Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

越冬キャンプ旅行ーからの滝

2014-03-12 10:39:11 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

このところ毎日晴天が続き、暑い日が続いている。半袖で出かけると日焼けがひどく、夜も暑くて眠れないから、長そでシャツで内陸のPego do Infermo(地獄池Hell’s Pool)を探しに出かけた。あのあたり店やレストランもないから、サンドイッチと魔法瓶に入れたコーヒーをリュックに入れて出発。

  

 

 

キャンプサイトから数百メータ行ったところで、Vale Formosoの道標を見つけ左折、ここははじめての道。舗装もされていない田舎道だが途中の立派な屋敷の門近くの垣根に素晴らしく甘いにおいの花を見つけうっとり、番犬に吠えられてあまりのうるささに先を急ぐことにした。すると今度は遠くが一面のピンクの林、近くで見ればよく手入れされ剪定された桃の木が今まさに花盛り、きっとおいしい大きな桃が実るのだろう。

 

途中の農家の庭や畑には放し飼いの七面鳥に似たホロホロチョウ、こんなに丸々太っていたらローストにしたらうまいだろうなーなどと思ってしまう。食い意地はってる私。

ところどころに広い庭を持つ豪邸があり、いったい家族が住んでいるのか、それとも金持ちの別荘だろうか。庭師以外に人の姿を見かけたことがない。

 

  

 

バミューダー・バタカップの中に咲く真っ赤なケシの花が特に目立つ野原や、道端のピンクのロック・ローズも今が盛り。鈴なりのオレンジ畑を横目に1時間半でジラウ河の中流あたりにたどり着いた。コウノトリの巣が行儀よく並んでいる村を過ぎ、河と平行に走る土埃の道をゆく。一か所河岸に隣接した場所でこのあたりに地獄池(Hell’s Pool) がと思ったが誰もいないし、道標もない。また1kmも行ったところで小さな村に着き、ポルトガルのおじさんに聞いたところ、川向うのオレンジの段々畑の向こうを指さす。

がっかりしてもと来た道を戻り河岸にたどり着いた。もう3時間も歩いていたから、ここで休憩、サンドイッチとコーヒーで満腹したところに、突然どこからかポルトガル人の男の子2人が自転車で現れびっくり。紙に書いたPego do Infernoを見せるとすぐそこと指さして行ってしまった。

  

そこと言っても判らないからとにかく河を渡って向こう岸へと靴を脱ぎ足首までの流れを横切る。対岸のオレンジ畑の中に細道を見つけていった先に突然よどんだ緑いろの池か水たまりと言おうか、これが地獄池かとがっかりした。数年前までここはきれいな水が流れこの地獄池ではローカルの人たちが泳いでいたという。確かロジャーに見せてもらった写真では短い滝が数か所から流れていたはず。池の周りは木の柵と壊れた階段があり、上は柵に囲まれて行きどまり。

 

 

これがジャンやロジャー夫婦から称賛された場所?とがっかりして暑い土埃の道をまた2時間半もかけて戻ってきた。行くときにつぼみだったミニ・アイリスが帰りの4時ころには満開でこうして花を楽しめただけでもと亭主と慰めあう。道端のアーモンドの木は緑の実がついていた。

 

 

月曜日はオランダ人ジェラルド・マリアン夫妻の最後のジム・ラジオ体操の日でカメラを持って行き、ラジオ体操は通りかかったロジャーに写真を撮ってもらった。ロジャーは前日自転車で滝を探しに行ったが見つからなかったといい、ジェラルド夫妻が、滝のありかを知っているがもう水はないとの話から午後皆で行ってみようと決めた。皆自転車を持っているから私も町の貸自転車で一緒に行くことに。

午後2時サイトの玄関にはロジャー夫妻が友達を呼び、ジェラルド夫妻もオランダ人の友達を呼んで総勢9人が出発、私たちが歩いて行った地獄池のほかにもっと大きな池と滝があるとのことで、田舎のでこぼこ道を自転車で快調に飛ばして40分で着いた。

 

 

 

水は一滴もなく、辺り一面乾ききっている。それでも9人がこうして楽しく走っただけでもと別れがたくキャンプサイトの近くのカフェで皆で乾杯。素晴らしい午後だった。

 

ジェラルド・マリアン夫妻は9月から3月までをポルトガルで過ごすため、今年の9月にまたこのサイトに戻ってくるとのことで再会を約束して別れた。

コメント
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