時かける少女・58
本堂で留守番だと言われ、ホッとしたような寂しいような……。
お彼岸は、今日(9/23)を中日として、その前後三日間ずつで、今日がお寺としては、もっとも忙しい。 七日間で百件以上の檀家周りをこなさなければならず、お父さんと兄貴で、今日一日で20件ほど回る。光奈子もこの春に、本山で得度(坊主の資格)を受け釋妙慧(しゃくみょうえ)の法名もつけてもらった。檀家周りをさせてもらえる……させられる。という相反した気持ちがせめぎ合っていた。
「光奈子、おまえは、留守番。いいな」
お父さんに命ぜられた。
「たまに、お寺に彼岸まいりに来る人もいるからな」
兄貴が、付け加えた。
そんな人いるのかなあ。光奈子は分からなかった。なんといっても、去年まではフツーの女子高生で、クラブや、遊びに夢中で、稼業のお寺のことなど、ほとんど(今だって)素人だ。
一応法衣だけは着ている。Gパンでお経を唱えるわけにはいかないからだ。
十時前に、気配を感じて振り返ると、外陣の隅に、網田美保のナリをしたアミダさんがニコニコ座っていた。
「馬子にも衣装だね」
「なによ、冷やかしだったら帰ってくれる」
「ハハ、そりゃ無理な相談だな。ここが、あたしの家だもん。光奈子より古いんだよ」
「たしかにね。学校で見慣れてるから、ついね」
「修行が足りないわね。あたしはどこにでもいるのよ。得度のとき習ったでしょ」
そう、阿弥陀様は、世界中のどんな場所にでもいる……ことになっているが、あの女子高生のナリをしたアミダさんには、そういうありがたみは感じない。
「今日は。光奈子に、縁のある人が来るわよ」
美保が、そう言って消えるのと同時に、開け放した山門から、ゴロゴロのバアチャンカートを押しながら一人の婆さんがやってきた。
「よっこらしょっと……」
お婆ちゃんは、光奈子が手を引きに行く前に、ノコノコと本堂にあがってきた。
「あの……」
「あら、光奈子ちゃんじゃないのよ。あんたも得度したんだね。去年までは光男君だったけど……あら、あたしのこと、覚えてないの。まあ、無理もないね。最後に見たのは小学校に入ったばかりの報恩講のころだもんね」
「思い出した! 時任(ときとお)のオバアチャン!」
「そうだよ、あんたの名付け親……とは、おこがましいけどね。ま、この人に阿弥陀経でも一発お願いするよ」
時任のオバアチャンは、紙袋から写真と過去帳を出した。過去帳には四月七日に「釋善実 俗名・山野健一」と、一人分だけ書かれていた。光奈子は、その一人分の法名しか書かれていない過去帳をいぶかしく、思ったが、聞くのも失礼かと、思い、静かに阿弥陀経を唱えた。
振り返ると、光奈子と同い年ぐらいの女学生が、まだ手を合わせていた。お下げにセ-ラー服。今でも現役で通用しそうなナリだったが、受ける雰囲気は、今の時代のそれでは無かった。
「あら、昔の姿にもどっちゃった!」
女学生は、陽気な声を上げた。
「あなたは……」
「よかった、モンペじゃなくって。やっぱ、女学生はスカートでなくっちゃね」
女学生は、立ち上がりクルリと回って、スカートをひらめかせた。足は厚めの黒のストッキングみたくで、こんなナリは今時、学習院でもしないだろう。
「あら、ごめんなさい。わたし、時任湊子。あなたが生まれたときにね、善ちゃんに頼まれたの『孫の名付け親』になってやって欲しいって。まあ、はな垂れ小僧の善ちゃんだけど、立派なジイサン坊主になってるんだもんね。思いを伝えるために、付けたわ『光奈子』 ここの子は、みんな名前に『光』が付いているから、頭を絞ったの。字は違うけど『みなこ』」
「そうだったんだ」
「もう、わたしのことなんか忘れてくれてもいいんだけどね。こうやって、同じ呼び名で、こんないい娘さんになって……わたし、それだけでも幸せよ!」
「ミナコちゃん」
そう呼ばれて、二人とも振り返った。本堂の入り口に真っ白な制服を着た海上自衛隊……昔の海軍の軍人さんが立っていた。
「健一さん……」
「やっと、迎えにこられたよ」
「バカ、バカバカバカ! 七十二年も待たせて!」
湊子は、軍人さんの胸を叩いて泣き崩れた。
「ごめん、待たせて。でも湊子ちゃんには長生きしてもらいたかったし、こんなに可愛い尼さんの名付け親にもなってもらえたし。歳の分だけ、仕事はしたじゃないか」
「もう、どこへも行かないでね」
「当たり前じゃないか。そのためにやってきたんだから」
「やっと、わたしの健一さんになった……」
「そうだ、これから銀座にでも行こうか、それとも浅草でも」
「もう、古いんだから。わたし、原宿がいいな!」
「じゃ、取りあえず、原宿から……」
二人は、陽気な声で寺の山門をでていった、
「いやあ、今日は疲れた」
お父さんが、檀家周りを終えて、ビールを一杯ひっかけたところで電話がかかってきた。
「はい、正念寺でございますが……はい……はい、住職と変わります」
それは、地区の民生委員のおじさんからだった。朝、時任のオバアチャンがお寺(つまりウチ)に来ようとして、自宅の前で倒れた。直ぐに病院に運ばれたが、ついさっき息を引き取った。八方手を尽くしたが見寄が見つからないので、民生委員が立ち会い、自治会で葬儀をすることになった。ついては、導師をお願いしたいとの話であった。
「とりあえず、枕経だな」
「お父さん、あたしも付いていく!」
「……そうだな。光奈子の名付け親でもあるんだからな」
世の中に幽霊なんかは、存在しない。あるとすれば、その人の人生の残像。だから、切なく愛おしいんだ。