本当なら今日から仙台だった。
午前中から夜まで、ずっと個人セッションの予約が入り、
夜ごはんはtamaちゃんご夫妻と
一緒に食べる約束をしていた。
明日は「春爛漫 」イベントで
春の花をアレンジする
ライブパフォーマンスとトークショーのあと
みんなで夕食会の予定だった。
月曜日の春分の日は、
塩竃の海岸に行き、塩竃神社と
お寿司を食べに連れていってもらう予定だった。
・・・どれも叶わぬ「予定」となってしまった。
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刻々と明らかになり、変化し続ける現状に追われる日々の中
昨日、ふと思い出した。
そういえば、花のライブパフォーマンスで“菜の花”を使おうと思っていた。
こっちの野菜売り場で“菜の花”を買って咲かせておいて
仙台でも、野菜売り場で“菜の花”を買う。
東京で作った菜の花は手に入らないと思うけど、
仙台も宮城産とは限らないと思うけど、
関東地方の”菜の花”と、東北地方の“菜の花”を一緒にしよう!と
考えていたのだった。
そうだ、せめて“菜の花”の「予定」だけは実現させよう!
近所の八百屋さんで購入したのは
不思議なことに地震にあった時にいた、南房総産。
あの菜の花畑は、もうずっと昔のできごとのようだ。
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地震後、すぐにオーストラリアに住んでいるtatsuroに携帯からメールを送った。
便利な時代である。出先からでもすぐに連絡がとれる。
数日経ってスカイプで話をした。カメラをつければテレビ電話。
本当にありがたい時代である。
連日向こうでも日本のニュースが流れていて
みんなに心配されるのだという。
日本のテレビも見られるそうで、泣いているよ・・・という。
「帰ったほうがいい?帰ろうか?」と心配するから
「いいよ、帰っても何にもすることないから。
そっちで避難していたほうがいいよ。
こっちのことは心配しないで、しっかり勉強して
そして働いておいで。のびのびと楽しんでおいで。
そして、日本のために何ができるのか、考えておいで。
こういう経験を外で見ていたからこそ力を蓄えて
行動できることってあると思うよ。」と伝えた。
すると、スカイプを切った後言い足りないことがあったのか
しばらくしてチャットが入った。やりとりの中で、
満身創痍状態の日本だけど・・・と書いて送ったあとの原文、一部抜粋である。
tatsuro: バービィー(私の母のこと)たちの上の世代が頑張って
奇跡の早さで復興した国なんだから、そんなことない。
俺らがどうにかすんだこれから!だから今なんて生きしのぐだけでいい!
そのための準備だけはおこたっちゃあかん!今の時代できるんだから。
それはお母さんのお母さんのお母さんにも失礼な気がします。
コロも頼むよ!20年後、見とけよ母さん。
[23:38:06] shimizu kaoru: うんうん。ゼッタイ乗り越えるよ♪
[23:40:49] shimizu kaoru: 不屈の精神、ニッポンだから大丈夫!
[23:46:26] tatsuro: うん!!!たのむぜっ!!
コロにも今頼んどいた家族を守るように!!!
わかったってあいつ!!!!では自分でも非難道具と放射能調べておくんだよ!
なーぼー(妹のNAOKOのこと)とも情報シェアしてねーーー
バーイ。みんな大好き!!!!!!!!
・・・なんとも頼もしい答えが戻ってきた。
コロちゃんともテレパシー(?)で話をしたらしい。
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“菜の花”もきっと満開に咲くだろう。
またいつの日か「予定」が現実となる日を夢見て、今日も祈ろう♪