11月16日14:04
義母の所に行っていた時間。
ああ、もう行かなくていいんだ。
その慣れない時間に、まだボーとしています。
前回、ブログをアップして仕事に出かけたのですが、
仕事場に相方さんが現れたのが、13:00。
「施設から、家族に来てくれと連絡があった」。
駆けつけると、
義母は息も絶え絶えで、
「ああ、会えた」と目で言っています。
叔母が見舞いに行った時は、
それほど悪くなかったそうです。
ただ、叔母が手を握っているのに、
義母は他の手を握ろうとするかのように、
空中をまさぐったそうです。
それを見た医者が、
「家族に会いたいの?」と聞くと、義母は頷く。
ああ、もう行かなくていいんだ。
その慣れない時間に、まだボーとしています。
前回、ブログをアップして仕事に出かけたのですが、
仕事場に相方さんが現れたのが、13:00。
「施設から、家族に来てくれと連絡があった」。
駆けつけると、
義母は息も絶え絶えで、
「ああ、会えた」と目で言っています。
叔母が見舞いに行った時は、
それほど悪くなかったそうです。
ただ、叔母が手を握っているのに、
義母は他の手を握ろうとするかのように、
空中をまさぐったそうです。
それを見た医者が、
「家族に会いたいの?」と聞くと、義母は頷く。
「これが最期」とは言いきれない。
でも、医者の直感で連絡をくれたのです.
その後、呼吸困難に落ちて行ったそうです。
通常なら3時間で来れる所に住んでいる義妹。
ちょうどこの日から道路は凍結状態。
どれだけかかるか。
義母の呼吸が止まる時間が1分を越す。
義妹が着く前に母を逝かせてなるものか、
と皆で手を握り肩をさすり、
呼吸が止まる母を呼び起こす。
義妹が着いた時には、皆がほっとして、
涙でぐちゃぐちゃでした。
それから、家族で交替でつききり、
翌朝、5時20分、
義母は安らかに旅立ちました。
義父に迎えに来てもらって。
義父に迎えに来てもらって。
(私たちは、そう信じています)
この一週間、私にとって、
義母がどれほど大きな存在であったか、
改めて思い知らされています。
この一週間、私にとって、
義母がどれほど大きな存在であったか、
改めて思い知らされています。
義母は、口の上手な人ではありませんでした。
しかし、心の温かい人でした。
いつもまっすぐに私を見る目をしていました。
言葉が通じなくても、
お料理を教えてくれ、編み物を教えてくれ、
意地悪など言われたことがありません。
否定されたこともありません。
エーデルの仕事が決まったときには、
仕事の初日にエーデルに来てくれました。
私の娘、息子のセーターも編んでくれて、
驚きました。
さらに、私の娘が結婚すると聞いて
(子どもはできていません(#^.^#))、
なんと赤ちゃんのお包み、
カーデガンを編んでくれていたのです。
なんと赤ちゃんのお包み、
カーデガンを編んでくれていたのです。
脳梗塞を起こす前の最後の作品で、
作ってあることすら
私たちは、知りませんでした。
私の娘が妊娠したと聞いて、
何かしきりに言いたがる義母から、
義妹が見つけてくれたのです。
私の母が私たちに歌ってくれた「モーツァルトの子守歌」を
私と相方さんで演奏し録音したものを、
もうすぐ生まれ出てくる孫にと、送りました。
義母はそれを聞きながら、涙を流すのです。
まるで私の母もここにいるかのように、
一緒に泣きました。
また、彼女は、私の子どもや孫の写真や動画を
実に愛おしい目で見て喜んでくれるのです。
義父が亡くなってからは、がくんと体調も落ち、
本当につらい時間だったと思います。
本当につらい時間だったと思います。
言いたいことが言えなくて、泣く義母。
ノルウェー語がろくにできず、
言いたいことが言えない悔しさ・辛さを味わっていた私には、
彼女の気持ちが痛いほどわかりました。
だから、連想ゲームをするかのように
ヒントから探るのです。
結局わからなくても、
結局わからなくても、
笑顔になってくれました。
右腕が動かず、腕や手首の痛みが増すと、
体調だけでなく、
脳の働きにも影響することに気づき、
行くたびに腕のケアをしてきました。
行くたびに腕のケアをしてきました。
これは、私の母にもしてきたことです(岡先生の指導)。
コロナ期も
療法士さんが辞めた後もずっと。
その度、彼女は、ニコッと笑えるようになり、
帰り際に左手を振ってくれます。
施設のカフェに車椅子で行くと、
私がお年寄りのお友だちと話すのを
嬉しそうに見ています。
だんだん、私のノルウェー語でも
彼女に通じるようになり、
最後の引っ越しでは、
最後の引っ越しでは、
義妹の説得にも首を横に振っていたのに、
私と話して「引っ越す」と言ってくれました。
私と話して「引っ越す」と言ってくれました。
引っ越し後の急変に、
あれでよかったのかと思いめぐらしましたが、
実際最期を迎えて、
これでよかったのだ、
と確信しています。
私を心から信頼してくれた義母に、
涙があふれるばかりです。
日本生まれで日本育ちの私の中に、
理解できないこともあっただろうに。
私の方は、「なんであんな態度なんやろ」と
相方さんにぶつけたこともあります。
そんな未熟な私なのに。
「人を信頼する」とは、こういうことなんだ。
ノルウェーに来てから、
日本で当たり前にできたことができなくなり、
「私に何ができるの?」と
自信を無くしていた私。
「自信」をくれたのは、
私のことを信頼してくれる心だったのです。
私を受け入れ、私を信じてくれた。
私はこの心を
義父母から、
教えてもらっていたのだ、
教えてもらっていたのだ、
と今よくわかります。
今思えば、
私の父と母も同じ心でいてくれたのでしょう。
「あんた、今頃わかったんかいな」。
私の父母、義父母、
今頃は4人で笑っていることでしょう。
葬儀は、11月29日。
葬儀は、11月29日。
それまで、ゆっくりします。
こちらは、極夜に入りました。
11月19日14:11
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