★1992年11月13日から8日間ほど結婚30周年を記念して、オーストラリア旅行を楽しんだ。
オーストラリアの代表的な観光地ケアンズ・ブリスベーン・シドニーと回遊したのだが、
ケアンズとシドニーではレンタカーを借りて、その周辺のドライブを楽しんだのである。
会社の海外出張でもレンタカーを借りての移動が殆どで、オーストラリアも何度も来てるのだが、
社用なのでこんな観光地ではなく砂漠の一本道を延々と走ることが多かったのだが、
この時はまさに観光地なので緑豊かなオーストラリアを楽しんだのである。
★11月13日はたまたま金曜日で「13日の金曜日」と言うことだったからだと思うが伊丹からブリスベーンの飛行機はガラガラで、
横になって眠って行ける結構な旅だったのである。
ケアンズには夜中の3時半着、ケアンズ・ヒルトンに宿泊、
翌日はGreen島の観光旅行を楽しんでいる。
その翌日はレンタカーを借りて、
国立公園のある山間部を1周し、Atherton からKuranda へ
これで約340kmのドライブだったが、レンタカーでないとこんな行程は無理である。
山岳地帯のオーストラリアの風景を楽しんだのである。
更に北のポーとグラスへ60km、高級レストランに夕食を食いに行って、
「ロブスターとマッドクラブを食った」と日記にある。
マッドクラブとはオーストラリア名物のこんな蟹なのでる。
なかなか豪華な晩餐なのだが、
道のことは覚えているが「食った話」は記憶に残っていない。
オーストラリアは日本と同じ左側通行だから車は右ハンドル、
道は日本と違って「ガラ空き」だから一般道でも100kmで走れるので、
なかなかいいドライブだったのである。
海外の道ももいろいろ走ったが、この1日が一番印象に残っている。
★ブリスべーでは一般の観光客と同じような旅程で、コアラを抱いたり海辺の観光地を散策したりして、
最終の目的地シドニーには16日の昼前に入った。
ホテル日航に泊まったようで、日記にこんなカードが挟んであった。
★シドニーでの1日、昼はシドニー湾のクルーズ、
夜は「市村夫妻のご招待」で、「日本料理・武蔵」でご馳走になると日記にあるのだが覚えていないのである。
人間の記憶はホントに頼りないものである。
シドニー2日目はここでもレンタカーを借りて、
昼は有名な世界遺産ブルーマウンテインへのドライブを楽しんでいる。
壮大な山岳地帯だが、そこまでの道はそんなに曲がりくねったものでもなくて、
爽快なドライブが楽しめたのである。
こんな壮大な景色はオーストラリアならではである。
この旅行最終日の夜はヤマハさんからの特別のご招待で、
シドニー湾にあるヤマハマリーナでの高級レストランでの夕食だった。
これは私の人生で一番豪華な雰囲気の晩餐であったと思う。
現地の方ばかりで日本人はひとりいないし、
そのレストランでも最高の海側の席にセットして頂いて、
シドニー湾の夜景を存分に楽しんだのである。
★ なぜこんなヤマハさんの招待があったのか、すっかり忘れてしまっていて
日記を読み返していると、
10月19日にPWCAの理事会が浜松であって、
PWCAとはパーソナルウオータークラフトの略だが、
ジェットスキー関連でヤマハさんとこんな組織があって私が会長をしていたものだから、
多分その時にオーストラリア旅行の話をしたのだろう。
副会長されていた三浦さんが手配をして頂いたのは間違いないのである。
現役時代、二輪とジェットスキー関連を担当したが、
ホンダ・ヤマハ・スズキの業界各社の方とは非常に仲がよくて、
カワサキのためと言うより当時まだ新しかった業界のためにと言う想いも強かったし、
当時乗ってた車は「ホンダアコード」、ゴルフのクラブは「ヤマハ」
娘にかってやったモペットは「スズキ」で
そんなことでも業界他社さんとの繋がりが密接だったのである。
私の運転歴の中でも、想い出に残るオーストラリア旅行だった。