あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(前編)・高知その13

2006-10-03 19:13:00 | 初めての四国遍路
 第20日 2004年3月10日(水) 晴 <38番金剛福寺>
 =足摺岬へ到達=
 
 5時25分起床、6時朝食、軽くなったザックで6時41分に安宿
旅館を出る。いよいよ今日は足摺岬へ向かうのだ。

 川幅一杯に流れる下ノ加江川を渡り、鍵掛集落に入る。今日の
最高気温の予想は19度だが、朝はまだ風が冷たい。

 久万地の海岸沿いは常緑樹の大木が続く。足摺サンロードと
名付けられた国道321号、足摺岬まで27㎞の表示。

 久万地岬のあたり、下ノ加江海岸は、海蝕景観と呼ぶ浸食され
た岩礁が続く。

 人気民宿久百々の先で、「あしずり遍路道」と記された道標に
従い、へんろ道に入った。ミカンより黄色くて丸い、ポンカンがたわ
わに実る山間の静かな集落を抜ける。

 暖かくなったので、国道に戻る手前で厚手のシャツを脱ぐ。
以前から気づいていたが、高知の中高年女性は頭巾をかぶって
いる人が多く、この集落でも同様だ。

 双浜バス停先で次のへんろ道へ。また大きなアシタバが眼に入
る。蟻崎の国道をショートカットするように回り、浜垣の入口付近
に出た。左手眼下(南方)に、大岐の浜と呼ぶ砂浜が延びている。

 花崗岩の砂浜と、クロマツ、スダジイ、ウバメガシなどの保安林
だという。砂浜を見下ろすカーブで小休止して、砂浜に下りた。

 1.6kmあるという砂浜がへんろ道。乾いた砂なので、少しめり
込み歩きにくいが、足には優しい。潮騒を聞きながら、「椰子の実」、
「浜辺の歌」、「海」、「松原」など、海の唱歌を口づさみつつ砂浜を
進んだ。

 砂浜の末端で小さい流れをまたぎ、岩の間を下港山の集落に
上がり、さらに少しへんろ道が続く。

 以布利の町並みを見下ろす高台に出て、その町並みに下る。
この先で昼食の調達をしようと、街角にいた人に店の場所を聞き、
その方角に戻ったがない。3人目の奥さんから、この先、室津の
大漁屋がよいと教えてもらい安心した。

 以布利港の魚市場でせりが終わったのか、大勢の人たちが動
き出していた。漁港沿いに回り、石ころの多い砂浜を抜け、がけ
下からツバキなどの広葉樹林に入った。

 林の中を上り下りしてポンカン畑を抜ける。民宿久百々に泊まっ
たという2人づれの歩きへんろが、「休みませんか」と声をかけて
くれたので一緒に休憩する。

 軽装の1人は宿に荷を預け、今日、金剛福寺を打ち戻るという。
もう1人は奈良の人で、足摺岬から海岸沿いに進む予定とのこと
だった。
 
 再びへんろ道に入り、ヤブツバキや竹林などを抜けて県道へ戻
る。掛樋(かけひ)から冷たい水が流れていたので飲む。今日も波
静かな大海原を眺めながら、海岸線を進む。

 窪津に入ったら中央水産という魚の加工工場があった。

 かつお節にするのだろうか、湯気が上り、よい匂いのする蒸し
たてのカツオを、数人の女性が棚干しの棚に次々に積んでいる。
こういう作業を見るのも高知ならでは。初めて見たので大変興味
深かった。

 近くに、この辺では安政(1854~)の頃から、鯨を港に追い込ん
で生け捕りする漁をしていたことが記されていた。

 お目当ての大漁屋は小さい三差路にあった。新鮮な魚などを売っ
ている店で、サバに酢飯を詰めた魚弁当というのを買う。


 そばの室津岬は、急斜面をジグザグに上って窪津港を見下ろす
高台に出て、畑作地帯を進む。先生が引率し、たくさんフキノトウを
摘んだ小学生が20人余り来たので、挨拶を交わしながら行き違う。

 11時、雀の学校のチャイムが鳴る柳駄馬集落へ。細いくねくね
した県道を進むと、無料宿泊も出来るへんろ小屋があった。中に
いたご主人に勧められ、文旦をいただき休ませてもらう。

 先ほどの2人も前後して着き、自転車で遍路している東京の大学
4年生の女性も来て休む。女性ながらかなりの大荷物である。

 以前から気になっていて、ちょうどそばに咲いていた梅のような
花びらの桜についてご主人に聞いたら、実桜といってサクランボの
なる桜で、ソメイヨシノより早く咲くのだという。

 こんな狭い道に、シーズンになって観光バスが来たら、大変では
ないかとも聞いたら、「足摺岬へは稜線を走る足摺スカイライン経由
がほとんどだ」と教えてくれた。

 津留、大谷の集落も少しずつへんろ道を進む。土佐備長炭を焼く
窯があり、煙が上がっていた。その先も、何度かへんろ道と県道を
交互に進む。

 赤磐の県道横に雑草地があったので、ちょうど一緒だった奈良の
人と昼食をした。


 足摺岬にあと2km標識が出た。海ははるか下になり、県道は高
みを進む。両側を広葉樹林に覆われた狭い県道を進み、12時20
分、38番金剛福寺に着いた。

 広葉樹と松林の中の広い境内、本堂、大師堂のほか、幾つかの
建物と鐘楼があり、本堂の前に大きな弘法大師像が立っていた。

 参拝を終わり、納経所で御朱印をいただき、家族に記念品を買
う。納経所の人に、「遠かったでしょう」と言われた。

 「はい、遠かったです」と答えたら、歩き出してから500km余り、
はるかここまでよく歩いてこられたと感激が高まり、思わず涙が
あふれて止まらない。涙をこらえて山門を出た。

 寺の南側が足摺岬。展望台に上がったら、風が強くて菅笠が吹
き飛びそう。笠を抑えながらデジカメのシャッターを押した。


 宿に向かって西に進む。岬の周辺は、花は落ち始めたが見事な
ヤブツバキなどの広葉樹林が続き、その先は旅館や民宿などの
多い町並みとなる。風が強まり、沖合まで白波が立つのが見える。


 松尾集落のへんろ道を下り、急坂を上がって松尾小裏の三差路
に出た。入手していた宿のパンフレットに記載の地図はあいまいで、
右へ行くのか左なのかよく分からない。


 いったん左に進み、鵜ノ岬まで行ったが何の表示もない。でも、
鵜ノ岬から見下ろす海の展望は大変素晴らしかった。


 松尾小のそばまで戻り、電話しようとしたら、よその旅館の車が
止まって、「鵜ノ岬から100m先を入る」と教えてくれた。なるほど
そこまで行くと脇道があり、400mほど上がったら民宿青岬が
あった。

 広葉樹林に囲まれた一軒宿で自然が一杯。鉄筋づくりの建物は
新しくてきれい。早速風呂に入れてもらう。

 脱衣所に、「ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯」という句が
張ってある。翌朝、おかみさんが、「あれは山頭火の句ですよ」と
教えてくれた。入浴後、洗濯もする。

 夕食は18時から。若いおかみは地元料理というが、おすすめと
いうイカの姿煮のほか、カツオのたたき、アジの生け造り、鍋には
餃子、キムチ、エノキ、アサリ、うどんなどが入り、幾つかの皿に
アシタバが添えられている。

 途中あちこちで見ながら、どこの宿でも出してくれなかったアシ
タバがとうとう出た。生の葉だがおいしくいただきうれしかった。

 料理の下には、おかみさん自作の句を書いた半紙が敷いてあっ
たのでいただく。ご主人の話では、持って行く人は百人に1人とか。
料理といい、ご夫妻の心づかいといい、とても気にいった。

〈コースタイム〉安宿旅館6:41久百々の橋7:25ー大岐の浜駐車場
8:03~08ー以布利(国道の先)(休憩)9:23~38ー津呂の遍路小屋
11:08~39ー赤磐(昼食)12:30~58ー38番金剛福寺13:20~43ー
足摺岬展望台13:45~53ー鵜ノ岬15:08ー松尾小(戻り)15:19ー鵜
ノ岬(再)15:39ー民宿青岬15:39

(距離 32km、歩行地 土佐清水市、歩数 52,000)
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四国遍路道ある記(前編)・高知その12

2006-10-02 21:21:23 | 初めての四国遍路
 第19日 2004年3月9日(火) 快晴後晴
 =四万十川を渡る=
 
 5時30分起床、6時朝食、久しぶりに納豆が付いており、その上
コーヒーサービスもあった。

 6時49分に出発、今朝も快晴ですがすがしい。ちょうど背後から
太陽が上り、正面の田んぼの上に月が残っていた。

 海沿いの道、左手前方に4つの岬が続いているが、その先端、
足摺岬は朝もやで霞んでいる。

 浮鞭郵便局の先、国道56号が右カーブする地点に、「入野松原
のみち」と記された四国のみちの標識があり、行く手に長い砂浜が
まっすぐに続いている。

 その砂浜に向かって進むと、高知競馬の厩舎があり、4頭の馬が
見えた。広い芝生地を横切り、斜張橋の松原大橋の先から、若い
黒松林の中にへんろ道が伸びていた。

 松落ち葉の上は足に優しい。ここも土佐西南大規模公園。潮騒と
ヒバリの声、遠浅の砂浜だが、潮の流れが速いので海水浴は禁止
だという。また、5月~8月はウミガメの産卵地でもあるようだ。

 2km余りで松原は終わる。住宅地を抜け、クスノキの防風林を
通過すると、体育館らしい大きな建物があった。一帯は、芝生と
植栽の多い公園になっている。公園の末端で厚手のシャツを脱ぐ。

 蛎瀬川を渡り、緩い上り坂にかかる。どうやら右膝はほぼ回復
した。サポーターだけは付けているが痛みはない。

 坂を下って田野浦の漁港とその集落を回る。ここにも大きなアシ
タバが育っていた。わが家では以前、2度アシタバを育てたのだが
消えてしまった。やはり高知とは暖かさが違うことを実感する。
集落の終わり頃、岡山のIさんから電話があった。

 台地上の集落、出口を通過して中村市に入り、双海へ。「四国の
みち」の道標のそばにナノハナがきれいに咲いていた。

 クスノキの上のウグイスが、元気な声で励ましてくれる。

 四万十大橋経由と、渡し船経由との分岐点になっている2差路に
来た。12時の渡し舟に十分間に合いそうなので、直進の県道42号
をそのまま進むことにする。

 すぐ先に、双海サーフビーチの標示、緩い上り坂の途中で休憩。
コジュケイとウグイスが賑やかに鳴く。

 金ヶ浜と呼ぶ砂浜を見下ろす場所に出た。海中で10数人のサー
ファーが波乗りを楽しみ、砂浜では遠足に来たのだろうか、数10人
の子どもたちが遊んでいる。

 この辺り、梅の花に似た若木の桜があちこちで咲いている。花の
名を知りたいが、聞く人はいない。

 平野集落を抜けると海岸沿いで工事中。その工事らしい県の公園
造りの都市計画図が掲示されていた。間もなく下田の町に入る。

 渡し舟乗り場は近いが、まだ時間がある。T字路を少し戻って下田
郵便局に行き、高知にも在職された職場の先輩で歩きの仲間、M
さんと、自宅あてに近況を書き、風景印を押して発送してもらう。

 ATMで資金補充もして、近くの商店で出来たての魚入り弁当を
買い、渡船場に着く。船待ちの間に、近くのプレハブの事務所前で
港を見ながら昼食にした。

 11時50分に渡船場に戻ったら、他に乗船客がいないのを見て、
船頭さんが10分早く船を出してくれた。



 清流四万十川の広い河口を8分で横断し、対岸の初崎に着く。
四万十大橋は、3㎞ほど上流なので見えなかった。


 川の右岸に常緑樹の巨木がある。高さはそれほどないが、幹の
太さと枝の広がりが大きい。

 河床で川のりを採っていた奥さんに聞くと、タブの木で、もう1本
あったが枯れてしまったとのことだった。

 初崎集落を抜け、大きな水門の先に出たら、へんろ道より近そう
な神社への道が見えた。しめしめと回って行くと、波多の国の一宮
と記された社。昔、この辺りは波多の国とよばれていたようだ。
神宝の鉄剣は、国内でも珍しい銀象嵌七星剣というものだという。

 ところで道は神社で行き止まり。へんろ道との間にアシの茂る小川
があって渡れない。結局、正規のへんろ道に戻ることになった。

 小川の反対側の堤防を進み、津蔵渕の集落に入る。集落の端
まで進んで国道321号に出ると、山間のゆるい坂道がしばらく
続く。回りの広葉樹は芽吹きが始まり、やわらかな彩りを見せて
いる。

 上り坂の最後は新伊豆田トンネル。長さ1620mあり、これまで
のトンネルの最長だが、自転車とも交差できる幅広い歩道があり、
安心して歩ける。通過に19分かかった。

 トンネルを抜けて市ノ瀬に下る。39番への打ち戻りコースへの
Y字路に、大きな水車が回る「ドライブイン水車」があった。
 打ち戻りとは、この先、38番を参詣してからここまで戻り、39番
に向かう往復の道のりのこと。

 一休みしていたら、自転車の遍路氏に声をかけられた。時々家に
帰るが、5年くらい自転車遍路を続けており、もう70何回か回って
いるという。

 38番からのルートを聞いたら、打ち戻って三原への山越えがよい
という。大先輩の意見と岡山のI氏の言もあり、そうすることに考え
が固まった。

 おだやかな市野瀬川沿いに下り、下ノ加江川と変わった先で旧道
に入る。田村神社前の民家はアセビが花盛り。

 15時5分、安宿(あんしゅく)旅館に着いた。きのう予約したとき、
「やすやど旅館ですか?」と間違えてしまった宿だ。どうもいろいろ
な人が間違えるようだ。

 入浴と洗濯後、近くの薬局にあかぎれの薬を買いに行ったが、
小さい店で適当な薬がなかった。膝が治ったと思ったら、あかぎれ
だ。でも歩くのには支障ない。

 夕食は18時から。今日の宿泊客は、一昨日、岩本寺宿坊で一緒
の八戸の女性、バスで戻ったという一宮市の打ち戻り氏、そして
何と私と同じ所沢市内、それも隣町のOさんご夫妻の4人。Oさんは、
昨年38番まで打ち、明日は39番に向かうという。

 宿の親父さんは、へんろ道に詳しく、いろいろアドバイスしてくれる。
明日は不要な荷物を宿に置いて、明後日打ち戻ることにした。

〈コースタイム〉民宿日の出6:49ー入野松原終り7:45ー体育館の
ある公園8:05~10ー中村市9:10ー双海分岐9:22ー下田のT字路
10:30ー下田郵便局10:33~11:00ー下田渡船場11:23~50(昼食)ー
初崎渡船場11:58~12:01ー波多の国一宮~12:34ー国道321号13:
00ー新伊豆田トンネル13:28~47ードライブイン水車13:55~14:08ー
安宿旅館15:05

(距離 34km、歩行地 大方町、中村市、土佐清水市、歩数
 48,600)

【注】四万十川の下田~種崎渡船は昨年末で廃止されているので、
   現在は、四万十大橋を渡る道筋をたどることになる。
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四国遍路道ある記(前編)・高知その11

2006-09-30 21:28:32 | 初めての四国遍路
 今年も今日で、3/4を過ぎてしまいました。早いですね。

 9月20日のブログで投稿したように、今日で国産旅客機
YS-11の国内での運行が終わりました。夜のTVでは、徳島
空港からの最後のYS-1が飛び立つ映像が放映されました。

 四国遍路に来た人、結願された人で、徳島空港発着のYS-
11を利用された方も、おられるのではないでしょうか。


 第18日 2004年3月8日(月) 晴
 =土佐くろしお鉄道に沿って=
 
 5時50分起床、宿坊では恒例の朝のお勤めはなく、6時30分に
朝食、日本一周氏はもう出発していた。

 朝食のみそ汁はお代わり自由。お接待の巾着袋とあめが食卓に
置いてあった。希望者はどうぞといわれ、地階でコーヒーも頂いた。

 7時20分出発、今朝は高知市内でも気温が零下になったとのこと。
空気は冷たいが風はなく、絶好の天気である。足摺岬にある次の
札所、金剛福寺は、およそ90km先である。

 宿坊を出て山すそを東に進む。国道56号との合流点にある水車
亭という菓子店の大きな水車は、氷を一杯つけて回っていた。


 国道を南に向かい、ゆるやかな上りとなる。ネコヤナギの花が咲き
出す。峰の上で左へのへんろ道に入る。そばの吉岡家では、モミジ
の古木が見事な枝ぶりりを見せている。

 佐賀町環境美化センターの先から山道になった。山越えをしての
下りはジグザグ道。4、5日前なら痛くて下れそうになかった傾斜だが、
今日は杖を使いほとんど痛みも気にならずに下れて嬉しい。


 棚田を見ながら国道に向かって下る。国道を横切り挙ノ川の対岸、
南側の旧道を進む。車が来ないので、棚田の間から山すそへと、
北側の集落や田んぼ、山並みなどを眺めながら安心して歩ける。

 国道56号に出てすぐ、国道が伊与木川の反対に移るところで西側
の旧道へ。シジュウカラやウグイスの鳴き声と、川のせせらぎが気持
ちよい。「四国のみち」の立て札が何か所かに立っていた。

 国道は上り下りがあるが、こちらは川沿いで平坦。多少回り道だが
歩きやすい。気温が上がってきたので、挙ノ川天満宮で厚手のシャツ
を脱ぐ。久しぶりのことだ。

 荷稲(かいな)の八坂神社先も旧道を進もうとしたら、崩壊で通行止
めの表示があり、国道に戻る。小黒のスクールバス待合所で休憩する。

 カーブを上り下りして不破原を経て伊予喜集落へ。近くの山頂が
伊与喜城跡だとの表示があった。

 伊予喜駅の先で国道に分かれて東に入る。昭和14年(1939)まで
県道だったようで、レンガ積みの藤井トンネルは明治38年(1905)
完成の標識があった。


 トンネルの先は谷側に土砂崩壊があり車は通れない。それにしても、
1車線やっとの狭い道が県道だったとは。昔は車が少なかったのだろう。

 土佐くろしお鉄道の踏切を越えて国道に出る。コンビニ・スリーエフ
で弁当や飲み物を仕入れ、近くの伊予木川の左岸堤防に回り、流れを
眺めながら昼食にした。


 川の右岸を進んで、土佐佐賀駅付近で国道バイパスに戻る。開通間
もない横浜トンネルは歩道が広くて歩きやすい。皆このくらい歩道幅が
あるとよいのだが…。

 鹿島が浦沿いに岬を回ると、土佐西南大規模公園(佐賀地区)が岬
に沿って続いている。

 芝生や樹木、フィールドアスレチック、駐車場などがあり、幡多10景
の鹿島ケ浦と呼ばれる景勝地である。

 目の前の鹿島や、青い海と180度以上に広がる水平線の展望が
すばらしい。


 岬から白浜まで下る道、逆光に波頭がきらきら光る。土佐白浜駅前
を通過、海岸沿いに南に進み、大方町に入る。渕地区に「鯨の見える
町」の表示があった。

 国道が南から西へ90度向きを変える。井の岬トンネル、伊田トン
ネルを抜けて有井川駅前に出た。はるか南方に見えるのが足摺岬
だろうか。まだこの先、西側からぐるっと回るのでかなりの距離だ。

 浮津海水浴場のある玉無浜の上、小さな岬にある民宿日の出に
15時39分に着いた。

 部屋からは海の見晴らしがよい。早速洗濯をして入浴。宿泊客は
私1人。夕食は海の幸が一杯で美味であった。


 部屋の暖房は有料だが、やたらにつけっ放しにしないので省エネに
なる。どこも清潔で気に入った。おかみさんの字で、あちこちに「節水」、
「節電」などの張り紙があり、ほほえましい。

〈コースタイム〉37番岩本寺7:20ー環境美化センター8:30ー橘川(国道
へ)9:30ー小黒バス待合所10:40~46ー伊与喜駅11:30ー伊予木川右岸
(昼食)12:12~42ー土佐白浜駅13:45ー大方町14:06ー有井川駅15:01ー
民宿日の出15:39

(距離 31km、歩行地 窪川町、佐賀町、大方町、歩数 51,900)
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四国遍路道ある記(前編)・高知その10

2006-09-29 21:46:33 | 初めての四国遍路
 何日か前に咲き出し、ほのかに匂っていたキンモクセイの花が、
もう散ってしまい、下の敷石にポチポチと模様を作っています。

 四国遍路道ある記を続けます。


 第17日 2004年3月7日(日) 晴 <37番岩本寺>
 =黒竹の里から七子峠を越える=
 
 5時50分起床、6時30分朝食、7時に宿を出る。右膝痛はずい
ぶんよくなったが、無理はしないことにして、焼坂峠越えのへんろ
道はあきらめ、国道56号の焼坂トンネル越えとする。

 緩い坂を上がり、長さ966mの焼坂トンネルに入る。歩道がない
ので、ライトを振りながら進んだが、照明が比較的明るいのでそう
危険は感じなかった。

 抜けたところが中土佐町。日陰は霜で真っ白だ。下ってゆくと、
右カーブ点に焼坂休憩所があった。休んでいた愛媛ナンバーの車
の屋根に、雪が積もっていた。

 その先、対向車を気をつけて見たら、やはり何台か雪を乗せて
いる。今日の高知市の最高気温予想は、きのうと同じ10℃。それ
でも山の上から日が差し込むと暖かさを感じる。

 フキノトウがたくさん花を付けている。国道がJRを越す手前で、
左手のへんろ道に入った。

 下の流れに、「ここはホタルの生息地、ゴミを捨てると尻に火が
つくぞ」という標識。今は流れに水はない。自転車遍路が追い
抜いていった。

 下道を過ぎると風が強くなった。久礼(くれ)川の橋を渡ったとこ
ろが、そえみみずへんろ道への分岐。私は、南に進む大坂越え
ルートを選んだ。

 長浜川を越えて久礼の細い町並みへ。地酒「純平」の西岡酒造
に大きな杉玉が下がっていた。


 土佐久礼駅前を通過し、なまこ壁の中土佐町立美術館を過ぎ、
JRの西に回って大坂谷川沿いの道を進む。昭和29年に植えたと
いう桜並木が続き、花時は賑わうという。

 中大坂の集落を過ぎるあたりに、珍しい黒竹の林があった。中国
原産で、国内では京都、和歌山、高知(当町)くらいしかないという。
焼けこげたような幹で細い。


 最奥の奥大坂には10数戸が点在、その一つの家で、黒竹の葉を
出荷するため揃えていた。聞くと、都会の家の垣根に使うのだという。


 舗装が終わって土の道となり、まもなく峠への山道にかかる。折り
畳み杖を出し、膝に負担がかからぬようにゆっくりと上がる。

 峠まで1kmと表示されていたが、30分かけて七子峠に上がった。
谷間から吹き上げてくる風が強く、菅笠がとばされそう。上ってきた
谷間の向こうに海が見えた。

 峠の先が窪川町である。田んぼが続き、比較的開けた谷間の集落
を南に向かう。青空が広がっているが、風花が落ちてきた。

 影野の活禅寺の手前に、「お雪椿」と呼ぶ300年の伝説を伝える
ツバキがあった。樹齢350年という古木である。

 影野駅前を通過、すぐ先で国道56号に分かれ、替坂本集落に回っ
たが、国道沿いに「根っ来」という食堂が見えたので、国道に戻って
昼食に入る。


 国道56号はJR予讃線と並行して進む。仁井田駅近くに、観光物産
センターになっている「国道四万十駅」というのがあった。

 谷間に開けた田園とゆるやかな山並みが続く。東又川の近くにあっ
た道の駅あぐり窪川で牛乳を買い、外で飲んだが風が冷たい。それ
もそのはず、窪川トンネルのそばの温度表示は3℃だった。

 西側に平行するトンネルを抜け、窪川町の吉見商店街という狭い
通りを抜け、2日ぶりの札所、37番岩本寺(いわもとじ)に入る。

 本堂の格天井に五百数十枚の絵、大師堂との間に大きな鐘楼が
あり、境内に太いイチョウが3本立つていた。

 今日の宿は、ここの宿坊。納経を終えて初めての宿坊に入る。
新しい建物で、畳もふすまも新しい。風呂も大きく清潔感あふれ、
廊下用のスリッパも無い。

 夕食は18時から。歩き遍路の八戸の女性と、車で回っている
新潟の男性と兵庫のご夫妻が私と同じコーナーに座った。

 後から来た男性は、海岸線沿いに時計回りで日本一周中という
藤沢市の52歳の男性。仕事は電気工事関係の自営とか。

 とても50歳代には見えない若造りの顔。「息子が昨年、大学を
出て就職したので、辞めることのないよう、親父が馬鹿なことを
すればと思い、昔から考えていたことを実行に移した」とのこと。
20㎏の荷を背負い一日40㎞平均歩くという。

 八戸の女性は、きょう46kmくらい歩き、すねが腫れたという。
宿坊の人に貼り薬がないか聞いたが、無いと言われたので、私の
残りから1枚差し上げた。

〈コースタイム〉岬旅館7:20ー焼坂休憩所8:00~05ー下道の川へん
ろ道へ8:20ー土佐久礼駅8:47ー大坂休憩所9:03~14ー土の道へ
10:13ー山道へ10:27~30ー七子峠11:00~07ー影野駅12:03ー食堂
根っ来(昼食)12:24~13:00ー国道四万十駅13:34ー道の駅あぐり
窪川14:05~15ー37番岩本寺14:55~15:13

(距離 26km、歩行地 須崎市、中土佐町、窪川町、歩数 
 43,700)
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四国遍路道ある記(前編)・高知その9

2006-09-28 21:36:17 | 初めての四国遍路
 今日も午前中は快晴で、西の方に奥武蔵の山並みがよく見え
ました。その山並みなどを見ながら西の方にあるY病院へ行き、
市民検診を受けてきました。毎年1回、市の費用で健康診断を
してくれるのです。

 帰りがけに、近くのコスモス畑に回ってみましたが、花の盛り
は少し過ぎていたので、写真の紹介は省略します。

 引き続き、四国遍路記をお届けします。


 第16日 2004年3月6日(土) 晴一時雨
 =横波スカイラインを行く=
 
 6時20分起床、7時朝食、外へ出たら小雨が降っていたので、
ポンチョを着用して7時40分に国民宿舎を出る。昨夜泊まった
歩き遍路は私だけだったようだ。

 この先、37番へ向かうには、宇佐大橋まで戻り、横浪三里と
呼ぶ浦ノ内湾の北岸を西に進む道もあるのだが、私は、横波
スカイラインと呼ぶ、湾の南側の稜線を抜ける県道47号を行く
ことにした。次の37番までは約55kmある。

 数戸の別荘地を過ぎ、須崎市に入った辺りでウグイスが鳴き
青空が広がる。強風注意報が出ていたが、まだ風はない。

 ずっと見えていた南側の太平洋だけでなく、北側の入り江も
少しだけ見えた。

 道はゆるい上り下りとカーブの繰り返し。カーブの内側を回る
ようにして距離の短縮を図る。北側に、明徳義塾中・高校へ下る
標識が出たあたりから、昨日渡った宇佐大橋が見えた。

 帷子崎の付け根にある駐車場で小休止。この辺りもウグイスの
競演。また雨が降ってきた。

 車も少なく誰もいない道を1人でテクテク歩いていると、「歩かせ
てもらえるのは、家族や地元の方など大勢の人たちのおかげだ」
という感謝の気持ちが高まり、それらの人たちに代わってしっかり
とお参りをしなくては、と思った。

 雨は小雪まじりとなったが、寒さよりは暖かさを感じる。歩かせて
もらえることに感謝しているからだろうか…。

 そんなことを考えながら歩いていたら、向こうから逆打ちの男性
遍路が2人が来た。韓国の僧侶と通訳役の若い韓国人男性である。

 「どこから来ましたか」と聞かれたので、埼玉からと答えたら、この
僧侶は2年前、韓日のワールドカップ会場20を結んで4000kmを
歩いた方だと言い、そのことを報じた2002年4月26日の埼玉新聞
を見せてくれた。

 「韓国を歩く際は、ぜひご連絡下さい。宿の便を図ります」とも言わ
れ、住所氏名入りの納札を頂いた。国境を越えた思いがけぬ嬉しい
出会いであった。


 丸い建物が現れ、入口に「心のあかり」と記された近くに、駐車
場があったので休む。また晴れてきて、ビジャゴ鼻と呼ばれる辺り
は、南側の海が逆光にきらめく。


 更に進むと一昨日知った武市半平太の像が立つ駐車場があり、
もう一度休憩。雨も上がったようなのでポンチョも閉まった。


 再び歩き出しながら、一昨年12月に急逝した従兄弟のT君と
一緒に歩けたら、あるいは四国遍路の話が出来たらよかった
なのになーと、彼のことをふと思い出す。

 甲崎という岬の手前、エメラルドグリーンの海がひときわ鮮やか。
いよいよ半島も終わりに近づき、下り道となった。

 板材の並ぶ土佐工芸村を過ぎ、浦ノ内湾に向かって下る。海上
に浮かぶ「浮標」「竜宮」、そして「潮騒」と呼ぶ3つの海鮮レストラ
ンがあった。

 須崎市営の大きなドームの体育館と野球場や、カヌーが並ぶ湾
の横を通過して、浦内東分に入ったら、「休んで行きませんか」と
少し年輩の奥様から声をかけられ、自宅の縁先に案内された。

 名古屋市や瀬戸市などで45年間、看護の仕事をされ、12年前
に辞められたというMMさんで、健康な余生を送れるようにと、恩
返しにお接待を続けておられるという。

 明日、1番霊山寺を出ると報じられていた、大人の引きこもりの
人たちの歩き遍路にも関わりを持たれているようで、昨年の記録
や今年の資料を見せて下さった。

 縁側で、ポンカン、干しいも、もち、お茶、抹茶入りくず湯などを
いただいた。失礼しようとしたら、ビニール袋にポンカン、干しいも、
ポカリスェット缶なども持たせて下さり、道路際まで見送っていた
だき、大変恐縮した。

 このような丁重なお接待をしていただき、なんだか今日は右膝
の痛みも薄らいだようで、嬉しい。

 浦ノ内湾最奥にかかる辺りで、行く手に見える山が雨模様なの
に気づく。急いでポンチョを付けたら、間もなくみぞれになった。

 浦ノ内湾北回りコースと合流する三差路に出て、県道23号に
入る。鳥越トンネルに向かう上り坂、12時を過ぎたのに吐く息が
白い。

 ペンライトを付けてトンネルを通過、下った棚田の隅にパンジー
がたくさん咲いていた。

 次のカーブで逆打ちの男性遍路と行き違い、そのあと自転車
遍路に抜かれた。店もなく、しばらく昼食にありつけそうもないの
で、頂いた干し芋を口に入れる。

 住友大阪セメントの、複雑な形のプラント塔が正面に見えてきた。
南風が強まり、菅笠を押さえる機会が多くなった。

 押岡簡易郵便局の先で押岡川の橋を渡る。住友セメント沿いに
進み、須崎港最奥部の大峰橋を渡った。港の奥を半周してJR
土讃線沿いに進んで須崎駅前を通過する。


 片側歩道が広い川端シンボルロードを進むと、少し先から堀川を
暗渠にしてせせらぎの流れる遊歩道になる。この辺りは須崎市の
中心街らしく、官公庁が多い。

 町外れにあった番外霊場・大善寺に参拝して読経をする。真新し
い大師堂は道路沿いだが、本堂は石段を上がって須崎湾を見下
ろす台地上にある。

 本堂も近年再建したよう。境内を掃除中の女性から、ミカンを2
つお接待いただいた。

 大きな、スーパーフジの先、国道56号の北側に、道の駅「かわ
うその里すさき」があった。

 2階のレストランに上がり、昼食を頼もうとメニューを見ていたら、
隣席で食事を終えたご夫妻が立ち上がり、奥さんから声をかけら
れた。少し話した後、「ご接待します、きつねうどんでいいですか」
と言われ、レジで自分の分と合わせて払って帰られた。

 出てきた腰の強いうどんをすすっていると、奥さんのあまりにも
自然のふるまいに、思わず涙がこぼれて止まらない。自分には
どんな恩返しが出来るのだろうかと思いながら、ありがたく頂いた。

 食後、1階の農産物などの直売場を回っていたら、普段着だが
どこかで見かけた顔とバッタリ。お互いに顔を見比べ、アッそうだ、
27番神峰寺に一緒に上がった台車の遍路氏と分かった。

 5日ぶりの再会だ。先ほどのスーパーを今夜の野宿場所に決め、
食料などの調達に来たらしい。「またお会いましょう」と言って
分かれた。

 国道56号を3つのトンネルで抜ける。いずれも歩道が無く、ライト
を照らして注意深く進んだ。

 今日の宿、岬旅館に16時21分に着いた。早速風呂に入らせて
もらい、18時夕食。食堂も兼営だが宿泊客は私だけだった。


 今日は3人もの方からお接待をいただき、右膝の痛みも感ぜず
に歩けた。明日もこの調子で歩けるよう祈りたい。

〈コースタイム〉国民宿舎土佐7:40ー須崎市境8:05ー帷子崎8:35~
40ー福良の駐車場9:24~30ー武市半平太像のある駐車場9:51~
10:06ー海賊料理「浮標」横10:51ーMさん宅(お接待)11:03~40ー北
回りとの合流点12:14ー押岡簡易郵便局13:16ー須崎駅前13:58ー
番外霊場大善寺14:28~47ー道の駅すさき(昼食)15:03~30ー岬旅
館16:21

(距離 29km、歩行地 土佐市、須崎市、歩数 47,700) 
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四国遍路道ある記(前編)・高知その8

2006-09-27 21:51:01 | 初めての四国遍路
 昼過ぎまで雷雨もあり、かなりの雨でしたが、午後急速に天気
が回復して快晴となり、気温も25℃を超えました。

 距離の長い高知での遍路記も、そろそろ中盤にかかりました。


 第15日 2004年3月5日(金) 快晴後晴
                <34番種間寺~36番青龍寺>
 =仁淀川を越える=
 
 隣の人は5時に起きた。私は5時20分起床、6時朝食、北海道の
女性は朝食後すぐに出る。私は、おかみさんに見送られて6時32分
に出発した。

 県道278号を西に向かう。間もなく後方から朝日が上がった。
今朝は初めて朝から快晴である。風はないが空気は冷たい。

 高知市から春野町に入る。わが所沢を本拠とする西武ライオンズ
が毎年キャンプ地としていたのだが、今年は宮崎県に変わった。

 唐戸で、へんろ道は県道に分かれて直進する。うっかりそのまま
左カーブの県道に向かおうとしたら、犬の散歩をしていた男性に
「まっすぐ行った方が近いよ」と教えられた。
 
 この辺りの地形図を用意して無く、へんろ地図だけが頼りだが、
標識の見落としだった。ここで後発の2人に抜かれる。

 低い峠を越えてY字路を右に入り、山すその灘集落へ。休耕田の
田んぼはビニールハウスが多い。

 再び県道に出て、芳原川のおちやま橋で左折、西諸木地蔵と記
された大きな地蔵さんのそばで新川橋を渡った。

 流れの豊富な用水沿いの集落を進む。今朝の冷え込みで田んぼ
は霜で白く、水たまりは凍っている。

 さらに用水に沿って進み、34番種間寺(たねまじ)に着いた。
境内は樹木が少なく開放的だ。

 本堂は新しく、歩く姿の修行大師像がある。


 そのまま用水沿いに西へ。北側は広々とした田んぼとゆるやかな
山並みが広がる。風もなく穏やかな日より。民家の庭先でジンチョ
ウゲがよい香りを放ち、白スイセンも花盛り。

 新川の狭い集落から、めがね橋と呼ぶ明治の頃の古い石橋を渡
ると広い道路となり、仁淀川大橋のたもとに出た。

 橋に上ろうとしたら、傍らのワゴン車の男性から、「休んでいきま
せんか」と声をかけられた。高知市のINさん(72歳)で、すぐ上で釣
具店を経営していたのだが今はお子さんに任せ、お接待で恩返し
をしているという。

 血圧が高く、昨年は脳梗塞で入院したが、回復して今はほとんど
後遺症も無いという。コーヒーをごちそうになりながら、高知の造船
業の衰退、政治、教育、こどものことなど、先を見ずに走る日本の
現状を憂い、その再生には仏教が必要なのだといったことなど、
いろいろと伺った。


 幅広い仁淀川の河床には田んぼや竹林もある。南側のゆうよう
迫らぬ流れを見ながら橋を渡り、右岸堤防を1km近く進んで土佐
市内の旧道に下りた。

 喜久屋旅館の先で表示に従い右折、高岡中のところを左折、三嶋
神社の西側を進んだが、国道56号バイパスを越えてから、どうも
へんろ道らしくないと気づく。

 川筋に出て工事中の人に聞き、車道を北に進み、東谷でへんろ
道に合した。この辺りも地形図が無く、へんろ地図だけだったので、
現地確認に手間取った。

 八十八か所の石仏が並ぶへんろ道、上り坂もかなり斜度があり、
右膝に利いてくる。がまんして上って35番清滝寺(きよたきじ)に
着いた。

 仁王門の天井に蛇龍図がある。本堂と大師堂は並んでいて、本堂
の横に寺の名ゆかりの滝が落ちているが、古くからのは枯れてしまい、
現在のは人工のものとか。

 山の中腹にあるので、南側の展望がよい。大師堂を囲んで紅梅白
梅が見頃。納経所近くの4本のカンヒザクラも濃い彩りを見せる。

 あい変わらずの膝痛のため車道を下ることにしたが、こちらもかな
りの傾斜があり痛い。文旦畑の間をゆっくりと下る。

 無人販売にて文旦を500円で売っていた。かなり時間をかけて
平地に下りた。

 帰りのへんろ道は分かったので、田んぼの中を抜けて三嶋神社の
鳥居の東側に出た。西側に進んだのが間違いのもとだったと知る。

 昼食の調達を考え商店街を南に進んだら、コンビニ・スパーがあり、
都合よく東側が公園。トイレもあり、シートを敷いて食べる。

 さて、この足できょう青龍寺(しょうりゅうじ)を打てるかなと、ちょっと
気にしながら南へ向かう。


 地形図から車の少なそうな道を選び、波介川の川沿いに出たらナノ
ハナが花盛り。

 初田橋を渡り、初田集落をバイパスして宇佐へ向かう。堂尻の塚地
峠越えへんろ道入口に、塚地休憩所があり、東屋、トイレ、水車など
がある。

 休もうかと思ったら、ワゴン車で来ていた奥様から「休んでいきませ
んか」と声をかけられた。

 そばの石に座布団を敷いて下さり、お茶と団子、ラッキョウづけの
お接待を頂く。

 さらに自作のすてきな絵はがきも下さった。この方も高知市にお住
まいのSMさん。今日は2人もお接待を頂き、膝の痛みも和らぎそう。

 塚地峠越えのへんろ道は止め、県道39号の塚地トンネル(837m)
を抜ける。長いが、手すりの付いた歩道があり、今までのトンネルで
一番安全だった。

 宇佐町の湾に沿った町並みに入り、車の少なそうな細道を進んで、
宇佐大橋のそばに出た。

 橋は海面からかなり高く、手すりが腰くらいなので落ちそうな感じ。
マリンブルーの海面が逆光にきらめく。

 渡り終えて海沿いを南東へ。白波も立たず静かな海面である。疲れ
が出てきたので、竜の浜と呼ぶ岬の休憩所で小休止した。

 まもなく竜集落、湿性植物の多い蟹ケ池の縁を回り、36番青龍寺に
向かう。たくさんの石仏が、並んで迎えて下さっている。


 急な石段の上りは右膝にきつい。両側の石垣沿いのジンチョウゲが
よい匂いを漂わせる。


 山門前に小さめの三重塔が立つ。弘法堂は改築して新しい。納経所
への下りは石段をやめ、アスファルト道を下る。


 今日の宿、国民宿舎土佐へは奥の院経由が近いというので、その
山道を上がる。広葉樹林に覆われた奥の院に着いたが国民宿舎へ
の標識はない。少し戻ったら宿舎への小道があった。

 16時35分、国民宿舎土佐に着いた。山上にあり、東と北の海を
見下ろす展望が絶景。

 さっそく洗濯をして、大展望風呂(といっても数人で一杯)に入る。
ここからも東側の海原の大展望が楽しめる。

 部屋も食堂も暖かく、きのうとは大違い。部屋近くの廊下に公衆
電話もあったので、久しぶりに自宅に電話して近況報告をした。

〈コースタイム〉民宿高知屋6:32ー34番種間寺7:54~8:17ー仁淀川
大橋東詰(お接待)9:09~27ー35番清滝寺10:50~11:25ー東谷の平
地11:42ーコンビニスパー東の小公園(昼食)12:18~42ー塚地休憩所
(お接待)13:36~56ー宇佐大橋西詰14:44ー竜ノ浜休憩所15:10~16
ー36番青龍寺15:33~16:00ー奥の院16:20ー国民宿舎土佐16:35

(距離 31km、歩行地 高知市、春野町、土佐市、歩数 52,500)
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四国遍路道ある記(前編)・高知その7

2006-09-26 20:55:57 | 初めての四国遍路
 昨日、市内のウオーキングで、珍しいものを見つけました。
「陸軍用地」という境界標石です。
        
 ここは、旧陸軍所沢飛行場のあった所沢航空公園の南側、道路を
挟んで100mくらいのところ、市消防分団のポンプ車置き場の敷地
です。ここにも軍用地があったのだとわかりました。

 この道路は私の主なウオーキングルートになっていて、年何十日も
通っていたのですが、初めて気づきました。毎日通っていても、気づ
かぬことは案外あるものですね。

 そういえば、四国遍路中の、香川県国分寺町の80番国分寺と、81
番白峰寺の間、自衛隊善通寺の演習地にも同じような境界標石が
あったことを思い出しました。

 ということで、きょうも四国遍路道ある記を続けます。


 第14日 2004年3月4日(木) 晴
                    <32番禅師峰寺~33番雪蹊寺>
 =種崎フェリーで渡る=
 
 6時10分起床、平日のトーストとコーヒーサービスで6時35分に
朝食、今日はセミ休養日とし、ゆっくりして7時半に出発した。


 きのうの道を五台山北麓の長江集落に入り、お参りした竹林寺の
五重塔などを見上げながら南東に進む。大きな体育館の先で下田川
を渡り、田んぼの南側山すそを吹井に出て、県道247号を南に向かう。

 東側の山すそに「武市半平太旧宅及び墓」の表示があったので、
寄ってみた。武市瑞山(通称半平太)は、文政12年(1829)にこの地
で生まれた、幕末の土佐勤王党の志士で文武両道の達人である。

 旧宅隣の武市神社前に記念館があり、生い立ちの絵、写真などが
並べてある。旧宅は国史跡になっていた。

 石土トンネルを抜けて石土池の西に出る。池に沿った遊歩道を回っ
て禅師峰寺(ぜんじぶじ)へのへんろ道となっている山道に入る。

 木漏れ日の差し込む土と岩の道を340mで、32番禅師峰寺門前
に出た。

 こぢんまりとした境内。山門は小さいが国の重文という。境内からは、
西側の浦戸大橋や浦戸湾方面の展望がよい。

 納経所にティーサーバーがあったので、ほうじ茶を頂いた。納経所
の人に、これから行く種崎フェリーの時刻を教えてもらう。へんろ地図
記載の時刻とは変わっていた。

 今日も右膝はよくないので車道を下る。下りきったら岡山のIさん
から電話。話している間に何日か前に同宿した40歳のリストラ氏が、
へんろ道に上がっていった。

 西に向かって1車線の旧道を進む。阿戸の集落で、奥さんから激励
の言葉とともにカルピスボトルのお接待を頂いた。一番霊山寺近くに
嫁いでいるが、この近くの実家に帰宅中とのことだった。

 さらに山すそを進み、高知高等技術学校の北から矢平山トンネル南
を横断して聖町に入る。聖神社前に、高知市保存樹木の太いクスノキ
があった。

 東町の古い町並みを抜けると広い十字路。すぐ先のショッピングセン
ター三里にて昼食を調達する。

 11時55分、県営長浜種崎フェリー乗り場の種崎待合所に着いた。

 運動靴の減った若い男性遍路、ザックは私より重そうだが歳は近そう
な女性遍路、バイクの人、自転車の人2人と私の計6人が乗り、12時
10分に出る。

 フェリーは道路の延長ということで無料、対岸の長浜までは4分
だった。


 細長い湾沿いを500mほどに、小公園があったので昼食をする。
近くの宇賀神社には、市保存樹木のクスノキとエノキがあった。

 更に進んで33番雪蹊寺(せっけいじ)に入る。本堂は修理中だが、
白木の外部はほぼ完成していた。

 仮本堂は馬頭観世音菩薩堂。勘違いして、いつもと逆に正面の大師
堂で先に読経したが、バスで来た20人ほどの団体が仮本堂にいたの
で、入れ違いに参拝する。山門の左手に太玄塔という珍しい塔がある。


 門前が今日の宿、民宿高知屋。食堂も兼営している。13時22分に
入った。部屋は古い建物の2階の間。ストーブを入れてくれ、すぐお茶
も出た。

 おかみさんのことを紹介した山陽新聞の記事が壁に貼ってある。
早着したので今後のスケジュールなどを検討する。

 今日はいつもの半分の歩数だった。これで明日、右膝が回復して
くれるとよいのだが…。おかみさんから「洗濯物を」と言われたが、
今日は気温が低く汗もかかなかったので、お願いしなかった。

 夕食は、8回目という北海道道南の女性と、途中でペアになった
らしい東大阪市と富士市の男性遍路と一緒。

 カツオのたたき、貝の澄まし汁など、皆おいしい。後から着いた神戸
の逆打ち遍路は、順打ちを1月末に始め、3週間で結願後、逆打ちを
続けているという。1日60km前後も歩き、フルマラソン、100km
マラソンも走る達人のよう。

 顔も栗色に焼けていた。この人も7回目とのこと。久しぶりに賑やか
な夕食は、楽しいふれ合いのひとときだった。

 トイレはいま時珍しい落とし便、紙もロール紙でなく1枚物。建物も
古いが、おかみさんや家族の方の心のこもったお接待が嬉しい。
8回目の女性もそれが気に入り、ここを常宿にしているという。

〈コースタイム〉ビジネスホテル空港7:30ー武市半平太旧宅8:22~38
ー石土池8:55ーへんろ道9:11ー32番禅師峰寺9:20~10:00ー大平山
トンネル南10:57ー三里の十字路(休憩)11:21~25ー長浜種崎フェリー
種崎待合所11:55~12:10ー長浜の小公園(昼食)12:20~50ー33番雪蹊
寺13:02~21ー民宿高知屋13:22

(距離 15㎞、歩行地 高知市、歩数 25,000)
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四国遍路道ある記(前編)・高知その6

2006-09-25 22:41:30 | 初めての四国遍路
 今朝、埼玉県川口市の市道で、保育園児の列に自動車が突っ
込み、園児2人が死亡するという痛ましい事故がありました。

 夕刊を見て、地図で確かめてみたら、なんと、昨日のブログで
報告した、川口・見沼ツーデーマーチのスタート・ゴール会場、
中台公園の、すぐ東側が事故現場でした。

 昨日のゴール直前には、この小鳩保育園の前を通過したのです。
園児の幼児たちは、中台公園への散歩に向かう途中だったようで、
本当にお気の毒でした。

 今日は、3日ぶりの四国遍路道ある記です。


 第13日 2004年3月3日(水) 曇時々晴
              <29番国分寺~31番竹林寺>
 =高知市内に入る=
 
 6時から朝食ができるとのことで、5時30分に起床し一番で食べる。
江東区の男性と、夕べ後着したらしい東京、千葉の若い女性遍路
3人も早目に来た。

 6時50分に出発。先発した江東区の遍路氏に追いつき、野市町
役場への分岐で分かれる。

 本来のコースは大日寺下を経て次の国分寺へ向かうのだが、大日
寺は昨日参詣済みなので、地形図を見て、御免町を回る方が近いと
分かり、ショートカットすることにしたのである。

 今朝は真冬並みの気温のようで、北風が冷たくて菅笠があおられ
る。西に向かう県道364号、中町付近で、白い漆喰壁に何段も瓦を
張り付けた家が、幾つもあるのに気づいた。

 この地方独特の造りのようだ。この瓦が水切り瓦といい、豪雨から
漆喰壁を守るための工夫だということは、あとで知った。

 物部川橋も一段と風が強い。この道は路側帯が狭い上、朝のラッ
シュ時で車が多く、歩きにくい。

 下野田で南北に走る広域農道に入り、すぐ先で田んぼの中の農道
に左折、やっと車から解放された。

 下野田の八幡神社に野田城跡の標識がある。この通りにも白壁に
瓦を張った家が何軒かあった。

 御免野田小の横を土佐電鉄の高架沿いに入る。行き違った奥さん
から「ジュースでも買って」と500円のご接待を頂いた。

 JR御免(ごめん)駅の東で土佐電鉄阿佐線と国道195号を越え、
県道45号を北に向かう。下末松の交差点に「へんろまんじゅう」の
店があった。5つ350円とあり、買おうかと思ったがやめた。

 上甘枝には巨峰園というブドウ園など、幾つかのブドウ園がある。
国分川を渡って西に進み、土塀に囲まれた29番国分寺に着いた。

 白木の仁王門をくぐる。スギやヒノキに囲まれた境内は静かなたた
ずまい。本堂は趣あるこけら葺き、大師堂の横に着飾ったお地蔵さん
がたくさん並ぶ。本堂前の小さいしだれ桜が見頃である。


 西南に向かい、国分川北側の田んぼを抜ける土の道を進む。岡豊
町の山すそは黄スイセンが花盛り。この辺り、野趣あふれる道が続く。


 河川工事中の高知医大前を通過、山崎川を渡って山すそを進む。
蒲原のショッピングセンターで弁当を買い、構内の蒲原簡易局で現金
を下ろす。ATMは無いが、窓口で扱ってくれた。

 南西の台地上に高知刑務所の高い塀を見ながら進むと、へんろ
小屋5号蒲原があり、上にある工場のがけから水が流れ出ていた。


 県道384号に出て、逢坂峠に向かって上がる。峠が後免町と高知
市の境、いよいよ高知市内だ。峠からの下りは、一宮墓地公園横から
急坂のへんろ道を下った。

 住宅地を抜けると、土佐一宮の前に出た。30番善楽寺は神社の
東側にあり、樹木が少なく解放的な庭や本堂はいずれも新しい。


 寺を出てから土佐一宮の土佐神社に参拝。本殿は檜皮葺である。

 本殿西側の冬桜が咲き出していた。落ち着いたたたずまいは一宮
にふさわしい。

 朱塗りの鐘楼は国宝で、慶安2年(1649)土佐2代藩主山内忠義が
建立したという。


 神社を出て参道を南に進む。土佐一宮(とさいっく)駅近くにセイムス
(薬店)があったので膝痛の貼り薬を購入。やはり薬剤師さんから、
「休めばよくなる」と言われた。

 国分川の南に出て、閉まっていた小さい倉庫の前を借りてシートを
敷き、昼食をさせてもらう。


 土佐女子短大や土佐電鉄の走る国道195号を越え、国道32号沿い
にあるビジネスホテル空港に13時24分に着いた。

 荷物を預けて竹林寺へ向かう。すぐ西側の高岡書店の横から田ん
ぼの中の細道を南進し、竹林寺のある五台山の北麓、大谷に入る。

 酒屋さんの角を入ってへんろ道へ。簡易舗装の石段を上がると、ご
夫妻で手入れ中のブドウ畑になる。フキノトウがたくさん伸びていた。
ゆるい坂を上ると北側の展望が開ける。

 ミニ八十八か所の石仏群の間からトサミズキの咲く坂を上がって
いったら、牧野植物園の入口に出た。どうやら途中でへんろ道を見
失ったようだ。

 でも、すぐ先が31番竹林寺の山門。幅広い石段とこけむす庭を
上がって参拝する。ここも木が多く、しっとりとしたたたずまい。

 新しい大きな五重塔がある。


 上ってきたへんろ道を戻れば近いが、膝痛が続くので車道をぐるっと
回り、弘化台と呼ぶ幅広い川の青柳橋のそばに下る。

 絶海池という流れと五台山北側に沿った集落沿いに進み、来たとき
の上り口を経て、15時50分、ビジネスホテル空港に戻った。

 チェックイン後すぐに洗濯、夕食の調達に出ようとしたら東京、千葉
の3人娘も着いた。夕食などは近くのスーパーで仕入れる。

 今日は短距離にするつもりだったが、竹林寺の帰りで結構距離を
稼ぎ、足がだるい。夕食後に入浴して疲れをとる。右膝痛はきのう
よりはよい。

 ちょうど予定の半分の日数を歩いたので、明日は休養日とし、距離
もいつもの半分くらいのところの宿を予約した。

〈コースタイム〉旅館かとり6:50ー物部川橋7:40ー29番国分寺9:08~
35ー高知医大前10:15ーショッピングセンターなかざわ10:30~40ー
へんろ小屋5号蒲原10:50ー高知市境11:05ー30番善楽寺11:25~42
ー土佐一宮11:43~54ー田島(昼食)12:37~13:00ービジネスホテル
空港13:24~28ー31番竹林寺14:12~40ー青柳橋15:14ービジネス
ホテル空港15:50

(距離 30km、歩行地 野市町、南国市、高知市、歩数 49,200)
 

 
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四国遍路道ある記(前編)・高知その5

2006-09-22 21:43:01 | 初めての四国遍路
 わが家の西側、玄関先にあるキンモクセイが咲き出しました。2階
東側のパソコンの前に座っていても、ほのかな香りが感じられます。

 市内を歩くと、住宅地のそちこちでも同じ香りが漂っています。
いま四国を遍路中の方も、感じておられるのでしょうか。

 四国遍路道ある記、12日目の写真は4枚だけでした。


 第12日 2004年3月2日(火) 曇後晴 <28番大日寺>
 =海岸の自転車専用道を行く=
 
 6時起床、7時朝食、7時35分に西内旅館を出る。

 幅広い歩道と街路樹のある安芸市本町の新しい通りは400mほど
続き、終端に阪神タイガースの「虎いちばん」という彫刻があり、回り
に「歓迎阪神タイガース」ののぼりが並ぶ。

 安芸市は阪神のキャンプ地だったことを思い出す。
 その先は古い家並みの本町商店街、中ほどに「菊水」銘の酒造店
があった。

 安芸漁港の横で国道55号に出て、「高知36km 南国25km」の
道路標示の先で、海岸沿いの自転車専用道に入った。

 堤防越しに波静かな海を眺めながら進む。漁を終えた小さい漁船が
次々に安芸漁港に帰ってくる。

 車を気にせずに歩ける自転車道、通学の高校生の自転車くらいしか
来ないので安心。欲をいえば透水性の舗装にしてもらうと足に優しい
のだが…。

 暖かくなったので、最初の岬にあった東屋で厚いシャツを脱ぐ。八流
では道路に野ウサギがいたが、近づいたら草むらに逃げ込んだ。

 ツバキなどの広葉樹の多い魚つき保安林の間を進んで、番外霊場、
八流山極楽寺の近くを通過。花盛りの桜が1本だけある。

 御殿鼻という岬を回る。薄日が背後から差してきて、お大師様の
ような(自分の)影が前に進む。だが、まだお遍路をしているという
よりウオークの気分である。

 桜並木になったが、咲き出したのは若木2本のみ。土手のナノハナ
がやわらかな彩りを見せる。


 岬を回ったところにある赤野休憩所からは、前方に緩いカーブで長く
のびた松林と砂浜が見え、北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲、「雨」の
歌碑があった。

 弘田はこの地の出身、歌碑の字は、サリドマイドのハンディを克服して
熊本市役所に勤める辻典子さんが足指で書いたものと記されていた。

 赤野駅の100mほど手前に遍路接待所があった。木材加工場の
一部を解放しており、居られたKHさんから、「休んで行きませんか」
と声をかけられた。入って休ませてもらう。

 お茶、コーヒー、ミカン、ふかしいもなどが用意されていたので、コー
ヒーを頂いた。

 そのの先6kmほどは琴ヶ浜と呼ぶクロマツの林が続き、海からの
そよ風が心地よい。一帯は手結住吉県立公園に指定されており、琴ヶ
浜休憩所には、車で来た人が何人か休んでいた。

 和食川の先、長谷奇の海岸はウミガメの産卵地で、「車は入らぬよう
に」と書いてある。この辺りは透水性舗装なので歩き易い。

 国道55号が近づき、やがて平行して夜須町に入る。右膝にサポータ
を付けたのだが、きのうより痛む。

 ジャガイモがやわらかな葉を伸ばしている。帰ったら私も植えなけれ
ばと思う。

 手結岬へのカーブにかかる。岬の上に見えていた、ピンク色に塗った
国民宿舎海風荘の近くで2つのトンネルを抜ける。1車線のトンネルだが、
背の高いことから、もとは国道だったと思われた。

 ところが、帰宅後調べたら、長い自転車道は土佐電鉄の廃線跡だっ
たと分かった。2つのトンネルも鉄道のトンネルだったのだ。

 国道55号が近づいたところで休憩。そろそろ昼食の用意をと思い
国道に出て、豊栄橋先の交差点にあったローソンで弁当を買う。

 海側は道の駅夜須のあるヤ・シイパークと呼ぶ海浜公園。ヤシの木や
広い芝生広場があり、夏は海水浴場になるようだ。

 その芝生の一角にシートを敷き、突堤付近でのウィンドサーフィンを
見ながら昼食。公園には遠足の小学生や幼児連れの奥さんなどがいた。

 旧道を進んで月見山の下で香我美町に入る。山すそを回り陸上自衛
隊高知駐とん地前を通過、香宗川を渡り、支流沿いに行き、城山高の
横から国道55号に出る。

 すぐ先に「旅館かとり」の大きな建物があった。併設のレストランで
受付を済ませてから、ザックを預けて大日寺へ向かう。

 右前方の山上に西洋の城のような建物が見える。国道55号と県道
22号に分かれるY字路には信号があるが横断歩道がない。歩行者
無視も甚だしい。

 その県道を進んで野市町の中心地で右折、役場付近で夕刊配達の
若い人から「余ってますからどうぞ」と、高知新聞夕刊のご接待を
頂いた。役場前から北に向かうと、龍馬歴史館の建物が見えた。

 急な石段のへんろ道を上がって28番大日寺へ。山の中腹にある
簡素な寺だった。

 膝痛のため、帰り道は車道を回って下る。

 大谷の動物公園があるという山に、3枚羽根の風力発電用プロペラ
が回っている。16時に、旅館かとりに戻った。

 すぐに入浴。きょうは汗をかくほど気温が上がらなかったので洗濯
は休止とする。

 夕食はレストランで。隣は、江東区からの2回目の歩き遍路。2年前
初めての時は、骨折のリハビリにと歩いたのだという。日本ウオーキン
グ協会の「空海のみち」の16人も久しぶりの同宿となった。

〈コースタイム〉西内旅館7:35ー安芸漁港8:00ー岬の東屋8:30~33
ー赤野休憩所9:17~28ー遍路休憩所(Kさん)9:45~10:01ー国道際
(十代)11:02ーヤ・シイパーク(昼食)12:00~37ー旅館かとり13:44~50
ー28番大日寺14:44~15:03ー旅館かとり16:00

(距離 29km、歩行地 安芸市、芸西村、夜須町、香我美町、赤岡
町、野市町、歩数 48,100)
コメント (2)
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四国遍路道ある記(前編)・高知その4

2006-09-21 22:18:16 | 初めての四国遍路
 東京・品川駅東口の歯科医院に行き、先月から5回目で2つの歯
の治療を終えました。

 さわやかな好天だったので、品川から芝浦を経て、国道15号沿い
に田町、浜松町、新橋へ、さらに有楽町から東京駅八重洲口のブック
センターに寄り、東京メトロ大手町駅まで歩きました。歩行距離は約
9kmでした。

 昼食は、新橋の讃岐うどんの店で。四国遍路で何度か食べた、讃岐
うどんの味を思い出しました。

 というわけで、今日も「四国遍路道ある記」です。


 第11日 2004年3月1日(月) 雨後晴 <27番神峰寺>
 =台車のお遍路さんと一緒に=
 
 6時30分起床、7時朝食。きのう頼んておいた、靴に新聞紙を入れ
るのを忘れたと、おかみさんがわびに来たが、ほとんど乾いていた
ので歩くには支障ない。

 昨夜夕食後に来た歩き遍路氏は、途中で車のお接待を受けたとは
いえ、東洋大師から来たという。私のほぼ2日分を1日で来たのだから
疲れるわけだ。階段を下りるのも辛そう。素泊まりのようだった。

 小雨模様なので、ザックカバーを付けポンチョをかぶり7時58分に
出る。ポンチョを着ると暑くなりそうなので、厚手のシャツは初めから
無しにする。

 奈半利川の先で国道55号を外れて海側の旧道へ。古い町並みが
残っており、関御殿と呼ぶ土塀に檜皮葺(ひわだぶき)の旧家があった。
その先、さらに海沿いの通りには、白壁やひさしの低い旧家が多く残る。

 田野町に入ると、安永4年(1775)大地震の標石があり、近くの
公園には「東経134度のまち田野町」の標識が立つていた。

 すぐ先から安田町となり、国道の北側に旧道が続く。神社前に
「不動の海浜」「野根山23士会合の地」の標識があった。

 製材業の並ぶ町並みで、ビールのカートン箱4つを積んだ台車に、
取っ手を付けて押し歩く歩き遍路氏と一緒になり、しばらく同道する。

 大きな荷は野宿のためのもの。石川の人で、逆打ちで一番霊山寺
まで到達した後、折り返して順打ちを続けているという。

 安田川大橋を渡り、安田の旧道へ。高知県内に入ってあちこちの
町で看板を見かけた、清酒「土佐鶴」の工場があった。

 神峰寺(こうのみねじ)への上りはきついというので、東谷の土佐くろ
しお鉄道のガードの先の家に、台車の遍路氏と一緒にザックを預けた。

 棚田の横を上がり、「真っ縦」と呼ぶ急傾斜の山道にかかる。雨に
濡れた草をかき分けるところもあり、急斜面をゆっくりと上がる。

 3度ほど車道を横断、最後は車道を上がる。以前会ったことのある、
カートを引く歩き遍路氏が下りてきて、台車の遍路氏とカートの車輪
の耐久性のことなどをひとしきり話す。

 汗をかいたので駐車場そばの売店で飲み物を飲んで休憩。どうやら
雨はやんだようだ。更に少し上って27番神峰寺境内へ。

 本堂に上がるには、つつじの植え込みの間の急な石段があるが、膝
をかばい右側の車道を上がる。


 納経所で「歩きですか」と聞かれたので「そうです」と言うと、お茶と和
菓子のお接待を頂いた。


 石段の脇に「神峰の水」と呼ぶ霊水が流れ落ちていた。

 下りは膝痛が気になるので、台車氏には先に下りてもらい、ゆっくり
と下る。駐車場まで下ったら、東京と千葉の若い女性3人が上がって
きた。

 今日は休養日なのでゆっくりで、宿もこの近くとか。まだ膝が痛いと
話したら、「サポータを付けたら」と教えてくれた。

 下りはへんろ道を使わず、車道を下りる。桜並木のかたわらに
東屋があり、奈半利の町と海の展望がよい。


 棚田にレンゲが咲き、そばの桜は3分咲きくらい(この田ではない)。

 気になった膝も昨日の午後ほどは痛くない。それでもカーブでは
傾斜の緩い方を選んで下りた。

 ザックを預けた家まで戻り、高架の線路を越えて南東へ進む。
へんろ道は高架のそばから西へ行くのだったが気づかず、500m
ほど回り道になり、浜吉屋旅館の角から旧道を西に向かう。


 山の中腹に、上ってきた神峰寺のお堂が見え隠れする。
 
 国道に合してから海側の旧道に入る。土佐くろしお鉄道の線路に
平行するあたりで日が差し、やがて晴れてきた。

 安芸市に入り、大山岬にあった「レストランえびす」で昼食。この先
高知市を経て足摺岬まで伸びる大きな湾が、西から南にぐるっと
一望できる景勝地。すぐ先にはフェニックスの茂る展望台もあった。

 店を経営するご夫妻は、轟大権現大先達の免許を持つ大峰山系
の山伏。店にその免許状が飾ってあった。

 「病気で治らぬ病は霊に付かれており、自分たちはその霊を取り
払って治すのだ」というご主人の話が止まらない。折を見てトイレを
借り、店を出た。

 地元の農産物などを販売する、小規模な「道の駅大山」の先に、
波切不動尊があり、ご神木の梛木の木は樹齢300~400年と
いう。

 その木は、国道でただ一つという中央分離帯の中に残されていた。

 伊尾木で旧道に入ったら、伊尾木松尾公民館の裏手、クスノキの
下に新しい寅さん地蔵が2基ある。

 平成8年に、第49作「寅次郎花へんろ」の企画が決まったのだが、
寅さんが死んでまぼろしとなったので、記念に建立したという。

 伊尾木川橋と安芸川橋を渡り、安芸市内の旧道を進んで、15時
45分、西内旅館に着いた。

 鉄筋造りのビジネスホテル調で、畳敷きながらバストイレ付き。
洗濯機を借りて洗濯したあと、おかみさんに近くの薬局を教えて
もらい、サポーターを購入する。

 夕食は1階の日本間。25日から鉄道や車の接待を利用しながら
遍路しているという秋田の男性と一緒。「退職してやることがない
ので、遍路に来た」とのことだった。

〈コースタイム〉山本旅館7:58ー東谷の民家(ザック預け)9:30ー神峰
寺へのへんろ道10:07ー駐車場10:35~45ー27番神峰寺10:45~
11:20ー東谷の民家12:22~25ー下山駅入口13:15ーレストランえびす
(昼食)13:28~14:16ー波切不動尊14:46ー西内旅館15:45

(距離 24km、歩行地 奈半利町、田野町、安田町、安芸市、
 歩数 40,600)




 
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