ぜっさん。
転校してきたその日に、こう呼ばれるようになった。
もちろん、わたしのファーストネームからきている。
だれが言いだしたかは覚えていない。瑠美奈だと思っていたんだけど「あたしが言う前に、もう、そうなってたで」と言うんだから、瑠美奈ではないのだろう。藤吉(とうきち)も「俺とちゃうで」と言う。
フレンドリーな呼び方なので80%は嬉しい。
東京では〔ゼッチ〕と呼ばれていた。〔ぜっさん〕と同様〔絶子(たえこ)〕の〔絶〕の音読みからきているけど、中学でゼッチと呼ばれるのには一か月ほどかかった。しばらくは〔敷島さん〕だった。距離の詰め方が東京と大阪ではずいぶん違う。
しかし頭にアクセントがくるモッチャリした〔ぜっさん〕の発音には、なかなか慣れなかった。
〔ぜっさん〕は、なんだかおブスな響きがある。
瑠美奈は、東京と同じ〔るみな〕でアクセントも同じ、小気味よくって可愛い。むろん実物ミテクレも可愛い。もし原宿とか渋谷を一人で歩いていたら、絶対ナンパされる。でも声を掛けて、その返事が「なんでおまんねんやろ?」と吉本みたく返されたら引いてしまうだろうなと思う。美少女の皮を被った吉本は、東京じゃトレンドじゃないよ、やっぱ。
担任の妻鹿先生は〔メガちゃん〕と呼ばれている。教師になって5年目なんだけど、いまだに女子高生みたいなところがある。服装なんかはおとなし目なんだけど、どこかオチャッピーなところがあって、心も体もテニスボールのようによく弾む。
藤吉大樹を〔とうきち〕と呼んだのも妻鹿先生が最初らしい。妻鹿先生は名前を覚えるのが苦手で、学年の最初は個人写真を貼りつけたカードを単語帳みたくして覚えている。
で、名列表から名前を書き写すときに、なぜか姓名を〔大樹藤吉〕と逆に写してしまい〔おおきとうきち〕と覚えてしまった次第。
その妻鹿先生が『メガちゃん』の出で立ちで、あたしと瑠美奈の前に立っている。場所はJRの森ノ宮駅前なのだ。
「それは困ったわねー」
事情を説明した後のメガちゃんの言葉が、これ。
「やあ、あんたらなにしてんのん?」
先生は大阪城公園を走る気まんまんの服装、ハーパンの上は出身校である真田山学院高校の半袖体操服だった。まさにメガちゃん。
わたしと瑠美奈は、広島旅行などでお金を使ったので、その分を回収しようとバイトのお迎えバスを待っていたのだ。
このバイトは、三人で請け負っている。あたしと瑠美奈と加倉井さんという他校の生徒。で、ついさっき加倉井さんから――39度の熱でいかれへん――という電話がかかってきたところ。
「えーーーー!」と瑠美奈が叫んだところで電話は切れてしまった。
このバイトは瑠美奈の先輩の顔で回してもらっている。「一人来れませ~ん」では済まない。
困ったわねーーとメガちゃんが腕を組んだところでクラクションが鳴った。
「加藤さんと敷島さんと加倉井さんやね!? 信号変わらんうちに乗ってしもて!」
ワンボックスの助手席からオニイサンが叫んでいる。赤信号のわずかな間に、わたしたちを見つけたようだ。
「い、いま行きます!」
そう返事したのは……メガちゃ、妻鹿先生。
先生は加倉井さんの身代わりになって、わたし達を救おうと決心したのだ!
主な登場人物
敷島絶子 日本橋高校二年生 あだ名はぜっさん
加藤瑠美奈 日本橋高校二年生 演劇部次期部長
牧野卓司 広島水瀬高校二年生
藤吉大樹 クラスの男子 大樹ではなく藤吉(とうきち)と呼ばれる
妻鹿先生 絶子たちの担任 メガちゃん