ヴォルの北80Kmにあるタルトゥはエストニア第一の大学都市であり、午前中にキャンプサイトに落ち着いたから、午後早くのバスで旧市街の中心へ行くことにした。
キャンプサイトは町から7km離れた郊外のBBとキャンプ場をかねている個人経営のもの。トイレが男女1箇所ずつ、シャワーは一人2ユーロだという。今までこれほど高いシャワー料金は聴いたことも無い。
旧市街の中心地は広場の正面に塔を持ったピンクの市庁舎で、ここに観光案内所も併設していた。日本語の観光案内書もありエストニアがいかに観光に力を入れているかが良くわかる。
市庁舎の前に立つ若い男女の像(傘の下でキスしている)はこの町が大学都市で若い学生が多いことからつくられた。
14世紀に造られたセント・ジョン教会は、ソヴィエト時代には廃墟になっていたが、最近改築されオープンしたものだか中も外も赤レンガがむき出しで、私の目から見ると、まだ廃墟に等しい。中では手編みの手袋の展示会をしていて、この国には難しい模様の入ったミトンが結婚衣装の一部として又重要な品として使われることを知った。花嫁は結婚前に自分と花婿のミトンのみならず,姑や小姑、花婿の親戚縁者も入れて50枚ほども編む。これが贈り物として使われるがこれから住む家の前につるしたり、牛の角にまでミトンをかぶせる。大変難しい模様が多く、昔のお嫁さんは大変だったろうな。
今ではこの込み入った模様のミトンや手袋はお土産屋さんで売られている。
タルトゥ大学は1632年にスエーデンの国王によって建造されたもので、スエーデンのウプサラ大学(ストックホルムの北方)をモデルとしている。
この大学は医学や科学,化学に力をいれ、ノーベル賞受賞者も出している。
大学の隣のこの建物はとってもおかしい。窓から手を振っている人たちは、写真で窓に人物大の写真が貼り付けてある。
この裏山には天使の橋と悪魔の橋と呼ばれているものがあり天使の橋の下を通るとき黙って願い事をするのが慣わし。私も願い事をしたがこれは内緒。
この大学の裏山にある大聖堂の廃墟が大学博物館になっていて、一回りしてみた。この機械は昔の腎臓透析に使われたものだという。
日本語の案内書にはタルトゥでは民族博物館と植物園がお勧めと書いてあるから博物館へ行ってみたが、20分もかからず一回りしてしまった。昔の民族衣装を着たマネキンの列や木をくりぬいて作ったビールのカップなどが面白かった。
植物園は探さずにたどり着いたので、中に入ってみたけれど、ロンドンのキュウーガーデンを見た目には何も驚くものが無い。庭の大きな柳の木が落雷で中が焼けそれでも元気に葉が生い茂っていた。
川淵に自由の男神の像があり、1918年から1920年の独立戦争でたおれた戦没者を祭ったもの。ソヴィエトがこの国を占拠しているときに破壊されたがその後再建された
野菜や食肉マーケットの前のこの大きな豚の像にはあっけにとられた。一体なんで???
暑い午後を歩き回って夕方キャンプサイトへたどり着くと、バス一台分のハンガリー旅行者がやってきて、緑の芝生一面にテントを広げた。たった2つのトイレを50数人が一晩中使ったのに、翌朝又20人くらいの若者団体がキャンプにやってきた。急いでこのサイトを出払ったから後はシラナーイ。