★世界国中いろんなところを走っているのだが、
「通勤以外で一番よく走った道は?」と言われたら、
ひょっとすると「SPA 直入への道」かも知れない。
大分県直入町にある「SPA直入」は間違いなく私と岩崎茂樹とで造ったサーキットである。
大分県直入町に新機種開発用の周回コースを創るべく広大な土地を購入したのは、カワサキが中大型の二輪開発に集中することになったころだが、
たまたま二輪事業の経営が危機的になり、とてもコースなど作る余裕など無くなってしまったのである。
直入町は土地を売却する条件として、コースの従業員など地元町民の就職なども期待していて、
「いつ造るのか」と毎年交渉に来ていて、会社としては困り果てていたのである。
そんな時に、
● 一般二輪ユーザーが走れる小さなサーキットを創ろう
と私と岩崎茂樹が提言してそれが受け入れられたのである。
当時は日本にはサーキットはあったが、「一般ユーザー」が走れるサーキットはなかったのである。
鈴鹿サーキットや、船橋などサーキットはあったが、「一般ユーザー」には「危ない」と思ったのか、解放されていなかったのである。
★そんなことからこんな直入町の山奥に、
日本で初めて「一般ユーザーの走れるサーキット」が出来たのである。
最初に直入の現地を岩崎と訪れた時に走ったルートは、
当時の福岡営業所から営業所のクルマで熊本周りで行ったのだが、
まさに「山奥」と言うイメージだったのである。
★ただ、このルートはこの時の1回だけで
以降は大分空港からレンタカーと言うルートが多かった。
大分港にフェリーでということもあったが、
一番多く走ったのは大分空港ー由布院経由ー直入のルートで
コースの造成・開発の時代から
完成してからの管理・運営も担当したので、本当によく通った道なのである。
こんな立地の山奥の直入町に造った「SPA直入」だが
日本で初めて「一般ユーザー」が自分の車で走れるサーキットと言うことで
開場当日は4000人近いユーザーが集まり
直入町長は「有史以来一番大勢の人が直入町 を訪れた」と挨拶されたのである。
ほんとに当時は直入町などは長湯温泉があるだけの小さな温泉町で、
いつも長湯温泉の大丸旅館に泊まっていた。
たまたまだが「SPA直入」を創っていたころに「オートポリス」も建設されていたのだが、
ご縁があってその後何年か後に葉「オートポリス」もカワサキの運営となったのである。
今では地図に載っている「宿坊翡翠之庄」は当時泊まっていた大丸旅館の息子さんが、SPA直入がスタートして以降、山地を開拓されて、
あんな立派な宿坊に育てられたのである。
そう言う意味では、直入町の発展に関しても「SPA直入」はそれなりの貢献が出来たのかなと思っている。
そんな直入町への大分空港からの道が、私の運転歴の中でも一番回数の多かった道なのかも知れない。
機会があれば「もういちど走ってみたい」
大分空港からSPA直入への道である。