銀河太平記・179
トラコン(虎ノ門コンプレックス)はリトマス試験紙のようなものだ。
虎ノ門ヒルズと呼ばれる地域にある住宅と商業の複合施設で、増加しつつある移民と扶桑人を混住させてスラム化するのを防いでいる。
今のところは、多民族共生がうまくいって、少々猥雑ではあるが活気のある国際街として外国人旅行者にも人気の街になっている。
上様直属の隠密としては異例に長く、新設された虎ノ門の大型交番を預かって三年。
隠密が、他の部局に籍を置くのは、あくまで擬態なんだが。ほとんど本職になってしまった感がある。
トラコン及びトラヒルが我々の手に余るようなことになった時、それは、扶桑が鎖国する時だ。
野放図に移民を受け入れていては、扶桑そのものが倒れてしまう。
だから――ここまで――という時を見極めるために虎ノ門交番があり、そこの所長をわたしが務めている。
「殿下」
しばらく使っていなかった敬称で声をかけたので、さすがに緊張の表情を向けられる心子内親王殿下。
「なんでしょうか、胡蝶さん」
殿下も役職名の所長とは呼ばれない。
「御城にお戻りいただきます」
「いよいよ限界ですか?」
「昨日、殿下と交代で入った北町の同心二人がやられました」
「殺されたんですか!?」
「重傷と軽傷です。奉行所に戻るまでは辛抱していたのでトラコンでは知られていませんが、トラコンにもいろいろ流入して来ている様子です。わたしも任を解かれ、別の任務に就きます」
「そうですか……残念ですが仕方ありませんね。荷物をまとめます」
殿下の準備ができるころには、南町奉行所から後任の所長と所員二名が到着し、引き継ぎもそこそこに御城に戻る。
そして、今日は元の小姓頭(隠密9課隊長)として、穴山彦と国境の赤間関に向かっている。
「どうだ、このまま実働部隊に所属しては」
「いやあ、勘弁してください。ぼくはあくまで文官です(^_^;)」
「そうかぁ、交番勤務ではなかなかだったじゃないか」
「いや、ドンパチとか力技とかは一度も無かったですから」
「それが力なんだ。ドンパチやるのは愚の骨頂だ、やらずに済ませるのが真の力だ。停めて……」
言い切らないうちに車を停めてくれる。
赤間関というのは新しい地名だ。
以前は緯度と経度の座標でしか呼ばれなかった。
マス漢他五か国と扶桑の間にある砂漠地帯、その扶桑寄りの荒れ地。
ここで数年前にマース戦争当時の犠牲者のミイラが発見された。ミイラは扶桑軍の兵士のもので惨い扱い方がされた痕が歴然だった。発掘が進むと他にも三か国のミイラが発見され、三年前に戦争史跡に認定され外国人も訪れるようになって、赤間関と名を付けられた。平和が続くようなら史料館も建てられて観光地になったかもしれない。
その赤間関が不法の移民の流入口になっている。慰霊と称してここを訪れ、そのまま扶桑に居ついてしまうのだ。
黙祷
たとえ任務とはいえ、慰霊碑の前を素通りするわけにはいかない。
ほんの二十秒ほど首を垂れる……振り返ると、守備隊司令の少佐が立っている。
「先輩が来られるとは思いませんでした!」
敬礼した手を下ろすや否や少佐は懐かしさを溢れさせた。
「そんなにビックリしてくれたら、エドからやってきた甲斐があると言うもんだな。守備隊長の橘少佐だ。こちらは隠密課の穴山彦だ、わたしの副官をやってもらっている」
「隠密課祐筆の穴山です」
「穴山……ご老中の?」
「息子だ、こいつはゆくゆくは老中になるぞ。サインでももらっておけ」
「勘弁してください、隠密課で老中になったものは居ませんから」
「だからこそ値打ちがあるんじゃないか、今度の任務は目立ってなんぼだ。少佐、敵の目玉は残っているだろうな?」
「はい、五機は破壊しましたが一機は残してあります。外すのに苦労しました」
「すまん、自然な形で露出しなくてはならんのでなあ。その一機はどこだ?」
「は…………」
「そうか。ヒコ、あの三時方向の岩山に石を投げろ」
「え、石をですか?」
ブィーーーン
岩の一つに羽が生えたかと思うと、西に向かって飛んで行く。
ビシ
監視哨からレーザーが伸びて、あっという間に撃墜してしまう。
「あんなにハッキリ姿を現されては墜とさざるを得ません(-_-;)」
「これで監視は衛星だけになるだろう、ほどよく見せるというのが大事なんだ。さあ、塀の視察に行くぞ」
「「はい」」
ヒコと少佐が同時に返事をして、国境の塀の視察に向かう。
当然、敵には見られている。
それでいい、隠密9課のトップが視察しているという事実が大事なんだ。
隠密9課とは将軍直属、つまりは将軍が直接見ているということと変わりなく、その上で不法移民を送って来るとなれば、ケンカを売っているに等しいからな。
それに、これだけ露出しておけば、ヒコが実働部隊に回されることも防げると思う。
ヒコはいつまでも隠密課に留めないで外務奉行に戻してやった方がいいからな。
車が左にハンドルを切ると、先日完成したばかりの塀がうねりながら地平線にまで伸びていた。
☆彡この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府老中穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 及川 軍平 西之島市市長
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
- 氷室神社 シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王
- ピタゴラス 月のピタゴラスクレーターにある扶桑幕府の領地 他にパスカル・プラトン・アルキメデス