第六十八段『土大根』
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してげり。いと不思議に覚えて、「日比ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。
深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。
筑紫=九州の北っぽ。の横領使(領外の官で地方の警察長官みたいなもの)が、健康のためにと強く思いこみ、毎日、土大根を焼いて食べていました。
ある時、館の人数が少なくなってきたときに、その隙を狙って盗賊の一団が進入してきました。落ちぶれ果てたとは言え、警察長官の館を襲おうというのだから、気合いの入った盗賊であります。で、危うく盗賊たちにイカレコレにされそうになったとき、どこからともなく二人の兵(つわもの)が現れて、盗賊たちをやっつけてしまいました。
「君達は、どこの兵なんだね!?」
横領使が、感極まって聞いてみると、こう答えた。
「我らは、あなたが毎日お食べになっている土大根でござる」
と、告げて消えてしまった。
なにごとも、深く信じて行えばええことがある!
そういう話であります。
要は、健康にいいと思いながらも、好きな食べ物に助けられたというファンタジーなんですね。
土大根が、どんな大根かは分かりませんが、日に二本とはかなりのものです。
ただ、こんな言い回しが昔からありました。令和の時代「大根足」と、ご婦人に言えば張り倒されます。
しかし、昔は誉め言葉でありました「大根のようなおみ足」と言えば、白魚が美しい指のシンボルであったことと並んで、細くてカッコイイ足を示していました。
そう、昔の大根は小振りでほっそりしたものであったのです。今ス-パーで堂々と並んでいるタクマシイものではなかったのです。今時の大根は、とても日に二本は食べられません。
土大根は、ハッピーフードなのですね。
今の時代、こういう感覚は持ちにくいようです。現代日本人は、たいていの食べ物に慣れてしまっています。わたしの息子など、わたしが作った料理など口にしません。
わたしは、四十歳まで独身でいたので、料理は苦手ではありません。チャーハン、カレー、鍋物、みそ汁、卵料理など、そこらへんの主婦のみなさんに負けない自信がありました。それを息子は食べない。これは、血族としての親子の関係の大きな絆の一本を拒否していることと同じであり、由々しき問題なのですが、別の段で触れることにします。
ハッピーフードと言えば、ポパイのほうれん草があります。あのマンガ(昔はアニメなどとは言わなかった)を観て以来、苦手なほうれん草を進んで食べるようになりました。
パパパン、パッパパーンのファンファーレとともに、筋肉ムキムキになり悪漢をやっつけられると信じたものであります。大人になって、あれはほうれん草の缶詰会社の宣伝が元であることを知りガックリきた記憶があります。おまけに腎臓結石を煩って以来、医者からほうれん草は禁じられてしまいました。
ポパイのほうれん草ほどではなくとも、匂いを嗅いだだけでハッピーになれる食べ物が、我々、アラ還世代以上の者にはあります。え、若い者だって? いえいえ、こと食べ物の「好き」は、それ以後の「飽食の世代」には解らないハッピネスであります。
カレー、玉子焼き、お好み焼き、タコ焼き、もんじゃ焼きなどなど。スペシャルなものとしては、焼き肉、すき焼き……こういうものは、お正月などの特別な思い出と共に、記憶の奥底に焼き付いています。肉は霜降りなどであってはならない。潔く白身と赤身に分かれ、口中に含めば、百回ぐらい咀嚼しなければ飲み下せないほどの牛肉魂に溢れたものでなければならず。長じて霜降り肉のすき焼きに出会ったとき、それはショックでした。肉が肉であることを自己否定したようなタヨリナイものでありました。
こんなものを食っているから、今の若者=アラ還以下の世代の顔は小顔で、顎が未発達なのです。マンガを見れば明らかであります。鉄腕アトム、鉄人28号の正太郎君、リボンの騎士などはマルマッチク、たくましい顎をしています。作者自身がアラ還以上の作者であれば、アンパンマン、ゲゲゲの鬼太郎、のび太くんなど皆そうです。それ以下の世代によって描かれたキャラクターは、そのほとんどが顎が尖ってキャシャです。うなづけば、そのまま顎が、胸に刺さりそうなほどに鋭利でさえあります。
他にも、初めて魚肉ではないソーセージを食べた時の感動。コーラを初めて飲んだときの爆発的な戸惑い。こういう感動は、今の若者には解らないでしょう。解ってたまるか! という自負心すら湧いてきます。
気まぐれに、息子に自作のタコ焼きを勧めました。息子は路傍の虫が鳴いたほどの興味も示さず、冷凍庫から南極の昭和基地に置き忘れられたような冷凍ピザを出して、レンジでチンしおりました。
願わくば、臨終に望んで、わたしは、懐かしのすき焼きの百回咀嚼の牛肉を口に含んで枕教のチンをしてもらいたい。