自分の想いを、きっちりと表現することは意外に難しい。
そんな表現を本当に 「きっちりと表現される」、 服部吉伸先生とはご縁があって現役の頃、直接ご指導も頂いた。
当然のことながら幾つもあるのだが、その中の一つ
「世の中には原因のある問題と原因のない問題との二つがある。
原因のある問題は、原因の追求、把握、対策という思考ステップで課題を解決する。原因のある問題点の解決に必要な能力は創造力とは呼ばない。
創造力の源泉はアイデアであり、思考ステップの特徴は絞り込んで考え続けるということである。」
世の中の会議などで沢山の人たちが集まり議題の検討をする。
普通一般のことではあるが、あまりいいアイデアとかなどは出ないのが普通である。
その時間だけ、その問題を考えるのでは思いつきだけで、 「いい考え」 など出るはずはないと現役のときずっと思っていた。
専門に検討している人たちが集まるとか、雑談的に何度も会合を重ねるとか、
ある一人の考え続けたアイデアに沿った検討をするとか、
とにかく、絞り込んで考え続けない限り 「創造的なアイデア」 とか「差別化された事柄」 は出てこないのである。
然し、現実には沢山のいろんな立場の人が集まって、
その時だけそのことを考える 「思いつき会議」が横行する。
そして会議が終了するとそのことについては忘れてしまっている。
時間と労力の浪費,無駄だと思うが一向に改まる気配もない。
むしろ、そんな風に思う人、例えば私が変っているのである。
私のこんな考えは、会議を絞り込んで考えた末の結論である。
では会議は機能しないのか。そんなことはない。
方針伝達とか現状の共通の理解とか、余り考えなくてもいい事柄の徹底や「会議で決めたという手続き」などには十分に機能すると思う。
大体、世の中には 「創造」 だとか 「差別化」 などには余り関心のない人のほうが一般的なのだと思っている。
なのに 「創造力」 などというと何となく聞こえがよくて、立派なことのように思い過ぎているのではなかろうか。
これは、特殊能力で 「少し変った人でないと発想できない」 種類のもののような気がしてならない。
変った人、絞り込んで考え続けることの出来る人には、そんなに大したことではないのである。
服部先生の仰る通り、
原因のある問題の解決には、普通の人たちが手順を踏んで検討すれば物事は解決するのだが、
原因のない問題についても、同じスタンスで解決しようとするところに問題があると思う。
創造的な事柄については、絞り込んだ人のアイデアに沿って、
そこに何かを加えたり味付けしたりすることにする方が、現実的だと思う。
然し、「その時だけそのことを考える」 会議や会合が多すぎる気がしてならない。
そんな表現を本当に 「きっちりと表現される」、 服部吉伸先生とはご縁があって現役の頃、直接ご指導も頂いた。
当然のことながら幾つもあるのだが、その中の一つ
「世の中には原因のある問題と原因のない問題との二つがある。
原因のある問題は、原因の追求、把握、対策という思考ステップで課題を解決する。原因のある問題点の解決に必要な能力は創造力とは呼ばない。
創造力の源泉はアイデアであり、思考ステップの特徴は絞り込んで考え続けるということである。」
世の中の会議などで沢山の人たちが集まり議題の検討をする。
普通一般のことではあるが、あまりいいアイデアとかなどは出ないのが普通である。
その時間だけ、その問題を考えるのでは思いつきだけで、 「いい考え」 など出るはずはないと現役のときずっと思っていた。
専門に検討している人たちが集まるとか、雑談的に何度も会合を重ねるとか、
ある一人の考え続けたアイデアに沿った検討をするとか、
とにかく、絞り込んで考え続けない限り 「創造的なアイデア」 とか「差別化された事柄」 は出てこないのである。
然し、現実には沢山のいろんな立場の人が集まって、
その時だけそのことを考える 「思いつき会議」が横行する。
そして会議が終了するとそのことについては忘れてしまっている。
時間と労力の浪費,無駄だと思うが一向に改まる気配もない。
むしろ、そんな風に思う人、例えば私が変っているのである。
私のこんな考えは、会議を絞り込んで考えた末の結論である。
では会議は機能しないのか。そんなことはない。
方針伝達とか現状の共通の理解とか、余り考えなくてもいい事柄の徹底や「会議で決めたという手続き」などには十分に機能すると思う。
大体、世の中には 「創造」 だとか 「差別化」 などには余り関心のない人のほうが一般的なのだと思っている。
なのに 「創造力」 などというと何となく聞こえがよくて、立派なことのように思い過ぎているのではなかろうか。
これは、特殊能力で 「少し変った人でないと発想できない」 種類のもののような気がしてならない。
変った人、絞り込んで考え続けることの出来る人には、そんなに大したことではないのである。
服部先生の仰る通り、
原因のある問題の解決には、普通の人たちが手順を踏んで検討すれば物事は解決するのだが、
原因のない問題についても、同じスタンスで解決しようとするところに問題があると思う。
創造的な事柄については、絞り込んだ人のアイデアに沿って、
そこに何かを加えたり味付けしたりすることにする方が、現実的だと思う。
然し、「その時だけそのことを考える」 会議や会合が多すぎる気がしてならない。