イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ヘイヘイ、久しぶり

2007-08-16 21:17:24 | テレビ番組

 先日、猛暑に突入して以来高齢家族が“慢性熱中症”状態で微熱が続いているので、警戒してはいたんですが月河も今朝はいきなり37℃前半。

 5日5晩の“準”熱帯夜で、どうやら体温中枢が引きずられて高め設定になってしまったようです。

 今日は中央競馬の東西トレセンで馬インフルエンザ検出のニュースもありました。71年暮れ~72年初頭に関東美浦トレセンを中心に猛威をふるい有馬記念の開催さえ危ぶまれた馬インフル、空気の乾燥する冬ならともかく夏のド真ん中に?と思いがちですが、人間と同じ、お馬さんも暑さ負けで免疫力が低下するんですね。

そもそも全身を長毛におおわれたお馬さんですから、冬場には冬毛を生やして防寒体勢にすることができます(イントレーニングで出走体勢に整えられた馬は、代謝が活発なので生えません)が、夏は、脱ぐものがない(憐)。

 特に黒鹿毛、青毛など真っ黒な馬は熱を吸収して夏負けしやすいとも言われ“夏は芦毛と牝馬”なんて俗説もあるほど。

 開催中止という最悪の事態はまぬがれたようですが、年々歳々猛暑化、亜熱帯化する日本の夏、お馬さんにも夏休みをあげたくなります。

 そうなればコッチも馬券資金に夏休みをあげることができる。

 …いや、お馬さんの動向にかかわらず、自分が自主的に休めばいいんだけど。

 『金色の翼』第34話。

 昨日放送の33話から、ちょっと意外な、粋な構成に入っています。

 修子が隠れ住み槙が訪ねて居ついてしまった東京下町の古家のほうが“離れ島のパラダイス”、理生と支配人夫婦が槙の帰還を待つ中、静江による乗っ取り・廃業解体の準備とセツのリベンジ画策が火花を散らす“海と空のホテル”のほうがあたかも“欲にまみれた俗世間”であるかのような対照をなしている。

 “聖と俗”“善と悪”“正と邪”“真と偽”の対立と逆転、ネガ←→ポジの融通無碍な反転も、金谷祐子脚本のこのシリーズの大きな魅力のひとつです。

 狭い鳥籠に閉じ込められた日々の扉を開け放って、自由に広い世界を飛ぶことを何より夢みていたはず、そのために時には嘘を重ね他人を欺き傷つけることも辞さずにここまで来たはずの修子と槙が、まったく逆座標の“小さくちんまり引きこもる生活”に幸せを見出している。

 さすがに槙は「このまま毎日遊んでいるわけにはいかない」「オレにはオレの生き方がある」と職探しに出かけましたが、修子は「待って、どうしても仕事がしたいなら、私がなんとか…」と引きとめようとする。

 まるで、自分があれほど嫌い脱出せんがために夫を事故に見せかけて殺しまでした“鳥篭生活”に槙を押し込もうとしているようにも見えますが、修子はなぜか“この夏が終わるまで”との期間限定をみずから課しています。

 愛と言う名の檻で束縛し、束縛され合うことの罪深き甘美さを、あるいは修子は初めて知ったのかもしれません。

 槙にはもうひとつ、理生という檻が待ち受けています。理生にとっては、槙に檻を課すことが、自身の自由と一体になっている。

 人間が望みあこがれる自由は、常に檻とともにあるのかもしれない。

 3人3様、求める翼の在り処、翼を得たときに目指す地平は、まだ見えて来ません。

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寿司にシャンパン

2007-08-15 20:41:04 | テレビ番組

 日本全国、お暑うございます。

 ラジオのニュースによれば、群馬県館林では40.2℃を記録したとか。すごいなあ。扁桃腺腫らしても月河、39.8℃までだもんなあ。比較がおかしいか。温泉でも40℃超っていうと、ぬるめが好きな人なら敬遠する温度なんじゃありませんか。

 館林、行ったことないけど確か織物工業のさかんなところですよね。紬(つむぎ)とか。違ったかな。とにかく猛暑お見舞い申し上げます。

 当地も一応、毎年平均7日か8日ぐらいは日中の最高気温が30℃を超えるいわゆる“真夏日”があるのですが、5日続いて、しかも後半3日は34℃超となると、観測記録上どうこうより、カラダに普通にこたえます。

 会う人会う人、「暑いですねえ」「暑いねえ」しか言わない、て言うか言いようがないので、日本語の脳内ボキャブラリーも溶けて流れてどっかでジュワー蒸発しそう。

 おまけに今年は、明け方の最低気温が23℃台、24℃台も同じくらいの日数続いているんですよね。東京に住んでいた頃は、25~26℃超でも「これがウワサの熱帯夜だぜ、東京砂漠だぜベイベー」ってなノリで普通に飲み歩いたり酔って帰って爆睡して、翌朝ガリゴリ顔洗って化粧して満員電車に乗ったりしていたもんですが、あの頃キミは若かった。

 寄る年波と、北国の涼しさにすっかりカラダが慣れてしまい、23℃台の夜でも「寝苦しー」と感じるようになってしまいました。

 予報によれば当地では今夜から厚い雲が出てきており、明け方の蒸し蒸しはもう一晩続く見込みも、日中の暑さは今日がピークらしいです。いやー助かった。もう限界だったかも。

 そんなにきれいサッパリ予報どおりにいくのか一抹の不安はありますが、だいたい、毎年、お盆までなんですよね、当地の夏は。

 関東以西の皆さんは9月のお彼岸ぐらいまでは残暑注意報でしょうね。でも9月に入れば陽射しのじりじりが和らぎます。もうひと息。小さなお友達は夏休みの宿題、お父さんお母さんは自由研究、ラストスパート、しまっていきましょう。

 ……誰に言ってるんだ。

 とり急ぎ『金色の翼』第33話。

 アバンタイトルから槙&修子の百合敷き畳上“ローラー作戦”ホテルで槙釈放の電話を受けセツに告げて躍り上がる理生→雨戸全開(推定)のまま月明かりで眠りほうけるイカロスとヴァンピーロ、という、シニカルなカットバック。

 CM明けも、槙兄出現に望みをつないでホテルにとどまった杉浦夫妻に、理生が槙釈放を知らせ、「明日にはきっと戻ってきます、明日には」とみずからに言い聞かせるように強調する場面のあとに、事後の槙と修子の、落し物の真珠をめぐるすれ違いと「この夏だけは2人で」の結論に至るまでを描くなど、どちらかと言えば、嘘から始まった熱愛の甘美さより、2人それぞれに関わる人、大切なはずの人を傷つけ孤独にし、恨みを買い敵意を煽り、いずれ世界じゅうを敵に回しかねない背徳の関係の淫靡さ、はかなさに重心をおいた描かれ方になっているように思います。

 人を恋し、人を愛し、身も心も求め合うことを決して美しく輝かしく甘やかにだけ描かない、どこか「いずれ報いが与えられるよ」と突き放した“神の目”の視点を内包させてドラマが進む。

 謎引っ張りや解明の語り口がときどき流麗さ、明快さを欠き、訥々としたり晦渋になることもありますが、月河がそれでも現行のTV番組中この作品だけを放送開始から完フォローしている、せずにはいられない、これが理由のひとつです。

 主題歌の始まる直前、夏休みの子供在宅のお母さん・お盆休みのお父さんが赤くなったり青くなったりしたに違いない月明かりカットで、槙と修子のあられもない寝姿に掛けられた白い夏掛けが象徴的でした。

 あれだけ丸裸(推定)に脱いでヘロヘロになるまで抱き合って、もう眠るしかできない心身疲弊の状態から、どちらかが起き上がって家の押入れとかからよっこいしょ蒲団出してきて、「ホラ、お腹冷やすよ」なんて、とても想像できないでしょ?

 あれは神様(あるいは悪魔)が下りてきて、罪深い2人を世界から目隠ししたのです。

 亡骸のごとく見る影もなく散っていた花が、花言葉“純潔”の百合であることからも明らかでしょう。

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自由にさせてほしいのさ

2007-08-14 21:39:13 | テレビ番組

 昨夜9:00頃、玄関灯消灯のまま網戸下ろしてドア全開していたら、なにやら網越しに人影が見え隠れ…

 …お盆だけに、いよいよ来たかっ!月河を含め高名な霊感スポットの数々に、何度、いつ踏み込んでいくら長居しても何も感じない、霊能神経が麻縄で出来ていると言われる(月河が言ってるだけだが)人間の集まりである我が家にも、終戦記念日2日前に、ついにっ!…といそいそ様子を見に出たら、町内会長さんが夕方回った連絡簿の回収においでだったのでした。

 「お宅、インターホン押しても鳴らないし、ノックするにも網戸だし、明日の朝にするか、どうしようかなーと思って行ったり来たりしてた」…うわ、申し訳ありません。高齢家族の昼寝対策でドアホンオフってたの、元に戻すの忘れてました。

 今年の夏も、それ系のモノは何も現れない、何も見ないまま、地に足つけて過ぎて行きそう。

 『金色の翼』第32話。全65話のうち、今日明日のここ2日が折り返し点です。

 終幕へのクライマックスに待ったなし突入するだけでなく、今日からは、盛り上げつつ前半に蒔いた種を収穫させ、広げた風呂敷をたたんで行く、両輪作業も要求されます。

 昨日31話での生木を引き裂くような天と地の別れから、たった1日で槙釈放、修子と再会かよ!といささかあっけない感は拭えませんでしたが、そもそも槙を迫田突き落とし実行犯とする明確な証拠はどこにもないので早めの身柄釈放は当然だし、ホテルに連絡取って大使館だ何だ問い合わせた説明的描写も無く、思い出の密会場所である古い一軒家をいきなり槙がたずね当てるのは、いい具合の時間の節約、後半の高速盛り上げ&収束に一直線な製作姿勢が感じられて、かえって頼もしい。

 “たった1日(=1話)”のブランクしかない分、“望み待ち侘びた再会”という切なさは減りましたが、互いにこれまでの積もる恨みと嫉妬、負の熱情を剥き出しにぶつけ合い、「歯の浮くような言葉だけで女のフトコロを狙ういくじなし、馬鹿なイカロス」「黙れ、男を喰いものにするヴァンピーロ、生き血が吸いたきゃ吸ってみろ」と水浴びせたり引っ叩いたりしながら紅百合の散り敷く上でもつれ合って行く場面は美しかった。

 特に修子の「島で理生さんが心配して待ってるわ、あなたたちとてもお似合いよ」と「だから何だって言うの、悔しかったらあなたもリムジンにでも何でもぶつかってみるといいんだわ」が良かったですね。

 あれだけツラの皮千枚張りの仮面芝居して、優雅と平静をよそおい、慎重に手を打ってきた修子が、これだけあからさまなジェラシーと侮蔑の言葉を吐くということは、なんのこっちゃねぇ修子も「この人だけは私のお金ではなく、私だけを愛してくれてる」という夢を見ていたのね。

 「悔しかったらあなたもリムジンに…」というフレーズから、“やっぱり迫田の言っていた通り、リオで日ノ原氏と接触する機会を狙って当たり屋を試みたのか、てことはイカガワシイ店の腰振りダンサーってのも…”と想像するのは「自由だ!」ですが、むしろ修子の今日の赤裸々な怒りの噴出には、愛した槙の中に“富める者へのコンプレックス”“取り入って利用してやろうとする歪んだ上昇志向”という、かつての自分と同じものを見出したことが原因している見るべき。

 と言うより、それらかつての、或いはいまも秘める自分のネガティヴな部分”を等しく見出したからこそ、彼を愛したのかもしれない。

 槙から修子を見たときも事情は同じです。槙はむしろ、そういう手を使って男を利用して生きてきた修子と知ったからこそ、ここまで追いかけても来た。

 この2人、財力には大差あっても、根性は似たものカップル。

 ただ、現時点で“似た”ところ、互いに相手に見出し合って共振する要素が、カネや家族・育ちにまつわる劣等感がらみの、どうにも感心しない、人間の性根としてカッコ悪い部分ばっかりなのがいかにも惜しい。

 せっかく“イカロス”という比喩を物語の芯にかつぎ出しているのだから、たとえば夢に向かう進取の気性や、艱難辛苦乗り越える根性、自分より不遇な者のために持てる知性や技能を惜しまず注ぎ込む勤勉さ、献身性など、もっとカッコいい部分で共鳴し合うカップルになってもらいたいもの。

 そうすれば、このドラマの、ラブストーリーとしての側面がもっと輝き、謎追いのサスペンス面をも照射してくれるはずです。

 今日のお楽しみポイントは、修子が「笑わせないでよ!」と突き飛ばし奥座敷の百合の花(!)を武器に取りに走る場面、追いかける槙がマジけつまずきかけて(畳の目にすべって?)底抜け脱線ゲームみたいに四つん這いになってるシーン。NGすれすれ。

 あと、もちろん31話からアバンタイトルでつながる奥寺のプライベート・オフィス。島のホテルが鳥づくしなら、こちらは馬づくし。

 演じる黒田アーサーさん、乗馬鞭をピッ!と修子に突きつける決めシーンを見ていて気がついたのですが、顔の輪郭や、台詞中のふとした時のクチ周りが、元・JRAジョッキーの田原成貴さんに軽く似ている。

 マヤノトップガンをはじめ、月河、一時期は“この馬好きかも、と思うとみんな屋根が田原さんになり、それでますます好きになる”時期がありました。稀有な才人でありながらエキセントリックと自由の度が過ぎて競馬界を去ってしまいましたが、黒田さん扮する奥寺は“世間知にたけて、高学歴財力もある版”の田原さんみたい。修子に乗ろうとして落馬、蹴られて腎臓損傷なんてことには、くれぐれもなりませんように。

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なんの話?

2007-08-13 20:50:50 | テレビ番組

 午後4:00過ぎ、役員のかたの夏休み代理で、町内会の連絡ごとを引き受け、マンションの中を回りましたが、こう暑いと、ご家族のひとりでも在宅のお宅はもれなく玄関ドア全開。

 北国でのエアコン装備率はまだまだです。まぁ、毎年、お盆までですからね。真夏日は。

 TV観てればTV、来客あれば来客、お料理してればお料理、音も声も匂いもモロ放出。

 夕方は、再放送の『101回目のプロポーズ』の視聴率がマンション内では高いと思われます。

 玄関も内窓もぴったり閉まってカーテンも全閉のまま西日を煌々と受けてるお宅はお盆帰省かお子さん連れて海か、とにかく最短でも夜までは無人に間違いないと逆にすぐわかってしまい、ピッキングに狙われないか心配になります。

 ここ数年のウチは長期にわたって無人になったことはなく、誰かが出張したり入院したりしても、ひとりは必ず帰宅して寝泊りしているのですが、もし、好むと好まざるとにかかわらず、無人になったらどうする?という相談はときどきします。

 外から見て「無人だ」ということがバレない工作ですな。

 「外から遠隔操作で外から見える窓の部屋だけ点灯し、朝になったら消灯する」…そんなリモコンはないし。

 「3~4人で喋ったり歌ったり笑ったり言い合ったりしてる1時間ぐらいのテープを作って、エンドレスで外から聞こえる程度の音量で流し続ける」…映画『スピード』みたいだな。でも夜中も明け方も同じテンションで続いてたらかえって不自然だ。

 「等身大の人型パネルを窓際のソファーに置いてカーテン越しに上半身見せとく」…漫画かっ。動かない輪郭だけの人影なんて、当節、カラスだって騙されないよ。

 やはり、夜の照明点灯がいちばんの関門みたい。玄関と、あと外窓ぐらいは点灯しておくほうがいいでしょうね。空き巣ピッキングは“音”と“光”を怖れる言いますから。

 それとね、何かラジオの情報番組で防犯の専門家が言っていたんですが、統計によると(どうやって統計取ったんだ、って話ですが)プロのピッキングは開錠に30秒以上費やしたら、リスクと戦果のバランス的にそこの家はあきらめて、「次、行こ」となるそうです。

 だから、「絶対に壊されない必要はない、ピッキングがあきらめるラインである30秒もつ錠前をつけるべし」とのこと。

 30秒もてばいいのか。…しかし、ピッキングのすべてが、費用対効果を心得たプロとは限りませんわね。

 今朝、思い立って泥棒になったドシロウトが、1時間かかって熱くなって錠前壊す間、奇跡的に誰からも見咎められず洗いざらい持ってかれる…なんて可能性も無いとは言えないでしょうに。

 『金色の翼』第31話。

 修子はブラジルでの日ノ原氏の事故死に自分が関与していることを、このタイミングで槙に打ち明けたら、間違いなく「俺がキミを助ける、2人で逃げよう、自由になろう」といっそう前がかりになって来ることを読んでいましたね。

 槙が一瞬の隙をみて連れ出した鳥のアトリエで「あなた、知らないの?イカロスの話には、続きがあってね…」(←本当に知らなかったらしい槙コングラチュレーション)と尊大に睨みつけたとき、それに先立って理生の胸に指ピストルして「私は誰も愛したことはない、いつでも自由でいたいから」と大見得を切ったとき、かすかに修子の眸は潤んでいたように見えました。

 修子の複数枚舌は、言わば物語を前に進めるためのツールですから、どれが本心だ?真相だ?なんて詮議は無用ノ介でしょうが、利用価値つかい切った上で、これだけ血みどろの荒技で切り捨てた槙という男が、切られ方がむごければむごいほど、ますます前がかりになって今後も来るであろうことまでは、修子、読んでいるかな。

 30・31話で注目すべきは、ある程度予見できた修子の豹変冷血化より、迫田転落の時間の、玖未の逡巡を取り込んでの目配せひとつない、ツーと言えばカー鉄壁のアリバイ証言→救急隊到着時の隙を狙っての迫田の部屋キー利用侵入→クロゼットのドレス群以外済ませてあったホテル引き払いの準備→「時間よ」「鳥篭をお願い」だけで即追従→滑走路添いに槙が追走して来るのを見てもまったく不審がらず質問も指摘もない…という、修子&玻留の水も漏らさぬ連携プレーのほうでしょう。

 修子が白スーツで槙の部屋を訪問する前か、ロケット持参で帰館した直後か、この2人はこれから起こること、起きた時の対外的対応、密かにやるべき事などを綿密に打ち合せしてあった模様。

 やっぱり何かあるね、修子と玻留、この姉弟は。

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ロケットパンチ

2007-08-12 15:22:16 | テレビ番組

 第30話で大展開となった『金色の翼』ですが、本筋については少しおくことにして、ドラマの台詞中に、ギリシャ神話の“イカロスの翼”の喩えが頻繁に出てくるので、一応知ってはいるけれど、もう一度ちゃんと整理しておきたいとかねてから思っていました。

 バーナード・エヴスリン著『ギリシア神話小事典』(社会思想社現代教養文庫、小林稔訳)(←ちなみに79年初版)によれば、

  イカロスはダイダロスの子で、父とともにラビュリントスと呼ばれるクノソスの迷宮から逃れるため(←彼らがここに閉じ込められる原因になったエピソードがおもしろいのですが、それはそれでかなり長いのでまた別の機会に)、父を説いて翼を作らせた。偉大な工人ダイダロスは息子の願いをいれて翼を作り、二人は飛び去った。

  しかしいつも自分の能力を忘れて空想をたくましくするイカロスは、空を飛んですっかり有頂天になり、父親の警告を無視してあまり太陽に近づき過ぎた。彼の翼をつけたろうが溶け、少年は海に落ちた。(中略)

  彼の名から「イカロスのような」(Icarian)という言葉が派生したが、それは向こう見ずでうぬぼれた空想を指して言う言葉である。

 ……翻訳の、わざとのように味気のない文体のせいもありますが、これだけ読むとかなり救いのない話です。『金翼』ドラマ内では槙が修子を抱き寄せて「オレたちは、イカロスになるんだ。」なんて見得切っちゃってますが、観るほうはそれ、ヤバいよヤバいよ、と思わず出川哲朗さんになってしまう。

 「父を説いて翼を作らせた」というくだりも、実際、どの程度息子側に容喙(ようかい)の余地があったのか。

 他のエピソードを読むと父のダイダロスという人は技芸の女神アテナ直伝の天才的な技工の人なので「パパ、ボクお外に出たいよ~鳥さんたちみたいに空を飛べば出れるよ~」と“名月をとってくれろと泣く子かな”式におねだりしたのか、それとも父と一緒に鳥の飛行原理を観察したり、図面を引くお手伝いをしたりぐらいの知的能力はあったのか、そのへんの読み方によっても全体のニュアンスが大幅に違ってきますが、“イカロスのような=向こう見ず、うぬぼれた空想”という派生語ができるくらいですから、槙が強調するように自由を求めて飛躍したというより“好奇心旺盛でやんちゃすぎて自滅したオッチョコチョイ”のイメージが強いように思います。

 ダイダロスが“離陸”前、「高く飛び過ぎると太陽の熱でろうが溶けるよ、低く飛び過ぎても海の水蒸気で翼が湿って飛べなくなるよ、太陽と海の間のちょうどいい高さを、父さんが前になって飛ぶから、後ろからついて来なさい、父さんより上にも下にも行っちゃいけないよ」とクチを酸っぱくして言い聞かせたことは別の本にも書いてありますが、そもそもそんな危ない、姉歯物件みたいな翼を、なんでダイダロスほどの優れたエンジニアが大切な息子に与えたのか。

 別の本には、大人のダイダロス自身用の翼は大きな鳥の大きな羽根を細引(今で言うテグスか)で綴じて作ったけれども、少年イカロスの体のための翼は細引で束ねられない小さな羽根を使わざるを得ず、そのためろう固めになった、というニュアンスで書かれているので、ダイダロスは本当は息子にはこの危険なチャレンジをさせたくはなかったのではないかなという気もします。

 彼にしてみれば、自分の道連れ、人質のような形で迷宮に監禁されている息子をひとり残して自分だけが脱出するわけにはいかず、何とか自由にしてやりたいと思う親心が、エンジニアとして高リスクな製品を実地に送り出すことへの逡巡にまさったのかもしれない。

 そこらへんを思うと、ドラマ的にドラマチックなのはオッチョコ馬鹿のイカロスより、むしろ悩める幽閉の父ダイダロスの心理のほうですね。

 前のほうにも書きましたが、技工の才に恵まれたことで幸福も不幸も身に呼び寄せたダイダロスの一生についても、いつかここでまとめてみたいと思います。父の動きのほうから逆に、息子イカロスのパーソナリティが映し出される要素もあるようなので。

 『金翼』第30話の眼目は、何と言っても杉浦支配人夫妻の衝撃カミングアウトでしょう。

 修子のほうは29話終盤時点で“なんかそういうことやりそう”な気配が漂っていたので、さほど驚きもしなかったし、この件(=ロケット利用で容疑転嫁)単体では槙にもあまり同情をおぼえませんでした。

 それより、いままで職場であるホテルのよき上司として、仕事仲間として槙に協力し、不遇な身の上を知ってサポートしてくれているとばかり思っていた杉浦夫妻が、なんと「ひとり娘を殺した容疑者の弟であるこの男に密着していれば、憎い人殺しが姿を現すかもしれない」とのもくろみで、狙って槙の職場に来ていたとは。

 金谷祐子さんのこの枠のドラマ脚本では、“誰かが実は誰かの実子”モチーフが一作一箇所は必ず出てくるのですが、今季第一弾、ここへ来たか。

 槙がセツの提案でパイロット免許取得のためフィリピン渡航を考えていたときの栄子「槙さんがいなくなったらどうする?私たち、困るわよ」、奥寺が槙と兄の事情を嗅ぎ回っていたときの夫妻の動揺など、伏線はあったのです。

 「男を選ぶなら、缶詰のような男を選べ、ってね」発言もあったな。結局夫妻、特に栄子さんの槙への接し方は、ちょっと見ほど友好的でも優しくもなく、芯に計算ずくというか、冷たいものがあった。

 20話辺り以降から、“状況次第では微笑んで二枚舌”を隠さなくなってきている修子のような人物より、杉浦夫妻のような“実直・温厚担当”が“実は密計あり”をカミングアウトすると、ウラオモテある、それぞれの欲望と打算を秘めつつ日々穏当につくろって生きている、人間存在の怖さがより強く迫ってきます。

 槙にも、修子のまさかの(視聴者的には「あるある」)背信より、こちらのほうがこたえたのでは…と思えましたが、最後、腰抜けて立てなくなったのはやっぱり修子の“それが何か?”顔のせいみたい。おめでたいな槙。世間はお盆ですが、盆と正月とクリスマスがいっぺんに来たぐらいのコングラチュレーション。

 先に「修子の背信単体ではさほど槙をかわいそうと思わなかった」と書きましたが、好意的で厚遇してくれていたはずの杉浦夫妻が実は…という特大パンチのほうの痛みを、槙がほとんどスルーしていて、修子からのパンチだけに腰抜かしている。そのことのほうが哀れを誘いました。

 人間、同じくらいの強度の苦痛を、同時に体の2箇所以上に与えられると、1箇所しか痛みとして知覚できないらしい。

 いまの槙には、世界が修子だけなんだな。

 でも、ファム・ファタール物語には、槙のような、赤子の手をひねるがごときデ・グリュー(>『マノン・レスコー』)がどうしても必要なんですよね。がんばれ槙。飛んじゃえ槙。

 翼のろうが溶けても、うまくいけば落ちた先が宝の島、なんてことも(それはないない)。

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