最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

センター2日目と義父の旅立ち

2006-01-23 10:56:38 | 脳梗塞

昨日は、あまりに色々忙しくブログどころではなかった。

1昨日、センター1日目を終えて帰宅した息子は
「あー!もうダメだ!英語で失敗しちゃった」
ともう半泣き。必死になってなだめて、
「もう今日のことは忘れてお風呂に入って寝なさい。明日また頑張れば大丈夫」
とこちらも、何とかなだめるのに必死だった。
そして、
「どうか今晩保ちますように!」
と義父の命があることを願った。

昨日朝、無事に息子を送り出してホッとしたところに病院より電話があった。
病院の入口に着くと息子から
「無事、会場到着」
のメールがあった。病室に着くと医師より
「呼吸数、心拍も落ちていてチアノーゼも出ているので、もう…」
という話、義母と夫が
「お父さん、来たからね!大丈夫だよ!」
と大声で言うと声が出た。
「あー、まだ大丈夫だ」
と言ったがその後すぐに心電図の波形が平らになって瞳孔も開いて臨終となった。

それからは、バタバタバタっともう、色々な連絡、決め事、
本当に目の回る忙しさだった。
すぐに霊安室から自宅に戻ったが、
日曜日であったので、お見舞いに来たら義父の死に目だった孫達、
子ども達に囲まれ、安らかな死に顔であった。

息子は、何も知らずにセンター試験を受け、
終わると、メールの知らせを見て慌てて帰ってきた。
義父が守ってくれたのか、
「今日の出来は最高だったよ、お祖父ちゃん!2次試験頑張るからね」
と線香をあげながら言っていた。

それにしても、義父は、もともと周りに気を遣う人だったが、
最後まで見事に一切人の世話にならずに旅立った。
しかも、「いまわのしおり」なるものをしたためてあり、
葬儀は子、孫、曾孫(持つことはできなかったので、娘と姪が謝っていた)、
自分とお連れ合いの兄弟などの近親者のみで行うように書いてあった。
辞世の歌までついていた。
★★★★★★★★★★★★
義父の辞世の歌

風雪も起伏も多き我が道に
     
      運と善意の光満ちたり

コメント (15)
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