最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

会話不能

2006-01-16 21:08:57 | 脳梗塞
義父はついに会話不能になってしまった。
口か喉の筋肉が麻痺しているのか、
こちらの言うことはわかるのに言葉をしゃべろうとすると
全く発音不明瞭で何を言っているのかわからない。
その上、肺が悪いせいで呼吸が常に荒く、
「フガフガ、ハアハア」といっているために
一生懸命話そうとする姿が痛々しい。

午後病院に行くと、病室に義母がいた。
義父が酸素マスクを無意識にはずしてしまうため、
手を拘束する許可書にサインさせられたと話した。
義父を見るとひじょうに苦しそうな顔をしている。
義母「何か言ってるんだけど、わからないのよね」
私 「お義父さん!どこか苦しいの?」
首を振る。
私 「どこか痛いの?」
うなずく。
私 「足?」
首を振る
義父「ふれ
私 「ふれ?ああ、腕?」
うなずく。
私 「縛っている手が痛いのね、わかった、わかった」
縛ってあった紐をほどくと、ホッとした顔をした。
私 「私たちがいる間は、酸素マスクをはずしちゃったら私たちがはめられるから、
   はずしておいても大丈夫ですよ」
義母「そう?」
真面目な義母は拘束許可書にサインしてしまったため、
触っては行けないと思ったようだ。
義父は、無理な格好で拘束されていたため、肘の関節を痛めてしまったようで
肘を触るとひどく痛がっていた。
拘束もやむを得ないとは思うが、話せない義父は意志が伝えられず可哀想だ。

看護師さんが点滴を変えに来ると、盛んに気にするので
私 「お義父さんのお薬の点滴ですよ」というと
義父「▼◇☆▲●□」(明らかに「そんなに悪いのか?」と言っていた)
私 「大丈夫、大丈夫。お薬を入れれば治りますよ」
義父… ちょっと安心した顔

肘を痛めた右手はすっかり動かさなくなってしまったので、
左手だけ緩く拘束して、看護師さんに話して帰ってきた。
コメント (4)
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