クレルモンの風・13
藁にもすがる思いでメグさんに相談することにした。
『溺れる者は藁をもつかんで……沈んでいくよ(;゚Д゚)!』
と、電話ではシニカルなユーモアで返してきたけど、真剣に話を聞いてやろうという感じ満々だった。
元気がないんで路面電車で行こうと思ったけど、運転手のオッチャンが乗客のオバチャンと話し込んで、停留所を十メートルもオーバーランした。
ゲンが悪いので、思い切って走っていくことにした。
電車が時間通りに来なかったり、運ちゃんが乗客と喋っていたりは当たり前なんだけど。今日のあたしはナーバス。そして若い。で、結論は二キロの道のりを走ることにした。
パルク・ド・モンジュゼ通りに入った頃は上り坂なので、ジャケットもシャツも脱いで、タンクトップ一枚になって走った。走っている間だけは問題を忘れることができた。
ノアム通りに入ると青臭い臭いが満ちてきた。
どの家も草花を大事に丹精しているのだけど、このゼラニウムの臭いだけは慣れない。植物オンチのあたしが、ゼラニウムを覚えたのは、ひとえに、この臭いによるものだ。
「まさに青春の真っ盛りを走ってますって、感じね」
メグさんの第一声が、これだった。
庭で(メグさんちは、ゼラニウムがない)涼んでいると、突然メグさんが若返って現れた!
「あ、娘の海です」
そう言って、ヒエヒエの麦茶をくれた。数か月ぶりの日本の麦茶に、思わず涙が出そうになった。
「あたし、あなたと同い年なのよ」
「ほんと!?」
「うん、あなたが行ってる大学も、あたしの受験候補の一つだったから」
「え、そうなんだ!?」
それから、キッチンに行って簡単な和食を二人で作った。ほんと簡単。ニューメンと冷や奴。
この簡単だけど、思いっきり日本を思い出させてくれるメニューに、またあたしはウルウルしかけた。
「しかけたって言えば、元々は、ハッサンて子の片思いなんでしょ?」
「うん、嬉しいんだけど、あたし的にはね……」
「お友だちなだけなんでしょ?」
「うん……」
で、気がついたら全部喋らされていた。
オカンのメグさんといい、娘の海ちゃんといい。この家の女は油断がならない。
で、気づいた。オカンのメグさんの姿がない。
「あ、町内会の寄り合い。で、あたしが代理……悪かったかな?」
「ううん。同世代の日本の子と話ができてうれしかった。ルームメイトが日本語バリバリのアメリカの子なんだけど……」
「アグネスでしょ?」
「え、なんで知ってんの!?」
「ユウコちゃんの大学は、リセでいっしょだった子もいるから、ちょっと詳しいの。アグネスの日本語は、一昔前の大阪弁だから、あの子が来た頃、日本語の先生は、自分の日本語がおかしくなりそうだったって。ユウコちゃんが来たんで、だいぶニュートラルに戻れたって」
少しは、自分も役にたっているようで嬉しくなった。
「こっちの学生は、事件を大きくしたり大ゴトにするの好きだから、あんまり心配することないよ。目的はお楽しみなんだから」
「そうなの?」
「うん。だから、ユウコちゃんも、楽しむぐらいの気持ちでいたほうがうまくいくと思う」
メグさんジュニアは名前の通り「海」みたいで、同い年とは思えない懐の深さがあるようだった。この子に大丈夫と言われると、本当に大丈夫のような気がしてくる。
そこにメグさんが憂い顔で戻ってきた。
「なにかあったの、お母さん?」
「うん、モンジュゼ公園で、女の子が行方不明になったんだって」
「大きい子?」
「ううん、まだ十歳。父親といっしょにモンジュゼに来て、行方が分からなくなったって。この子」
メグさんは、女の子の写真がアップになったビラを見せてくれた。とってもカワイイ子で、親御さんの心配な顔が思い浮かぶよう。海ちゃんに慰められた気持ちはそのままで、心の別なところが痛んだ。
「今日は、ありがとうございました。海ちゃんに聞いてもらったら、ケセラセラになりました。ほんと久しぶりに日本の同い年の子と喋れて良かったです」
「あ、この子、半分はフランス製だから」
「今日の、あたしは全部日本製。明日は全部フランス製になって、試験だわ~」
と、フランス人の顔になって嘆いた。
「あ、メアド交換しとこ。お互い力になれそうだから。いい?」
このメアド交換が後に大きな威力を発揮することになるのだった……。