雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-63

2007-06-11 05:45:56 | カワサキ単車の昔話
仙台時代ー5   宇田川勇、石塚益治君


東北での4年間いろんな人に出会った。
その中で本当に会社で最後の最後まで一緒に仕事ができた人、二人。

宇田川勇君と石塚益治君、石塚君の益は、これに金へんが付くのだが、字が見つからない。失礼する。


お二人とも、メイハツ入社だから年に関係なく単車の大先輩である。
仙台で出会ったときは宇田川君はサービス、石塚君は経理のスペッシャリストだった。
私もその頃は、レース専門であったかも知れない。

そんな営業のド素人が集まって、べテランの代理店社長さんを相手の営業活動をスタートさせたのである。


宇田川君はサービス出身でとにかく話上手だったし、交渉ごとをやらしたら100%安心して任すことが出来た。
弁も立ったが、誤魔化すのではなくベースに誠意があった。

あの、この二輪業界で誰もが対抗できなくて有名であった、多分今でも有名なヤマハオートセンター、今のレッドバロンの杉浦さんも一目置いた存在だった。

会社の業務で、難しく、ややこしいものを選んで担当してもらい援けて貰ったというのが実感である。

最後は、西武自動車との関連もあって非常に難しかったジェットスキーのレース協会、JJSBAの常務理事を引き受けてもらった。
琵琶湖の近江舞子で開催したワールドカップや、石川県千里浜での1000台のマシンを集めたジェットスキーレースなど最盛期の活動を演出してくれた実力者だった。

引退した今でも、旧い西部の方たちや当時の人とはお付き合いがあるようだ。

仙台時代、一緒に仕事をした久保さんや小林さん、それに秋田の斉藤雄幸さんなどは、宇田川君と共通の思い出を持つ懐かしい名前である。

昨年だったか、星野インパル社長の金子君の口から「斉藤雄幸さん」という懐かしい名前が出て「へー」と思った。 いろいろ関係があるものだ。
ちなみに、金子君は秋田の出身で東北時代もいろんなことでお付き合いがあった。




石塚君は経理出身で無茶苦茶堅かったのだが、
東北でで一番ぐじゃぐじゃと細かい文句を言う山形の自前のデーラー担当をさせたら、人間が変ったのではないかと思うほど柔軟になった。

経理に詳しいのは当然だが、筆を持たせたら本当に達筆で、年賀状でも群を抜いている。よく印刷でない手書きの表彰状など書いてもらった。

人当たりは至っていいのだが、意外に意思がはっきりしていて、思ったことを直言してくれる。
永い会社の生活ではっきりと私に注意をしてくれた回数は、間違いなく彼がトップである。有難かった。

何故か、私のところで飼っていた犬と関係があって、仙台のとき生んだ子犬も確か貰って頂いたし、現在まだ家にいる13歳のTOM,LOVEの仔犬も貰ってくれた。
今でも元気なようで、ご近所でも評判の人気の犬だとか。、写真なども送って頂いている。

印鑑を自分で彫ったりする趣味もあって、わざわざ私の名前を彫って贈って頂いた。
毎年、筆で自筆で書く年賀状に捺させて頂いている。

もともと経理が専門だから今でもどこかの会社を手伝っておられるとか。
東京地区のカワサキOB会の会長でもある。
いずれも彼の実力と人望であろう。




仙台での4年間、その後も当時の関係のまま続いたお二人とのお付き合いである。

お二人が、このブログをご覧になっているかどうかは、定かでないが、
私としては、お礼状の積りで昔話を書いている。

お礼状を書かなければいけない人は、もっともっと居るのだがーーーー。

コメント
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