林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

午後の曳航

2007-06-20 | 遠い雲


「帆走」 森男

どうしても 海にもどりたい
あのさびしい大海と 大空へ

背高い舟の舵をとり
星をしるべに進み行くなら

舵輪のきしみ 風の唄 ゆれる白帆
灰色にたゆとう靄と暁

ほかに なにもいらない

 

 鎌倉の材木座や由比ガ浜の海水浴場にはディンギーという2人乗りの小型ヨットが、大勢の海水浴客の間を縫って、帆走していた。

ゴムボートに乗った女の子の脇で、格好つけて舵をきると、見事に転倒。
海岸の監視所にいた森男たちが、5人乗りのカッターボートを漕いで駆けつけて、救助した。

ディンギーは転倒しやすく、帆柱は折れやすく、結局、砂浜までカーッターボートで曳航してきた。

あの頃は、今と較べると嘘のように痩せたこけた身体だったのに、弁当はドカ弁だった。
ここでのアルバイトは完全な肉体労働。他のアルバイト連中は筋肉もりもり。森男はうらなり。無事にひと夏を過ごせたのは奇跡だったな。

次の年からは逗子海岸の国鉄海の家で、お土産屋を任された。
ここは青春だったね。湘南海岸アルバイトのエリートだった。(詳しくは「セーラー服」)。

 職場の仲間達と、城ヶ島沖に鯖釣りに行った時。
前の晩から三崎港に泊まり、翌早朝、釣り船で沖に出た。

5月だったと思うが、風が強く、白波が立って、釣り船は随分揺れた。
船長は頼り無いお爺さん。魚群探知機で魚場に向かったが、全然釣れない。

みんなで水面を眺めているうちに、吐き気がしてきた。
一緒に来ていた、元船乗りもそうだったから、水面を見つめるのは拙いと思い、無理して立ち上がった。釣りを諦めて、揺れる三浦半島を見つめている内に、船酔いは収まった。

昼前に、三崎港に帰る時は、波を掻き分け、大揺れに揺れたが、むしろ爽快な気分だった。
普段は威張っていた部長が青い顔して、鯖のように横たわっていたのが可笑しかった。


海の貴婦人「シナーラ」(シーボニア・マリーナHPより)。

江ノ島から大型ヨットで相模湾に出たことがある。
役員が、担当する事業所の幹部を(やむを得ず)招待してくれたのである。費用は自腹ではなく、役員経費のはず。

ヨットはチャーチル首相の愛艇「シナーラ」。オーナーが思いつきで買い入れたものだった。
乗組員の他に約20人も乗れて、食事も出る豪華ヨットだった。

デッキシューズ買いこんで、乗り込んだ。
ところが、風が全く吹かない。空はどんより、水平線はぼんやり、三浦半島や伊豆半島は見えず、帆走は諦めて、洋上をたゆとうばかり。風は無くてもうねりはある。

内陸県から参加した森男たち3人以外は、グロッキーになってしまった。
昼飯は、3人では食べ切れなかった。

ヨットは予定を繰り上げて、昼過ぎには帰港。
夏本番になっても各事業所から、クルージング客を、送り込むことは無かった。

その後、海との縁は全く切れてしまった。
今住んでいる埼玉県には海が無い。

それでも、夏が来ると、海が恋しくなる。

 
「海王丸」 森男


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1 コメント

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午後の曳航 (hu-)
2007-06-21 14:18:33
森さまの文才だけでなく画才にも脱帽。八面六臂のご活躍。お近くでしたら 藩校ならぬ森さま寺子屋へ手習いにお伺いしたいものです。
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