ねむ(合歓)の花
人間、死ぬまで勉強だ。今日は中学校の「学校便り」で勉強した。
「ひそみにならう」という見出しが目に付いたのだ。
この言い回しが以前から気に入っていて、「林住記」で使おうと思っていた。
意味は、「隠れた美しさ、目立たぬ美点などを見習う」、だと思っていたのだ。
なのに、外れ。
「学校便り」によると、「真似するのはみっともない」、という意味だった。
字引を頼りに補足してみたら。
中国春秋時代。「西施」という名前で、国を傾ける力持ちの美女がいた。心臓が痛いので、眉を「ひそめて(しかめて)」歩いた。ブスがそれを真似して眉をひそめて歩いた。人々は気味悪い、と戸を閉めた。
そこで、正しい言い方は「西施の顰(ひそみ)に倣う」。(これで「顰蹙」に結びついたぞ!)
正しい意味は①「いたずらに他人の物真似をして世間の物笑いになること」。
ただ、②「他人に見習ってすることを謙遜して言う」、ともある。
れれれ、分からなくなっちゃった。
ま、そういう事です。
「学校便り」は続けて、女子生徒を相手に、今月の生活目標は「服装を整えよう」だ、と書いてご教訓。
タレントは目立つために化粧が必要だ。
しかし本来化粧はシミシワを隠すもの。うら若い諸嬢に必要無い。
真似すんな。戸、閉められちゃうぞ。
身だしなみは品格を表す。むしろ、服装を整えようよ。
なあるほど。お化粧は森男にこそ必要あらめ、だ。
森男は品が無く、シミだらけだ。腹は蛙、咽喉は七面鳥。
だから、略式庭師姿だと、団地のヤツラにぞんざいな声をかけられるんだ。
お手本は苦味走った高倉先輩。ちょっと似ていなくも無くもないからね。
シミシワ隠すドーランと、印半纏腹掛股引買いに、浅草へ行こう。
ついでに「学校便り」では男子生徒の善行。
中学から15分で山頂に登れる多峰主山を、「学校の付属施設と勝手にみなして」、3年生が清掃登山をしたそうだ。
おお、結構じゃないか。ご苦労だった、感動した。
ところで、町内にゴミを捨てるのはPTAと卒業生だ。
学校は町内の付属施設だ。勉強なんかムダは止めて、毎日ゴミ拾って歩いて下さいね。
今日、蒸し暑いが、清掃奉仕作業を点検しに多峰主山に登った。
山はすっかり夏姿。山道で遇ったのは、2匹の蛇と3人のみ。
人のいない多峰主山は静かだった。確かにゴミは無かった。
ねむの木の開花が近い。
象潟や 雨に西施が ねぶの花 松尾芭蕉
(象潟に雨が降る 美女西施が眠っているように美しいネムの花が咲いている)
健さまの ひそみにならふ 林住期 駒田森
(高倉健氏の渋さ寡黙さを見習う 林住期真っ只中の森男の「林住記」)
●訳注。俳句はもちろん②の意味です。季語は林住期。口数多いな。
●猫額亭の庭園には美女はいないけれど、実生ねむ多数。
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