大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・124「美晴がお風呂で溺れかけた件」

2020-05-08 06:33:01 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)

124『美晴がお風呂で溺れかけた件』  

 

 

 林さんと書いて「りん」さんと読む。

 

 お父さんの方が林評(りんぴょう)、娘さんの方が林美麗(りんびれい)。

 韓国の人みたいに向こうの読み方はしなくていい。

 毛沢東なんて、向こうの読み方だとマオツォートンだけどモウタクトウでOKだ。

 文在寅さんなんて、いまだに慣れない美晴は「ぶんざいとら」などと読みかけて、なんだったけ? と止まってしまう。

 

「ほんとうに日本の音読みでいいのかしら?」

 

 勢いよく素っ裸になった美麗の背中に声をかけた。

「うん、中国と日本は昔からそうだし」

 素っ裸のまま、こちらを向いて言われるものだから、美晴はたじろいでしまう。

「わたし、日本で生まれて、中国には通算で二年ほどしか帰らなかったから、音読みの方が馴染んでるし」

 愛くるしく笑って美麗はカラカラと浴室のドアを開ける。

 

 カッポーーーーーン

 

 かかり湯の桶を置く小気味よい音を響かせて美麗が湯に浸かったころに美晴は入って来た。

「美晴って一人っ子でしょ?」

「え、分かるの?」

「そりゃ、脱ぐのゆっくりだし、今だって……」

「ん?」

「ふふ、そろりそろりとお湯に浸かって……」

「だって、美麗ったら……この浴槽は熱い方から二番目だよ。ひょっとして、美麗って兄弟多かったりするでしょ」

「ううん、一人っ子だよ。中国って最近まで一人っ子政策だったしね」

「あ、そうだったわね……グヌヌヌ(熱っついーーーーー)」

「ふふ、一人っ子だけど家族というか、親類が多いからね。それがいっしょに住んでるから、イトコトかハトコとか、日本だけでも五人いっしょに住んでるんだよ」

「え、なにそれ?」

「うちの家は古いから、昔からの習慣が残ってるのよ。お父さんは胡同(フートン)だって喜んでるけどね」

「フトン?」

「フートン」

「なんだかフワフワしたお布団みたいね(^▽^)」

「あ、云えてるかも。お布団の温もりってフートンに通じるよ」

「で、フートンて?」

「昔の中国の家は四方に建物があって、うちみたいに親類ぐるみで何十人も住んでてさ、真ん中に庭があって憩いの場所になってんの。中国人のアイデンテティーはその胡同の中にあるんだよ」

「なるほど」

「中国って昔から何度も国が替わってるじゃない、大きくなったり小さくなったりしながらさ」

「そうだね……」

 世界史で習った歴代中国王朝の表が頭に浮かんだ。

 

 夏 殷 周 秦 漢 魏・蜀・呉が三国で、隋 唐 宋 元 明 清……だったっけ?

 

「ふふ、声に出てるわよ」

「はは、暗唱して覚えたから」

「中国人でも、そんなにきっかり覚えてる人は少ないわよ、お見事でした!」

 拍手されて、美晴は照れてしまう。

「王朝が替わるたんびに国は乱れるでしょ、だから、中国人は国の事を頼りになんかしてないの……頼りになるのは自分たちしかない。だから、中国人は鬱陶しいほど親類を大事にするのよ」

「聞いたことがある、だから中国の苗字は少ないって……少ないってことは一族の人数が多いってことなのよね」

「うん、林だけでも数百万人いるでしょうね。お父さんが今の会社作った時、二百年前は兄弟だったって人が来たわ」

「信じられない!」

「中国に汚職が多いのは、そういう途方もない身内意識があるから……けして、みんな悪党だってことじゃないのよ」

 

 美晴は思ってしまった。

 自分は数少ない親類の大お祖母ちゃんの希望も受け入れていない、もっとも受け入れて瀬戸内宗家の家督を継ぐ気なんかないんだ、ないんだけども、美麗の話を聞いていると、ちょっぴりだけど後ろめたくなってしまう。

「その林一族の未来を守るために、お父さんは必死にやってるの。そうなのよ、お父さんが日本の山林を買うのは中国のためなんかじゃない、林の胡同を守りたいためだけなのよ。脂ぎった親父は嫌いだけど、そこんとこは理解してるのよ、美晴……美晴? ちょ、美晴ーーーー!!」

 美晴は熱い湯に浸かり過ぎ、美麗の横で沈み始めていたのであった……。

 

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・123「大お祖母ちゃん・3」

2020-05-07 06:49:17 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)

123『大お祖母ちゃん・3』    

 

 

 一時間かけて山を下りると登った時とは違う場所に出た。

 

 小学校のグラウンドほどの広場になっていて、ちょっと不自然。

 山の傾斜が途切れていて、そこだけが水平で、自然な地形ではないように思われた。

「このあたりの五つの山から切り出した原木が集められるところなのさ。四百年前にご先祖が切り開いて、ずっと使っている。シーズンになればトラックやら重機で賑やかになる。ここで枝を払って長さを整えて甲府の駅やら関越自動車道やらに運ばれて行くんだ」

 大お祖母ちゃんの説明を思い出す。

 貯木と製材を兼ねた広場なのだろうけど、美晴には適当な言葉が浮かばない。それだけ美晴の日常からはかけ離れた所なのだ。

 広場の下り斜面の方から自動車の音が響いてきた。十台くらいかと思ったら、上って来たのは二台の四輪駆動車だった。

「周りがみんな山だから、木霊して多く感じるんだよ。それにしても猛々しい」

 美晴も感じた、先頭の車は怒ったカブト虫のようにガチャガチャして、後ろの車は、それを見守っているように思えた。

「やっと会えたです、瀬戸内さん」

 最初の車から妙なアクセントの男がダークスーツを従えて降りてきた。後ろの車からは穴山さんと、夕べの宴会で見かけた男が心配顔で下りてきた。

「林(りん)さん、話の続きは明日のはずでしたが」

「申し訳ありません、どうしてもとおっしゃるので……」

 穴山さんが申し訳なさそうに付け加える。林(りん)さんと言うのだから中国の人なんだろう、その林さんが、穴山さんたちがダメだと言うのも無視してやってきたんだろうということが美晴にも想像できた。

「ごめんなさいね穴山さん、みなさん。チンタオ公司が動き始めてるので先を越されると心配なのです。きのう提示した金額に三億の上乗せします。どうか、この私に売ってください」

「ご心配なく、どこが来ても、この案件には同意しません」

「ん……こんなことを言ってはなんなのですが、あの山の所有者は惟任(これとう)さんです。慣習上瀬戸内さんの了解が必要、それは尊重しますが、法的には私と惟任さんだけの取引でもできますよ。でも、わたし日本の人たちと仲良くやっていきたい思うからです。チンタオ公司はもっとビジネスライクにやってきますよ」

「そうはいきませんよ、商取引、特に山林売買に関しては慣習が重視されます。無視すれば、その後の業務で日本の、少なくとも瀬戸内の協力は得られませんよ。そうなれば山の木一本運び出せない」

「あーーーでも、山の木は切りださなきゃ、九州豪雨のようなことになるんじゃないですか。300ミリちょっとの雨で山崩れとかありえないでしょ」

「そうなれば、持ち主である林さんの責任になるでしょう」

「んーーーかもしれないけど、林道や入会権は瀬戸内さんの裁量、裁判になったら五分五分でしょね」

 林さんは、けして無理を言っているのではないと美晴にも分かる。ハキハキものを言うけど、どこかすまなさそうに眉をヘタレさせるところなどクマのプーさん思わせるところがある。

「とにかくチンタオ公司は相手にしません。ここで言いあっても仕方がない、今夜はうちにお泊りなさいな、温泉にでも浸かれば、いい考えが浮かぶかもしれない」

「……ハーー、そうしましょうか。おーい美麗」

 林さんは4WDの後部座席に声をかけた。

「わたし、日本の温泉好きよ」

 そう言いながら4WDから出てきたのは、美晴と同年配の黒髪少女だった。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・122「大お祖母ちゃん・2」

2020-05-06 06:34:45 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)

122『大お祖母ちゃん・2』    

 

 

 どこまでが瀬戸内家の山か分かるかい?

 

 まだ息も整わない美晴は、すぐには声も出せない。

 知ってか知らでか、大祖母は答えを急かせもせず、上りきった瀬戸内山の頂で巌のように立っている。

 年が明ければ米寿という瀬戸内美(よし)はまるで山の精霊の長ようだ。

 夕べは、大祖母に気おされて言いたいことの半分も言えなかった。

 予想していたことなので制服を着てきたのだ。古いだけしか取り柄のない空堀高校だが、美晴が寄って立つ場所は学校しかない。

 学校こそが美晴の公(おおやけ)なのだ、生徒会の副会長を四期連続で務めたことが美晴の制服に込められた公の大きさと重さを高めている。大祖母は公にやかましい人であることは子どものころから知っている。

 母も祖母も美晴の年頃に瀬戸内の家を捨てた。大祖母も若かったので娘と孫のわがままを許した。二人とも瀬戸内の名前を捨てようとしたが、大祖母は、それだけは許さなかった。瀬戸内の姓から逃れられないということは瀬戸内家嫡流としての責務からは逃れられないということを示している。

「継体天皇は応神天皇の五世孫であった」

 十二年前、甲州の屋敷に行った時、祖母と母と三人並んだところで言われた。

「だけど、五世の末まで待てるほどの長生きはできないよ。いま直ぐにとは言わないが、ゆくゆくは美晴に瀬戸内家当主の座を譲りたい」

「それなら、お祖母ちゃん、わたしが家に戻ります」

 母の美代は、それまで俯いていた顔を上げて宣言した。いつも軽すぎるくらいに陽気な母がNHKの女性アナウンサーが皇室に関わるニュースを言うような穏やかさで言った。

「美代は俗世間に馴染みすぎている、素養にも乏しいし、これから磨くには歳も取り過ぎている。美晴の目には光がある、瀬戸内家棟梁の光が、美晴なら、まだわたしが育てられる」

「お祖母ちゃん!」

「瀬戸内家には信玄公以来の甲州の山々を守る役目があるんだよ、甲州は日本の真ん中、甲州の山を守るということは、とりもなおさず日本を守るということでもある。わずか六つの美晴には可哀想だけど、親子二代にわたって逃げてきたツケなんだ。そうだろ美好」

 美好は平伏したまま固まってしまった。あんなに苦しそうな祖母は初めてだった。いつも母以上に陽気な祖母が痛ましくて美晴はまともに見ることができなかった。

「まあいい、今すぐにどうこうなるわたしでもない。だが、今度使いを出した時は猶予はないと思っておくれ」

「それはいつ?」

「五年先か十年先か……わたしも人間だ、ひょっとしたら明日になるかもしれないね。ま、それまでは美晴に公に生きることの意味を覚えさせておくれな。朝に道を聞けば夕べに死すとも可なりというからね」

 

 そして一昨日、甲州の使いがやってきた。母も祖母も付いていくと言ったが、美晴は一人でやってきたのだ。

 十二年前の、あの惨めな思いを二人にはさせたくなかったから。

「本来ならお嬢様のご卒業まで待つとおっしゃっていたのですが、もう猶予が無いご様子でして」

 使いにやって来た穴山さんの息子は静かに言った。

 美晴は思った、大祖母は美晴の公を大事にしてくれている。

 

「富士のお山を除く全てです」

 

 やっと息を整えた美晴が答えた。

「では、存在の危機に瀕している山は……分かるかい?」

「え、えと……」

「富士のお山を含むすべてだよ」

「え…………」

 ゆっくり振り返った大祖母は憂いを含んだ眼差しで美晴の肩に手を置いた……

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・121「大お祖母ちゃん・1」

2020-05-05 06:35:06 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)

121『大お祖母ちゃん・1』   

 

 

 大お祖母ちゃんは十二年のブランクを感じさせない元気さだ。

 

 こんな夜中に帰ってくるのだから、こなした仕事は片手では足りないかもしれない。

「両手の指ほど難儀な人たちに会ってきたよ……」

 見透かしたように大お祖母ちゃん、きちんと挨拶しようと思っていた美晴は吸った息を言葉に出来ずに呼吸が止まってしまった。

「どうも、顔が怖いままのようだね。でも美晴も子供じゃない、深呼吸してごらん」

 素直に深呼吸一つ。

 ゆっくり息を吐きだすと、大お祖母ちゃんも微かに笑顔になった。

「制服でやって来たということは、美晴なりに気持ちがあってのことなんだね……校章の横にバッジが付いていた痕があるけど、なんのバッジを付けていたの?」

「先月まで生徒会の副会長をやっていました。丸二年もやっていたので痕が残って……」

 そこまで言ってハッとした。

 風呂上がりに、瀬奈さんが新品の制服を出してくれて着替えたはずだ。バッジの痕が残っているはずがない……しかし、手を伸ばしてみると、いつものようにバッジを付けた痕が感じられる。

 思い違いかと混乱したが、制服の生地の感触は新品のそれだ。

「自分には、まだまだ役割があるという意味ね」

「私服で来るのは、なんだか憚られてしまったんです」

 もっと積極的な意味が制服にはあるのだが、大お祖母ちゃんを前にすると言えなかった。

 大お祖母ちゃんの前では、そんな制服一つのツッパリなど、ひどく子どもじみた意地にしか感じられないのだ。

 有り体に言えば、美晴は位負けをしている。それほど大お祖母ちゃんから受ける人格圧は凄かった。血のつながりを自覚していなければ逃げ出しているかもしれない……。

 大広間でもない大お祖母ちゃんの部屋が学校の体育館ほどの広さに感じる美晴だった。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・120「T字廊下の突き当り」

2020-05-04 06:21:57 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
120『T字廊下の突き当り』
            

 

 

 三十分もすると無礼講は手が付けられなくなった。

 

 落花狼藉の大騒ぎというわけではない、最初は隣近所で喋っていたのが、席を移動するようになり、移動した先では酒を酌み交わしながら皆口角泡を飛ばしての議論が始まる。激してくると、直垂姿の重役が割って入る。なにやら一言二言言うと、皆が手を打っての放歌高吟になる。それでも収まりがつかないと対立している双方から人が出て、扇子を刀に見立てての剣舞になる。

「ここの慣わしなのです。お酒が入ったまま論じていては判断を誤ります。しかし、いったん火のついた対抗意識には決着を付けなければ、やはりもめ事になります。それで、歌ったり踊ったりして、その場の優劣だけを決しておくのです。歌や踊りですから、負けても恨みにはなりません。生活の知恵ですね(^ー^* )フフ♪」

 瀬奈さんは美晴の傍に来て解説してくれる。瀬奈さんが居なければとっくに参っていただろう。

「勝負が付くと、勝者敗者の双方がやってきます。ご苦労ですが、双方に杯を渡して、このお酒を注いでやってください。一言二言なにか言って労っていただければ喜びます」

「は、はい」

 やがて、顔を真っ赤にした男たちが二人一組でやってくる、瀬奈さんが間に入ってくれるので丸く収まるのだが、酒臭いオッサンたちの入れ代わり立ち代わりには正直参ってしまう。

「瀬戸内家四十七代目様のお顔を見ることが叶って、もう言葉も……」

「はい、お盃をどうぞ」

「これはこれは……」

「きゃ!」

 書院番と言われるオッサンは杯を受け取ろうとして、そのまま美晴に覆いかぶさるようにして眠ってしまう。

「おっと、昔なら切腹ものですよ」

 瀬奈さんがあしらって、他のメイドさんたちが酔っぱらいを引き立てて行く。

 こんなことが十数回繰り返されるので、お酒は飲まずとも参ってくる。

「ちょっと風に当たりたいわ」

「楓さん、お願いします」

 瀬奈さんが声を掛けると愛くるしいメイドさんがやってきて肩に掴まらせてくれて廊下に出してくれる。

 楓さんは廊下の角を二つ曲がったところまで案内してくれる。廊下の幅が三倍ほどになっていて、廊下でありながら絨毯が布かれ椅子に座って休めるようになっている。

 庭を挟んだ館に光芒が建物を薙ぐようにさした。

 

「御屋形様がお戻りになられたようですね」

 

「大お祖母ちゃんが……会いたいわ」

 もう大お祖母ちゃんに会い、言うだけ言って、明日の朝一番にでも帰ってしまいたい美晴である。

 さっきの書院番の一言で分かる――わたしを四十七代目に据えて後を継がせようというのだ――

「お気持ちに沿えるように……瀬奈さんがお手配されています」

「え?」

 楓さんが目配せした先は廊下のT字路のようになっていて、横棒のところを人がやってくる気配。

 縦棒の所に居る美晴には足音しか聞こえないが、交差点に来たところで姿が見えた。

「あ、あれは……?」

 それは美晴と同じ空堀高校の制服を着た女生徒……その子がチラと美晴の方を見た。

 その女生徒は美晴にそっくりだった。

 そっくりは、そのまま廊下を進んで、宴たけなわの大広間に入っていった。

「さ、御屋形様のところに参りましょう」

 楓さんがニッコリと笑った。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・119「家老諏訪甚左衛門」

2020-05-03 06:22:57 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
119『家老諏訪甚左衛門』   
                

 

 

 部屋に戻ると、お寿司屋さんの湯呑みたいなのとオニギリが置いてあった。

 

「これは?」

「お食事には、お役目の方々や里の主だった方々が同席されます……」

「あ、そか。偉い人が並んでちゃ、うかうかと食べても居られないものね」

 瀬奈さんは、ちょっと困った笑顔で応えた。瀬奈さんの心づくしなんだと美晴は思った。

 おにぎりの中は野沢菜で、湯呑のお茶もたっぷりと飲み頃に冷ましてあって、なんだかホッとした。

 

 通されたのは、さきほどさんざん待たされた広間だ。

 

 百人近い人たちが、温泉地の宴会のようにお膳を前にして居並んでいる。

 みんな和やかな顔をしているのだが、醸し出されるオーラはいかめしい。

 美晴の席は上段のすぐ下、時代劇なんかだと御家老さまあたりのポジションで、一人でみんなの方を向いている。

 美晴が入ると、みんなが手を付いて平伏した。よく見るとお役目らしい二十人余りの人は、それこそ時代劇のように直垂を着ている。里の人たちもフォーマルない出たち、息が詰まる。

――おにぎり正解、こんな席、喉に詰まっちゃう――

「美晴様には、ようこそのお出まし。家老職諏訪甚左衛門喜びに耐えません、役目の者、里の者、みな同じ気持ちでございます。今夕は、ささやかながらではございますが宴の用意をいたしました。あいにく御屋形様はご帰還されておられませんが、よしなにとのお言葉を賜っております。まずは、一同をご引見いただき、お言葉を賜りまするが、なにぶん大勢でございますので、お言葉は一同の挨拶を受けられたあとで頂戴いたしとう存じます。それでは、次席家老の……」

 穴山さんの家令という肩書でもびっくりしたのに、それより大時代な家老、次席家老には驚いた。

 それから一人二十秒余り、全員で三十分かけての挨拶を受けた。

 いつもなら五分も正座していれば、感覚が無くなるほど足がしびれるのだけど、そうはならなかった。場の雰囲気か、それとも痺れすぎて間隔がなくなったのか……まあ、どっちでもいい。大お祖母さまには会えなかったけど、きちんと気持ちは伝えなきゃならない。

「みなさん、ご丁寧なごあいさつありがとうございます。本当なら大お祖母さまに直接お話しなければならないことなのですが、このように、みなさんお集まりですので、申し上げたいと思います……」

「それは宜しゅうございます」

 家老諏訪甚左衛門が制した。

「美晴様は制服にてお出ましになられました。それでお気持ちは察せられます。それは、御屋形様にお会いになられてからで良いと存じます……これで良いのであろう、穴山殿」

 家令の穴山が無言で頷いた。どうやら穴山さんが一苦労してくれているようだ。

「さ、これからは無礼講じゃ!」

 家老さんが手を叩くと、奥女中のような揃いの矢絣姿のメイドさんたちが、一同の膳を整え始める。

 つい今までメイド服で傍に居た瀬奈さんが矢絣になっていたのには驚いた。瀬奈さんは早着替えの名人だ。

 そう思って瀬奈さんを見ていると、かすかな笑顔で――大丈夫ですよ――という顔をした。

 

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・118「広すぎるお風呂は瀬奈さん付」

2020-05-02 06:38:31 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
118『広すぎるお風呂は瀬奈さん付』
     

 

 

 え 広い……

 

 瀬奈さんに案内されて、少し降りたところにお風呂があった。

 

 十二年前は日帰りだったので、大お祖母ちゃんちの風呂は初めてなんだけど、あまりの広さに足が止まってしまった。

 まだ脱衣所なんだけど、ゆうに教室一つ分は有る。

「里の人たちも利用されるので大きんんです、さ、こちらにどうぞ」

 温泉旅館のように二つの壁面が四段の棚になっていて、一段ごとに八つの籠。4×8×2=62、ざっと六十人くらいは入れる。浴室に近いところが窪んでいて衝立で目隠しになっている。

「お嬢様、こちらへ」

 瀬奈さんが示したのは、その衝立の向こうで、入ると四畳半のスペースで、しつらえが高級になっている。

「こちらがお身内様の脱衣所になっております」

「ここでなきゃダメなのかしら?」

「お好きなところを使われて良いのですが、里の人たちが気を使われますので……」

 ああ、そういうことかと納得して裸になって浴室に向かう。

 

 え……広すぎる。

 

 浴室は脱衣所どころではなく、小学校の講堂くらいの広さに大小四つの浴槽がある。

 どうやら温泉で、浴室の外から掛樋が引かれて、盛大に湯煙を立てながらお湯を注いでいる。

 広場恐怖症ではないのだが、美晴はたじろいでしまった。

 夏休みのサンフランシスコで入った温泉も学校のプールのような広さだったけど、屋外でのスポーツ施設のような感じにたじろぐようなことは無かった。

 壁面の一つはゴツゴツの作り物ではない岩壁になっていて、この浴室が、元々は天然の岩風呂だったことを偲ばせる。

 大お祖母ちゃんちは天守閣さえあれば十分お城で通用しそうな屋敷なのだが、このお風呂は、それに倍する歴史の重さを感じさせる。瀬戸内家の始まりは、ひょっとしたら、この天然温泉の周囲から始まったのかもしれないと思った。

 

「お背中を流します」

 

 ハッとした。

 いつの間にか瀬奈さんがセパレートの水着で控えている。

「あ、え、あの……」

「嫡流の方のご入浴は、それぞれ役目の者が付きます。いつもわたしとは限りませんが、本日はわたしが務めさせていただきます。こちらへ……」

 檜の腰掛に座ると、瀬奈さんがユルユルと賭け湯をしてくれる。

 お風呂で人にお世話されるなんて初めてなので、いささか恥ずかしい。

「御屋形様と同じ肌をなさっておられます。やはりお血筋なのですね」

「え、あ、そうなんだ(^_^;)」

 三杯ほどの掛け湯を済ませると中ほどの浴槽を示された。

 入ってみると、思ったよりも熱くない。美晴は熱い風呂は苦手で、家の風呂も冬場でも三十九度度設定である。

「この浴槽が一番穏やかな温度設定になっています、慣れてこられましたらお好みの浴槽をお使いください。あちらの小さいのが一番たけだけしくて四十五度ございます。ちなみに、御屋形様は、あちらをお使いになっておられます」

「四十五度……」

 ただでも近づきがたい大お祖母さまが、いちだんと化けものじみて感じられた。

 同性とはいえ瀬奈に身体を洗われるのはきまりが悪かったが、髪を洗ってもらうのはラクちんで気持ちが良かった。

「えと……なんだか瀬奈さんの視線をヒシヒシ感じるんだけど」

「あ、申し訳ありません。お風呂のお世話はお嬢様の健康状態のチェックも兼ねております。まだ未熟者ですので、ご不快でしょうね、申し訳ございません」

「あ、いえ、そんなんじゃ」

 自分で指摘しておきながらワタワタしてしまう。

 

 風呂からあがって驚いた。

 

 着替えが全て新しくなっている。

 いちばん驚いたのは制服だ。

 三年間着慣れたものではなくて、触っただけで分かる新品に替わっていたのである。

「新しいものと、御屋形様からの御指示でございましたが、制服をお召しになってこられたのはお嬢様の心意気であるとお見受けいたしましたのでご用意させていただきました」

 すばやくメイド服に着替えていた瀬奈さんが、心なし口元をほころばせた。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・117「帰りたんですけど」

2020-05-01 06:45:02 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
117『帰りたんですけど』
             

 

 

 トイレに行くのが先決問題だったので瀬津さん……と間違えたメイドさんの正体は分からずじまい。

 

 手洗いのあと通された部屋は十二畳ほどで広かったけど、ほどよく暖房がきいている。

 南向きの窓には淡いグリーンのカーテン。二重窓になっているようで、窓の傍によっても寒くない。

 窓に沿ってベッド。セミダブルと言っていいほどの大きさで、硬すぎず柔らかすぎず。

 枕は、うちのと同じ低反発ピロー。

 枕の方角にL字型に机、デスクトップのパソコンは大学に入ったら、これに買い替えようと思っている新型。

 モニターが二つと思ったら、一つは憧れの二十四インチの液タブだ。

 書架には、わたしがシリーズで読んでいるラノベが6シリーズ並んでいる。

 部屋の真ん中には四人で鍋ができそうな炬燵があって、足を突っ込むと、とてもホンワカ。

 ウツラウツラしながら思った。さっきの大広間と違って、広さ十分なわたし好みの部屋……わたし好み?

 

 トントン

 

 ドアがノックされた。

「ど、どうぞ」

 反射で、そう答えてしまう。

――失礼します――

 一声あって、さっきのメイドさんが入って来た。

「今日は、申し訳ありませんが、御屋形様お戻りになりません。時間も時間ですので……」

「あ、いいのいいの。大お祖母さまは忙しい方なんだから、わたしはこれで失礼します。穴山さんに駅まで送ってもらったら、まだ十分新幹線には間に合う、さ、急ぎましょうか」

「あ、いえ。食事になさいますか? お風呂になさいますか? というお話なんですが」

「あ、あ……えと……」

「申し遅れました、わたくし美晴お嬢様のお世話を担当いたします瀬奈と申します。お嬢様も御存じの瀬津の娘でございます。母は、いまは御屋形様の秘書を務めております。不束者ではありますが、よろしくお引き回しのほどお願いいたします」

 瀬奈さんか、やっと正体が分かった。そうよね、似てると思ったら親子だったのね。お辞儀の仕方なんて、もう堂に行っちゃって、アキバのメイド喫茶なんて目じゃないわ。それでこそわたしの世話係……世話係って? わたしスグにでも帰るつもり……

 

 スマホの呼び出し音……わたしにじゃない。

 

「失礼いたします」

 なんだ瀬奈さんの……あの、帰りたんですけど~(;^_^A

「お食事は、お役目のみなさまや里のみなさまが御一緒されますので、お嬢様にはお風呂の方にご案内せよとのことです。ささ、どうぞこちらへ」

 さっさとドアの外に出て行くしぃー!

「お嬢様、お湯殿にまいられますー、みなみなさま御仕度をーーーー!」

 彼方で大勢の人が動く気配、なんだかとんでもないことになって来た(;゚Д゚)。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・116「足がしびれた」

2020-04-30 06:34:01 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
116『足がしびれた』
          




 三十分たっても大お祖母さまは現れない。

 だだっ広い広間なので冷える。

 トイレに行きたいんだけど、行ったら負けのような気がする。

 せめて座布団を敷きたいんだけど、大お祖母さまに会ってもいないのに座布団を使うのは無作法だ。
 むろん、こんな田舎の作法に従う気はないんだけども、大お祖母さまと勝負するまではと思う。

 声を上げれば、どこか近くで控えているメイドさん……たぶん瀬津さん(メイド長)が取り計らってくれる。

 だけど、そうするには瀬津さんと話さなければならないし障子や襖を開けたり廊下を歩いたりしなければならない。
 ここでの作法は畳の縁を踏んではいけないとか、目上の前で座布団を使ってはいけないことぐらいしか分からない。
 大お祖母さまに会って決着を付けるまではボロは出せない。

 それに……もう、感覚が無くなるくらい足がしびれて、まともに立つこともできないだろう。

 たった三十分、大お祖母さまに会う前に悲惨なわたしだ。

 大お祖母さまが現れるのは、上段の向かって左側。
 おつきを従えて静々と現れるはず。
 じっと目の端でとらえているので、いまにも襖が開くような錯覚におちいる。

 失礼します

 右後ろから声がしてビックリ。
 障子が開いたんだけど、痺れきって振り返ることもできない。

「御屋形様は急なご用事でお出ましにはなられません。まず、お部屋にご案内いたします」

 瀬津さんの声、作法通りに障子を広く開き、廊下で待ってくれている。
 ここでトチるわけにはいかない。
「承知しました……」
 かっこを付けて立とうとする。

 あわわわわ!

 ラノベの萌えキャラみたいな声が出た。

 バッターン!

「あ、美晴お嬢様!」

 瀬津さんが駆け寄って介抱してくれる。
「ご、ごめんなさい、ちょっと痺れてしまって……」
「わたしの肩におつかまり下さい」
「ずびばぜ~ん」
「さ、どうぞ」

 優しく支えてくれた、その顔は瀬津さんではなかった……。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・115「ちっとも変わってない……」

2020-04-29 06:18:14 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
115『ちっとも変わってない……』 
      



 甲府の街は十分都会なんだけど、車で十分も走ると凄みの有る山々が迫ってくる。

 その山々を経巡るように三十分も走ると二十一世紀の感覚が無くなってしまう。

 アスファルト舗装にさえ目をつぶれば、ここが縄文時代と言われても「そうなんだ」と頷いてしまうし、信玄公の軍勢が通られますと言われれば、馬蹄の音が木霊すような気さえする。
「ここで舗装道路は終わりです」
 穴山さんが呟くと、それが音声入力のスイッチであったかのように土道の感触がお尻に伝わってくる。

「ちっとも変わってない……」

 美晴の小さな歓声を穴山さんは穏やかな笑顔で受けとめてくれる。

 林を過ぎると騙し討ちのように川が現れ、車は器用に直角に曲がっていく。知らずに突っ込んで行ったら谷と言っていいほどの流れに突っ込んでしまうだろう。

 そして見えてきた……瀬戸内家先祖伝来の城郭と言っていいお屋敷が。

 屋敷の前は、先ほどの川の支流に当たる流れが堀のように横たわり、石垣の上にはしゃちほこが載った二層の門が聳えている。
「しゃちほこがあるのはお城なんだよね」
 そう呟いた時「しゃちほこは火除のお呪いなんですよ」と、穴山さんは幼い美晴に教えてくれた。
 あれから十二年もたっているのに、ほんの昨日のことのように思い出されるのは、あまりに変わりのない屋敷と風景のせい。

 だけど、美晴には大お祖母さまの気持ちが変わっていないことの意思表示のように思えた。

 制服を着てきて良かったと思った。

 生徒会の役目は終わったけど、まだ空堀高校の生徒であることには変わりはない。
 大お祖母さまは――公(おおやけ)の仕事をしているうちは無理強いはしない――ということだったんだから。
 どう切り出して言いかは分からないが、制服は公のシルシだ。瀬戸内美晴という個人である前に空堀高校の生徒である。

 大お祖母さまに会って、なにを話のテコにするかは思い浮かばないが、制服である限りなにかできるはずだ。

「それでは、仕来(しきたり)りですので、ここでお控えください」

 やっぱりと思った。
 瀬戸内家は仕来りにやかましい。
 
 美晴は通された広間の畳の縁を踏まないようにして、上段の二間前に正座して待った。
 座布団は置かれていたが大お祖母さまの指示が無い限り使ってはいけないことも承知している。
 上段は中央が間口二間の床の間のようになっていて、瀬戸内家の代紋を背に厳めしい鎧が据えられて、まるで時代劇に出てくる殿様との対面のしつらえだ。

 瀬戸内家は、甲斐の国に八百年続く地元の名家であったのだ……。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・114「12年ぶりのニッキ水」

2020-04-28 12:09:01 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
114『12年ぶりのニッキ水』
         




 できることならもう一期やっていたかった。

 でも、三年生は後期生徒会役員選挙には出られない。

 あたりまえ、後期役員は来年の5月までの任期。三年生が役員をやったら任期途中での卒業になってしまう。

 わたしは一年の後期から、通算四期二年間生徒会副会長を務めた。

 辞めるわけにはいかない、辞めればひいお祖母ちゃんとの約束を果たさなければならなくなるからだ……。

 
 お祖母ちゃんは17歳でお母さんを生んだ。お母さんは16歳でわたしを生んだ。
 だから、お祖母ちゃんは51歳、お母さんは34歳でしかない。

 なぜ、そんなに早く子どもを産んだか。


 それが、いま列車に揺られて山梨の田舎に向かっていることに繋がっている……。

 甲府の駅に下りてロータリーに出ると、まるで昨日の今日という感じで穴山さんが立っていた。
「お迎えにまいりました、お嬢様」
「……ご苦労です」
 ほんとは「お嬢様なんて止してください」と言いたかったんだけど、無駄だと分かっているので止した。抗えば、穴山さんは礼をもって「そうはまいりません」から始まってしばらくは喋ることになり、その話の内容は、ロータリーに居る地元の人や観光客の耳に留まり、場合によっては写真や動画に撮られかねないからだ。わたしは、ちょっとしたこだわりで学校の制服を着ている。制服姿で撮られては空堀高校と特定されてしまい、特定されて関係者に見られたら、すぐに瀬戸内美晴と知れてしまう。

 それだけは避けなければならない。

 数日後、無事に大阪に帰ることになっても。このまま死ぬまで田舎に留め置かれることになっても……

「穴山さん、ちっとも変わりませんね」
 ロータリーから車が出て、五分もすると沈黙に耐えられなくなり、自分から声をかけた。
「嬉しゅうございます、ひょっとしたらお屋敷まで口をきいていただけないのではないかと心配いたしておりましたから」
「穴山さんには何もありません。大お祖母様にもありません、ただ、この身体にも流れている瀬戸内家の血が疎ましいだけです」
「……それは、この穴山が嫌いと言われるよりも辛うございますね……お嬢様は、お心に留まるような殿方はおいでではなかったのですか」

 あ、と思った。

 穴山さん、家令としては踏み込み過ぎた物言いだ。
 穴山さんは、大お祖母様に会わざるを得ないわたしを哀れに思ってくれているんだ。
 お祖母ちゃんもお母さんも、いまのわたしと同じこの運命を避けるため、18歳に満ちるまでに子どもを産んだんだ。
 同居人のミッキーの顔が浮かんだ。
 お母さんがミッキーをホームステイさせたのは、それも自分もお祖母ちゃんも仕事で居なくなった時にホームステイさせたのは狙ってのことだ。
 でも、それにはのらなかった。
 ミッキーはダメだよ。趣味じゃないんだよ。

「クーラーボックスにニッキ水が入っております」

「え、ニッキ水!?」

 わたしも18歳の女の子だ、好きな飲み物、それももう飲めないと諦めていたものを見せられると心が弾んでしまう。
「もう作っているメーカーも少のうございましてね」
「そうでしょ、わたしも12年前に田舎で飲んで以来だもの」
「それが、お嬢様、そのニッキ水は大阪で作っているんでございますよ」
「え、あ、ほんと」
 ボトルという今風が似合わない瓶の側面には大阪は都島区の住所があった。
「不器用なものですから、お嬢様のウェルカムに、こういうものしか思いつきませんで」
「ありがとう、穴山さん」

 わたしは、シナモンの香り高いニッキ水を口に含んだ。

 12年ぶりの大お祖母さまとの再会にカチカチになっていく肩の凝りが、ほんの少しだけ解れていく……。
 

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・113「千歳の胸騒ぎ」

2020-04-27 06:46:21 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
113『千歳の胸騒ぎ』
        



 主役でもないのに緊張のしまくり。

 でも、緊張していたのだと自覚したのは、家に帰ってお風呂に入ってから。


 入浴は少しだけ介助してもらう。
 脱衣も着衣も一人で出来るんだけど、やっぱり浴室でのいろいろはお姉ちゃんに介助してもらう。
 浴室にいる間は必ず介助者が居なければならないんだけど、浴槽の出入りだけ手伝ってもらう。
 浴槽に浸かっている時間が長いので、付き合っていては冬でも汗みずくになってしまうからね。
 まあ、三十分くらいは浸かっている。

 お姉ちゃんはコンビニに出かけてしまった。ATMだけの用事だから、ものの五分ほど。

 で、不覚にも居ねむってしまった。

 バシャ! ゲホ、バシャバシャ! ゲホゲホ!

 お姉ちゃんが帰ってくるのと溺れるのがいっしょだった。

 ち、千歳!!

 土足のままのお姉ちゃんに救助されて事なきを得たんだけど……

 怖かったよーーーーーー!!

 その夜は熱が出て、けっきょく二日学校を休んでしまった。
 演劇部に入ってからは休んだことが無かったので、クラブのみんなからメールが来た。
 学校を休んでメールをもらうなんて初めてだったので、お礼は一斉送信なんかじゃなくて、一人一人にお返事を打った。
 


 で、本題はここから。


 あ、忘れてた。

 その日のあれこれを机に突っ込んで気が付いた。
 クラブの書類を生徒会に提出しなければならない。文化祭で飛んでしまっていたんだ。
 必要なことは記入済みなので、すぐにでも持っていこうと思ったんだけど……。

「千歳、大丈夫だった?」「もうええんかいな?」「Are you OK?」「よかったー! 元気になって!」

 クラブのみんなが休み時間の度にやってくるので、お昼休みになってしまった。

「失礼しま~す、演劇部です、書類を持ってきました~」

 どーぞ

 入ってビックリした。
「あ、えーーと……」
 生徒会室の本部役員の顔ぶれが変わっていたのだ。
「あ、ちょっとビックリ? おとつい選挙があって執行部は入れ替わったんよ」
 ピカピカの副会長バッジを付けた二年女子がにこやかに言う。
「瀬戸内さんは?」
「あ、引退したよ。三年生やからね」

 書類を渡すと、わたしは三年生の校舎に向かった。

 いま思えばメールすれば済む話だったんだけど、その時は直接顔を見なくちゃと思った。
 瀬戸内先輩は演劇部じゃないけど、部室明け渡し問題からこっち、ほとんどお仲間のようなものだったから。
「あのう……演劇部の沢村ですけど、瀬戸内先輩いらっしゃいますでしょうか?」
「あ、休んでるわよ、おとついから」
「え、そうなんですか」

 瀬戸内先輩は、ちゃんとメールをくれていた。
 
 あれ? 先輩自身休んでて、どうしてわたしが休んでたこと知ってたんだろ?

「ああ、それはボクが伝えておいたからだよ」
 ミッキーが先輩んちにホームステイしてるのを思い出して、訊ねた返事がこれ。
「でも、そのあとスマホ繋がらなくなって、でも、明日あたり帰って来るんじゃないかなあ」
 ミリー先輩の通訳であらましは分かった。
 どうやら家の用事で親類の家に行っているらしい。

 でも、なんだか胸騒ぎのするわたしだった……。
 

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・112「キャシーへの手紙・文化祭」

2020-04-26 06:38:33 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
112『キャシーへの手紙・文化祭』
       



 秘密にしておこうと思っていたんだ。

 だって、失敗するか、失敗しないまでも、とっても恥ずかしい思いをして一刻も早く忘れてしまいたいと願うに違いないから!

 キャシー、このボクが役者として舞台に立ったんだぜ!

 日本の高校がクールだってことは、いまさら言うまでもないんだけど。
 そのクールな中でも一番クールなのがbunnkasaiだってことに異論はないだろう。
 漢字で文化祭、なんか厳めしい字面で中国の文化大革命みたいだけど、意味はschool festivalとかCulture festivalだね。
 国際生徒会会議の前にYouTubeでも見たけどさ、じっさい体験するとずっとスゴイよ!

 まず匂いだよ!

 こればっかりは動画では分からないだろ。
 じっさいボクも本番になって感動したんだよ。
 
 mogitenなんだけど、漢字で模擬店。refreshment boothのことでさ、いろんな食べ物のブースを生徒が出すんだよ。

 たこ焼き、焼きそば、うどんヌードル、アメリカンドッグ、カレーライス、クレープ、お茶と和菓子

 そういったブースが、朝からいろんな匂いをさせてるんだ。これで校門を入った時から雰囲気マックスさ!
 
 この一週間は、自分たちの芝居のレッスンで目いっぱいだったこともあって、ほかの取り組みに目をやる余裕も無かったんだけど、二日間にわたる本番はしっかり楽しめたよ。
 アメリカンドッグとポップコーンを買って校内を見て回ったんだ。
 普段は制服ばっかだけど、この日は模擬店を出している生徒たちがいろんなコスを着てる。
 まるでハローウィンのノリだ。
 ハローウィンと言えば、USJやアメリカ村(衣料やアメリカ雑貨の店が多いミナミのブロック)でやってたけど、それはYouTubeで見てくれ。

 コスで目を引いたのはメイド喫茶だ。

 女の子たちがメイドのコスで「おかえりなさいませご主人様~(Welcome back home, Master)」をやってくれる。
 本物のメイド喫茶に行ったら最低10ドルはかかる。ドリンクと食べ物いっしょなら20ドル。それが3ドルでいいんだ。
 3ドルでパンケーキとコーヒーが出てくる。それでメイドをやってるのは本物のティーンなんだ。本物のメイド喫茶は10歳くらいサバを読んでるメイドさんもいるっていうから、ほんとに掛け値なしのキュートさだ。
 
 カラホリ高校に限らないけど、日本の高校はとても設備がいいし清潔で、とてもカムファタブル。
 そのカムファタブルにハローウィンかレーバーデイみたいな楽しさが加わるんだから、もうスゴイよ。
 普段は穏やか……というか、ちょっと気力に乏しい生徒たちがイキイキしてるんだ。初めてボール(アメリカの高校の卒業ダンスパーティー)でダンスするときみたいにさ。
 キャシーも言ってたね、ボブ(キャシーの兄)がボールでエリサと踊った時の事。

 まるで男のシンデレラみたい!

 みんなボブみたいな目になってるんだ。
 別にダンスパーティーになるわけでもないし、こっそりとアルコールを飲んだりということもないし、スクールポリスの目の届かないところでドラッグやったりもないんだけど、とても楽しそうなんだ。

 寝落ちする前に本題だ!

 演劇部で『夕鶴』って芝居をやったんだ。
 キャシーのパパは芝居に詳しいから聞いてみるといいよ、Jyunji kinoshitaの名作で、30年前にシスコでもオペラ版が上演されてる。
 ようは、男に助けられた鶴が女の人に化けて恩返しに来るという話。

 ボクは、鶴を助ける男の役をやったんだ。

 日本語の台詞を覚えるのは大変だったけど、ボクの怪しい日本語でも通じたよ。
 有名なストーリーだったし、英語版との二部構成だったことも幸いして、とっても共感してもらえた。

 鶴の役はシカゴ出身のミリーがやった。

 ミリーはプロポーションのことを気にしていてね。
 鶴が男に無理強いされ、自分の羽を抜いてきれいな布を二度も織ってやる。
 できた布を持って「あー、こんなに痩せてしまって」という台詞をとても気にしていたんだ。
 ミリーは標準的なプロポーションをしているんだけど、日本人の標準とくらべると……でね。
 そんなふうには思わないんだけど、こういうことは男のボクが言うと、どこかセクハラめいて聞こえてしまう。

 で、結果的にはミリーの取り越し苦労で観客に笑われることもなく無事に終わった。

 無事どころか、二回の公演ともスタンディングオベーションだった!

 まだまだ書きたいんだけど、もう寝るよ。   お休み。

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・111「ヒトという字は人? 入?」

2020-04-25 06:28:28 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
111『ヒトという字は人? 入?』
       




 人いう漢字を手ぇの平に書いて飲んだらええぞ!

 衣装に着替えてワタワタしていたら啓介が教えてくれた。

「そ、そうなんだ(;゚Д゚)、ちょ、ちょっとサインペンとかないかな?」
「はい、どうぞ!」
 美晴がサッとサインペンを差し出した手にもドーランの香り。
 楽屋になった体育準備室は演劇部と、そのお手伝いさんたちで一杯。
 予想はしていたけど心臓バックンバックン!
 舞台に立つというのはエキサイティングすぎる!
「えと、ヒトってどっちだっけ?c(゚.゚*)エート。。。 」
 使い込んだ台本の端っこに「人」と「入」を書いて須磨先輩に見せる。須磨先輩は、六回目の三年生という貫録で敵役のコス。
「アハハ、緊張すると忘れるよね『人』の方だよ」
「あ、ども」
「……って、手に書くの?」
「うん、啓介が」
「あ、それって指で書くだけよ」
「え、あ、そうなんだ」

 在日三年、たいていのことには慣れたけど、こういうところでポカをやる。

「あ、でも、わたしアメリカだからAの方がいいかな?」
「A?」
「 audienceの頭文字」
「なーる(▼∀▼)!」
「あ、でも観客は日本人ばっかですよー」
 千歳がチェック。
「そっか、じゃ両方やっとこ……ちょ、ミッキー、あんたも!」
「me?」
「相手役はわたしなんだから、やるやる!」
 さっきからアメリカ人らしからぬ貧乏ゆすりをしている。
「お、オーケーオーケー……あ、なんて書くんだっけ(@゜Д゜@;)」
「人よ人、でもってオーディエンス!」
「え、あ……」
 テンパってやがる。
「書いたげる!」
 小道具のチェックをしていた美晴が乗り出す、とたんにデレるミッキー。ま、こんなときだから突っ込まないでおこう。

 本番まで15分、みんな準備は済んでしまって静かになってしまう。
 う~~~~こういう時の静けさは逆効果。
 いったんは納得した「こんなに痩せてしまって」の台詞が、おりから観客席で沸き起こった笑い声と重なって、自分が笑われたみたいに緊張する。

 ステージはミス八重桜の奮闘で広く安全になった。
 昨日は、そのステージを見て、グッとやる気になったんだけど、今日は、その分笑われるんじゃねーぞ! というプレッシャーになる。

 あ、えと、本番前なんで……

 入り口でなにかもめてると思ったら「わたしは着付け担当ですーー」と声がして人の気配。緊張しすぎのわたしは顔も上げられない。
「ミリー、観に来たよ」
 間近で声がして、やっと分かった。
「お、お婆ちゃん!?」
「着付けが気になってね……ちょっと立ってごらん」
「は、はい」
 着付けはさんざん練習したんで完璧のはず。
「うん、きれいに……ん? ミリー、あんた左前やがな!」
「え? え? そんなことは……(|||ノ`□´)ノオオオォォォー!!」

 みごとな左前に気づいて、いっぺんにいろんなことが飛んでしまった!

「ちょっと、いったん脱いで!」

 言うが早いか、お婆ちゃんは長じゅばんごとわたしをひんむいた。
 本番は大汗をかくと言われていたので下着しか着ていない……それも、線が出ちゃいけないので、そういう下着!

 本番終るまでは、もう目も当てられないことに……なったかどうかは、またいずれ。
 

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オフステージ・(こちら空堀高校演劇部)・110「八重桜先生の深慮遠謀」

2020-04-24 06:56:03 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
110『八重桜先生の深慮遠謀』
         



 

 諦めもしないし期待もしない。

 事故で足が動かなくなってからの生活信条。


 諦めないから――車いすに乗れるところまでのリハビリ――と思ったから車いすをマスターするのは早かった。
 そうでなければ、あやうく小学校を七年通うところだった。

 学校に復帰してからは大人しくしている。

 障がい者ががんばると、周囲は過剰な期待をするようになる。
 24時間テレビとか観てたら思うでしょ、車いすで富士登山とか車いすマラソンとか、あれって感動ポルノだよ。
 そこまで行かなくても、足の不自由な自分がなにかやろうとしたら「がんばって!」とか「一人じゃないわよ!」とか「応援してる!」とか、善意に違いは無いんだけど、世間のお節介が始まる。
 文句なんか言ったらバチが当たるんだろうけど、本音はそっとしていてほしい。

 そういうことが煩わしいから、地元を離れて、お姉ちゃんが居るってだけの縁で大阪に来た。

 そしてバリアフリーモデル校の空堀高校に入った。

 モデル校なら、わたしくらいの障がい者は普通に居るだろうし、そうそう特別扱いはされないだろうと思ったから。

 でも、ちがうんだよね。

 モデル校にはモデル校の……よく言えば熱さ、わたし的に言えば「いい加減にして!」がある。
 お姉ちゃんが最新式のウェルキャブ(身障者用リフトなんかを完備した車)を買ったら先生たちの注目の的だし、なにかにつけて、あれこれ聞かれたり、してほしくもないカウンセリングとか人寄せパンダ的に部活に勧誘されたりとか。
 そういうの嫌だから、入学早々一学期一杯で辞めようと思った。
 辞めるためには、一通りやったけどダメだったという事実が欲しいので演劇部に入ったんだよ。

 演劇部って、看板だけで、実際には放課後の休憩室みたくなっていて、近々廃部間違いなし!

 それが、ちっとも廃部にならない。

 それどころか、この演劇部は間違っても演劇なんかしないだろうと思っていたら、そのまさかの演劇をやることになってしまった。
 世の中何が起こるか分からないという見本みたいに。

 文化祭で『夕鶴』を上演することになった。

 でも、府立高校の舞台って車いすの役者が動き回れるようには出来ていない。間口の割に奥行きが無いし、車いすで舞台に上がれるようにも出来ていない。最初の舞台稽古ではミッキーにお姫様ダッコしてもらって舞台に上がったけど、正直ミッキーの足元は危なっかしかった、緊張の本番にやったら、ちょっと怖いよ。だいいち、上がった舞台は狭くて動きづらいし。

「澤村さんも来て」

 いつものように部室で留守番を決め込もうと思っていたら、八重桜先生みずから呼びに来た。
「でも、わたしが行っても……」
「なに言ってんの、あんたもメンバーの一人でしょうが」
 先生は、どんどん車いすを押していく。あっという間に体育館。

 え、なにこれ……?

 演劇部の先輩たちも口を開きっぱなしにして驚いていた。
 
 なんと舞台が広くなって、舞台の脇には車いす用の特設リフトまで付いているではないか!

「A新聞に載った甲斐があってね、急きょリースしてもらったのよ。張りだし舞台とリフト。今日の昼過ぎにやっと間に合った!」

 あ、それでA新聞の取材とかがあったんだ……八重桜、いや、朝倉先生のしぶとさを思い知った。

「「「「「すごい!!」」」」」

 部員一同感動はしたんだけど、やっぱ、胃の底にズシーンとくる。

 文化祭の本番は明日です。
 

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