林の中のキャンプサイトは蚊に悩まされるから、カーナヴィをセットし南下したが、経度の数字を間違えて、森の中の農家にたどり着いた。家には誰もいず、只怒り狂っている七面鳥がキャンパーに向かって威嚇する。
サーレマー島(ルクセンブルグと同等の面積を持つ)へ行くフェリー乗り場が10km先にあるからと行ってみたが、本当にフェリー乗り場だけで町も無い。
結局ハープサルから130km南海岸のペアヌ(Parnu)に落ち着いた。このサイトは睡蓮が花咲くペアヌ河のほとりにあり,一ヘクタールのサイトがびっしりキャンパーで詰っている。
そしてこのキャンパーの80%はフィンランドのものだった。ちょうどフィンランドの夏休み、家族連れのキャンパーが自転車も積んで、私たちのキャンパーの前後左右に駐車している。
首都のタリンではドイツ、オランダからのキャンパーが多かったのに、ほとんどなりを潜めたように見かけない。
このサイトは木がほとんど無く蚊もいないところから、ゆっくり滞在しようと初日は近くのスーパーへショッピングに行った。
キャンピングで良いのは、現地の人たちが食べるものを手にいれられるし、自分の欲しいものを調理することができる。エストニアのスーパーはRimiとSelverの2軒のチェーン店が大きく、ほとんどの町に店舗を持っている。
ドイツ系のリドルやアルディはリトアニア以来見かけていない。英国系のスーパー・テスコはポーランド以北では見かけない。
各スーパーで見つけたものに、鰊の卵の塩漬けで、卵のう毎だと数の子になるが、ここのはほぐしてキャヴィアのようになっており量り売り。それと嬉しかったのは鮭の腹の部分(脂身)を燻製にしたものでこれが安くて美味しく病み付きになってしまった。
キャンプサイトから歩いて1.5kmくらいで旧市街に着き、ウイークデイにもかかわらず、人出が多いのに驚いた。
ここはエストニア人にはホリディータウンであり、北のリヴィエラと呼ばれているそうな。白樺並木の大通りを歩いていると木陰で気持ちよく、なんと素敵な町だろう、エストニア人もフィンランド人もここに集まってくるのが判る気がした。
西の砂浜にはホリデーを楽しむ親子連れが楽しんでいるし、もう働かなくなった泥温泉の大きな建物の前に中国人団体客がバスから降りて集まっていた。この泥温泉は1927年に建築されたネオクラッシックの建物で町のシンボルだった。
タリンゲートはメインロードがタリンへの道と記されていたことによる。運河の脇の低い壁は格好の散歩道で、中央に円形劇場が作られていた。どこを歩いてもゆったりと町で、町のお土産店で図らずも麻のテーブルセンターを買ってしまった。麻のセーターを買おうと試着してみたがあまり着心地が良くなくあきらめた
街角の駐車場、料金がこんな半端な金額でおかしい。
ショッピング街の一角に立っている新聞を読んでいる像は、エストニアの独立のための布石をした主要人物で、エストニア語の週間紙を発行し、この地で教師をしていた。この像は2007年に150年のエストニア語のジャーナリズムを記念してここに置かれた。