真凡プレジデント・73
終戦から二か月とは思えない清らかさだ。
病室は八畳ほどの個室で、開かれた窓には網戸が施され、網戸の向こうには叢林を挟んで瀬戸内の眠ったような海が広がっている。ついさっき巨神兵のような水柱がそそり立っていたのが嘘のようだ。
その清らかな静寂に愛しまれるようにおカッパの少女が眠っている。
――来島美奈子ちゃん、国民学校の三年生よ。広島で原爆に遭って、この病院に収容されているの――
――原爆に……?――
意外だった、ケロイドっぽい傷跡も無いし、髪も、ついさっきシャンプーしたようにサラサラだ。
ベッドから出たパジャマの両手は癪に障るほどに白くて細い。指は小学三年にしては長くて形もよく、美しくピアノを弾いているのが似つかわしいと思った。原爆に遭ったといっても爆心からは相当離れていたんだろう。
――ううん、美奈子ちゃんは爆心から500メートル。地下室に居たので外傷は全くないの……そろそろ目覚める、もう一度化けるわよ――
ビッチェが指を振ると、ビッチェは開襟ブラウスの女先生に、わたしは、ビッチェより若い女先生になった。
……あ 先生
目覚めた美奈子ちゃんが、わたしたちに気づいた。
透き通るような笑顔だ。
「あら、起こしてしまったわね」
「起きて良かった、寝ていたら、そのまま帰ってしまったんじゃないですか」
「ううん、起きるまで待ってるつもりだった」
「じゃ、お待たせしたんじゃ……」
「ううん、ついさっき来たところ」
「……先生、助かったんですね」
「うん、体育倉庫の陰に居たところでピカだったから、熱線を浴びなかったの」
「体育倉庫は頑丈ですもんね……よかった。そちらは?」
「吉水先生、美奈子ちゃんが良くなったら担任をしてくださるの」
「こんにちは美奈子ちゃん」
「こんにちは……えと、先生は?」
「わたしは倉敷に帰るの」
「倉敷……先生の故郷ですね」
「そう、それで代わりに担任してくださるのが吉水先生」
「どうぞよろしくね、美奈子ちゃんが戻ってくるの待ちきれなくて来てしまいました」
「嬉しい……入院してから、初めて知ってる人に会いました」
「そうね、美奈子ちゃん直ぐに良くなるだろうって、直ぐに戻って来るだろうって、先生堪え性がないから来てしまいました」
「まあ、いけない子です先生は」
「美奈子ちゃんに叱られてしまいました」
アハハハ
病室に笑いが満ちたところでドアがノックされ、軍服に白衣の女医さんと看護婦さんが入って来た……。
☆ 主な登場人物
- 田中 真凡 ブスでも美人でもなく、人の印象に残らないことを密かに気にしている高校二年生
- 田中 美樹 真凡の姉、東大卒で美人の誉れも高き女子アナだったが三月で退職、いまは家でゴロゴロ
- 橘 なつき 中学以来の友だち、勉強は苦手だが真凡のことは大好き
- 藤田先生 定年間近の生徒会顧問
- 中谷先生 若い生徒会顧問
- 柳沢 琢磨 天才・秀才・イケメン・スポーツ万能・ちょっとサイコパス
- 北白川綾乃 真凡のクラスメート、とびきりの美人、なぜか琢磨とは犬猿の仲
- 福島 みずき 真凡とならんで立候補で当選した副会長
- 伊達 利宗 二の丸高校の生徒会長
- ビッチェ 赤い少女