四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

私が8月にいつも思うこと。

2014-08-19 | Weblog
私が8月にいつも考えること。

いつも8月15日になると話題になる靖国の疑問。私は個人的にはどちらかと言うと無宗教者であるが死者の送りに関して礼節を持って送るべきだと思うひとりである。いつも問題と言うか話題...

私が8月にいつも思うこと
8月は秋の始まりであり、夏の暑さ残像が残る残暑の季節である反面、あの忘れることの出来ない原爆の投下によって多くの国民が亡くなり、ようやくその戦争の恐ろしさ、無差別に殺戮を行う空襲から、また無謀な戦略なき戦争からようやく解放され、
戦い勝ってきたと植えつけられた戦争の余韻から目覚めさせられた終戦の月でもある。
一握りの集団と言うかこの国を牛耳っていた連中が追い求めた夢が無残に打ち砕かれ、教えられてきた夢が現実と違うことを思い知らされ、正気に戻ったのがこの8月。
戦争が終わり私が生まれたのがこの8月。
因縁か・・・それとも私にこの月を改めて見つめ直し、忘れるな、そう言っているのかのように8月になると私はいろいろ模索する。
多分、この8月の終戦記念日は私の思考が失せるまで考え、なぜ、この愚かな無意味な戦争をしたのか考えると思う。
考えても戦争に行っていない私に真相はわからないし、戦場の悲惨さも、殺戮が正当化されることもわからないが、少なくとも私が戦後体験した中で思うのは、戦争というのは金を膨大に必要とし、また使用する兵器によって戦い方も死者も大幅に増減する、
そう金がないと戦争は勝つまで攻めることが出来ないということ、すなわち国民には今の消費税以上の負担を強いられることである。
ある人が集団自衛権とかを振りかざし国連の名の下でと言っているが、この国から自衛隊が出て状況によって武器を使用すればいくらコスト(金)がかかるのかということをどれだけの人が知っているだろうか、
いつも国会が終わると税金で海外旅行を楽しむ彼らにそんな暇があるなら一度紛争国で行われている銃撃戦を自分の目で見て確かめたらと言いたい。
いつも高みの見物とは言わないが国民のために政治をしていると言っているが本当にその痛みや苦しみがわかっているのだろうかと思い、それは全て今の特権保持と自由に使える金のためとしか見えて来ない。
戦場で散りこの国を守った英霊にと感謝を捧げると言っているが、なぜ、英霊を神聖化して崇め祀る必要があるのか、神社は本来農作物の収穫に対する感謝のための社、それがなぜ人に替わるのか、疑問に思うひとりである。
本当に戦没者を供養し再び戦争のないこの国にしたいのであれば、靖国神社で無く、国立墓地に統一整備しその中心に墓標を作り、戦場で散り、個人を特定できない遺骨を墓標の下に安置し供養すればよいと思う、基本神社は農作物の神を祀る社であり、その恵みに感謝する場であるのが一番いいと思うひとり。

人にはそれぞれいろいろな考えが有り意見があると思う、でも、時には疑問を持つというのは大切なことだと思っています、若い世代の人はもっと政治(家)に疑問を持って欲しい、最後まで目を通していただきありがとうございます。
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