”冬の日”この時代の画家たちはラトヴィアの印象派の代表だった。





”マドンナと機関銃”というこの絵、一体何が言いたかったのだろう。







下2枚の風景画が気に入った。2枚ともウィリヘルム・プルヴィティス(1872-1945)の作品でこの人はほかにも多くの絵が飾られていたからラトヴィアの有名画家だったらしい。







ヨハン・ウオルター(1869-1932)はこの様なロマンチックな絵を多く描いており、この人もラトヴィアの印象派代表画家だった。




この像を見たときにどんな題名を頭に浮かべるかしら?私の想像と違っていたので思わず写真を撮ってしまったが、ガスタヴ・スキルタース(1874-1954)の作品で”私の小さい時”この人はこんなに悲しかったことが在ったのかしらと思った。



この”ラトヴィア・マーケット ”はジュリウス・ピメノフス(1903-1977)20世紀の画家の作品で、やっぱり19世紀とは画風が違っていている



この美術館で私も亭主も一番気に入った作品が一室全部に飾られていたが写真禁止で残念。ロシア人のニコラス・リョーリッチ(Nicolas Roerich)) (1874-1947)はロシアで20代から有名画家だったが、同時に旅行家であり思想家でもあった。彼はインドやヒマラヤに惹かれ、死ぬまでヒマラヤのふもとで過ごした。そして彼の画風は独特のヒマラヤの山々と世界の宗教が入り交ざったもので、彼の思想に共鳴する人々が多くなり独特の宗教に発展したという。

私がこの一室に入ったとき窓際で老女が若い女性からインタヴューを受けていた。2時間後にもう一度見ようと入ったらまだ二人とも同じポジションで話していた。この老女はニコラス・リョーリッチの専門学者であるらしい。



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