68回目
終戦記念日8月15日終戦記念日何、それ!余りにも戦争を知らない世代が増えているのに表現はいつも同じ、悪いとは言わないですが・・・平和を考える。終戦、早いもので終戦から67年を経.....
68回目
戦争が終わり今年は69回目の終戦記念日である。
今ではこの戦争を知っている世代は少なく、未だに戦地には数多くの遺骨が残っている。
この遺骨を回収しないと区切りがつかない、弔いが出来ないそう考える遺族の人は多いと思うが、現実に立って考えると今更69年も経過している中で戦場となった国に赴き、
遺骨を掘らして下さいというのもどうかと私は思う。
まして戦場となった場所に踏み込んで回収すると言うのは並大抵のことではないし、相手国の生活の場となっているところを掘り返し回収すると言うのも相手国の国民の事を考えるとどうかと私は思う。
本来戦死者の回収送還は師団単位で行うべきのもの、それが国のために戦った兵士と家族への配慮だと思う。
武士みたいに戦後腹を斬ればすべてよしではないのである。
本来上官は日本を離れ他国で戦争する以上日本の国土でないのであるから、連れて行った以上連れて帰る義務があると思う。
ならば国と家族のために戦って死亡した兵士については敬意を払い、回収し、本国に送還するのが本来の姿であろうと思う
現実にはあれだけの兵士を徴用、送り込んでいるので不可能に近い面もあるが、作戦、攻撃、撤収、遺体回収も作戦行動のひとつだと考えるのですが、まあ後方で指示する人間に現場がわからないというのは現代にも通用することですが、戦争における指示はあの原発事故と同じようなものかも知れない。
いかに兵士を人間として考えずものとしか見ていない、だからこそあのような貧相な、精神論で戦うから無謀な突撃を繰り返し、玉砕することになる。
反対に体当たりと言う発想が生まれ、戦死したならば靖国に葬られ英霊となって崇められるというところに行きつく。
人は飛行機や艦船と違い再生不可能なものである、そう考えるとあの戦争で犠牲に多くの兵士の無念さが伝わる。
あの犠牲を考えると余り戦国時代の戦と変わっていないのでは、つまり戦略が貧相、そのいい例がインパール作戦だと思うひとり。
お断り
これはあくまで私が所属し、体験したことにより思った個人の考えです。
文献を調べ、当時の人に聞いて書いたものではないということを始めにお断りいたします。
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