四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

日本の塵

2008-09-16 | Weblog
いま、環境先進国と言われる日本の現実は。

塵問題に関して考える。

あれほど騒いでいた道路特定財源も立ち消えになって、ガソリンが160円前後で推移してももう当たり前になって、もう騒ぐ事もない。
よく言ったもので親が死んでも49日過ぎるともう普段の生活に戻り、当たり前になってしまうのが日本人の性格だろう。
この性格の日本人に環境問題を提起しても意識としては薄い。
つまり日本人は縦の組織で動いているので上下には強いと言うか付き合いは出来るが、横の繋がりの組織化は下手で使いこなせない。環境問題を考えたとき、大切なのが横の繋がりであり、
この連携である。そのために塵がゆるい所に集中し、捨てられるのである。
つまり縄張りが弊害になってしまう。
環境省があってもお飾りに過ぎないし、管轄する行政が足かせとなり、司法も組織の温存だけを考える事になってしまうのである。
塵問題と言う環境施策を考えたとき、一部は出来るが組織を使って対応するのが下手で、いつも歯抜けになる。総合的に組み立て、構成したサイクルを回すのが出来ない。
直ぐに自分たちの都合のよいように作り、解釈してしまう傾向があり、形を作れないのである。
一番身近な環境問題の塵を考えたとき、いかにリサイクルが出来ていないことか、つまり底辺から上まで、回収から処理まで、いかに周知徹底が出来ていないことか。
集合住宅のゴミ捨て場、町の通り、林道周辺とか、本来リサイクル法で定められた商品の放置が多いことか、これらの塵のなかにもリサイクルされるものが数多く混入されているのが、いまの日本の実態であり、埋め立ても、焼却も、税金を支払っている以上、行政の当然の仕事と思っているのが普通であろう。
確かに自治体でも議員を含めてそれらを余り認識していないところもあり、いき詰まらないと行動しないのがいまの行政かも知れない。
製造から販売、使用から廃棄、回収から再利用と総合的に体系的に考えない、行政もある意味で利益を出すことが大切であり、その利益とは仕組みである。
いま日本で回収された古紙、プラ、ペットは中国に輸出され国内が成り立たない状況になっている。つまり、いつもリサイクルの法整備、条例などが後手に回り円滑に行かないことが一因であり、製造時点から売るための施策はとられているが、再利用の仕組みがとられていないことである。これら再利用するには、どう再利用して社会に貢献して、付加価値を高まることが出来るか、そう考えて作られていない。
我々も優れたデザインを好む傾向があり選んでしまうので、リサイクルのための考えが二の次になる。確かに売れないと企業は成り立たないし、我々の働く場所も給料も出なくなって生活が困窮するのも事実。高齢化を考えたとき、老人でも子供でも簡単に処理できるパッケージ、回収方法、分別対策を講じるべきであり、それが環境に配慮した地球に優しい施策である。
いま、高齢化、自殺、医療の増加、年金の支給開始の引き上げなどを考えたとき、これらの対策に塵問題を絡め考える必要がある。この高齢化社会の人材を使って出来る、塵処理の前段階、回収、洗浄、区分けなどの作業をもっと簡素化して活用の住み分けを図るのもひとつの手段であり、課題でもある。生活保護費用、同和事業、高齢者の失業対策を考えたとき、これらの人が普通の作業で出来る職場環境を整備して事業としての位置付けが大切。
つまり、3Kの発想では駄目であり、モラールを高める位置付が必要、仕事をする事で健康であり、社会に貢献するという認識が大切なのである。

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