大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

乙女と栞と小姫山・53『風立ちぬ・いざ生きめやも』 

2020-05-22 06:25:14 | 小説6

乙女小姫山・53
『風立ちぬ・いざ生きめやも』    

 

 

 

 男は暗い決心をした……こいつのせいだ。

 そして、これは千載一遇のチャンスだ。

「ほんとうにありがとう。新曲発売になったら、よろしくね!」
 そう言って、栞たちメンバーはバスに乗り込もうとした。
「すみません。せっかくだから記念写真撮ってもらっていいですか!?」

 ハーーーーイ!

 元気のいい声がいっせいにした。ここまでは織り込み済みである。いわばカーテンコール。

 まずは、メンバーと生徒たちがグランドに集まって集合写真。それからは気に入ったメンバーと生徒たちで写真の撮りっこ。
「どうも、ありがとう。がんばってくださいね!」
 そんな言葉を五度ほど聞いて、わずかの間栞は一人になった。
「ごめん、鈴木君」
 めずらしく苗字で呼ばれて、笑顔で栞は振り返った。

 その直後、栞は、顔と、思わず庇った右手に激痛を感じた。
「キャー!!」
 痛さのあまり、栞は地面を転がり回った。左目は見えない。やっと庇った右目には、自分のコスから白煙が上がり、右手が焼けただれているのが分かった。そして、白衣にビーカーを持って笑っている、その男の姿が。
「バケツの水!」
 スタッフで一番機敏な金子さんが叫び、三人ほどに頭から水をかけられた。その間に、他のスタッフが、ホースで水をかけ続けてくれた。
「その男捕まえて! 救急車呼んで、警察も! これは硫酸だ、とにかく水をかけ続けろ!」
 金子さんは、そう言いながら自分もホースの水に打たれながら、コスを脱がせてくれた。
「栞、右の目みえるか!?」
「……はい」
 そう返事して栞は気を失った。

 気がつくと、時間が止まっていた……走り回るスタッフ、パニックになるメンバーや生徒たち。
 救急車が来たようで、救急隊員の人が、開き掛かけたドアから半身を覗かせている。
 パトカーの到着が一瞬早かったようで、白衣の男は警官によって拘束されていた。

 その男は……旧担任の中谷だった。

 噂では、教育センターでの研修が終わり、某校で、指導教官がついて現場での研修に入っていると聞いていた。それが、まさか、この口縄坂高校だったとは。

 中谷は、憎しみの目で栞を見ていた。栞は、思わず顔を背けた。本当は逃げ出したかったんだけど、金子さんが、硫酸のついたコスを引きちぎっているところで、それが、カチカチになっていて身を動かすこともできない。時間が止まるって、こういうことなんだと、妙に納得しかけたとき、フッと体が自由になった。
「イテ!」
 勢いでズッコケた栞はオデコを地面に打ちつけた。

「ごめんなさい先輩……」

 数メートル先に、さくやがションボリと立っていた。
「さくや、喋れるの……って、さくやだけ、どうして動いているの?」

「時間を止めたのは、わたしなんです」
「え……」
「もう少し早く気づいていたら、こうなる前に止められたんですけど。マヌケですみません」
「さくや……」

 そのとき、ピンクのワンピースを着た女の人が近づいてきた。

「あ、さくやのお姉さん……」
「ごめんなさいね、栞さん。とりあえず、そのヤケドと服をなんとかしましょう」

 お姉さんが、弧を描くように手を回すと、ヤケドも服ももとに戻った。

「これは……」
「わたしは、学校の近くの神社。そこの主、石長比売(イワナガヒメ)です。この子は妹の木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)です。この春に乙女先生が、お参りにこられ、その願いが本物であることに感動したんです。そして、わたしは希望を、サクヤは憧れをもち、人間として小姫山高校に入ったんです」
「先輩や、乙女先生のおかげで、とても楽しい高校生活が送れました。本当にありがとう」
 さくやの目から涙がこぼれた。
「時間を止めるなんて、荒技をやったので、もうサクヤは人間ではいられません。小姫山ももう少し見届けたかったんですけど、もう大丈夫。校長先生や乙女先生がいます。学校はシステムじゃない、人です。だから、もう大丈夫……じゃ、少し時間を巻き戻して、わたしたちはこれで」

 お姉さんとさくやが寄り添った。そして時間が巻き戻された。

「ウ、ウワー! アチチチ!」

 オッサンの叫び声がした。

 ビーカーの破片が散らばり白い煙と刺激臭がした。どうやら白衣のオッサンが、硫酸かなにかの劇薬をビーカーに入れて、転んだようである。幸い薬液が飛び散った方には人がいなく、コンクリートを焼いて、飛沫を浴びた中谷が顔や手に少しヤケドを負ったようで、大急ぎで水道に走っていった。
「おーい、MNBはバスに乗って!」
 金子さんに促され、メンバーは別れを惜しみながらバスに乗った。
「だれか、残ってませんか……?」
 栞は思わず声に出した。
「みんな、隣近所抜けてるのいないか?」
 そう言って、金子さんは二号車も確認に行った。
「OK、みんな揃ってる!」
 バスは、口縄坂高校のみんなに見送られて校門を出た。

 栞は、横に座っている七菜に軽い違和感を感じた。同じユニットの仲間なんだから、そこに居たのが七菜でおかしくはない。
「七菜さん、来るときもこの席でしたっけ?」
「え、たぶん……どうかした?」
「ううん、なんでも……」

 その日から、MNBのメンバーからも、希望ヶ丘高校の生徒名簿からも一人の名前が消えた。そして、その違和感は、栞の心に微かに残っただけで、それも、いつしかおぼろになっていく。

「風たちぬ……か、そろそろ夏かな」

 そう呟いて坂道を曲がった。

 校門の前には登校指導の乙女先生が叩き売りのように「おはよう!」を連呼している。

 小姫山の、いつもの朝が始まる……。


 乙女と栞と小姫山 第一部 完

 


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