私はあまりTVドラマを見ない。最近のドラマは原作がコミックであることが多く、そのためか演技が大げさで現実離れしているからである。しかし、TBSの「集団左遷」は見る気になった。そのわけは、題名の「集団左遷」から判断して、重厚な企業ドラマとして期待できそうなことと、出演者に福山雅治、香川照之などの芸達者が揃っていること。
その「集団左遷」の第3回までを見て、二つの点に違和感を持った。第一に、福山雅治の演技がコメディー風で、私の好みではないこと。10年ほど前の「ガリレオ」シリーズでの物理学者役の時は、いい役者だと思ったのだが・・・。しかし、これは主観の問題であり、そのような演技が今風なんだろうから、私がとやかくいう筋合いのことではない。
もう一つの違和感は、題名とストーリーがまったく関係ないこと。舞台は廃店になることが決まっている大手銀行の支店だが、そこに左遷されたのは福山雅治が演じる支店長だけだから、「集団」とは言えない。なぜ、こんな題名をつけたのか。
題名と内容が食い違ってはいるものの、ストーリーそのものは非常に面白い。そこで原作を読んでみることにした。すると、最初のページを読んだだけで、舞台は不動産会社であることがわかった。TVドラマでは、舞台は銀行だが・・・。しかし、原作は50人もの社員が同時に左遷される話だから、これは題名通りである。
さて、その文庫本を読むのに帯封が邪魔なので外してみると、帯封が2枚重なっているのに気付いた。これは異例のことである。そして、内側の帯封には「集団左遷」と「銀行支店長」という2冊の本の表紙カバーが並んでいて、“ドラマは銀行。小説は不動産。”とある(写真)。つまり、出版社である講談社は、「TVドラマの内容は小説とは違うぞ」と教えているのだ。
確かに本屋の売り場には、この二点が並んでいた。そして、私は迷わず「集団左遷」を選んだ。帯封の裏面を読めば、「銀行支店長」の方を選んだと思うが、写真にある帯封はもう一枚の帯封の下に隠れていたから、そのフレーズが目に止まるチャンスはなかった。
では、なぜTBSはドラマの題名を同じ著者の別の作品から流用したのか。それは、「銀行支店長」では迫力に欠けるからだろう。講談社は帯封で“ドラマは銀行。小説は不動産。”という情報を与えて、TVドラマのペテンをそれとなく知らせようとしたのである。
しかし、2枚目の帯封には“ドラマは銀行・・・”のフレーズが消えているから、講談社を良心的だと褒めるわけにはいかない。むしろ、ペテンの共犯者だと認識すべきである。
ではなぜ、講談社は帯封を2枚重ねる必要があったのか。それは、1枚目の帯封では、写真にあるように“2019年4月スタート”となっているが、2枚目の帯封では“4月21日スタート”として、放送開始日が確定したことを知らせたかったのだろう。
ともあれ、講談社とTBSの連携プレーは見事である。「銀行支店長」も読みたい気がするが、それでは二重に騙されることになるから、やめておく。せめてもの抵抗は、ドラマを録画して、CMを飛ばして見ることである。(笑い)
終
お知らせ
前回の「占領軍に強制された護憲思想」の中で、私は“戦後間もなくの頃は、産経新聞は存在していなかった”と書いた。これに対して、ある読者からブログのコメント欄に投稿する形で、「産経新聞には昭和8年の創業とある」というご指摘をいただいた。
これに対し、私は同じくコメント欄で次のように回答した。
「ご指摘の通り、産経新聞の創立は昭和8年ですが、当時は日本工業新聞と称し、本社は大阪でした。現在のような形での活動を開始したのは、昭和30年に東京の大手町に本社ビルを建てた時です」
この読者と同じ疑問を持った方はほかにもいるだろうし、過去の投稿のコメント欄を読む人はいないと思い、ここに質問と回答を転載する次第である。