戯曲・ノラ 大阪が無くなる日 バーチャルからの旅立ち
大橋むつお
時 百年後
所 関西州と名を改めた大阪
登場人物
好子 十七歳くらい
ロボット うだつの上がらない青年風
まり子 好子の友人
所長 ロボットアーカイブスの女性所長
里香子 アナウンサー(元メモリアルタウンのディレクター)
チャコ アシスタントディレクター
遠く踏み切りと電車の音。かすかに懐かしい街のさんざめき。それらの音の中、幕あくと。みごとに何もない。ややあって里香子が百年前の女子高生の制服にマイクを持ち、無対象の自転車を曳いてあらわれ、舞台奥で自転車を止める。カシャンとスタンドをたてる音がする。
里香子 テスト、テスト……ワン、ツー。ワン、ツー……マイクオーケー。カメラさんいいかなあ……2カメさんテカってない……オーケーね。(無対象で店のシャッターを開け、自販機で缶コーヒーを買う)あとは……3D用のモデムのチェック。
ADのチャコが息を切らせてやってくる。携帯端末(以下ポッド)を手に、里香子同様の制服姿。
チャコ 先輩! 里香子先輩! 大変、大変!
里香子 どうしたの。リボン曲がってるよ。
チャコ モデムがいかれちゃって(携帯端末をミラーモードにして、リボンを直す)
里香子 え。じゃあサーバーと切れてんの?
チャコ いま、ヤマさんが必死で直してます。
里香子 だって舞台はちゃんと……(客席への階段を数段降りてみる)あ、やだー、まるっきりの裸舞台じゃん!(舞台にもどる)でも、舞台じゃちゃんと見えてるわよ。
チャコ 舞台用のモデムは生きてるんです。
里香子 あげる(缶コーヒーをチャコに渡し、携帯によく似たポッドを出す)ヤマちゃん、直せる……わかった。
チャコ でも先輩、なんでわたしたちまでこんなコスプレしなきゃいけないんですか。
里香子 しかたないでしょ。制作費安いんだから。それにロードしてるセットはメモリアルタウンのだから、規定で昔のコスじゃないと入れないの。
チャコ でも、もうナニされるんでしょ、ここ……。
里香子 どうせ出戻りの局アナ。でもね、このメモリアルタウンには命かけたのよ。
チャコ わたし、好きですよ。この百年前の町。
里香子 ちょっとチグハグなとこもあるけどね。モデルが、「サザエさん」と「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」それにちょこっと「おかみさん、時間ですよ!」
チャコ わたし、それ知りません。
里香子 ほら、あそこの煙突。「松ノ湯」って書いてあるでしょ。
チャコ ああ……煙突にだれか登ってますね。
里香子 ああ、堺正章。その向こうに「じゃりン子チエ」の横丁があるの。大阪も東京も埼玉もごっちゃ。
チャコ 埼玉って?
里香子 ああ、今は関東州に飲み込まれてる。ここいらも昔は大阪府っていったんだよ。
チャコ 地歴で習いました。八十年前に関西州になったんですよね。
里香子 この制服ね、百年前に廃校になった大阪府立商業の制服なんだよ。
チャコ 名門校だったんですね。
里香子 わたしのひい婆ちゃんが通ってたの。で、そのころの写メをもとにレプリカつくったの。シックで評判よかったんだよ。もっとも、廃校になってからだけどね。いいものは止めてから評価されるってか(無意識に缶コーヒーを取り、飲む)ん……ごめん。
チャコ あ、いいえ。でも、なんか乙女チックになりますね。どうして評価しなかったかなあ、これを。でも、これ着て、あの大阪弁てへんてこな言葉使ってたんですね。「なに言うてはりまんねん。いてこましたろか」(アクセントがめちゃくちゃ)
二人 アハハハ……(チャコ、飲んでみて空、ため息をついて空き缶をゴミ箱に捨てる)
里香子 道州制になってから、方言ってなくなっちゃったからね。
チャコ 里香子先輩、そろそろ時間ですよ(ポッドで確認)
里香子 ヤマちゃん、まだ? え、舞台のモデムと交換!? だめだよ、こっちは規格が違うし……前の失敗が今度の企画に? 笑えないよ、それって。それに、こっちまでいかれたら役者が動けなくなっちゃうよ。え、お客さんのポッドでモデムに? そんな高性能なポッド持ってる人なんかいない……。
チャコ あ、音響もアウトだって!
里香子 え、音響も!?
チャコ どうすんですか?
里香子 音響をアカペラで……?
チャコ それって……。
里香子 その方が風情が……もう、なんだと思ってんのよアナウンサーを!
チャコ 先輩。二十秒前!
里香子 あの子、いえ、役者にも言っといてね。
チャコ はい、じゃあ。グッドラック!(チャコ、里香子の真剣な目に気づき黙礼して去る)
里香子 あ、十秒前(さっと会場を見渡す)五、四、三、二……みなさんこんにちは。司会の武藤里香子です。このたびメモリアルタウンからこのNOBCにもどってまいりました。NOBC、なんの略称かご存じでしょうか、ニホン、オオサカ、バンバチョウノ、チョウナイカイ……ハハハ、ウソですよ。でもこのシャレの中には、今では死語になった大阪という地名が入っています。この二十二世紀、私たち日本人は前世紀に多くの苦難を乗り越えて、新しい文化を手に入れました。スカイツリーに始まり、リニア新幹線、多目的携帯端末Jポッド。本日は、私どもの不手際でモデムが故障しまして会場のみなさんには何もない裸舞台に見えていると思います。まことに申しわけございません。もし最新型のJポッドXをお持ちの方がいらっしゃいましたら、NOBCにコネクトしてくださいませ。この懐かしの昭和や平成の町並みを再現しましたメモリアルタウンの舞台をご覧になれます。テレビをごらんのみなさんには中継車のモデムが生きておりますので、きれいな3Dの映像が届いていると存じます。さて……私たちが二十二世紀になって手に入れたものにロボット、アンドロイドがございます。皆さんの中にもアンドロイドといっしょにご覧の方もいらっしゃるかと存じます。この新しいパートナーは私たちの生活を助けてくれ、また癒してもくれます。しかし、私たちはこの新しいパートナーとの関係をまだ十分には築けていないのではないでしょうか。昨今ロボットやアンドロイドをめぐってのトラブルが増えてきました。そこにはわたしたちが便利さや快適さと引き替えに、前世紀に置き忘れてきた何かを象徴するものがあるような気がします。そんな問題というか、心のトゲを、実話をもとに、劇場中継という放送の原点に立ち返えり、このメモリアルタウンを舞台に再現してみました。会場の皆さん。テレビをごらんの皆さんもごいっしょにお考えいただければ幸いです(礼をして退場)
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上手から好子が現れる。百年前のセーラー服を着ている、舞台中央あたりまで来ると、カバンとポニーテールをぶんまわして振り返る。顔が怖い。上手から、レトロな機械の音をさせて、ロボットが現れる。一見ふつうのウダツのあがらない青年風であるが、腕に旧式ロボットであることを示すセキュリティーを兼ねたアームバンド型のパーソナリティーモジュールをしている。
好子 ったく。人より遅いロボットなんて聞いたことないよ!
ロボ ソンナコト言ッタッテ、ポンコツナンダカラ、ボクハ。
好子 そんな弱気でいるから、ますますポンコツになってしまうんじゃない。しゃきっとしなさいよしゃきっと。
ロボ ダッテ、アッチコッチ、ガタガキタカラ、仕方ナイヨ。膝ノ間接は、ベアリングガ減ッチャッテルシ。シリンダーカラオイルハ漏レテルシ。バッテリーは六十パーセントシカチャージデキナイシ。アイカメラハ、レンズニカビガ生エテルシ。腰ノボルトハヒズンデシマッテ、歩クタンビニイヤナ音ガスル。人工皮膚モ、アチコチ剥ゲテ、ミットモナイッタラアリャシナイ。ダイタイ、モトハト言エバ、オーナータル好子クンガ、手入レヤ、メンテナンスヲ怠ッタカラデアッテ、コレハロボットオヨビアンドロイド愛護法ノ精神ノナンタルカヲ理解シテイナイカラデ……。
好子 それだけしゃべれて、どこがポンコツなのよ。
ロボ 言語サーキット一番ジョウブ。ボディーノポンコツ関係ナイ。好子モヨクシャベル。
好子 よけいなお世話。わたしがしゃべるのは必要があるからよ。
ロボ コナイダモ、マリチャント電話デ三時間二十五分三秒モシャベッテタ。アレ、ナンノ必要カ?
好子 友達のこととか、いろいろ大事な話があるの!
ロボ 大事ナ話、直接会イニイケバイイ。マリチャンチハ歩イテ五分。走ッテ二分二十秒。
好子 電話むきの大事な話もあるの。
ロボ ソレナラ立体電話ニスレバイイ。
好子 あれは通話料が高いから、遠慮してんの。お父さんに悪いでしょ。
ロボ NTTコドモガ、コドモムキノ安い立体電話ハジメタノ知ッテルクセニ。
好子 でも、ふつうのポッドの三割増しよ。やっぱ公務員の娘としては考えちゃうでしょ。
ロボ ノンノンノン、知ッテルヨ。コノゴロ普通ノポッドノ方ガハヤッテルノ。
好子 わたしは……。
ロボ 立体電話で長話スルト、ボロガデチャウノヨネ。思ワズ、ハナクソホジッタリ、水虫カイタリ、寝ッコロガッテ行儀ワルクシタラ、パンツガ見エタリ。ソウイウミットモナイトコ見ラレズニ長電話シタイダケナノヨネ。
好子 あのね……。
この時、遠くから好子を呼ぶ声
まり子 好子~!
ロボ ア、ウワサヲスレバ……。
好子 まりちゃん!
まり子 よかった、追いついて。好子んちへ行ったら、ロボくんと外へ出たっていうから。
好子 うん。
まり子 たぶんここかなって。あ、好子の浪速女学院のコス! ロボくんはわたしと同じ大阪府立商業だ! ハハ、一番人気だもんね。ロボくん後ろ姿見せて。うんいいなあ、やっぱ府立商業は。いよいよ……?
好子 え?
ロボ イヨイヨ?
好子 なんでもないよ、なんでも……。
間
ロボ フフフ……。
好子 なによ?
ロボ ポッドナラ、アンナニシャベルノニ。
まり子 そうね……。
好子 ……なにか話そうか?
まり子 え、いいよべつに……。
ロボ ヘンナノ……。
まり子 ちょっと顔が見たくなっただけだから。
ロボ 二人トモヘンダ……。
二人 そう?
ロボ ソウダヨ。
まり子 わたし、一回りしてくるわ。もう来月は閉鎖だから、ここ。じゃあね、ばいばい。
ロボ バイバイ……。
好子 ……。
気づかわしげにロボに視線を残しながら、走り去るまり子。しばらく黙って歩く。
ロボ ナツカシイマチダネ……。
好子 うん?……メモリアルタウンだからね。
ロボ エ?
好子 二十世紀の街の姿が、わりによく残ってるんで、二年前に大幅に手を加えて野外博物館にしたの。あの電柱とかブロック塀とか……ほら、あのお店とかあっちのお店のバリアーね「シャッター」っていうんだよ。鉄でできてて、開け閉めのときは、ガラガラってレトロな音がするんだ。道ばたの大きな箱みたいなのは自動販売機っていってね、お金入れないと商品がでてこないんだ。だから、ここに入るときは百年前のコスプレ。
ロボ ワカッテルヨ、ソウジャナクテ……(自販機で缶コーヒーを二つ買う)チャリン、チャリン。ポン、ゴトゴト。ポン、ゴトゴト。ン(缶コーヒーを渡す)
好子 ありがと。
ロボ プシュツ。ココ、野外博物館ニナル前ニ……好子ト初メテ歩イタ道ダヨ。
好子 ほんと? プシュツ。
ロボ ……忘レタ?
好子 えーと……。
ロボ オ母サンモ、イッショダッタ。ソノトキボクニ名前ツケテクレタンダヨ。オ母サンハ、タケシニシヨウッテ言ッタンダケド。好子ガ、マワラナイ舌デ「ロボクンガイイ」ッテ決メタンダ。即物的デ、マンマノ名前。ナンテ想像力ノナイガキ……子ダト思ッタ。
好子 悪かったわね。
ロボ デモ、今ハ気ニイッテル。人型ロボットノ出ダシノコロダッタカラ、「ロボクン」テ名前ニハ、好子ノ夢ト憧レガ詰マッテルンダ。
好子 そうだったんだ。ずっと子供のころのことだからね。
ロボ マアネ……アノトキハ、今トハ逆ニ、ムコウカラコッチニ歩イテキタンダケドネ。
好子 ……むこうから、こっちへ……。
ロボ 思イ出シタ?
好子 うん……。
●
上手からエキストラになった里香子とチャコがキャーキャーいいながらくる。
里香子 ようし、ここでジャンケンだ!
チャコ ええ、まだ電柱一本分あるよ。
里香子 ちゃんと数えてたんだからね。
チャコ もう一本あるって!
里香子 ちゃんとGPSで数えてんだからね。
チャコ あ、それ反則!
里香子 ちがうよ、これ二十一世紀のスマホなんだからね。
チャコ ちぇ、仕方ないなあ。
里香子 いくぞぅ!
二人 最初はグー。ジャンケンポン!
チャコ わあ、勝った!
里香子 くそ、やぶ蛇かよ。
チャコ よろしくね(二人分のカバンとサブバッグを渡す)
里香子 最後に負けたら、タイ焼きおごるんだからね!
チャコ はいはい、負けたらね。
二人下手に駆け去る。見送る二人。
●
ロボ カシャン(空き缶を捨てる)
好子 少し……カシャン(空き缶を捨てる)思い出した。……きっといいことがあった後なんだよね。夕日を背に受けて、ながーい影を踏みっこしながら……家に帰ったんだ。
ロボ ソウダヨ。
好子 入院かなんか……してたんだっけ、わたし?
ロボ 思イダシタ?
好子 ……だめ、そこまで。だって、とっても小さいときのことなんだもん。でしょ?
ロボ ウン……マアネ。
好子 わたし無意識のうちにこの道を選んでいたのね……ほかに近道もあったのに。
ロボ ドウシテ?
好子 さあ……。
ロボ サア?
好子 だって、わかんないから無意識って言うんじゃないよ!
下手端、里香子とチャコが現れ、チャルメラと、犬の遠吠えを器用に口で真似る。
ロボ コノ街ヲ維持スルノ大変ナンダロウネ。
好子 そうよ。あの犬なんて、純粋の雑種なのよ(皆ずっこける)なにがおかしいのよ。
ロボ 純粋ノ雑種……非論理的ダ。
好子 想像力のない頭してんのね。
ロボ 安物ノCPU使ッテルンダモン。
再び、犬の遠吠え、チャルメラの音。里香子、チャコ去る。
好子 その電柱の脇に積んであるダミーのゴミ袋なんか、中味までちゃんとその時代のゴミが入ってんのよ。はみ出してる割り箸とか、カップ麺のカップとか、このためにわざわざ作ったんだって。
ロボ デモソコマデシテ残サナケレバナラナイモノ?
好子 ぬくもりがいるのよ人間には……。
ロボ ヌクモリ?
好子 たとえば……使い古したカバンを捨てずに残したり。こわれた人形や、片方しかないピアスをとっといたりするじゃない。そういうものって一見無駄なんだけど、自分のアイデンティティーを持ち続けるためには必要なのよ。
ロボ ソウナンダ。デモ、ココ、モウジキ閉鎖サレルンダヨネ。
好子 うん、去年の事業仕分けで決まっちゃった。
ロボ デモ、イボジ、キレジ、ダッコウ、ダッコウ……(壊れたレコードのようにバグるロボ。好子、ロボの頭をたたき回復)ハナヂ、アカジ、赤字ナンダロ、ココ。
好子 赤字でも、残さなきゃならないものだってあるよ。
ロボ ソウナノカイ?
好子 ロボットだってそうでしょ。ほんとうは歩いたり、しゃべったり、それにふさわしい機能さえあればいいのに、ことさら人間風に皮膚をつけたり髪の毛つけたりして、疑似感情まで持たせてアンドロイドにしたじゃん。それは、その方がぬくもりがあって安心……どうしたの?
ロボ、身をよじるようなバグ、キューキューと悲しげな音がする。
ロボ コレジャ、ヌクモリモ安心モ感ジナイヨネ(自分のボディーを示す)
好子 そんなことないよ。そんなこと!
ロボ ジョーダン、ジョーダン。チョットスネテミセタダケ。
好子 もう!
ロボ チョット、ソンナニ速ク歩ケナイッテバ。
好子 だって、ロボットでしょ!
ロボ ポンコツナノ。
好子 ポンコツだってロボットでしょ!
ロボ アノネ……。
好子 わたし、すねたり、弱音はいたりするやつだいっきらい! 人でもロボットでも!
ロボ 好子ォ……。
好子 くやしかったら、わたしを追いこしてみなさいよ!(駆けだす)
ロボ チョ、チョット、好子!
好子 ポンコツの意気地なしロボット!
ロボ 好子!
好子 あいた!(転んで膝をすりむく)
ロボ 一人で起きられる?
好子 子どもじゃないわよ……アタタ。
ロボ ジャ、先イソゴウカ。
好子 ちょっと、そんなに早く歩けないってば……。
ロボ ハハハ、ドウダ、サッキトサカサマ。
好子 ハハハ、ほんとだ。ここ、地道のままだから、石ころなんかむきだしなのよね。
ロボ 道のセイニシテル。
好子 じゃ、なんのせい?
ロボ 重心ガアガッタセイジャナイ?
好子 重心……それって?
ロボ 足の裏ノ単位面積アタリニカカル重量ノ増加トイウカ……。
好子 失礼ね。太ってなんかないわよ。わたしってば……このごろ、なんでもないとこでつまづいたりするのよね。
ロボ それって……。
好子 ヘヘ、わたしって悩める乙女だもんね。
ロボ 悩メルオカメ……。
好子 こいつ!
ロボ 好子怒ッタ!
そばを自動車が通る音(マイクで里香子とチャコ)
ロボ レトロナタイプダッタネ。
好子 日産フェアレディーZロードスター。超クラッシックカー。レプリカだけどね。
ロボ チガウヨ。
好子 え?
ロボ 助手席ニ乗ッテタアンドロイド……型オチダケド、イイ男ップリ。
好子 そうだった?
ロボ 赤イブルゾンガ粋ダッタ。
好子 うそ。赤いチョッキ。ブルゾンは運転してた女の人。
ロボ フフ、シッカリ見テタンダ。
好子 たいしたアンドロイドじゃないわよ。型オチだし。だいいち目鼻立ちができすぎていて、あれじゃ、冗談のひとつも言えないよ。
ロボ 好子はイイ子ダネ。
好子 ロボ……
ロボ コノ先イクト、ロボットアーカイブス……ダネ。
好子 ……知ってたんだ。
ロボ 新型ロボット、アンドロイドノ展示販売。オヨビ、中古ロボット、アンドロイドノ引キ取リト解体リサイクル。
好子 言わないで。
ロボ イソゴウ。
好子 待って、もうちょっと待って……。
ロボ 風邪ヒクヨ……ハックション!(ティッシュを出し、大きな音をさせて鼻をかむ)
好子 ロボくん、芸がこまかい。
ロボ オッ、オイルガモレテル(ティッシュを見る)サ、オイルガキレナイウチニイコウ。
歩き出す二人。例の二人、マイクで電車と遮断機の音を出す。この間、ロボと好子は互いに声高に言いあっているが、電車の轟音で聞こえない。やがて、踏切が開く。
ロボ ナニ言ッテタノ?
好子 ……べつに。ロボクンは?
ロボ ベツニ……デモ、少シ伝ワッタヨウナ気ガスル。
好子 そう……?
ロボ ココヲ渡ッテ、スコシ行クト、コノ町モオシマイダネ。
好子 あ、今度は下りだ。
再び、警報機が鳴り、電車が通過する。再び怒鳴るように会話する二人。電車通り過ぎ、踏切が開く。肩で息をする二人。
好子 ……とってもパワフルな会話だったわね。
ロボ モッカイヤル?
好子 よーし!
ロボ ヨーシ!
好子 三回もやったらバカでしょ。
ロボ ズコ(ずっこける)
踏切を渡る二人。二三歩進んでどちらともなく立ち止まる。
好子 この街から出たくない。
ロボ イツマデモ、ココニ居ルワケニハイカナイヨ。
好子 (ポッドを取り出し)ロボくんのパルスってダサイんだよね。古典で習ったスナップの「宇宙に一つだけの花」みたいなんだよね。
ロボ ボク二世代前ノ、アンドロイドトモイエナイロボットダカラ。コンナ、アームバンドミタイナパーソナリティーモジュ-ル。
好子 このモジュール、耳をあてるとかすかだけど聞こえるんだよね。ポッドでモニターしたのより、ずっと……(ロボのモジュ-ルに耳をあてている)
ロボ ヤサシイ?
好子 ダサイ。
ロボ ズコ(ずっこける)
好子 小さいころから聞いてるから、もう耳についちゃった。わたしって、かわいすぎるから。これくらいのダサイパルスで中和すると、ちょうどいいんだよね。
二人 ハハハ……。
好子 わたし、もうロボットもアンドロイドも買わないからね。
ロボ 無理スンナヨ。ボクヨリイイアンドロイド見ツケレバイイ。
好子 だって、もういやだ。こんなお別れ……。
ロボ 人間ダッテイツカハ死ヌ。ロボットダッテ同ジ。人モロボットモ、オタガイタスケアイ、思イアッテ生キテイクンダ。ソノトキソノトキ、セイイッパイ生キテ、ソシテイツカ別レノ日ガヤッテクル。ソノ日マデ、ミンナ宇宙ニ一ツダケノ花デイレバイインダヨ。ソモソモ人生トイウノハ……。
好子 ハハ、やっぱ、ダサイ。入学式の校長先生の話みたいだよ。
ロボ 好子ンチハ、家族ミンナ寂シガリダカラ……気ハヤサシクテ、チカラモチノアンドロイドガ必要ダネ。ソウシナヨ。
好子 そうね。とびっきりカッコよくて、男っぷりのいいアンドロイドにするわ。鼻筋が通って、声は品のいいバリトン。休みの日には白馬に二人乗りして、湖のほとりを散歩すんの。そいで、宿題みんなやってくれて、お掃除、洗濯、お買い物、ぜーんぶしてくれて。アルバイトも行ってくれて、月に百万くらい稼いでくれる! そんなアンドロイドが……いいわけないじゃん! 人もアンドロイドも見せかけのカッコよさじゃないわ。たとえ短足で、ぶさいくでも、いっしょに暮らして、心が通いあってることが大切なんじゃない。そんなアンドロイド……ロボットは、ロボくん一人しかいないんだもん。わたしにも、お母さんにも、ロボくん一人しかいないんだもん……!
ロボ 好子チャン……。
好子 なーんちゃってね。ね、けっこう感動的なクライマックスになったじゃん。あたし、演劇部に入ろうかなあ。それとも、そこらへんのオーディション受けまくって、アイドルにでもなっちゃおうかしら。正体不明の新人アイドル相保好子! 清純にして可憐。しかし、その瞳には世の男性をとりこにして止まない小悪魔のかがやきが! その底知れぬ彼女の本性やいかに!? そのときは、ロボくん。きみがわたしの付き人になって、ファンからのヤマほどのプレゼント両手にかかえて……かかえてくれるあなたはもういないのよ……ロボくん……ハハハ、どうしてわたしは、こう情緒不安定なのよ……。
ロボットアーカイブスの所長が、あらわれる。
所長 昼間お電話のあった相保さんですね。
好子 は、はい。
所長 登録IDを、お見せいただけますか。
好子 はい、これです(ポケットからIDカードを出し、所長にわたす)
所長 (IDカードを、コンソールにかける)シリアスナンバー183699……のアンドロイドの廃棄をご希望なんですね。(カードを受け取って、逃げるように所長の側を離れる好子)
好子 …………。
所長 お電話では、そううけたまわっておりますが。
ロボ ハイ、廃棄デス。アチコチ寿命ガキテ、ポンコツナモンデスカラ。
好子 スクラップですか?
所長 しかたありませんね。ここまで旧式だと。
ロボ ナルベクヤサシクオネガイ……シマス。
所長 いいわよ(好子に)よろしいですね。
好子 …………。
ロボ 好子……。
好子 ロボくん……。
所長 では、ロボくんむこうへ。
ロボ ハイ(所長に示された上手方向に歩き出す)
好子 ロボくん!
好子、思わずロボに駆け寄ろうとする。所長の前を通ったとき、所長はコンソールを好子の首にあてる。「ピューン」と電子音をさせて、そのままの姿でフリーズ。進一、つまり今までのロボ、ゆっくり振り返る。その動きは人間のそれである。
進一(いままでのロボ) 好子……。
所長 終わりました。
まり子、息を切らせてやってくる。
まり子 進ちゃん……。
進一 終わったよ。
進一、好子のまぶたを閉じてやる。
進一 最後まで、自分を人間だと思って……人間として、ぼくを心配し続けてくれた。CPUの限界を超えて、胸を痛め続け、心配し続け、混乱し……。
所長、コンソールのボタンを押す。好子は楽な姿勢になり、カバンを落とし機械的に前を向く。目も開くが、そこにはもう光はない。
所長 無理だったんですよ(カバンを拾う)人間としてセッティングすることは。この子はアンドロイドなんですから、アンドロイドとしてつき合ってやらなくっちゃ。とくにこの子は、人を思いやるメンタルモジュ-ルを容量以上に増幅してしまっていますから、メインのCPUが暴走寸前でしたよ。すでに、そのひずみがムーブメントやスタビライザーに影響を与えはじめてます。ときどき転んだりしたんじゃないですか?
進一 母が、亡くなった妹に似せてセットアップしたあと、メモリーを細工して人間と思いこませたんです。
所長 お母さんがなさったんですか?
進一 叔母の同僚がメカニックなんで、頼んでやってもらいました。
所長 困るんですよね、そういう違法な改造は。三年前、お買いあげていただいたときにも申し上げたはずですよ。大事につきあってやれば、十年はもつ子ですから(カバンを差し出す。受け取れない進一。代わりにまり子が受け取りに行く)
まり子 好子ちゃん泣いてるよ……。
所長 いま初期化したんで、涙腺にたまっていた水分が自然に流れ出てるんです。それにしても涙の多い子ですね(ハンカチで涙をぬぐってやる)
進一 好子……。
まり子 その……ス、スクラップにされるんですか、好子ちゃん?
所長 使えるパーツは下取りさせていただきます。ご希望のパーツがありましたら、お渡ししますよ。マスクとか、ハンドとか……。
進一 ……いいです。
所長 では廃棄処理する前に最終のスキャニングしますんで(コンソールをテレフォンモードにして)三番のハンガー空いてるわよね。いま一体送るからスキャニングお願いね。
所長、好子に向けてコンソールのボタンを押す。好子、無機質にふりかえる。
好子 アッチョンプリケ。アッチョンプリケ。アッチョンプリケ……(無機質なバグ)
所長 ごめんなさい、ボタンの押しまちがい(ボタンを押しなおす。好子、無機質な歩き方で上手に去る)それではわたしはこれで……あ、そのパーソナリティーモジュールはとっていった方がいいですよ。脱走した旧式のアンドロイドとまちがわれます。それほどよくできていますよ、そのモジュール。パルスまでオンダの旧式といっしょ。その若さで、それだけのスキルをお持ちなら、将来はいいメカニックになれますよ。
進一 ありがとう……。
まり子 進ちゃん器用だもんね、そういうの作らせると。
進一 こんな器用さ、なんにもなんないよ。
まり子 でも、そのおかげで、好子ちゃんパニくることもなく、ここまで来ることができたんじゃない。そうでしょ?
所長 そうですよCPUの暴走したアンドロイドは、ブレーキの壊れた自動車を、オートを解除して酔っぱらいが運転するようなもんですからね。それに、なによりあの子を優しくいたわってくださったことが嬉しゅうございましたよ。それでは、わたしはこれで。
所長去る。進一、はずしたモジュールをもてあましている。
進一 何が嬉しいだ。こんなものただのまやかしじゃないか!(モジュールを投げ捨てようとする)
まり子 進ちゃん……!
進一 ……ごめん。これじゃ、歴史で習った二十一世紀の高校生といっしょだよね(モジュールの電源をおとし、ポケットにしまう)
まり子 さ、帰りましょ。またあの踏切をわたって、あの優しい街を通って……(まり子、そっとカバンを差し出す。一瞬ためらって、進一そのカバンを受け取る)
進一 このメモリアルタウンのように、割り切りゃよかったんだよね(好子の手をとる)そうしたら好子にあんな負担かけなくてすんだんだ。この街のディレクター、ぼくの叔母さんなんだ。よくわきまえてるよね。よくできてるけど、バーチャルなんだってとこ隠してないもんね。やろうと思えば、できたのにね!
まり子 痛い。いつまで握ってんのよ。
進一 あ、ごめん。
まり子 さ、行くわよ。
踏切をわたりかけると、所長がもどってきて声をかける。
所長 よかった、間にあった!
進一 まだなにか?
所長 メモリーをいくつか交換すれば直りますよ。
進一 え……?
所長 今、スキャナーをかけたとこなんですけどディフェンサーがメモリーをよく護っていて、修理可能なことが分かりました。むろん、あちこちガタがきてるんで、相当なオーバーホールにはなりますが。
進一 本当ですか!?
所長 我々も驚いてます。あの子のCPUは、意志が強い、生きようとする意志が。
まり子 好子ちゃんのCPUが……。
所長 外からの刺激です。つまり、周囲の人たちの刺激がうまく働いて、ディフェンサーを初期設定以上に強力にしたんです!。
進一 刺激というと……。
所長 友情とか愛情とかですよ……あなたたちの。
進一 愛情……。
まり子 直してあげてください、ぜひ! ね、進ちゃん(進一の手を握る)
所長 一応お父さま、お母さまのご意志も確認させてもらいますが、ひと月ほどお預かりすればいいでしょう。
進一 お願いします。ありがとうございました!
所長 申し上げておきますが、今度はアンドロイドとして扱ってやってください。それがあの子にとっても自然なんです。そちらで設定された無理なメモリーは消去しておきますから。それじや(去る)
まり子 よかったね、進ちゃん。
進一 うん、いつまで握ってんの(まり子あわてて手を放す)さあ、帰ろうか。
まり子 よかったら、こっちのほうが近いよ。
進一 メモリアルタウンを通って帰りたいんだ。
まり子 そうだったね。
進一 ごめんね。
まり子 うん。いいよ。気持ちわかるから。
進一 よし、じゃあ、あの郵便ポストまで競争しようか。負けたほうがタイ焼きおごるんだ。閉鎖になったら食べられないからね。
まり子 いいの? 足の長さ見ても勝負見えてるよ。それにわたし陸上部だし。
進一 いいんだよ。ただ走ってみたいだけ!
まり子 タイ焼き、ごちそうさま。
進一 いくぞ。よーい……ドン!
まり子 ピューン……(フリーズしてしまう)
進一 ……まりちゃん……まさか、まりちゃんもアンドロイド?
まり子 ハハハハ、うっそぴょーん。ちょっと驚かしただけ。
進一 まりちゃん、そりゃないよ。おれ、死ぬほどびっくりしたよ。おれ、心臓弱いんだからさ。ねえ、ちょっと待ってたら!
まり子 ここまでおいで! アハハハ……。
進一 まりちゃん、待ってたらあ……!
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二人上手に駆け込む。下手から里香子がマイクを持ってあらわれる。
里香子 いかがでしたでしょうか。このメモリアルタウンをめぐる、小さなエピソード。ささやかではありますが、このお話の中には、この二十二世紀がかかえる心の問題が見え隠れしているように思えます。二十一世紀からこちら、さまざまなものがバーチャル化していく中で、けしてバーチャルにしてはいけないものがある。そういう思いでわたしたちメモリアルタウン制作委員会は、この町を造りあげました。そして最後にこのドラマを……しかし、残念ながら……(こみ上げてくるものをねじ伏せて)前世紀からいっこうに改善されない財政状況の中で、この町は事業仕分けされ、消えていこうとしています。会場のお客様にはモデムの故障で、町の様子をごらんいただけませんでしたが、なにか一つでも心の中に、あなただけのメモリアルタウンが芽吹いてきたのなら幸いです。テレビをご覧になっていただいた視聴者のみな様、会場のみな様に厚く御礼を申し上げます。では、これで失礼いたします。本日は、ほんとうにありがとうございました。(深々と頭を下げる)
間、下手からチャコがあらわれる。
チャコ おつかれさまでした(ぞろぞろとキャストたち「おつかれさま」と声をかけながら集まる)はい、タクシーチケット。それから、お弁当食べない人は始末しますからね。
所長 この局の弁当サイアクなんだもんね。
まり子 じゃ、わたしもらってかえりますね。落ち目の役者なもんで。
所長 またまた、三本もレギュラーもってんのに。
まり子 三本とも、ワンクールだけっすよ。
所長 進一君、あんたよかったわよ。今度うちから、オファーくるようにしたげようか。
チャコ やりー!
進一 どうも……。
チャコ よかったね、プロになれるかもよ。わたしブースに行ってます(去る)
所長 じゃ、おつかれぇ……。
まり子 あのオバチャン口だけだからね。
所長 なんか言った!?
まり子 いいえ、口もとがとてもおきれいだから、どこのルージュを……。
所長 ふん……。(去る)
まり子 福井さーん!(追いかけて、去る)
好子 じゃ、わたしも、これで……進一君。
進一 うん?
好子 ……なんでもない(去る)
進一 叔母さん。ほんとうに好子には会えるんだろうね?
里香子 大丈夫よ。この番組、数字は二十はかたいから。
進一 ロボットアーカイブスを出てから、好子の足どりが……。
里香子 だいじょうぶ。進ちゃんだって迫真の演技だったもの。
進一 ぼくは演技じゃないよ。現実のことなんだから。この再現ドラマにでることで……叔母さん……NOBCの力を信じて。
里香子 好子ちゃんを、あんなふうにプログラムしたのも、わたしが、お姉さんと進ちゃんの情にほだされてのことだったんだから。ねえ、ヤマちゃん!……あとは運だけど、大丈夫よ。
進一 信じて待つよ。ヤマさんもよろしく! じゃあ……。
里香子 進ちゃん。
進一 はい?
里香子 ……なんでもない。
進一 ほんとに、ほんとにだいじょうぶなんだよね!?
里香子 だいじょうぶよ!!
進一 じゃあ……よろしく(去りぎわに、入れ違いに入ってきた好子とぶつかりそうになる)じゃまだよ、亜里砂!
好子 亜里砂だって……やっぱり、だめなんだ。
里香子 あやうく喋っちゃうとこだったわよ。
好子 すみません……ヤマさんも!
里香子 どうして自分から言わないの「わたしが、ほんとの好子」だって。
好子 わたし、マスクが替わっただけなんですよ。そのせいで声も少し変わったけど、中味は「好子」のまんま。だのに進一君、ぜんぜん気がつかない……。
里香子 あなたもガンコね。ここへきてまだ賭けにこだわってるの?
好子 もう賭けじゃないんです。
里香子 じゃあ。
好子 わかったんです。進一君の求めているのは、亡くなった妹「好子」の姿形をしたお人形なんです。それほどヤマさんの腕がすごかったってことでもあるんですけど。
ヤマさんのくしゃみ。
里香子 ヤマちゃん、くしゃみするときはインカムのスイッチ切ってよね。
好子 わたし、アンドロイドだけど、お人形じゃないんです。
里香子 亜里砂さん。
好子 あ、その名前はやんぺです。便宜上の名前ですから。
里香子 じゃあ、なんて呼んだらいいの?
好子 うーん……ノラ。
里香子 ノラ……イプセンの?
ノラ さあ、いま一万回演算してでてきた名前なんです。ピエール・ノラ、ノラ・ジョーンズ、ノラ・スウィンバーン、ノラ・ミャオなんてのが検索されました。みんな、そこそこの学者やアーティストだけど、脈絡はありません。古典演劇で検索すると……出てきましたね。イプセン「人形の家」主人公ノラ。うん?……野良犬、野良猫の「ノラ」もありますね。
里香子 ノラロボット?
二人 アハハハ……。
里香子 って、まさか本気?
ノラ さあ……でも、どうやらわたしにも深層心理みたいなものがあるようです。われながらびっくりです。これに気づかせてくれたのは……皮肉なアンビバレンツ……。
チャコが、荷物をかついでやってくる。
チャコ あ、わたし、一度局にもどりますけど。里香子先輩どうします?
里香子 わたし、もう少しここにいる。ヤマちゃん、モデムおとさないでね。
チャコ こんなバーチャルじゃなくって、リアルのほうにいらっしゃればいいのに。
里香子 タンカきって辞めてきた身だからね。今さら、見納めでございって顔なんか出せないわよ。あら、その小汚い靴は?
チャコ 進一君の靴。
ノラ 進一君の靴!?(チャコと同時に)
チャコ そうなんですよ。楽屋のスリッパで帰ったみたい。彼んちの近くにADの鈴木君がいるから、届けてもらおうって思ってます。でも制服は着たまま……。
里香子 靴を忘れていくなんて、深層心理でここにもどってきたいって気持ちなんだな。好子ちゃんとの思い出がつまったこの場所に。
ノラ 古典的なフロイトの心理学ですね。
里香子 古典をばかにしちゃいけません。ばかにした結果がこの二十二世紀なんだから。
ノラ ばかになんかしてません。あの衣装のまんま帰ったところにも彼の心理が働いていると……わたし、着替えて……里香子さんに少しつき合ってからにします。
チャコ じゃ、わたしお先に。里香子先輩、亜里砂さん。
里香子 あ、今日からね彼女……。
ノラ いえ、いいんです。おつかれさま。
チャコ おつかれさま。さあ、明日は八時に現場だ。新しいお仕事よこんにちは……(上手に去る)
里香子 古いお仕事よさようなら……ハハ、「桜の園」の幕切れみたいね。
木を切り倒す音が遠くに響く。
ノラ やっと、音響、復旧したみたいですね。
里香子 やめてよ、ヤマちゃん。わたしをラネーフスカヤにしたいの? だったら、あんたはフィールスのじいさんよ! 「ええ、この……できそこねえめが……!」ってぼやいて、だれもいない屋敷に閉じこめられんのよ……。
ノラ ラネーフスカヤでもいいから、ここから出て行けって、ヤマさんの謎かけですね。
里香子 ラネーフスカヤは、没落貴族で未来はないのよ。
ノラ それは暗示です。チェーホフもそこまでは書いていません。
里香子 それって慰め? わたしってこれでも文学部の演劇科なのよ。
ノラ でも、書かれていないというこは、可能性があるということです。
チャコが駆けこんでくる。
チャコ 雨降ってきちゃった。里香子先輩。ドラマ局長が搬入口でお待ちです。
里香子 島田さんが、雨の中を?
チャコ なんでも、緊急に次ぎの企画、相談したいって。
ノラ ね、結末は最後までわかりません。
里香子 うまいわね、乗せるのが。じゃ、あなたもいっしょにいかない。チャコちゃん、車、正面に回ってもらうようにいってもらえない?
チャコ ドラマ局長をタクシーがわり! さすが里香子先輩! この音なんですか?
里香子 ヤマちゃんがわたしのハートにクサビを打ち込んでいる音。
チャコ それって……。
ノラ アハハハ……。
里香子 バカ、変な想像するんじゃありません。まだまだ修行がたりないわよ。
チャコ ヘヘ、わたしまだまだガキンチョだから。じゃ(上手に去る)
里香子 じゃ、着替えましょうか。いつまでも高校生のなりじゃね。
ノラ ええ、でも着替えたら、わたしは他のとこへいきます。
里香子 なにか、あてでもあるの?
ノラ いいえ……。
里香子 この雨の中を?
ノラ やまない雨はありません。この雨は明け方にはやみます。そのあと東の方に虹が出ます。とりあえず、そっちのほうに行ってみます。
里香子 そうなんだ……じゃ、これ持って行って。濡れるといけないから(ボールペンのような 傘をわたす)
ノラ まあ、ハナソニックのバーチャルアンブレラ。
里香子 駆けだしのころから使ってたお古だけど。これだと両手が空くから。
ノラ あ、これ、パーソナリティーモジュール兼ねてる……オーナーは……里香子さん!?
里香子 脱走したアンドロイドに間違われたら困るでしょ。一応名義だけね。
ノラ ありがとうございます……パッ!(本体は胸ポケットにしまい、開いた傘を見上げる)
里香子 擬音いり?
ノラ だって、開いたって実感がないでしょ……うん、なかなかいいですね(本体を取り出し)パシュッ(傘を閉じ、胸ポケットに)じゃ、着替えに行きましょうか。
里香子 うん。
里香子、しばらく名残惜しそうにメモリアルタウンを見まわす。
里香子 わたしは、なんのためにバーチャルにこだわってきたんだろう……。
ノラ それは……何のために生きているのかと同じ問いかけですね……人は人でいられるかって……。
里香子 それがわかったら、それがわかったらね……。
ノラ 里香子さん……。
里香子 ……ワーッ!!(叫ぶ)
ノラ …………。
里香子 さっぱりした!
ノラ ほんとうに?
里香子 ……行きましょうか。
ノラ ……ええ。
上手に去る里香子とノラ。木を切り倒す音フェードアップするうちに幕。
※ ▼~▲の部分から●~●を引き、里香子とチャコの声による擬音を効果音に替えると、四人の短編劇『好子』としても上演できます。
上演される場合は下記までご連絡ください。
【作者情報】《作者名》大橋むつお《住所》〒581-0866 大阪府八尾市東山本新町6-5-2
《電話》0729-99-7635《電算通信》oh-kyoko@mercury.sannet.ne.jp
大橋むつお
時 百年後
所 関西州と名を改めた大阪
登場人物
好子 十七歳くらい
ロボット うだつの上がらない青年風
まり子 好子の友人
所長 ロボットアーカイブスの女性所長
里香子 アナウンサー(元メモリアルタウンのディレクター)
チャコ アシスタントディレクター
遠く踏み切りと電車の音。かすかに懐かしい街のさんざめき。それらの音の中、幕あくと。みごとに何もない。ややあって里香子が百年前の女子高生の制服にマイクを持ち、無対象の自転車を曳いてあらわれ、舞台奥で自転車を止める。カシャンとスタンドをたてる音がする。
里香子 テスト、テスト……ワン、ツー。ワン、ツー……マイクオーケー。カメラさんいいかなあ……2カメさんテカってない……オーケーね。(無対象で店のシャッターを開け、自販機で缶コーヒーを買う)あとは……3D用のモデムのチェック。
ADのチャコが息を切らせてやってくる。携帯端末(以下ポッド)を手に、里香子同様の制服姿。
チャコ 先輩! 里香子先輩! 大変、大変!
里香子 どうしたの。リボン曲がってるよ。
チャコ モデムがいかれちゃって(携帯端末をミラーモードにして、リボンを直す)
里香子 え。じゃあサーバーと切れてんの?
チャコ いま、ヤマさんが必死で直してます。
里香子 だって舞台はちゃんと……(客席への階段を数段降りてみる)あ、やだー、まるっきりの裸舞台じゃん!(舞台にもどる)でも、舞台じゃちゃんと見えてるわよ。
チャコ 舞台用のモデムは生きてるんです。
里香子 あげる(缶コーヒーをチャコに渡し、携帯によく似たポッドを出す)ヤマちゃん、直せる……わかった。
チャコ でも先輩、なんでわたしたちまでこんなコスプレしなきゃいけないんですか。
里香子 しかたないでしょ。制作費安いんだから。それにロードしてるセットはメモリアルタウンのだから、規定で昔のコスじゃないと入れないの。
チャコ でも、もうナニされるんでしょ、ここ……。
里香子 どうせ出戻りの局アナ。でもね、このメモリアルタウンには命かけたのよ。
チャコ わたし、好きですよ。この百年前の町。
里香子 ちょっとチグハグなとこもあるけどね。モデルが、「サザエさん」と「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」それにちょこっと「おかみさん、時間ですよ!」
チャコ わたし、それ知りません。
里香子 ほら、あそこの煙突。「松ノ湯」って書いてあるでしょ。
チャコ ああ……煙突にだれか登ってますね。
里香子 ああ、堺正章。その向こうに「じゃりン子チエ」の横丁があるの。大阪も東京も埼玉もごっちゃ。
チャコ 埼玉って?
里香子 ああ、今は関東州に飲み込まれてる。ここいらも昔は大阪府っていったんだよ。
チャコ 地歴で習いました。八十年前に関西州になったんですよね。
里香子 この制服ね、百年前に廃校になった大阪府立商業の制服なんだよ。
チャコ 名門校だったんですね。
里香子 わたしのひい婆ちゃんが通ってたの。で、そのころの写メをもとにレプリカつくったの。シックで評判よかったんだよ。もっとも、廃校になってからだけどね。いいものは止めてから評価されるってか(無意識に缶コーヒーを取り、飲む)ん……ごめん。
チャコ あ、いいえ。でも、なんか乙女チックになりますね。どうして評価しなかったかなあ、これを。でも、これ着て、あの大阪弁てへんてこな言葉使ってたんですね。「なに言うてはりまんねん。いてこましたろか」(アクセントがめちゃくちゃ)
二人 アハハハ……(チャコ、飲んでみて空、ため息をついて空き缶をゴミ箱に捨てる)
里香子 道州制になってから、方言ってなくなっちゃったからね。
チャコ 里香子先輩、そろそろ時間ですよ(ポッドで確認)
里香子 ヤマちゃん、まだ? え、舞台のモデムと交換!? だめだよ、こっちは規格が違うし……前の失敗が今度の企画に? 笑えないよ、それって。それに、こっちまでいかれたら役者が動けなくなっちゃうよ。え、お客さんのポッドでモデムに? そんな高性能なポッド持ってる人なんかいない……。
チャコ あ、音響もアウトだって!
里香子 え、音響も!?
チャコ どうすんですか?
里香子 音響をアカペラで……?
チャコ それって……。
里香子 その方が風情が……もう、なんだと思ってんのよアナウンサーを!
チャコ 先輩。二十秒前!
里香子 あの子、いえ、役者にも言っといてね。
チャコ はい、じゃあ。グッドラック!(チャコ、里香子の真剣な目に気づき黙礼して去る)
里香子 あ、十秒前(さっと会場を見渡す)五、四、三、二……みなさんこんにちは。司会の武藤里香子です。このたびメモリアルタウンからこのNOBCにもどってまいりました。NOBC、なんの略称かご存じでしょうか、ニホン、オオサカ、バンバチョウノ、チョウナイカイ……ハハハ、ウソですよ。でもこのシャレの中には、今では死語になった大阪という地名が入っています。この二十二世紀、私たち日本人は前世紀に多くの苦難を乗り越えて、新しい文化を手に入れました。スカイツリーに始まり、リニア新幹線、多目的携帯端末Jポッド。本日は、私どもの不手際でモデムが故障しまして会場のみなさんには何もない裸舞台に見えていると思います。まことに申しわけございません。もし最新型のJポッドXをお持ちの方がいらっしゃいましたら、NOBCにコネクトしてくださいませ。この懐かしの昭和や平成の町並みを再現しましたメモリアルタウンの舞台をご覧になれます。テレビをごらんのみなさんには中継車のモデムが生きておりますので、きれいな3Dの映像が届いていると存じます。さて……私たちが二十二世紀になって手に入れたものにロボット、アンドロイドがございます。皆さんの中にもアンドロイドといっしょにご覧の方もいらっしゃるかと存じます。この新しいパートナーは私たちの生活を助けてくれ、また癒してもくれます。しかし、私たちはこの新しいパートナーとの関係をまだ十分には築けていないのではないでしょうか。昨今ロボットやアンドロイドをめぐってのトラブルが増えてきました。そこにはわたしたちが便利さや快適さと引き替えに、前世紀に置き忘れてきた何かを象徴するものがあるような気がします。そんな問題というか、心のトゲを、実話をもとに、劇場中継という放送の原点に立ち返えり、このメモリアルタウンを舞台に再現してみました。会場の皆さん。テレビをごらんの皆さんもごいっしょにお考えいただければ幸いです(礼をして退場)
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上手から好子が現れる。百年前のセーラー服を着ている、舞台中央あたりまで来ると、カバンとポニーテールをぶんまわして振り返る。顔が怖い。上手から、レトロな機械の音をさせて、ロボットが現れる。一見ふつうのウダツのあがらない青年風であるが、腕に旧式ロボットであることを示すセキュリティーを兼ねたアームバンド型のパーソナリティーモジュールをしている。
好子 ったく。人より遅いロボットなんて聞いたことないよ!
ロボ ソンナコト言ッタッテ、ポンコツナンダカラ、ボクハ。
好子 そんな弱気でいるから、ますますポンコツになってしまうんじゃない。しゃきっとしなさいよしゃきっと。
ロボ ダッテ、アッチコッチ、ガタガキタカラ、仕方ナイヨ。膝ノ間接は、ベアリングガ減ッチャッテルシ。シリンダーカラオイルハ漏レテルシ。バッテリーは六十パーセントシカチャージデキナイシ。アイカメラハ、レンズニカビガ生エテルシ。腰ノボルトハヒズンデシマッテ、歩クタンビニイヤナ音ガスル。人工皮膚モ、アチコチ剥ゲテ、ミットモナイッタラアリャシナイ。ダイタイ、モトハト言エバ、オーナータル好子クンガ、手入レヤ、メンテナンスヲ怠ッタカラデアッテ、コレハロボットオヨビアンドロイド愛護法ノ精神ノナンタルカヲ理解シテイナイカラデ……。
好子 それだけしゃべれて、どこがポンコツなのよ。
ロボ 言語サーキット一番ジョウブ。ボディーノポンコツ関係ナイ。好子モヨクシャベル。
好子 よけいなお世話。わたしがしゃべるのは必要があるからよ。
ロボ コナイダモ、マリチャント電話デ三時間二十五分三秒モシャベッテタ。アレ、ナンノ必要カ?
好子 友達のこととか、いろいろ大事な話があるの!
ロボ 大事ナ話、直接会イニイケバイイ。マリチャンチハ歩イテ五分。走ッテ二分二十秒。
好子 電話むきの大事な話もあるの。
ロボ ソレナラ立体電話ニスレバイイ。
好子 あれは通話料が高いから、遠慮してんの。お父さんに悪いでしょ。
ロボ NTTコドモガ、コドモムキノ安い立体電話ハジメタノ知ッテルクセニ。
好子 でも、ふつうのポッドの三割増しよ。やっぱ公務員の娘としては考えちゃうでしょ。
ロボ ノンノンノン、知ッテルヨ。コノゴロ普通ノポッドノ方ガハヤッテルノ。
好子 わたしは……。
ロボ 立体電話で長話スルト、ボロガデチャウノヨネ。思ワズ、ハナクソホジッタリ、水虫カイタリ、寝ッコロガッテ行儀ワルクシタラ、パンツガ見エタリ。ソウイウミットモナイトコ見ラレズニ長電話シタイダケナノヨネ。
好子 あのね……。
この時、遠くから好子を呼ぶ声
まり子 好子~!
ロボ ア、ウワサヲスレバ……。
好子 まりちゃん!
まり子 よかった、追いついて。好子んちへ行ったら、ロボくんと外へ出たっていうから。
好子 うん。
まり子 たぶんここかなって。あ、好子の浪速女学院のコス! ロボくんはわたしと同じ大阪府立商業だ! ハハ、一番人気だもんね。ロボくん後ろ姿見せて。うんいいなあ、やっぱ府立商業は。いよいよ……?
好子 え?
ロボ イヨイヨ?
好子 なんでもないよ、なんでも……。
間
ロボ フフフ……。
好子 なによ?
ロボ ポッドナラ、アンナニシャベルノニ。
まり子 そうね……。
好子 ……なにか話そうか?
まり子 え、いいよべつに……。
ロボ ヘンナノ……。
まり子 ちょっと顔が見たくなっただけだから。
ロボ 二人トモヘンダ……。
二人 そう?
ロボ ソウダヨ。
まり子 わたし、一回りしてくるわ。もう来月は閉鎖だから、ここ。じゃあね、ばいばい。
ロボ バイバイ……。
好子 ……。
気づかわしげにロボに視線を残しながら、走り去るまり子。しばらく黙って歩く。
ロボ ナツカシイマチダネ……。
好子 うん?……メモリアルタウンだからね。
ロボ エ?
好子 二十世紀の街の姿が、わりによく残ってるんで、二年前に大幅に手を加えて野外博物館にしたの。あの電柱とかブロック塀とか……ほら、あのお店とかあっちのお店のバリアーね「シャッター」っていうんだよ。鉄でできてて、開け閉めのときは、ガラガラってレトロな音がするんだ。道ばたの大きな箱みたいなのは自動販売機っていってね、お金入れないと商品がでてこないんだ。だから、ここに入るときは百年前のコスプレ。
ロボ ワカッテルヨ、ソウジャナクテ……(自販機で缶コーヒーを二つ買う)チャリン、チャリン。ポン、ゴトゴト。ポン、ゴトゴト。ン(缶コーヒーを渡す)
好子 ありがと。
ロボ プシュツ。ココ、野外博物館ニナル前ニ……好子ト初メテ歩イタ道ダヨ。
好子 ほんと? プシュツ。
ロボ ……忘レタ?
好子 えーと……。
ロボ オ母サンモ、イッショダッタ。ソノトキボクニ名前ツケテクレタンダヨ。オ母サンハ、タケシニシヨウッテ言ッタンダケド。好子ガ、マワラナイ舌デ「ロボクンガイイ」ッテ決メタンダ。即物的デ、マンマノ名前。ナンテ想像力ノナイガキ……子ダト思ッタ。
好子 悪かったわね。
ロボ デモ、今ハ気ニイッテル。人型ロボットノ出ダシノコロダッタカラ、「ロボクン」テ名前ニハ、好子ノ夢ト憧レガ詰マッテルンダ。
好子 そうだったんだ。ずっと子供のころのことだからね。
ロボ マアネ……アノトキハ、今トハ逆ニ、ムコウカラコッチニ歩イテキタンダケドネ。
好子 ……むこうから、こっちへ……。
ロボ 思イ出シタ?
好子 うん……。
●
上手からエキストラになった里香子とチャコがキャーキャーいいながらくる。
里香子 ようし、ここでジャンケンだ!
チャコ ええ、まだ電柱一本分あるよ。
里香子 ちゃんと数えてたんだからね。
チャコ もう一本あるって!
里香子 ちゃんとGPSで数えてんだからね。
チャコ あ、それ反則!
里香子 ちがうよ、これ二十一世紀のスマホなんだからね。
チャコ ちぇ、仕方ないなあ。
里香子 いくぞぅ!
二人 最初はグー。ジャンケンポン!
チャコ わあ、勝った!
里香子 くそ、やぶ蛇かよ。
チャコ よろしくね(二人分のカバンとサブバッグを渡す)
里香子 最後に負けたら、タイ焼きおごるんだからね!
チャコ はいはい、負けたらね。
二人下手に駆け去る。見送る二人。
●
ロボ カシャン(空き缶を捨てる)
好子 少し……カシャン(空き缶を捨てる)思い出した。……きっといいことがあった後なんだよね。夕日を背に受けて、ながーい影を踏みっこしながら……家に帰ったんだ。
ロボ ソウダヨ。
好子 入院かなんか……してたんだっけ、わたし?
ロボ 思イダシタ?
好子 ……だめ、そこまで。だって、とっても小さいときのことなんだもん。でしょ?
ロボ ウン……マアネ。
好子 わたし無意識のうちにこの道を選んでいたのね……ほかに近道もあったのに。
ロボ ドウシテ?
好子 さあ……。
ロボ サア?
好子 だって、わかんないから無意識って言うんじゃないよ!
下手端、里香子とチャコが現れ、チャルメラと、犬の遠吠えを器用に口で真似る。
ロボ コノ街ヲ維持スルノ大変ナンダロウネ。
好子 そうよ。あの犬なんて、純粋の雑種なのよ(皆ずっこける)なにがおかしいのよ。
ロボ 純粋ノ雑種……非論理的ダ。
好子 想像力のない頭してんのね。
ロボ 安物ノCPU使ッテルンダモン。
再び、犬の遠吠え、チャルメラの音。里香子、チャコ去る。
好子 その電柱の脇に積んであるダミーのゴミ袋なんか、中味までちゃんとその時代のゴミが入ってんのよ。はみ出してる割り箸とか、カップ麺のカップとか、このためにわざわざ作ったんだって。
ロボ デモソコマデシテ残サナケレバナラナイモノ?
好子 ぬくもりがいるのよ人間には……。
ロボ ヌクモリ?
好子 たとえば……使い古したカバンを捨てずに残したり。こわれた人形や、片方しかないピアスをとっといたりするじゃない。そういうものって一見無駄なんだけど、自分のアイデンティティーを持ち続けるためには必要なのよ。
ロボ ソウナンダ。デモ、ココ、モウジキ閉鎖サレルンダヨネ。
好子 うん、去年の事業仕分けで決まっちゃった。
ロボ デモ、イボジ、キレジ、ダッコウ、ダッコウ……(壊れたレコードのようにバグるロボ。好子、ロボの頭をたたき回復)ハナヂ、アカジ、赤字ナンダロ、ココ。
好子 赤字でも、残さなきゃならないものだってあるよ。
ロボ ソウナノカイ?
好子 ロボットだってそうでしょ。ほんとうは歩いたり、しゃべったり、それにふさわしい機能さえあればいいのに、ことさら人間風に皮膚をつけたり髪の毛つけたりして、疑似感情まで持たせてアンドロイドにしたじゃん。それは、その方がぬくもりがあって安心……どうしたの?
ロボ、身をよじるようなバグ、キューキューと悲しげな音がする。
ロボ コレジャ、ヌクモリモ安心モ感ジナイヨネ(自分のボディーを示す)
好子 そんなことないよ。そんなこと!
ロボ ジョーダン、ジョーダン。チョットスネテミセタダケ。
好子 もう!
ロボ チョット、ソンナニ速ク歩ケナイッテバ。
好子 だって、ロボットでしょ!
ロボ ポンコツナノ。
好子 ポンコツだってロボットでしょ!
ロボ アノネ……。
好子 わたし、すねたり、弱音はいたりするやつだいっきらい! 人でもロボットでも!
ロボ 好子ォ……。
好子 くやしかったら、わたしを追いこしてみなさいよ!(駆けだす)
ロボ チョ、チョット、好子!
好子 ポンコツの意気地なしロボット!
ロボ 好子!
好子 あいた!(転んで膝をすりむく)
ロボ 一人で起きられる?
好子 子どもじゃないわよ……アタタ。
ロボ ジャ、先イソゴウカ。
好子 ちょっと、そんなに早く歩けないってば……。
ロボ ハハハ、ドウダ、サッキトサカサマ。
好子 ハハハ、ほんとだ。ここ、地道のままだから、石ころなんかむきだしなのよね。
ロボ 道のセイニシテル。
好子 じゃ、なんのせい?
ロボ 重心ガアガッタセイジャナイ?
好子 重心……それって?
ロボ 足の裏ノ単位面積アタリニカカル重量ノ増加トイウカ……。
好子 失礼ね。太ってなんかないわよ。わたしってば……このごろ、なんでもないとこでつまづいたりするのよね。
ロボ それって……。
好子 ヘヘ、わたしって悩める乙女だもんね。
ロボ 悩メルオカメ……。
好子 こいつ!
ロボ 好子怒ッタ!
そばを自動車が通る音(マイクで里香子とチャコ)
ロボ レトロナタイプダッタネ。
好子 日産フェアレディーZロードスター。超クラッシックカー。レプリカだけどね。
ロボ チガウヨ。
好子 え?
ロボ 助手席ニ乗ッテタアンドロイド……型オチダケド、イイ男ップリ。
好子 そうだった?
ロボ 赤イブルゾンガ粋ダッタ。
好子 うそ。赤いチョッキ。ブルゾンは運転してた女の人。
ロボ フフ、シッカリ見テタンダ。
好子 たいしたアンドロイドじゃないわよ。型オチだし。だいいち目鼻立ちができすぎていて、あれじゃ、冗談のひとつも言えないよ。
ロボ 好子はイイ子ダネ。
好子 ロボ……
ロボ コノ先イクト、ロボットアーカイブス……ダネ。
好子 ……知ってたんだ。
ロボ 新型ロボット、アンドロイドノ展示販売。オヨビ、中古ロボット、アンドロイドノ引キ取リト解体リサイクル。
好子 言わないで。
ロボ イソゴウ。
好子 待って、もうちょっと待って……。
ロボ 風邪ヒクヨ……ハックション!(ティッシュを出し、大きな音をさせて鼻をかむ)
好子 ロボくん、芸がこまかい。
ロボ オッ、オイルガモレテル(ティッシュを見る)サ、オイルガキレナイウチニイコウ。
歩き出す二人。例の二人、マイクで電車と遮断機の音を出す。この間、ロボと好子は互いに声高に言いあっているが、電車の轟音で聞こえない。やがて、踏切が開く。
ロボ ナニ言ッテタノ?
好子 ……べつに。ロボクンは?
ロボ ベツニ……デモ、少シ伝ワッタヨウナ気ガスル。
好子 そう……?
ロボ ココヲ渡ッテ、スコシ行クト、コノ町モオシマイダネ。
好子 あ、今度は下りだ。
再び、警報機が鳴り、電車が通過する。再び怒鳴るように会話する二人。電車通り過ぎ、踏切が開く。肩で息をする二人。
好子 ……とってもパワフルな会話だったわね。
ロボ モッカイヤル?
好子 よーし!
ロボ ヨーシ!
好子 三回もやったらバカでしょ。
ロボ ズコ(ずっこける)
踏切を渡る二人。二三歩進んでどちらともなく立ち止まる。
好子 この街から出たくない。
ロボ イツマデモ、ココニ居ルワケニハイカナイヨ。
好子 (ポッドを取り出し)ロボくんのパルスってダサイんだよね。古典で習ったスナップの「宇宙に一つだけの花」みたいなんだよね。
ロボ ボク二世代前ノ、アンドロイドトモイエナイロボットダカラ。コンナ、アームバンドミタイナパーソナリティーモジュ-ル。
好子 このモジュール、耳をあてるとかすかだけど聞こえるんだよね。ポッドでモニターしたのより、ずっと……(ロボのモジュ-ルに耳をあてている)
ロボ ヤサシイ?
好子 ダサイ。
ロボ ズコ(ずっこける)
好子 小さいころから聞いてるから、もう耳についちゃった。わたしって、かわいすぎるから。これくらいのダサイパルスで中和すると、ちょうどいいんだよね。
二人 ハハハ……。
好子 わたし、もうロボットもアンドロイドも買わないからね。
ロボ 無理スンナヨ。ボクヨリイイアンドロイド見ツケレバイイ。
好子 だって、もういやだ。こんなお別れ……。
ロボ 人間ダッテイツカハ死ヌ。ロボットダッテ同ジ。人モロボットモ、オタガイタスケアイ、思イアッテ生キテイクンダ。ソノトキソノトキ、セイイッパイ生キテ、ソシテイツカ別レノ日ガヤッテクル。ソノ日マデ、ミンナ宇宙ニ一ツダケノ花デイレバイインダヨ。ソモソモ人生トイウノハ……。
好子 ハハ、やっぱ、ダサイ。入学式の校長先生の話みたいだよ。
ロボ 好子ンチハ、家族ミンナ寂シガリダカラ……気ハヤサシクテ、チカラモチノアンドロイドガ必要ダネ。ソウシナヨ。
好子 そうね。とびっきりカッコよくて、男っぷりのいいアンドロイドにするわ。鼻筋が通って、声は品のいいバリトン。休みの日には白馬に二人乗りして、湖のほとりを散歩すんの。そいで、宿題みんなやってくれて、お掃除、洗濯、お買い物、ぜーんぶしてくれて。アルバイトも行ってくれて、月に百万くらい稼いでくれる! そんなアンドロイドが……いいわけないじゃん! 人もアンドロイドも見せかけのカッコよさじゃないわ。たとえ短足で、ぶさいくでも、いっしょに暮らして、心が通いあってることが大切なんじゃない。そんなアンドロイド……ロボットは、ロボくん一人しかいないんだもん。わたしにも、お母さんにも、ロボくん一人しかいないんだもん……!
ロボ 好子チャン……。
好子 なーんちゃってね。ね、けっこう感動的なクライマックスになったじゃん。あたし、演劇部に入ろうかなあ。それとも、そこらへんのオーディション受けまくって、アイドルにでもなっちゃおうかしら。正体不明の新人アイドル相保好子! 清純にして可憐。しかし、その瞳には世の男性をとりこにして止まない小悪魔のかがやきが! その底知れぬ彼女の本性やいかに!? そのときは、ロボくん。きみがわたしの付き人になって、ファンからのヤマほどのプレゼント両手にかかえて……かかえてくれるあなたはもういないのよ……ロボくん……ハハハ、どうしてわたしは、こう情緒不安定なのよ……。
ロボットアーカイブスの所長が、あらわれる。
所長 昼間お電話のあった相保さんですね。
好子 は、はい。
所長 登録IDを、お見せいただけますか。
好子 はい、これです(ポケットからIDカードを出し、所長にわたす)
所長 (IDカードを、コンソールにかける)シリアスナンバー183699……のアンドロイドの廃棄をご希望なんですね。(カードを受け取って、逃げるように所長の側を離れる好子)
好子 …………。
所長 お電話では、そううけたまわっておりますが。
ロボ ハイ、廃棄デス。アチコチ寿命ガキテ、ポンコツナモンデスカラ。
好子 スクラップですか?
所長 しかたありませんね。ここまで旧式だと。
ロボ ナルベクヤサシクオネガイ……シマス。
所長 いいわよ(好子に)よろしいですね。
好子 …………。
ロボ 好子……。
好子 ロボくん……。
所長 では、ロボくんむこうへ。
ロボ ハイ(所長に示された上手方向に歩き出す)
好子 ロボくん!
好子、思わずロボに駆け寄ろうとする。所長の前を通ったとき、所長はコンソールを好子の首にあてる。「ピューン」と電子音をさせて、そのままの姿でフリーズ。進一、つまり今までのロボ、ゆっくり振り返る。その動きは人間のそれである。
進一(いままでのロボ) 好子……。
所長 終わりました。
まり子、息を切らせてやってくる。
まり子 進ちゃん……。
進一 終わったよ。
進一、好子のまぶたを閉じてやる。
進一 最後まで、自分を人間だと思って……人間として、ぼくを心配し続けてくれた。CPUの限界を超えて、胸を痛め続け、心配し続け、混乱し……。
所長、コンソールのボタンを押す。好子は楽な姿勢になり、カバンを落とし機械的に前を向く。目も開くが、そこにはもう光はない。
所長 無理だったんですよ(カバンを拾う)人間としてセッティングすることは。この子はアンドロイドなんですから、アンドロイドとしてつき合ってやらなくっちゃ。とくにこの子は、人を思いやるメンタルモジュ-ルを容量以上に増幅してしまっていますから、メインのCPUが暴走寸前でしたよ。すでに、そのひずみがムーブメントやスタビライザーに影響を与えはじめてます。ときどき転んだりしたんじゃないですか?
進一 母が、亡くなった妹に似せてセットアップしたあと、メモリーを細工して人間と思いこませたんです。
所長 お母さんがなさったんですか?
進一 叔母の同僚がメカニックなんで、頼んでやってもらいました。
所長 困るんですよね、そういう違法な改造は。三年前、お買いあげていただいたときにも申し上げたはずですよ。大事につきあってやれば、十年はもつ子ですから(カバンを差し出す。受け取れない進一。代わりにまり子が受け取りに行く)
まり子 好子ちゃん泣いてるよ……。
所長 いま初期化したんで、涙腺にたまっていた水分が自然に流れ出てるんです。それにしても涙の多い子ですね(ハンカチで涙をぬぐってやる)
進一 好子……。
まり子 その……ス、スクラップにされるんですか、好子ちゃん?
所長 使えるパーツは下取りさせていただきます。ご希望のパーツがありましたら、お渡ししますよ。マスクとか、ハンドとか……。
進一 ……いいです。
所長 では廃棄処理する前に最終のスキャニングしますんで(コンソールをテレフォンモードにして)三番のハンガー空いてるわよね。いま一体送るからスキャニングお願いね。
所長、好子に向けてコンソールのボタンを押す。好子、無機質にふりかえる。
好子 アッチョンプリケ。アッチョンプリケ。アッチョンプリケ……(無機質なバグ)
所長 ごめんなさい、ボタンの押しまちがい(ボタンを押しなおす。好子、無機質な歩き方で上手に去る)それではわたしはこれで……あ、そのパーソナリティーモジュールはとっていった方がいいですよ。脱走した旧式のアンドロイドとまちがわれます。それほどよくできていますよ、そのモジュール。パルスまでオンダの旧式といっしょ。その若さで、それだけのスキルをお持ちなら、将来はいいメカニックになれますよ。
進一 ありがとう……。
まり子 進ちゃん器用だもんね、そういうの作らせると。
進一 こんな器用さ、なんにもなんないよ。
まり子 でも、そのおかげで、好子ちゃんパニくることもなく、ここまで来ることができたんじゃない。そうでしょ?
所長 そうですよCPUの暴走したアンドロイドは、ブレーキの壊れた自動車を、オートを解除して酔っぱらいが運転するようなもんですからね。それに、なによりあの子を優しくいたわってくださったことが嬉しゅうございましたよ。それでは、わたしはこれで。
所長去る。進一、はずしたモジュールをもてあましている。
進一 何が嬉しいだ。こんなものただのまやかしじゃないか!(モジュールを投げ捨てようとする)
まり子 進ちゃん……!
進一 ……ごめん。これじゃ、歴史で習った二十一世紀の高校生といっしょだよね(モジュールの電源をおとし、ポケットにしまう)
まり子 さ、帰りましょ。またあの踏切をわたって、あの優しい街を通って……(まり子、そっとカバンを差し出す。一瞬ためらって、進一そのカバンを受け取る)
進一 このメモリアルタウンのように、割り切りゃよかったんだよね(好子の手をとる)そうしたら好子にあんな負担かけなくてすんだんだ。この街のディレクター、ぼくの叔母さんなんだ。よくわきまえてるよね。よくできてるけど、バーチャルなんだってとこ隠してないもんね。やろうと思えば、できたのにね!
まり子 痛い。いつまで握ってんのよ。
進一 あ、ごめん。
まり子 さ、行くわよ。
踏切をわたりかけると、所長がもどってきて声をかける。
所長 よかった、間にあった!
進一 まだなにか?
所長 メモリーをいくつか交換すれば直りますよ。
進一 え……?
所長 今、スキャナーをかけたとこなんですけどディフェンサーがメモリーをよく護っていて、修理可能なことが分かりました。むろん、あちこちガタがきてるんで、相当なオーバーホールにはなりますが。
進一 本当ですか!?
所長 我々も驚いてます。あの子のCPUは、意志が強い、生きようとする意志が。
まり子 好子ちゃんのCPUが……。
所長 外からの刺激です。つまり、周囲の人たちの刺激がうまく働いて、ディフェンサーを初期設定以上に強力にしたんです!。
進一 刺激というと……。
所長 友情とか愛情とかですよ……あなたたちの。
進一 愛情……。
まり子 直してあげてください、ぜひ! ね、進ちゃん(進一の手を握る)
所長 一応お父さま、お母さまのご意志も確認させてもらいますが、ひと月ほどお預かりすればいいでしょう。
進一 お願いします。ありがとうございました!
所長 申し上げておきますが、今度はアンドロイドとして扱ってやってください。それがあの子にとっても自然なんです。そちらで設定された無理なメモリーは消去しておきますから。それじや(去る)
まり子 よかったね、進ちゃん。
進一 うん、いつまで握ってんの(まり子あわてて手を放す)さあ、帰ろうか。
まり子 よかったら、こっちのほうが近いよ。
進一 メモリアルタウンを通って帰りたいんだ。
まり子 そうだったね。
進一 ごめんね。
まり子 うん。いいよ。気持ちわかるから。
進一 よし、じゃあ、あの郵便ポストまで競争しようか。負けたほうがタイ焼きおごるんだ。閉鎖になったら食べられないからね。
まり子 いいの? 足の長さ見ても勝負見えてるよ。それにわたし陸上部だし。
進一 いいんだよ。ただ走ってみたいだけ!
まり子 タイ焼き、ごちそうさま。
進一 いくぞ。よーい……ドン!
まり子 ピューン……(フリーズしてしまう)
進一 ……まりちゃん……まさか、まりちゃんもアンドロイド?
まり子 ハハハハ、うっそぴょーん。ちょっと驚かしただけ。
進一 まりちゃん、そりゃないよ。おれ、死ぬほどびっくりしたよ。おれ、心臓弱いんだからさ。ねえ、ちょっと待ってたら!
まり子 ここまでおいで! アハハハ……。
進一 まりちゃん、待ってたらあ……!
▲
二人上手に駆け込む。下手から里香子がマイクを持ってあらわれる。
里香子 いかがでしたでしょうか。このメモリアルタウンをめぐる、小さなエピソード。ささやかではありますが、このお話の中には、この二十二世紀がかかえる心の問題が見え隠れしているように思えます。二十一世紀からこちら、さまざまなものがバーチャル化していく中で、けしてバーチャルにしてはいけないものがある。そういう思いでわたしたちメモリアルタウン制作委員会は、この町を造りあげました。そして最後にこのドラマを……しかし、残念ながら……(こみ上げてくるものをねじ伏せて)前世紀からいっこうに改善されない財政状況の中で、この町は事業仕分けされ、消えていこうとしています。会場のお客様にはモデムの故障で、町の様子をごらんいただけませんでしたが、なにか一つでも心の中に、あなただけのメモリアルタウンが芽吹いてきたのなら幸いです。テレビをご覧になっていただいた視聴者のみな様、会場のみな様に厚く御礼を申し上げます。では、これで失礼いたします。本日は、ほんとうにありがとうございました。(深々と頭を下げる)
間、下手からチャコがあらわれる。
チャコ おつかれさまでした(ぞろぞろとキャストたち「おつかれさま」と声をかけながら集まる)はい、タクシーチケット。それから、お弁当食べない人は始末しますからね。
所長 この局の弁当サイアクなんだもんね。
まり子 じゃ、わたしもらってかえりますね。落ち目の役者なもんで。
所長 またまた、三本もレギュラーもってんのに。
まり子 三本とも、ワンクールだけっすよ。
所長 進一君、あんたよかったわよ。今度うちから、オファーくるようにしたげようか。
チャコ やりー!
進一 どうも……。
チャコ よかったね、プロになれるかもよ。わたしブースに行ってます(去る)
所長 じゃ、おつかれぇ……。
まり子 あのオバチャン口だけだからね。
所長 なんか言った!?
まり子 いいえ、口もとがとてもおきれいだから、どこのルージュを……。
所長 ふん……。(去る)
まり子 福井さーん!(追いかけて、去る)
好子 じゃ、わたしも、これで……進一君。
進一 うん?
好子 ……なんでもない(去る)
進一 叔母さん。ほんとうに好子には会えるんだろうね?
里香子 大丈夫よ。この番組、数字は二十はかたいから。
進一 ロボットアーカイブスを出てから、好子の足どりが……。
里香子 だいじょうぶ。進ちゃんだって迫真の演技だったもの。
進一 ぼくは演技じゃないよ。現実のことなんだから。この再現ドラマにでることで……叔母さん……NOBCの力を信じて。
里香子 好子ちゃんを、あんなふうにプログラムしたのも、わたしが、お姉さんと進ちゃんの情にほだされてのことだったんだから。ねえ、ヤマちゃん!……あとは運だけど、大丈夫よ。
進一 信じて待つよ。ヤマさんもよろしく! じゃあ……。
里香子 進ちゃん。
進一 はい?
里香子 ……なんでもない。
進一 ほんとに、ほんとにだいじょうぶなんだよね!?
里香子 だいじょうぶよ!!
進一 じゃあ……よろしく(去りぎわに、入れ違いに入ってきた好子とぶつかりそうになる)じゃまだよ、亜里砂!
好子 亜里砂だって……やっぱり、だめなんだ。
里香子 あやうく喋っちゃうとこだったわよ。
好子 すみません……ヤマさんも!
里香子 どうして自分から言わないの「わたしが、ほんとの好子」だって。
好子 わたし、マスクが替わっただけなんですよ。そのせいで声も少し変わったけど、中味は「好子」のまんま。だのに進一君、ぜんぜん気がつかない……。
里香子 あなたもガンコね。ここへきてまだ賭けにこだわってるの?
好子 もう賭けじゃないんです。
里香子 じゃあ。
好子 わかったんです。進一君の求めているのは、亡くなった妹「好子」の姿形をしたお人形なんです。それほどヤマさんの腕がすごかったってことでもあるんですけど。
ヤマさんのくしゃみ。
里香子 ヤマちゃん、くしゃみするときはインカムのスイッチ切ってよね。
好子 わたし、アンドロイドだけど、お人形じゃないんです。
里香子 亜里砂さん。
好子 あ、その名前はやんぺです。便宜上の名前ですから。
里香子 じゃあ、なんて呼んだらいいの?
好子 うーん……ノラ。
里香子 ノラ……イプセンの?
ノラ さあ、いま一万回演算してでてきた名前なんです。ピエール・ノラ、ノラ・ジョーンズ、ノラ・スウィンバーン、ノラ・ミャオなんてのが検索されました。みんな、そこそこの学者やアーティストだけど、脈絡はありません。古典演劇で検索すると……出てきましたね。イプセン「人形の家」主人公ノラ。うん?……野良犬、野良猫の「ノラ」もありますね。
里香子 ノラロボット?
二人 アハハハ……。
里香子 って、まさか本気?
ノラ さあ……でも、どうやらわたしにも深層心理みたいなものがあるようです。われながらびっくりです。これに気づかせてくれたのは……皮肉なアンビバレンツ……。
チャコが、荷物をかついでやってくる。
チャコ あ、わたし、一度局にもどりますけど。里香子先輩どうします?
里香子 わたし、もう少しここにいる。ヤマちゃん、モデムおとさないでね。
チャコ こんなバーチャルじゃなくって、リアルのほうにいらっしゃればいいのに。
里香子 タンカきって辞めてきた身だからね。今さら、見納めでございって顔なんか出せないわよ。あら、その小汚い靴は?
チャコ 進一君の靴。
ノラ 進一君の靴!?(チャコと同時に)
チャコ そうなんですよ。楽屋のスリッパで帰ったみたい。彼んちの近くにADの鈴木君がいるから、届けてもらおうって思ってます。でも制服は着たまま……。
里香子 靴を忘れていくなんて、深層心理でここにもどってきたいって気持ちなんだな。好子ちゃんとの思い出がつまったこの場所に。
ノラ 古典的なフロイトの心理学ですね。
里香子 古典をばかにしちゃいけません。ばかにした結果がこの二十二世紀なんだから。
ノラ ばかになんかしてません。あの衣装のまんま帰ったところにも彼の心理が働いていると……わたし、着替えて……里香子さんに少しつき合ってからにします。
チャコ じゃ、わたしお先に。里香子先輩、亜里砂さん。
里香子 あ、今日からね彼女……。
ノラ いえ、いいんです。おつかれさま。
チャコ おつかれさま。さあ、明日は八時に現場だ。新しいお仕事よこんにちは……(上手に去る)
里香子 古いお仕事よさようなら……ハハ、「桜の園」の幕切れみたいね。
木を切り倒す音が遠くに響く。
ノラ やっと、音響、復旧したみたいですね。
里香子 やめてよ、ヤマちゃん。わたしをラネーフスカヤにしたいの? だったら、あんたはフィールスのじいさんよ! 「ええ、この……できそこねえめが……!」ってぼやいて、だれもいない屋敷に閉じこめられんのよ……。
ノラ ラネーフスカヤでもいいから、ここから出て行けって、ヤマさんの謎かけですね。
里香子 ラネーフスカヤは、没落貴族で未来はないのよ。
ノラ それは暗示です。チェーホフもそこまでは書いていません。
里香子 それって慰め? わたしってこれでも文学部の演劇科なのよ。
ノラ でも、書かれていないというこは、可能性があるということです。
チャコが駆けこんでくる。
チャコ 雨降ってきちゃった。里香子先輩。ドラマ局長が搬入口でお待ちです。
里香子 島田さんが、雨の中を?
チャコ なんでも、緊急に次ぎの企画、相談したいって。
ノラ ね、結末は最後までわかりません。
里香子 うまいわね、乗せるのが。じゃ、あなたもいっしょにいかない。チャコちゃん、車、正面に回ってもらうようにいってもらえない?
チャコ ドラマ局長をタクシーがわり! さすが里香子先輩! この音なんですか?
里香子 ヤマちゃんがわたしのハートにクサビを打ち込んでいる音。
チャコ それって……。
ノラ アハハハ……。
里香子 バカ、変な想像するんじゃありません。まだまだ修行がたりないわよ。
チャコ ヘヘ、わたしまだまだガキンチョだから。じゃ(上手に去る)
里香子 じゃ、着替えましょうか。いつまでも高校生のなりじゃね。
ノラ ええ、でも着替えたら、わたしは他のとこへいきます。
里香子 なにか、あてでもあるの?
ノラ いいえ……。
里香子 この雨の中を?
ノラ やまない雨はありません。この雨は明け方にはやみます。そのあと東の方に虹が出ます。とりあえず、そっちのほうに行ってみます。
里香子 そうなんだ……じゃ、これ持って行って。濡れるといけないから(ボールペンのような 傘をわたす)
ノラ まあ、ハナソニックのバーチャルアンブレラ。
里香子 駆けだしのころから使ってたお古だけど。これだと両手が空くから。
ノラ あ、これ、パーソナリティーモジュール兼ねてる……オーナーは……里香子さん!?
里香子 脱走したアンドロイドに間違われたら困るでしょ。一応名義だけね。
ノラ ありがとうございます……パッ!(本体は胸ポケットにしまい、開いた傘を見上げる)
里香子 擬音いり?
ノラ だって、開いたって実感がないでしょ……うん、なかなかいいですね(本体を取り出し)パシュッ(傘を閉じ、胸ポケットに)じゃ、着替えに行きましょうか。
里香子 うん。
里香子、しばらく名残惜しそうにメモリアルタウンを見まわす。
里香子 わたしは、なんのためにバーチャルにこだわってきたんだろう……。
ノラ それは……何のために生きているのかと同じ問いかけですね……人は人でいられるかって……。
里香子 それがわかったら、それがわかったらね……。
ノラ 里香子さん……。
里香子 ……ワーッ!!(叫ぶ)
ノラ …………。
里香子 さっぱりした!
ノラ ほんとうに?
里香子 ……行きましょうか。
ノラ ……ええ。
上手に去る里香子とノラ。木を切り倒す音フェードアップするうちに幕。
※ ▼~▲の部分から●~●を引き、里香子とチャコの声による擬音を効果音に替えると、四人の短編劇『好子』としても上演できます。
上演される場合は下記までご連絡ください。
【作者情報】《作者名》大橋むつお《住所》〒581-0866 大阪府八尾市東山本新町6-5-2
《電話》0729-99-7635《電算通信》oh-kyoko@mercury.sannet.ne.jp