雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

2007-06-19 08:23:12 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
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子どもの頃から魚が好きだった。

戦前の話だが、伯父の家にも、母の実家にも池があって大きな鯉がいた。

池を造って鯉を飼うのは夢だった。
20年ほど前から、小さな庭にしては、本格的に鯉の飼える池を造ってずっと鯉を飼ってきた。

鯉は100年も生きると言われているが、数を入れ過ぎたりすると難しい。
現役の頃は、世話も出来ないのにいい鯉をたくさん飼って、沢山死なせてしまった。

今は20匹ぐらいに数を抑えて、極く自然に飼っているので死なすことはない。
5年ほど前に5cmぐらいのを入れたのが今これくらいに育っている。

餌をやると群れてかわいいものである。



自然の川に泳ぐ錦鯉もまたいいものだ。

岐阜、高山の市内の川、岡山の駅の直ぐ前の西田川、伊勢の五十鈴川、札幌市内の繁華街の直ぐヨコの川などに群れる錦鯉は美しい。

植栽などと違って放流さえすれば、手間も費用もかからない。
放流そのものがニュースとして採り上げられる。
日時の設定も、放流する人も自由に選べる情報発信の自由度。

餌に群れる錦鯉などは、美しい光景と思う。



みっきいふるさとふれあい公園の幾つもの川に、よく似合う風景と思うのだが。
私のささやかな夢みたいなものである。

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野池

2007-06-19 08:22:42 | みっきぃふるさとふれあい公園
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昔はこんな感じの池が多かったが、めっきり少なくなった。

家から10分ばかりのところにある野池である。
息子がまだ小学生の頃から、一緒によくへら鮒釣りに来た。

この近くにも幾つもあったのに埋められてしまったのか、今は少なくなった。

自然の池、何もなくても心なごむものである。
静かに糸をたれて浮きを見つめているのが好きだった。

いつまでも残して欲しい風景である。
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親水広場

2007-06-19 08:22:04 | みっきぃふるさとふれあい公園
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三木に住んでいる方で、ここがどこかお解かりの方は多分少ないと思う。

三木山総合公園の奥のあたり、野球場と陸上競技場の奥に造られた「親水広場」と名付けられた場所である。

結構お金も掛かっている造りで、なかなか雰囲気もいい。

スポーツ施設に来る人や、ジョギングに来る人たちが「ほっとする」「一休みする」場所としてはいいと思うし、私は好きな場所である。


ただ、「親水広場」と名付けたからには、
その名の通り水でなごめるような配慮があればと思う。

今のままだと、水とは名ばかりで端のほうをちょろちょろと流れていると言えるか言えないか。 そんな感じである。
残念ながら、折角の立派な造りなのに人の関心も呼ばないし、人も集まらない寂れた場所になっている。



全くの私案だが、水辺や水草や魚の好きな私なら、
写真の奥のほうにちょっとした堰のようなものさえ作れば、水が溜まり池になり水辺になる。
水の深さを調整できるようにすれば、池の大きさは自由に変えられる。

睡蓮や水草、錦鯉など魚や水鳥など、「親水広場」の名の通りのものになるのにと思っている。



欲を言えば、蛍を何とか飛ばせるような努力は出来ないものか。

東京の都内のどこかの水路に蛍を飛ばそうというプロジェクトに比べたら可能性もあるのでは、と思うのは素人考えだろうか。

蛍を飛ばせそうなところは三木には至るところにある。

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コメントありがとう。

2007-06-19 05:31:57 | M/Cレース
松尾勇さんのことを書いたら、
メカニック仲間の藤原良さんと、当時のライダーの山本隆君からすぐコメントを頂いた。

良さんとは先日のZ1会のゴルフで、金谷秀夫や吉田和さんと一緒になり、
その時初めて、ブログを読んでくれているのが解ったのだが、コメントを頂いたのははじめてである。

松尾さんのことはいつか書こうと思っていた。
先日、良さんとゴルフで一緒になったのが、今回書いたきっかけとなった。

こんなレース仲間が読んでくれていることは、励みになるしコメントを頂くと、また書こうと思う。
レース仲間からは今までにも、大槻さん、山本君、田崎さん、ライダーの塚本君などからコメントを頂いたし、今回、藤原良弘君からも頂いた。

ただ、苧野豊秋、安藤吉朗、松尾勇、岩崎茂樹さんと同じ釜の飯を食った先輩や仲間たちが、この世を去られたことも悲しいことである。



山本隆君のコメントには、松尾さんとは芦屋の竹園でのOB会以来会っていなかった。
「早くOB会をやらぬと頭の毛ではなく頭数が少なくなりますよ」とある。


25周年のレースチームのOB会。1988年10月15日に芦屋の竹園で開催した。

その年の10月1日から3度目の国内販社担当となった。
国内対策の一番最初にレースのOBたちと一緒の会合を持って、
レースを重点施策の一つに位置づけてスタートしたいと思ったのである。

山田、苧野、中村、高橋、大槻、田崎さんらの既に会社の幹部になった人たちも、
北村、百合草、岩崎、大西など昔の仲間たちも、西海、松尾さんも平井さんも。
ライダーたちは安良岡、山本、岡部、梅津、金谷、和田から清原、星野の当時の若手から、現役では宗和、塚本など懐かしい連中が全て出席した。

この会のときは、当然私が主催する立場にあったし、お世話も出来たのだが、
山本だけでなく、清さんやいろんな人にOB会やりましょうと言われるのだが、なかなか難しい。

誰か現役に近い連中が、旗を振らぬと具体的に進まぬと思う。
もうあれから20年も経とうとしている、当然レースのOBの顔ぶれも増えている。

誰か、いい案はないですか。
未だ現役の田崎さん辺りが旗を振ってくれればいいのだが、少々偉すぎる。

山本隆君のコメントにそんなことを思っている、日曜日です。
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