雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

Dream Plus-4

2007-06-16 06:55:28 | カワサキ単車の昔話
今朝のGoogleアラートの「カワサキ」のニュースに、
先日来ご紹介したDream Plusのニュースが飛び込んできた。


意外な商品という見出しで、
東京有明の東京ビックサイトで開かれた「ヘルス&フィットネスジャパン」に、
昨年ハンカチ王子も使って話題となった商品、Dream Plusと紹介されている。

作るのは作れたが、どうやって販売したらいいのか解らずに、
カワサキモータースジャパンが販売を担当することになったが、畑違いの商品に少し戸惑いを見せている。



そんなことはない。 新商品の販売方式の設定ほど楽しく面白いものはない。
柔軟なアタマで、いい発想を。 こんなチャンスは余りない。


昔、新商品ジェットスキーの販売方法を巡って、
水の商品だから西武やヤナセのボート屋さんに売ってもらうべきというのを、

新しい商品だから新しい発想で新しい販売網でと、白紙に絵を書いて、
「楽しみながら、遊びながら売る」、JJSBAのレース組織と綿密に連携した今の体制を築き上げたこともある。


「楽しく」と「仕組みで売る」をKEYにして、
夢いっぱいのDream Plusというネーミングに相応しいセールスシステムの構築を是非考えて欲しいものである。

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カワサキ単車の昔話-64

2007-06-16 05:35:03 | M/Cレース
創生期のレースメカニック松尾勇さん


まだファクトリーのメカニックが製造部門に属していたホントに最初の頃、工場のヨコの通路を挟んで、小さなレース職場があった。
よく仕事をサボってレース職場に遊びに行ったものである。

松尾勇、福田弘美(ひょっとしたら下の名前違うかも)それに先日Z1会のゴルフで一緒に廻った藤原良弘君の3人だった。
みんな、松尾さん、福ちゃん、良さんと呼んでいた。

チーフメカニックの松尾勇さんは、カワサキのレースの指導的な立場にあった兵庫メグロの西海社長のところから、カワサキがレースをするということで移籍してきた。
オートレースの現場でたたき上げたメカニックとしての実力は誰もが一目も二目もおいたものだった。

マシンに関することは何でも出来た。
独特の語り口で喋りながらも手は動いて休むことなく、いろんな作業を仕上げていた。

当時の山本、歳森、星野などの若手は松尾さんから多くを学んだと思うし、
三橋や安良岡などのベテランも松尾さんにはアタマが上がらなかった。



一番印象に残っているのは、F21Mのクロモリのパイプフレームを作ったときである。
津軽の岩木山で行われた全日本を前に7台のマシンを一挙に揃えたのだが、
エンジンはB1ベースの238cc、フレームは全て松尾さんの手作りだった。

当時はスズキが久保、小島だけに2台のRHを持っていたが、
一挙に7台のマシンを揃えたのは、レース界の話題となった。
(このリンクした記事に関西オトキチさん、山本隆君がコメントをくれてON ANY SANDAに山本がF21Mで出場することになるのである。)

三橋、安良岡、山本、梅津、歳森、岡部、星野の7人の主力ライダーに7台のマシンが造られた。
1台1台造られたマシンも、この順番に作られたはずである。
当時のカワサキのライダーの序列で、星野一義はまだ新人の域であった。

この頃になると、メカニックの数も増えて、榎本、吉田君などが加わっていたが、最初からの三人がみんな印象に残っているようだ。

松尾さんは私が仙台に行ってからも、東北のレース関係をよく手伝ってくれた。
仙台にも何回も来てくれたし、当時東北のジュニアチャンピオンであった服部謙治君のマシンなどの面倒もみてくれた。

そんな思い出多い、業界でも名物メカニックだった松尾さんも今年亡くなった。
心からご冥福を祈りたい。




ずっと後、カワサキでは宗和、塚本、北川、鶴田の頃のレースチームもよく知っているが、
その頃になるとレースチームも技術部門の管理で、メカニックたちも昔の職場という雰囲気とは全然違ったものになっていた。

考えてみると、我々の時代は、
技術部はマシン特にエンジンの担当とレース現場での監督で大槻さん、安藤さん。

メカニックは生産部門所属で高橋さんや田崎さんの管轄で、
マシンに仕上げるのは松尾さん以下のメカニックの仕事だった。

レース予算やライダー契約、レース運営のスケジュールなどは私や大西健治君の担当だった。

その上には、山田えん明、苧野豊秋、中村治道さんと我々以上にレースに関心のある上司がいて、常にハッパがかかっていた。

まだ当時のカワサキは、商品もシェアも売上も、レース以外はホンダ、スズキ、ヤマハに勝てる、或いは対等に戦えるものは何もなかった、そんな時代であった。


そんな体制が、いい悪いは別にして、
専任ではないがレースが大きな比重を占めて携わっていたし、
何よりもレースが好きな人たちばかりが集まっていた。

そんなことで年をとってもレースを忘れられないし、集まればレースの昔話を楽しんでいるのである。



コメント (3)
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