【母の自信作のところてん】
6月25日のブログ「ところてん」の話に触発され、
リベンジとも言える手作りに数十年ぶりにチャレンジした力作である。
“きなこ”しかないけど…と小袋を添えて
「ところてん・きなこ味」をすすめるところが
母らしいが、近所でこっそり“黒みつ”を
買い求め、さっそく食べてみた。
画像にもそのやわらかさがうまく映し出されたように、
寒天のしっかり感はなく、トロっとした食感が本当においしい。
また磯臭さもまったくなくて、ゼリーと蜜豆の中間のようなカンジである。
先日千葉に行った母がおみやげものやさんで見つけた「天草」を
購入してきたのだそうだ。
「今度はうまく作れる自信があるわ!」と言いきっていただけあって
以前よりも天草の量を少なくしてみたのだそうだ。
得体の知れないドロドロの“ところてんスライム”から、
こんなに美しいものへと変化したことに対して、
懐かしくも、数段にレベルアップした彼女の腕前と心意気に
なんだか感慨ひとしおである。
ひょんなことから思い出して、口に出したりしてみると
思いもかけず忘れていた扉が開いたり、
知らない世界が広がったり と人生あんがい面白い。
そんな日常のなにげないことからの発見こそ
大きな意味があったりする。
***************************
そして最近の私の発見。
こんな世知辛い、ドロドロした世の中でなんで生きていかなれば
ならないのだろうか、とふっと思ったら、
ふっと答えが返ってきた。
私たち人間は、泥の中でも咲く蓮の花のようになるまで
何度も生まれ変るのではないだろうか?
蓮は自分の周りがドロドロだからって嘆いたりしないだろう。
なんで私だけ、なんてひがんだりもしないだろう。
環境がどうであれ、ただひたすらに綺麗な花を咲かせる。
そんな私にいつか、なれるだろうか?
どんな時代でも、どんな環境でも精一杯生きられるようになった時
人間というひとつの課題をクリアしていくのだろう。
6月25日のブログ「ところてん」の話に触発され、
リベンジとも言える手作りに数十年ぶりにチャレンジした力作である。
“きなこ”しかないけど…と小袋を添えて
「ところてん・きなこ味」をすすめるところが
母らしいが、近所でこっそり“黒みつ”を
買い求め、さっそく食べてみた。
画像にもそのやわらかさがうまく映し出されたように、
寒天のしっかり感はなく、トロっとした食感が本当においしい。
また磯臭さもまったくなくて、ゼリーと蜜豆の中間のようなカンジである。
先日千葉に行った母がおみやげものやさんで見つけた「天草」を
購入してきたのだそうだ。
「今度はうまく作れる自信があるわ!」と言いきっていただけあって
以前よりも天草の量を少なくしてみたのだそうだ。
得体の知れないドロドロの“ところてんスライム”から、
こんなに美しいものへと変化したことに対して、
懐かしくも、数段にレベルアップした彼女の腕前と心意気に
なんだか感慨ひとしおである。
ひょんなことから思い出して、口に出したりしてみると
思いもかけず忘れていた扉が開いたり、
知らない世界が広がったり と人生あんがい面白い。
そんな日常のなにげないことからの発見こそ
大きな意味があったりする。
***************************
そして最近の私の発見。
こんな世知辛い、ドロドロした世の中でなんで生きていかなれば
ならないのだろうか、とふっと思ったら、
ふっと答えが返ってきた。
私たち人間は、泥の中でも咲く蓮の花のようになるまで
何度も生まれ変るのではないだろうか?
蓮は自分の周りがドロドロだからって嘆いたりしないだろう。
なんで私だけ、なんてひがんだりもしないだろう。
環境がどうであれ、ただひたすらに綺麗な花を咲かせる。
そんな私にいつか、なれるだろうか?
どんな時代でも、どんな環境でも精一杯生きられるようになった時
人間というひとつの課題をクリアしていくのだろう。