Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 2 ポーランド イレニア・グーラ

2011-08-31 22:27:58 | 東ヨーロッパの旅 2011




ドレスデンからポーランドの国境は100Kmもなかったと思うがはっきり思い出せない。只ポーランドの国境のユーロのサインが英語のPolandではなかったのでとっても驚いた。彼らは自分の国をなんと呼んでいるのか?此方の言葉が英語読みとはあまりに違って読めない。日本だって英語読みのジャパンとはずいぶん違うから。
国境には警察官が3人いて車が一台検問に引っかかっていて私たちは止まりもせずに通り過ぎた。下の写真はちょっとピンボケだがこれしかないので許して欲しい。




ポーランド南西にはキャンプサイトがかたまっていて、その一つを選んでカーナビをセットし、高速道路を降りて田舎道をあちこち曲がって走った。周囲はジャガイモ畑ととうもろこしの若い苗を植えたもの、それに青々とした麦畑が続いている。この麦畑の中にかたまりになって青い矢車草が咲いている。ヨーロッパでは矢車草はコーンフラワーと呼ぶがコーン(麦)の中に生える雑草らしい。

ずいぶん田舎道を走ってもうすぐキャンプサイトにつくという頃にたどり着いた町ではカーレースをやっていて通行止め。一台のレースカーが曲がりきれずに民家の壁に激突してたくさんの人だかりだった。いつ道路が開通するのかを聞いたところ夕方6時まで閉鎖という。

諦めて又違うサイトを探してカーナビをセットした。それから一時間後にたどり着いたところがイレニア・グーラ(Jelenia Gora)のキャンプ場。
結構大きなサイトで旧市街から歩いて10分ほどのところにあり、明日はゆっくり町を見ることに決めポーランドの一日目は過ぎた。







イレニア・ゴーラは小さな町で地球の歩き方にも載っていないが、旧市街のスクエアは色とりどりの高さのそろった建物が並び、月曜の午前中買い物に出た主婦でたくさんの人出だった。







新市街の一角に大きな教会が在り、入場料を払って(普通教会は入場料は取らない)入ってみた。天井画や教会内のデコレーションがすばらしく、入ってよかったと思った。教会の外壁に亡くなったパウロ2世(ローマ法王)の写真が飾られていて彼がポーランド人であったことを思い出した。







コメント (2)
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