やくもあやかし物語・32
本当に落ちたわけじゃない。
真岡電信局の事は夢か幻だ。
だから、交換室の後ろの扉から芳子ちゃんと手を繋いで飛び出したことは現実のことじゃない。
ベッドの上に落ちたと思ったのは錯覚なんだ。錯覚なんだけど、落ちたと思って瞬間身体に力が入って、あちこちの筋が違ったんだろう。
あーーいててて……
夕飯のテーブルに着くのも、要介護三くらいのお婆さんになったみたいだ。
アハハ、どうしたのよ?
テーブルの向かいでリアルお婆ちゃんが笑いながら食器を並べている。お爺ちゃんは鍋の具材を整えながら聞きたそうにしている。
「じつは、黒電話がね……」
黒電話の発見から公衆電話の使い方まで祖父母には世話になっているので、夕飯の鍋が煮立つ間にあらましの事を話した。
「芳子ちゃんと言ったんだね?」
「うん、セーラーモンペでね、とても走るのが速いの」
「お兄さんが、小泉……」
「名字だけで名前は聞いてない」
「ちょっと待てよ……」
お爺ちゃんは、リビングの棚から古いアルバムを取り出した。
「まあ、埃だらけ、あっちでやってくださいよ」
「ああ、すまんすまん」
いったん廊下に出てからお爺ちゃんはアルバムを開いた。バリバリいう音がテーブルまで聞こえてくる。
「古いアルバムだからページが貼り付いてんのね」
お爺ちゃんは、バラして必要なページだけ持って戻ってきた。
そのページには見覚えのある真岡の街の景色や学校の行事の写真が貼られている。
裏を返したところには人の写真。
「あ、これだ!」
それは一家三人の写真だ。
写真館で撮ったんだろう、背景も横に置かれた台付きの花瓶もしっくりしている。
前に椅子が三脚、女学生二人と国民服の青年。後ろに年配の国民服とかっぽう着の女の人、たぶん三人兄妹のご両親。
で、言うまでもなく。三人は小泉兄と妹の洋子さんと芳子ちゃん。
「この芳子ちゃんと一緒だったんだよ」
「芳子は、俺のお袋だよ」
「え、そうなんだ……」
「源一郎伯父さんと洋子伯母さんは真岡で亡くなった。伯母は電信局で亡くなったんだけど、伯父さんは死体も見つからなかったんだ」
そうだろう、わたしを逃がした後路地に直撃弾だったもん……ていうか、わたし、リアルに体験してしまった!?
「芳子さん……お義母さんは、あの日の真岡での記憶が無いのよ。お姉さんを助けようとは思って走ったんだけど、艦砲射撃が始まって、気が付いたら港の収容所に入っていたって」
そうだろ、あんなものを見たら記憶飛んじゃうよね。
「じゃ、あの黒電話は真岡の?」
「そこまで古くは無いさ、俺が子どものころに電電公社が交換しに来たやつだ。まあ、ほとんどお袋専用みたいだったけどね」
そこまで話したところで鍋が食べごろに煮立ってきた。
お鍋をいただいているうち、話題が変わってしまい、しばらくは真岡の話に触れることは無かった。
ツケッパのテレビが立春になったことを目出度く報じていた……。
☆ 主な登場人物
やくも 一丁目に越してきた三丁目の学校に通う中学二年生
お母さん やくもとは血の繋がりは無い
お爺ちゃん やくもともお母さんとも血の繋がりは無い 昭介
お婆ちゃん やくもともお母さんとも血の繋がりは無い
杉野君 図書委員仲間 やくものことが好き
小桜さん 図書委員仲間 杉野君の気持ちを知っている
霊田先生 図書部長の先生