新聞、テレビなどで、富山の病院で、
医師が末期患者の人工呼吸装置をはずして
死に至らしめた事件について大きく取り上げている。
この事件は、患者の家族が訴えたものでなく、
医師の勤務する病院長が看護師からの訴えをもとに調査した結果、
この医師の行った行為に問題があると判断して、発表したということだ。
院長の言うには、
☆複数の医師によって回復が臨めない状況であると繰り返し確認されること。
☆患者の意志が存在すること。
これらのことについて、問題があると感じたというのだ。
人の生と死についての考え方はそれぞれだ。
どんな状態でも(いわゆる植物状態でも)
生きていることは尊いと感じる人もいれば、
そんな状態で生きていることに意味がないと考える人もいる。
私個人の考えはどちらかといえば後者である。
さらにもっと突っ込んで、
私自身は、もし脳卒中等になり、(この可能性は高いのだが)
手術などの積極的治療を行ってもその時点の医療では
介護を必要とする重い後遺症が残ることが、ほぼ確実な時は
積極的な延命治療は行わないで欲しいと思っている。
しかしこれは私自身がそう思っているので、
私と同じように考えない人がいるのも当然である。
そして、その人に医師が私のように考えて、
勝手に人工呼吸器を外したりしては大問題である。
こういった問題が起こる時に患者の意志が確認できる状態であることはまずない。
私は、以前主治医に自分の意志を文書にしておくことの意味を尋ねた時、
文書にしておくことは大事であるといわれたので、
きちんと書いて、家族にもどこにおいてあるか告げてある。
医師が末期患者の人工呼吸装置をはずして
死に至らしめた事件について大きく取り上げている。
この事件は、患者の家族が訴えたものでなく、
医師の勤務する病院長が看護師からの訴えをもとに調査した結果、
この医師の行った行為に問題があると判断して、発表したということだ。
院長の言うには、
☆複数の医師によって回復が臨めない状況であると繰り返し確認されること。
☆患者の意志が存在すること。
これらのことについて、問題があると感じたというのだ。
人の生と死についての考え方はそれぞれだ。
どんな状態でも(いわゆる植物状態でも)
生きていることは尊いと感じる人もいれば、
そんな状態で生きていることに意味がないと考える人もいる。
私個人の考えはどちらかといえば後者である。
さらにもっと突っ込んで、
私自身は、もし脳卒中等になり、(この可能性は高いのだが)
手術などの積極的治療を行ってもその時点の医療では
介護を必要とする重い後遺症が残ることが、ほぼ確実な時は
積極的な延命治療は行わないで欲しいと思っている。
しかしこれは私自身がそう思っているので、
私と同じように考えない人がいるのも当然である。
そして、その人に医師が私のように考えて、
勝手に人工呼吸器を外したりしては大問題である。
こういった問題が起こる時に患者の意志が確認できる状態であることはまずない。
私は、以前主治医に自分の意志を文書にしておくことの意味を尋ねた時、
文書にしておくことは大事であるといわれたので、
きちんと書いて、家族にもどこにおいてあるか告げてある。