あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

2025新春 所沢七福神めぐり 〈前半・1~3番〉(埼玉・所沢)

2025-01-15 20:41:23 | 七福神めぐり
 2025年1月8日(水)

 好天の今日は、所沢七福神巡りに行くことにした。数年前なら1~7番まで通して歩い
たのだが、近年は加齢に伴い前半と後半に分けて2日間で回ることにしている。

 自宅を9時30分に出て、ひと駅乗ってスタートは西武池袋線・新宿線が交差する所沢
駅から。


 中央改札を出て東口に下り、駅前広場の南側にある西武鉄道本社横から南へ。


 駅東側の踏切から伸びてきた道路へ。広い空き地は、数年後には西武線をアンダーパス
して西側へ抜ける市道を作るために確保されたところ。

 
 その横から南へ、西武バスの所沢営業所前を過ぎる。


 6差路かと思われる「北秋津」交差点の北西側、「八雲神社」に立ち寄り参拝する。


 境内には、近くの保育園児だろうか、十数人が遊んでいた。


 交差点際の自販機横から、南へ延びる車の少ない旧道に入り住宅や畑の多いエリアへ。



 左手斜面に茶畑が広がるところのT字路際、モミの木の下に古いお地蔵さんが。
     

          反対側にも、屋根付きのお地蔵さんが祭られている。
          


 T字路を右折したすぐ先、民家の庭先にジュウガツザクラが咲き、庭には、たくさん実
るピラカンサも。
     

 少し先で左折して東へ、次のT字路際の民家の門の横には、珍しい「百番拝禮塔」が4
基並んでいた。

 この家の方が、板東三十三観音、西国三十三観音、そして秩父三十四観音霊場を巡り終
えて、建立したものかと思われた。それにしても何代かで4回も巡られたとは・・。


 T字路を右折した先の高台には墓地があり、北東の隅にはお堂が。



 県道4号・東京所沢線を横断歩道で越えて直進すれば、所沢七福神 第1番、恵比寿神の
「縁上山 持明院」の門前へ。


 持明院の創建は平安時代と伝えられ、「その昔、悪さを重ねていた柳瀬川の河かっぱが、
和尚様に説教されて詫び証文を書いた」という伝説が残っているとか。


     門を入った左手に6地蔵が祭られ、その横には二宮金次郎像が。
     


 最初に本堂に参拝し、左手(西側)の墓地際に回ってお堂や三界萬霊塔などの間から、
西方を眺める。





 西武新宿線の線路の向こうに「国際航空専門学校」が見下ろせ、その背後には奥多摩か
ら奥秩父へと連なる山並みが望まれた。




 境内南側、竹林の下は崖地になっていて、竹林の隙間から、当寺のかっぱ伝説ゆかりの
柳瀬川がカーブする辺りが見下ろせる。
     

     最後になったが、本堂の右手前にある「所沢七福神」の「恵比寿神」に参拝した。
     

  
      県道4号線まで戻り、県道を西へ緩やかに上がって西武新宿線の上を越える。
      

 越えた先の右カーブ際から斜面下へ細道を下り、「久米南」交差点の横断して西進する。



 そばにセブンイレブンのある「勢揃橋北」交差点を直進、うなぎ料理の日本料理店「野
老(ところ)」 の先の三差路際、北側一帯が「所沢七福神」第2番、大黒天の「長久寺」。


 長久寺は、鎌倉時代の文永11(1274)年に玖阿弥陀仏が創建したと伝えられ、所
沢で唯一の時宗の寺。

 寺の横を「鎌倉街道上道(かみつみち)」が通過していて、この上道沿いには時宗の寺が
多く、道を通して信仰が広がったことがうかがえるという。

 そういえば、かなり以前にカントリーウオークで歩いた、県中央部の嵐山町(らんざん
まち)の鎌倉街道上道沿いに、時宗の寺があったことを思い出す。

 境内では、春には桜、秋にはドウダンツツジがきれいなことが知られている。

 山門の両側で、仁王像がにらみを利かして立つ。


     大黒天は、山門を入ると右手に祭られている。
     

 正面の本堂に参拝後、境内を一巡する。


     
 本堂の右手前に、時宗の開祖 一遍上人像があり、その背後に枝を大きく広げたドウダン
ツツジがあるが、いまは枯れ枝。



 境内東北側にある庫裡(くり)の前にソメイヨシノが、南東側の鐘楼の近くには2本の
イチョウが立ち、何れも市の保存樹木になっている。
  

   


 鐘楼近くには「豊川稲荷神社」があり、参拝して3本の鳥居を抜けて、11時29分に
長久寺を後にした。



 少し戻って日本料理店「野老」前を通過、セブンイレブンのある「勢揃橋北」交差点を
右折して南へ。


 すぐ先、柳瀬川に架かるのが「勢揃橋」で、標識などないが「新田義貞が鎌倉攻めの際、
ここで数万の兵を勢揃いさせたことから名付けられた」とされているよう。
  
 
 橋を渡って南下すると左手に、ソーラーパネルがたくさん水面を覆う調整池が。その先
の大規模な戸建て住宅地、松が丘地区の豪雨時の排水めために作られた池で、ソーラーパ
ネル群は「フロートソーラー所沢」と呼ばれている。

 

 池の南西側の三差路、「松が丘東」交差点の先で松が丘の住宅地に入り、東に少しで西方
に回りこんで狭山丘陵の東端へ。


 いまは枯れ枝の広葉樹が主体の樹林上の稜線は、東京都東村山市と埼玉県所沢市との都
県境。

 稜線上を遊歩道が西へと延びていて、南面は「都立 八国山緑地」、北面は所沢市管理の
「八国山緑地」と呼ばれ、「埼玉県狭山丘陵いきものふれあいの里 蝶の森(スポット5)」
でもある。


     
 パネルの横から稜線に向かって上がって行くと、北方に所沢市の中心市街地に林立する
タワーマンション群や、所沢駅に近い新しい商業施設ビル「エミテラス」などが望まれる。








     



     
 落ち葉たっぷりの遊歩道を少し進めば、右手に「元弘石塔婆所在趾」碑が、背後の塚の
上に「将軍塚」碑があり、「将軍塚」の説明パネルも。
  


 
     
 少し先には、ナラやクヌギなどを萌芽更新(ほうがこうしん)して間もないエリアがあ
り、さらに気持ち良い林間を進む。


 
 東村山市諏訪町方面への分岐際に「都立八国山緑地」のパネルが立ち、南側は「あおぞ
ら広場」で、南南東に西武新宿線 東村山駅前のタワービルが望まれた。




  


 さらに稜線上を、左手に「ほっこり広場」ヘの分岐を過ぎ、右手の樹間からは所沢市西
部の椿峰地区の中層住宅地らしいビル群も望まれた。

 
  
 稜線上の右手樹間から水道タンクが見え、下には松が丘の戸建て住宅群が見下ろせる辺
りで、どうも来すぎたようだと気づき、戻ることにした。


 帰宅後に地図で確認したら、八国山緑地の西端に近いところまで進んでしまったよう。


 10分近く戻っただろうか、北側に久米八幡宮や久米水天宮への標柱があり、そこを下
って松が丘の住宅地へ。

 この下り道は通過したときに気付いていたが、次回に回る5番「佛眼寺」への下り道を
意識していて、間違えて行き過ぎたのだった。

 松が丘の戸建て住宅地の中心を東西に走る市道に出て、東へ少しで、「松が丘中央公園」
前へ。


 公園の東側を北進して並行する市道に回り、「松が丘中央」交差点の北側から右カーブ
する細道を少し進むと、「所沢七福神」第3番の「佛眼寺」前に出た。

 
 短い石段を上がって正面の本堂に参拝する。


 3番「佛眼寺」は平安時代に開かれたと伝えられ、明治維新までは北側背後にある「鳩
峰八幡神社」の別当を務めたとか。別当とは、神社を管理するために置かれた寺のよう。

     本堂の前、左手には観音像と弘法大師像が。
     

          
          所沢七福神の福禄寿は、右手につ立つ金色の一願観音像のそばに。
     

 境内東側には、十三仏像に囲まれるように十三重塔がある。


 八国山緑地を予定以上に行き過ぎて時間を費やし、疲労感がつのる。この後予定してい
た第4番「永源寺」は次回に回すことにして、バスで所沢駅に戻ることにした。

 久米八幡市民緑地の南東端の交差点に戻り、バス道路を東に少し進むと「水天宮下」バ
ス停が見え、背後から西武バスが来て止まった。

 手を挙げて乗ることを示し、バスに向かって小走りしたらバスは待っていてくれて、無
事乗車することができた。

 13時17分に所沢駅西口終点に着き、近くの大規模商業施設「エミテラス」へ。



 1階のフードコーナーに入り、「横浜中華街 梅欄」で海老ワンタンメン(900円)を
注文して昼食にする。



 所沢駅に戻って14時23分発の西武池袋線下り電車に乗り、14時45分に帰宅した。

 今日歩いたエリア


                                     〈続く〉



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