勇者乙の天路歴程
029『生麦事件・1』
※:勇者レベル4・一歩踏み出した勇者
やっぱり居た!
いや、居たどころの騒ぎではない。生麦村に続く街道沿いの田畑、あぜ道、林の際、鎮守の境内、沿道の百姓家の庭先などに結構な人間が集まっている。
さすがは幕末に屈指の雄藩として名をはせた薩摩の大名行列。在地の百姓や町人、街道をゆく旅人たち、数は少ないが横浜居留地の外国人たちも混じって行列が通りかかるのを待っている。
待ってはいるが、みな、この時代の作法を心得ていている。街道よりも高いところで待っている者はいない。
田畑やあぜ道は街道の路面よりも低く、普通に立っていれば見下ろすというような無作法なことにはならない。人家の二階や屋根や築地の上から覗くような者も居ない。わんぱく盛りが二三人木に登ろうとしていたが、周囲の年かさたちに叱られて降りていく。外国人たちも、そういう日本人の作法を見て笑いながらも倣っている。
「この分なら大丈夫なんじゃないですかねえ」
白兎が楽観的なことを言う。
「課長代理、姫の事以外はいい加減じゃない?」
スクナが意地悪を言う。
「そ、そんなことはない!」
「そう? なんか緊張感なくない?」
「ないよ! そうでなきゃ、裏街道をここまで全力疾走なんかしないよ!」
そう、我々は始まりの村を通過している大名行列を避けて、裏街道を駆けに駆けてここまで来たんだ。行列が差し掛かるには、もう少しありそうだ。
「ちがう! もう始まっているぞ!」
ビクニが駆けだした。
「ビクニ!」
来たばかりの裏街道を駆け戻る!
裏街道は表街道に並行しているわけではない、いま駆け抜けてきたところは弓形になっていて、二つ目の張り出しを過ぎたところで混乱が見えて来た。
馬に乗った四人の英国人が行列を縫って先に行こうとしている。
そうだ、英国人たちは散歩のついでに大名行列を見物しようとしたんだ。
当然、先触れの侍は「脇へ寄れぇぇぇぇ…………」と声を上げながら進んでくる。言葉は分からずとも、避けるか退避すべきと思うはず。
しかし、彼らは、そのまま行列を遡行するように進んでしまい、久光の籠近くまで近づいた。
お供の薩摩藩士の殺気にようやく怖気を振るって馬首を逆さにして戻ろうとし行列を乱してしまう。
産婆と飛脚以外は横断してはいけない大名行列を乱してしまったのだ。それも、日本一勇猛で知られた薩摩の行列だ!
チェストー!
薩摩示現流の裂ぱくの声が聞こえたかと思うと、一丁先の行列の中で血しぶきが上がった!
ヒヒーーン! ウワァアア! キャーー! オオ!
人馬の悲鳴と雄たけびが響く!
「英国人たちを助けるぞ!」
叫びながら走った。
生麦事件では死者二名負傷者一名が出て大騒ぎになる。英国は、この事件の損害賠償を求めて明くる年には薩英戦争が起こる。
いや、誤解のために起きようとしている惨劇、今なら間に合う。
止めなければ!
☆彡 主な登場人物
- 中村 一郎 71歳の老教師 天路歴程の勇者
- 高御産巣日神 タカムスビノカミ いろいろやり残しのある神さま
- ビクニ 八百比丘尼 タカムスビノカミに身を寄せている半妖
- 原田 光子 中村の教え子で、定年前の校長
- 末吉 大輔 二代目学食のオヤジ
- 静岡 あやね なんとか仮進級した女生徒
- ヤガミヒメ 大国主の最初の妻 白兎のボス
- スクナ ヤガミヒメの新米侍女
- 因幡の白兎課長代理 あやしいウサギ