あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

秋の特別拝観と紅葉の奈良・京都へ(②京都・東福寺と泉涌寺)〈後半〉

2021-12-12 18:36:31 | 京都を歩く
 2021年11月17日(水)〈後半・泉涌寺へ〉



 午前中の東福寺の拝観と昼食を終えて東福寺駅近くまで戻り、東大路通りを駅とは反対
の東北に向かう。

 京都第一赤十字病院前を通過し、泉涌寺道(せんにゅうじみち)交差点で東大路通りと
分かれ、住宅の増えた通りを緩やかに上がりながら東進する。

 その突き当たりに、泉涌寺の総門が見えてきた。


 すぐ手前左手は、泉涌寺の塔頭(たっちゅう)のひとつで京都七福神第一番・福禄寿を
祭る即成院(そくじょういん)である。

 門前の立札を見ると、なかなか興味深そうな寺だが、拝観の時間は無さそうなので省き、
泉涌寺の寺域に入った。





 常緑広葉樹に覆われた参道を進むと、右手に泉涌寺塔頭のひとつ法音院の山門が。

 創建は鎌倉末期の嘉暦元(1326)年だが応仁の乱で焼失し、寛文5(1665)年
に再建されたとか。書院は伏見桃山城の遺構の一部のようだ。

 洛陽三十三観音霊場第二十五番札所で、泉涌寺七福神の寿老人を祭るという。
     
 ここも、門前から正面をのぞくのみとした。

 さらに進むと。左手には戒光寺(かいこうじ)がある。

 やはり泉涌寺の塔頭のひとつで、安貞2(1228)年に八条大宮に創建され、後堀河
天皇の勅願所になったよう。現在地に再興されたのは正保2(1645)年とか。

 重要文化財の本尊釈迦如来像は運慶・湛慶父子の合作による極彩色の木彫の大仏で、鎌
倉時代の代表作であり台座を含めて約10mあるという。

 その先、左手を下ったところには、泉涌寺の塔頭で純別格本山の新善光寺の山門や大屋
根の本堂が望まれる。

 寛元元(1243)年の創立で、本尊は信州善光寺と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の
作だという。


 さらに樹林に覆われた参道を進む。西国三十三観音第十五番札所の今熊野観音寺の門前
や、後堀河天皇陵、孝明天皇陵などへの入口のすぐ先が、目的地、泉涌寺の大門である。




 泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山。皇室との関わりが深いので「御寺(みてら)」と
して親しまれているという。

 平安時代に弘法大師により営まれた草案が起こりで、建保6(1218)年に宋(中国)
から帰朝した月輪大師の寄進で大伽藍が整えられ、その際、境内に泉が湧き出たことにち
なみ泉涌寺と改められたとか。

 仁治3(1242)年の四条天皇をはじめ、歴代の多くの天皇の葬儀が行われ、寺内に
御陵が営まれており、皇室の香華院(菩提所)として厚い崇敬を受けてきたという。

 14時27分頃に大門をくぐり、そばの受付で仏殿と舎利殿の伽藍拝観券(500円)
を求めた。

 仏殿と舎利殿拝観の前に、大門を入ってすぐ左手の楊貴妃(ようきひ)観音堂を参拝す
ることにした。

 お堂はそう大きくはないが、横のモミジがよい彩りを見せている。
         

 大門からは少し下リ坂となっていて、右手に浴室↓があり、その先正面が仏殿である。



 重要文化財の仏殿は、寛文8(1668)年に4代将軍徳川家綱の再建。本尊は鎌倉時
代の代表的な仏師・運慶作の「三世三尊仏」で、左手の阿弥陀如来は現在、中央の釈迦如
来は過去、右の弥勒如来は未来の守護神として、三世にわたる人類の平安と幸福を祈念し
ているという。

 堂内は拝観したが撮影禁止なので、もらった4つ折りリーフレットから三尊仏を。


 次に背後の舎利殿に回ったが堂内の拝観はできず、正面から拝礼するのみだった。

 舎利殿は、お釈迦様の遺骨である「仏舎利」を納める貴重な霊殿。ここに納められてい
るのは印度、兜率天(とそつてん)、中国に伝わった不可思議な仏舎利で、釈迦の歯にあ
たり、説法をされる口にあることから特に尊い舎利といわれているようだ。

 ちなみに、「兜率天」とは仏教の世界観における天界の一つのことだという。


 この後、舎利殿の北側、山すそにある御座所とその庭園を拝観することにした(拝観料
300円)。


 皇族や天皇の勅使が寺を訪れたときに開かれる勅使門↑の前を進み、左手の門をくぐる。


 右手に見える檜皮葺き(ひわだぶき)の建物は勅使門の奥の「御車(みくるま)寄せ」
で、屋根の破風には菊のご紋の飾り板が付いている。


      御座所の玄関を入ると、菊の花などが飾られていた。
     

 御座所は、皇族が東南にある御陵や、霊名殿などへの参拝の際の御休息の場所。建物は
京都御所にあった皇后の御里(おさと)御殿が下賜されて、明治17(1884)年に移
築・再建されたとか。

 建物内は6つの部屋に分かれていて、南側の庭園に面して「侍従の間」「勅使の間」
「玉座の間」が、北側に「女官の間」「門跡の間」「皇族の間」になっている。

 玉座の間は一段高くなっていて、特徴ある違い棚があり、6つの部屋は撮影禁止だった
が、庭園と一部のふすま絵などは撮影可能だったので、それらの一部を紹介する。



 庭園のあちこちに植え込まれたモミジが、ちょうど見頃だった。


     



     

 この雪見灯籠は仙洞御所から移されたようで、桂離宮のものとともに雪見灯籠の双璧と
称されているという。








     











 御座所内部と庭園の拝観を終えて門を出た。南側の砂利敷の広場の一角には、よしず張
りの小屋が建てられ、京都菊花会による菊花展を開催中だったので、一巡して観覧した。



 右手の多くは樹木仕立ての作品だが、色彩豊富で見応えがある。












     










 仏殿横から緩やかに上がって大門に戻り、15時27分頃に大門を出た。

 往路の境内を西北へと戻って総門を抜け、東大路通りの泉涌寺前バス停から間もなく来
たバスに乗り、京都駅前バス停に16時10分頃着いた。


 京都駅北口の地下街で小休止後、2階のコインロッカーに預けた荷物を引き取り、地下
鉄烏丸線に乗り四条駅で下車する。

 今夜の宿は近くのビジネスホテルで、何度か利用しているおなじみの宿。17時25分
頃到着した。


 2時間近く部屋で休憩後、夕食に出かけることにした。四条烏丸交差点際のビル地階に
ある「博多もつ鍋やまや」に入り、白もつ鍋と生ビールを注文して夕食とした。


     





 20時10分過ぎ、ビジネスホテルに戻る。

(天気 晴、歩数 17,200)




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秋の特別拝観と紅葉の奈良・京都へ(②京都・東福寺と泉涌寺)〈前半〉

2021-12-10 10:05:10 | 京都を歩く
 2021年11月17日(水)〈前半・東福寺へ〉

 近鉄奈良駅近くのビジネスホテルで6時頃起床し、7時過ぎからホテルでのサービス朝
食を済ませる。8時45分にチェックアウトして、宿の前で大宮通りの信号を渡り近鉄奈
良駅に行く。

 間もなく発車の京都行き特急電車に空席があるようなので、急ぎ特急券を買い2両編成
の特急電車に乗車した。近鉄の特急電車に乗るのは初めてかもしれない。





 東側の沿線風景などを眺めているうちに木津川↓を渡って京都府内に入り、定刻の9時
37分に京都駅に着いた。


 今日最初の目的地は、モミジの名所として知られる東福寺である。

 京都駅2階のロッカールームに不要な荷物を預け、駅構内の観光案内所でパンフレット
などを集めた後、北口駅前のバス停に回ったが、乗ろうとした東福寺方面へのバスが見て
いる前で発車してしまったのでJRで行くことにする。


 JR京都駅8番ホームに回り、10時33分発奈良行みやこ路(じ)快速電車に乗る。


 ひと駅なので、10時37分に東福寺駅に着く。前方改札から東側に平行する京阪電車
の東福寺駅改札前に回って駅を出た。


 東南方向に4~5回左右折して東福寺の北側から境内に入り、紅葉を眺める場所のひと
つとして知られる臥雲橋〈がうんきょう〉へ。

 駅から途切れなく続いていた観光客の多くが、まずは屋根のかかったこの橋から観覧し
ていた。


 東側に、この後渡る通天橋や方丈などが望まれ、その周辺をモミジで埋め尽くされてい
るが、最盛期はもう少し先かと思われる。


 それでも見頃の木々もかなりあり、皆さんじっくりと観賞していた。

 ちなみに、東福寺のサイトを確認したら、1週間後の11月25日(木)頃が一番見頃
だったよう。

 また、12月1日(水)のBS朝日「京都ぶらり歴史探訪」で、紅葉の名所のひとつと
して紹介していた、臥雲橋からの最盛期の様子。



 臥雲橋を抜けて境内を南進すると、両側のモミジもよい彩りを見せていた。


     


 境内中央部の日下門(くさかもん)↓を入る。上は日下門のそばにあった境内図。方位
では左が北、下が西、右が南、上が東になる。



 臨済宗大本山の東福寺は、摂政九條道家が、奈良で最大の寺院である東大寺に比べ、ま
た奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願から「東」と「福」の字を取り、
京都最大の大伽藍を造営したようで、嘉禎2(1236)年から建長7(1255年)ま
で19年を費やして完成したという。

 境内には幾つもの堂宇があるが、そのうち近くの法堂(はっとう)と三門(さんもん)
が特別公開中なので、三門のみ拝観することにした(拝観料1000円)
     

 国宝の三門は、高さ22m、横22.5mあり、そのどっしりとした構えに圧倒される。

 三門は、「山門」と記すところもあるが、東福寺の門は五間三戸、つまり柱と柱の間が
5つで門扉が3つあることから「三門」と表すのだという。

 これは「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無作門(むさもん)」を意味
していて、悟りに通ずるために通らなければならないとされる三つの解脱(げだつ)の境
地だと言われているようだ。

 日下門の東南にある禅堂


 手前の法堂の横を進んで三門に行き、60度以上はありそうな急階段を上がって回廊を
一周し、まずは京都市南部の風景を眺めた。

 そのあと内陣を拝観する。内陣中央には宝冠釈迦如来像が、その脇侍として右に善財童
子(ぜんざいどうじ)、左に月蓋長者(げつがいちょうじゃ)が控える。

 さらにその左右に、お釈迦さまを囲むように弟子の十六羅漢像が並んでいた。いずれも
室町時代初期に造られたと伝えられているようだ。天井には極彩色で天上世界が描かれて
いるが、堂内はもとより周辺の風景を含めて撮影禁止だった。

 12月1日のBS朝日「京都ぶらり歴史探訪」で放映されていた堂内の様子の一部。








 三門の階下に立ち並ぶ太い柱群


 北側の法堂↓は東福寺の本堂にあたり、明治14(1881)年に仏殿と法堂が焼失し
た後、昭和9(1934)年に仏殿兼法堂として再建されたとか。

 高さ25.5m、間口41.4mという大きな建物は、昭和の木造建築中では最大だと
いう。

 法堂も特別公開中だが拝観はせず、正面の扉の隙間から少しだけのぞいてみた。

          
 そのわずかな隙間からは、正面に本尊の釈迦如来立像↑を拝観でき、天井に描かれてい
た堂本印象作の蒼龍図の一部↓も撮ることができた。
          


 この後は、庫裡↑の横や方丈の勅使門↓の前を進んで、通天橋庭園と普門院庭園を拝観
することにした(拝観料600円?)。


 まずは通天橋と最初に見た臥雲橋との間に広がる通天橋庭園を一巡する。


     


 まだ早めの木も多いが、かなりのモミジがよい彩りを見せていた。


 この後回る通天橋周辺。


     

          

     

     

 北側にあるのは愛染堂。中には、鎌倉時代制作の愛染明王座像を安置しているという。


 南東側の法堂



 通天橋の北端から回廊を少し上がり、普門院の門から開山堂とその前に広がる庭園を眺
める。




 回廊から通天橋へ戻る途中からの法堂(手前)と三門(奥)



 通天橋を入口の方に向かって進みながら、両側にびっしりと並ぶモミジの彩りを眺めた。


     

 橋の途中には、三笠宮同妃両殿下、高松宮同妃両殿下、それに秩父宮妃殿下各々の記念
植樹のモミジもある。


 主な見どころを一巡して拝観を終えたので、12時20分頃に日下門を出た。


 すぐ先、北西側にあるのが東福寺五塔頭(たっちゅう)のひとつ、天得院(てんとくい
ん)。ここも今日まで特別公開中だったので、拝観することにした(拝観料1000円)。
    

 ちなみに塔頭とは、寺院中で大きな寺のいわば寺内寺院。とくに禅寺では高僧の基所に
建てられた塔,またその塔を守るための庵などのことをいう。


 山門から内部は撮影禁止だったが、「桔梗(ききょう)の寺」や「花の寺」として知ら
れ、スギゴケやモミジなどのきれいな桃山時代に作庭されたという枯山水庭園などを、
20分近く鑑賞した。



 12時40分を過ぎたので天得院の北側にあった食事処に入り、庭先の床机で「生ゆば
うどんと松茸ご飯(1100円)」の昼食をした。




 13時20分近くに食事処を出た。午後は、南東側近くにある泉涌寺(せんにゅうじ)
に行くことにする。


 臥雲橋を戻って少し進むと、塔頭のひとつ同聚院の門前に「御開帳 土力〈どりき〉不動
尊」の標示があり、入口周辺にたくさんの白バラが咲き競う。





      その先、龍眼庵周辺のモミジがよい彩り。
          

 左右折を3度した先にあるのが、東福寺の塔頭のひとつ退耕庵(たいこうあん)。

 豊臣秀吉の没後、石田三成や宇喜多秀家らが関ヶ原の戦いの謀議を行ったと伝えられて
いて、慶応4年の鳥羽伏見の戦いでは、長州藩の陣が東福寺に置かれたことから、当庵は
その戦いの殉難者の菩提所となっているという。
     


 山門から少しだけ入れたのでの入り、モミジなどを眺めた。


 東福寺駅近くまで戻り、東大路通りを駅方向とは反対の東北に向かう〈続く〉




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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ③ 八坂神社から建仁寺と智積院へ〈後半〉

2019-04-27 18:27:04 | 京都を歩く
 2019年3月15日(金)
 =八坂神社から建仁寺と智積院を特別拝観〈後半〉=

 建仁寺の3つの塔頭寺院の特別拝観の観覧を終えて北側の四条通へ。

 昼食場所を探しながら四条大橋を渡り、阪急河原町駅そばの京都マルイのビルに入り、
7階レストラン街の元祖オムライスの店「北極星四条河原町店」でオムライスの昼食をし
た。


    
 ちなみにオムライスは、大阪にある「北極星心斎橋本店」が1925年に考案したのだ
という。

 13時45分頃店を出て、バスで京都駅前まで行くが、帰りに予約してあった上り新幹
線まで時間があるので、もう1か所特別公開の寺院に回ることにして、バスを乗り換えて
東山七条バス停で下りた。

 今回最後の特別公開寺院として訪ねたのは、真言宗智山派総本山の智積院(ちしゃくい
ん)である。

 智積院は全国に約3千の末寺があり、そのなかには成田山新勝寺(なりたさんしんしょ
うじ)、川崎大師平間寺(へいげんじ)、高尾山薬王院を始め、高幡山(たかはたさん)
金剛寺、大須(おおす)観音宝生院(ほうしょういん)の別格本山があり、壇信徒数は約
30万人にのぼるという。

     
 バスを下りた東大路通から入った境内は広く、正面の金堂に延びる参道沿いには、八重
のモモが見ごろで何本も咲き競い、サンシュユも花を開いていた。
          


 境内中央部の拝観受付で受付を済ませ、最初に西側突き当たりの講堂に入り、奥に続く
大書院や宸殿(しんでん)などを一巡する。












 宸殿では、特別公開の堂本印象作の「松桜柳(しょうおうやなぎ)の図」など色鮮やか
な障壁画を拝観する(撮影禁止なので、以下3点は特別公開ガイドブックから)。

 堂本印象「松桜柳の図」


 堂本印象「婦女喫茶図」

 
 長谷川等伯「楓図」(国宝)


 ほかの場所は撮影可能だったので、幾つもの障壁画や庭園の様子などを。


     









     



     

         





























 その後、東側突き当たりにあるコンクリート造りの金堂↑や、その右手の明王殿(みょう
おうでん)へ。

 金堂は昭和50(1975)年の再建で、明王殿は護摩道場、祈祷所であり、不動堂と
も呼ばれているよう。

 金堂の前には、慶長6(1601)年に徳川家康の外護を得て智積院を再建したという、
玄宥(げんゆう)僧正像があった。
     

 明王殿


 16時を過ぎたので智積院を出て、バスで京都駅に戻る。京都駅発17時32分のひか
り530号で帰途についた。  





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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ③ 八坂神社から建仁寺と智積院へ〈前半〉

2019-04-26 22:21:57 | 京都を歩く
 2019年3月15日(金)
 =八坂神社から建仁寺と智積院を特別拝観〈前半〉=
 
 京都・四条大宮のビジネスホテルで7時半過ぎから朝食をして、8時50分にホテルを
出た。


 四条大宮駅から阪急電車で終点の河原町まで行く。今日の主目的は建仁寺(けんにんじ)
の特別拝観だが、拝観は10時からなので、その前に近くの八坂(やさか)神社を訪ねる
ことにした。


 四条通を東へ、四条大橋で鴨川を渡る。


 通の南側に南座↑を見て進み、祇園(ぎおん)交差点を渡れば八坂神社の山門がある。



 山門を入り拝殿に参拝し、境内を一巡する。八坂神社は全国の祇園社の総本社で、厄除
け祈願と商売繁盛の神社。7月の祇園祭は1200年の伝統ある祭礼で、豪壮華麗な山鉾
(やまぼこ)巡行などで知られている。


 境内の一隅に、御神水と美容水が流れ出ていた。



 ほかに、美を象徴する神という三神の女神を祭る美御前社↑、健脚祈願のための神馬
舎↓、幾つもの大きな掲額が並ぶ横長の建物などが目についた。


 山門を出て四条通を少し戻り、南に延びる祇園町南側地区へ。

 この通りは京都市の「歴史的景観保全修景地区」に指定されており、1階に格子戸と赤
ちょうちんが、2階にすだれを掛けた家並みが続き、祇園情緒あふれた町並みだ。






 祇園通りの突き当たりに臨済宗大本山建仁寺の北門があり、10時10分に着いた。

 建仁寺は、建仁2(1202)年に臨済宗の開祖、栄西(ようさい)により創建された
臨済宗建仁寺派の大本山。禅寺の格付け制度である五山制度のもとで京都五山の第3位と
なったという。


 国重要文化財の方丈は、慶長4(1599)年に安芸の安国寺から移築され、枯山水庭
園、国宝で俵屋宗達作の「風神雷神図」があることで知られている。

 今日は、建仁寺の塔頭(たつちゅう)寺院の中で冬の特別公開中の霊現院(れいげんい
ん)と両足院(りょうそくいん)、そして正伝永現院(しょうでんえいげんいん)の拝観
が主目的である。
     
   
 北門を入り、案内所のそばにある白壁に囲まれた鐘楼と中央部に立つ法堂(はっとう)
の間を進み、最初に境内東側中央部の両足院へ。
     
 両足院では、桃山時代の絵師・長谷川等伯の「水辺童子図」や「竹林七賢図屏風」↓、
伊藤若冲〈ちとうじゃくちゅう〉の「雪椿雄鶏図」などが特別公開されていた(撮影禁止
なので特別公開ガイドブックから)。
 

          「雪椿雄鶏図」
          

   
    七類堂天谿氏の道釈画(水墨画の中で道教と釈教=仏教の教義や画題を描くもの)
          


     
 それらの拝観とともに、約300坪あるという桃山時代の枯山水庭園と書院前の池泉庭
園も拝観できたので、それらを紹介する。










 庭園の一隅にはサンシュユが咲いていた。


 両足院の南西側には、「栄西禅師茶碑」と「平成の茶苑」がある。建仁寺開祖の栄西禅
師は、建久2(1192)年に宗(中国)からお茶の種子を持ち帰ったとか。

 平成の茶苑は、茶が将来して800年を記念して植樹栽培したという。


 南端近い宝生池と勅使門↓の東側を左折する。


     
 建仁寺専門道場への道を進んで、一休禅師や今川義元も修行した「五山文学」の最高峰
の寺という、次の特別公開の塔頭寺院・霊現院に入る。
     


 霊現院では、南北朝時代の肖像彫刻の傑作という「中厳円月(ちゅうがんえんげつ)坐
像」や、その胎内仏で湛慶作の「毘沙門天立像」、さらに今川義元、織田信長、千利休、
細川幽斎の筆書状などが公開されていた(撮影禁止なので特別公開ガイドブックから)。

      中厳円月坐像
     

           毘沙門天像
          

     狩野山楽筆「布袋像」
     
  
           方丈にある茶室
          

 この塔頭寺院の庭園は狭く、特段見るべきものはなかった。

 戻り道で再度西側の三門と放生池などを眺め、最初に入った北門を出た。

 次の特別拝観の建仁寺塔頭寺院・正伝永現院は建仁寺最北部にあり、細い道路を北進し
て東北端の表門から入った。




     
 織田信長の弟で大名茶人の織田有楽斉(うらくさい)と熊本藩主細川家の菩提所で、表
門を入ると有楽斎↑や近親者の墓、細川家歴代の墓地↓などがあった。


 特別公開は、狩野山楽(かのうさんらく)の金碧障壁画「蓮鷺図(れんろず)」、「織
田有楽斉画像」、「鍾馗図(しょうきず)」、2013年に奉納されたという元首相・細
川護熙(もりひろ)氏の障壁画などの寺宝が展示されていた(一部撮影禁止なので特別公
開ガイドブックから以下に)。

 「蓮鷺図」
 



      「織田有楽斎画像」
     

           「鍾馗図」
          

 ここも庭園は撮影できたので、唯一撮影可能だった細川護熙氏の作品「知音」とあわせ
て紹介する。
     







 細川護熙画「知音」(一部)

 細川氏が陶芸をされることは知っていたが、障壁画も描かれるとは知らなかった。





 13時近く、正伝永現院を出た。(続く)

 




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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ② 北野天満宮と妙心寺の塔頭寺院へ〈後半〉

2019-04-25 20:47:45 | 京都を歩く
 

 2019年3月14日(木)
 = 北野天満宮と妙心寺の特別拝観〈後半〉 =
  
 午前中に北野天満宮の参拝を終えて近くで昼食後、北野白梅町駅から13時20分発帷
子ノ辻(かたびらのつじ)駅行き嵐電北野線に乗る。


 13時25分に妙心寺駅で下車した。

     
 アンティークな小物をたくさん飾る店や、たくさん花鉢の並ぶ民家前を進み、妙心寺の
北総門を入り境内に戻る。


 午後は、今回の旅の目的地の一つ、妙心寺内の三つの塔頭寺院の非公開文化財特別拝観
である。
     
 ちなみに妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山で、1342年に花園法皇の開山で、離宮
萩原殿を改めて寺とされたの始まりとか。

 室町初期に一時中断し、再興後、応仁の乱で再び焼失したが後に再建され、名僧が出て
寺運は盛んとなり、室町後期から江戸初期に塔頭が相次いで建てられ、地方へも勢力を広
げた。末寺は3500余あり、臨済宗各派中最大という。

 特別拝観の最初は、北総門を入ってすぐ右手の天球院(てんきゅういん)へ。
     
 天球院は、岡山藩主池田光政兄弟が、大伯母天球院のために寛永8(1631)年から
4年かけて建立したとのこと。

 国重要文化財の方丈(ほうじょう)は、玄関とともに江戸時代を代表する禅宗方丈建築
で、方丈内部を飾る障壁画は狩野派の絵師、狩野山楽(かのうさんらく)と山雪(さんせ
つ9の代表作として名高いという。
     



     

 今回は、その山楽・山雪の絢爛豪華な障壁画が公開されたが、撮影禁止なので、「非公
開文化財特別公開ガイドプック」掲載の写真でその一部を紹介する。

 「梅に遊禽図(ゆうきんず)」


 「竹虎図」
     
 山門から玄関までと、方丈から望む庭園は撮影可能。13時35分から14時まで拝観
した。


 続いて妙心寺境内中央部にある鱗祥院(りんしょういん)へ。
     
 鱗祥院は、寛永11(1634)年に徳川三代将軍家光が、乳母である春日局(かすが
のつぼね)の冥福を祈り、現在の花園高校付近に建立したのが起こりのよう。

 幕府から寺領200石を与えられ、歴代住職は黒衣のまま江戸城白書院の出入りを許さ
れたとか。明治30(1897)年に現在地に移転されたという。




 御霊屋(おたまや)には、小堀遠州作と伝わる春日局座像が安置されている〈特別公開
ガイドブックから〉。
         


 また方丈(ほうじょう)には、春日局と親交のあった絵師・海北友松(かいほうゆうし
ょう)の息子、友雪(ゆうせつ)により描かれた「雲竜頭」↑↓「山水画」「瀟湘八景・西湖図」
などの水墨画が描かれていた〈特別公開ガイドブックから〉。


 それらや、春日局が家光から賜った「百椿図(ひゃくちんず)屏風」が特別公開されてい
たがやはり撮影禁止。

 方丈に安置されていた本尊・宝冠釈迦如来と阿難尊者、迦葉尊者像〈特別公開ガイドブ
ックから〉



 御霊屋と方丈を巡った後、サンシュユや白梅、紅梅など咲く庭園も拝観した。








     

     
 妙心寺境内の中心部にある仏殿や三門などの西側を進み、通年公開の退蔵院横から境内
南端に進む。






     


 勅使門↑の北側を回り、最後の特別公開の塔頭である龍泉菴(りょうせんあん)へ。
     
 龍泉菴は、妙心寺四派のひとつ「龍泉派」の本庵。文明13(1481)年に、室町幕
府の管領(かんれい)だった細川政元が開基として景川宗隆(けいせんそうりゅう)が創
建した。


 景川は妙心寺中興開山の雪江宗深(せっこうそうしん)の弟子の一人で、「禅は景川」と
いわれた高僧とか。その後の妙心寺発展の礎となった四派本庵のなかで最初に創建された
由緒ある塔頭寺院だという。

 江戸時代に建てられた方丈は、妙心寺山内塔頭寺院中でも最大規模のよう。平成11
(1999)年の開祖500年にあわせて日本画家・由利本出(ゆりもといずる)氏が描
いた100面に及ぶ障壁画が納められていた。


 今回それらが公開され、案内人の説明に従い幾つもの建物を回り、たくさんの種壁画を
順次拝観した。

 建物を回りながら、松など豊富な植栽の庭園も順次眺める。
















          









     







 ほかに、狩野探幽「観音・竜虎図」↑〈特別公開ガイドブックから〉、谷文晁「秋山出屋
図」、長谷川等伯「枯木猿猴図」など寺宝も特別展示されていた(撮影禁止)。


 これで妙心寺塔頭の特別拝観を終え、15時35分に南総門を出た。東側にある昨夜宿
泊した花園会館に戻る。


 預けた荷物を受け取り、売店で土産物を求める。館内の食事処「花ごころ」に入り、今日
の妙心寺の三つの塔頭でもらった「京の冬の旅」スタンプラリーの接待品の抹茶と和菓子
をいただいた。
    

 花園会館を後にして、もう一度妙心寺境内を北総門から抜ける。妙心寺駅から帷子ヶ辻
行き嵐電北野線に乗る。
     


 帷子ノ辻駅から嵐山本線に乗り換え、終点の四条大宮駅に17時頃着き、近くのビジネ
スホテルに入る。

                      

                              (歩数 13,500)





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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ② 北野天満宮と妙心寺の塔頭寺院へ〈前半〉

2019-04-24 18:26:24 | 京都を歩く

 1日目のレポートからしばらく間が空いてしまいましたが、京都の非公開文化財特別観
覧の旅のレポートを再開します。

========================================

 2019年3月14日(木)
 = 北野天満宮と妙心寺の特別拝観〈前半〉 =
 
 京都・洛西にある臨済宗妙心寺派のお寺のホテル、花園会館で7時前に起床した。8時
からホテル1階の京料理「花ごごろ」で朝食をする。

 不要荷物を預けて、9時20分に花園会館を出た。今日は、広い妙心寺境内にある三つ
の塔頭(たつちゅう)寺院の非公開文化財の拝観が主だが、その前に、昨日京都文化博物
館で美術工芸品などを観覧している北野天満宮を参拝してくることにした。

 東西約450m、南北約530mほどある広い境内に、46の塔頭があるという妙心寺
の南東端から入り、北に向かって幾つかの塔頭の間を進む。
     
 ちなみに、妙心寺には「院」の名の付く建物が幾つもあるが全て個別の寺院で、それを
「塔頭」あるいは「塔頭寺院」と呼び、46の塔頭があるという。

 塔頭寺院 衡梅院の山門、本堂は重要文化財のよう。


 衡梅院の東側にある蓮池


 蓮池の東側、塔頭寺院 養源院の唐門


 妙心寺中央部の法堂(はっとう)


 近くの妙心寺経蔵


 法堂の西側、妙心寺鐘楼


 妙心寺仏殿と法堂(奥)


 南端中央の妙心寺勅使門

 
 仏殿の前にある妙心寺三門


 鐘楼の北西の塔中寺院 霊雲院


 妙心寺大庫裡の北側 塔頭寺院大通院の庭園
 
 ちなみに大通院には、開基の土佐国藩主山内一豊とマツ夫妻の廟があるという。

 大通院の西の塔頭寺院 春光院


 春光院の先から北総門への道

           
 北総門に近い塔頭寺院 金牛院の庭



 北総門↑を出て、北進して嵐電(らんでん)北野線の龍安寺(りょうあんじ)駅に着き、
10時24分発北野白梅町行き電車に乗る。


 終点の北野白梅町には3分で到着した。
 

 東に延びる今出川通を進み、北野天満宮前には10時43分に着いた。


 一の鳥居を入った右手に、満開の紅梅が目に入る。


 その先のアカマツは、創建当時からあるというご神木「影向松(ようごうのまつ)」。
       
 菅原道真が肌身離さず持っていた仏舎利が、死後に大宰府(だざいふ)から飛来してこ
の松にかかったと言われているよう。

     
 さらに何本もの松やサンシュユの咲く参道を進んで二の鳥居前へ。

 左手前にあった観音堂に参拝することにした。本堂と手前の礼堂(らいどう)がつなが
れた複合形式の建物とか。

 17世紀前期(本堂)と元禄期(礼堂)の建築様式をよく留めていることから、京都市
指定有形文化財になっている。


 近くの東向観音堂境内の別の建物前には「大峰登山五拾五度供養塔」が立ち、その建物
の背後には「菅公御母君 伴氏廟」の大きな五輪塔があり、そばのシキミが開花していた。
     

         
  
 二の鳥居を入り、左手の梅苑に咲く幾つもの梅の花を眺めながら進む。梅苑は有料だが、
花は梅林に入らなくてもよく見える。



 三の鳥居を入ると参道には露店が並び、正面が堂々たる楼門。左手には近年建築されて
真新しい文道会館が目に入る。



 楼門の先や梅苑など、幾つもの梅が花を競って咲く。
     

 境内いたるところに牛の石像があり、何れも朱や白の首飾りをかけている。
    

     
     

 花咲く梅を眺めながら進むと、回廊で拝殿と結ばれている重要文化財の三光門(中門)
があり、勅額は後西天皇の御宸筆(ごしんぴつ)という。


         


 三光門を入り、正面の拝殿に参拝した。拝殿の左手前には樹齢400年以上とみられる
御神木の紅梅・飛梅(とびうめ)が鮮やかな花を見せ、相対して右手前には飛松と呼ぶ松
の古木が立っている。


     
 伝説によれば、菅原道真が九州・太宰府に左遷されるときに家の庭木たちと別れを惜し
み、桜は悲しんで枯れてしまったが、松と梅は菅公を慕って空を飛んだとのこと。

 梅は一夜のうちに太宰府まで行き着いたが、松は途中、摂津の国板宿(神戸市須磨区板
宿)で力尽きてそこに根をおろしたのだとか。


 拝殿の右手から背後に回り、左手の方に一周する。こちらにも何本もの紅梅白梅が花を
競い、朱塗りの地主神社など幾つかの摂社が祭られていた。






         

 西北端の社殿の周囲には、幾重にも積み重なったおびただしい数の合格祈願絵馬が奉納
されている。


 秋の紅葉で知られる「史跡御土居の紅葉」碑の横を進み、三光門を去る。



 宝物殿↑前を通り楼門を出て、参道から一の鳥居を抜けて正午頃、北野天満宮を後にした。


 往路を戻り北野白梅町駅に向かう。民家に鉢植えの花がいっぱい飾られ、見事な花ばか
りだった。


 その先、紙屋川の橋の手前にあったた小さなパスタの店「紙屋cafe」に入り、「ペスカ
トーレ」と呼ぶ特大有頭エビと魚介類のトマトソース料理(1250円)を注文し、昼食
にした。
     

    

                                    〈続く〉





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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ① 京都文化博物館 

2019-03-25 16:01:42 | 京都を歩く
 2019年3月13日(水)~15日(金)、JRグループキャンペーン「第53回京
の冬の旅」の、非公開文化財特別公開の観覧を主に、京都の寺社めぐりに出かけた。

 2019年3月13日(水)
 =京都文化博物館で特別展「北野天満宮 信仰と名宝」を観覧=
 
 JR東京駅7時33分発、東海道新幹線ひかり503号に乗る。首都圏は快晴で、小田
原近くからは日本三百名山の大山(おおやま・1,252m)が全容を見せる。



 静岡県内も晴天だが、富士山は上部を雲に隠されていた。米原駅が近づいた辺りからは、
日本百名山の伊吹山(いぶきやま・1,377m)が望まれる。


 10時11分に京都駅で下車した。南北自由通路の北側の一角で、『京都美風「未来の
名匠」技の披露展』を開催していたので、立ち寄って観覧する。


 京都の匠(たくみ)、21人の作品展で、作品は京漆器、京仏具、結納飾・水引工芸、
京焼・清水焼、和蝋燭、京菓子、清酒、西陣織など、京都ならではの作品が並ぶ。
    

        

         

              

    

             

    

     
 北口地下から市営地下鉄烏丸(からすま)線に乗り、北へ3駅目の烏丸御池(からすま
おいけ)駅で下車した。

 地上に出て南へ、三条通りの交差点の南西側には、レンガ造りのみずほ銀行京都中央支
店の建物が目に入る。

 1906年に旧第一銀行京都支店として建築され、設計は東京駅や日本銀行本店の設計
で知られる辰野金吾とか。ただ、現在の建物は2003年の再建だという。

 三条通を東へ、交差点際のNTTビルの東南側には、「京都電信電話発祥の地」碑があ
り、この地に明治5(1872)年に西京電信局が、明治30(1897)年に京都電話
交換局が建てられたことが記されていた。
         

 東側の赤レンガの建物は中京(なかきょう)郵便局旧庁舎で、明治35(1902)年
の竣工。

 ネオルネッサンス様式の建物は当時の代表的郵便局で、日本の近代建築史で重要な位置
を占める作品だったとか。

 昭和61(1986)年に京都市登録有形文化財になり、1998年には旧建設省の
「公共建築百選」にも選定され、現在も中京郵便局として利用されている。

 隣のやはり赤レンガの建物は、旧日本銀行京都支店で現在は京都文化博物館の別館であ
る。
         
  

 設計は辰野金吾とその弟子の長野宇兵治で、明治39(1906)年の竣工。明治を代
表する洋風建築として昭和44(1969)年に国の重要文化財に指定された。
         
 公開されているので入館し、窓口や天井の装飾など観覧する。







 休憩用の椅子とテーブルの並ぶ中庭には、「まゆまろ」と呼ぶ漆喰(しっくい)壁で仕
上げたキャラクターが立っている。
         

 その奥に進むと、今日の目的地の京都文化博物館の本館である。

 京都文化博物館は、京都の歴史と文化をわかりやすく紹介する総合的な文化施設。4階
での多彩な特別展のほか、2・3階の総合展示室では京都ゆかりの良品を折々の企画で紹
介し、1階には京都の町家格子の町並みを再現したろうじ店舗などがある。

 11時20分に本館に入り、4階の特別展「北野天満宮 信仰と名宝」を観覧すること
にする。
     
 平安時代の政治家で漢学者、漢詩人、歌人だった菅原道真(すがわらのみちざね)は、
京都の北野天満宮に祭られ「天神さま」として親しまれ、全国に1万数千の天神社がある。

 特別展では、北野天満宮所蔵の神宝を中心に、ゆかりの美術工芸品や歴史資料などを7
章に分けて公開していた。

 それらの文書や絵巻、天神像、立像、経文、書状など、国宝や重要文化財19点を含め
平安から近代までの106点の展示を、2時間近くかけて観覧した。


 会場は撮影禁止だったので、パンフレットに掲載された展示作品の一部を紹介する。


              

         



    







 これら展示で、菅原道真の人物像や生涯、天満宮が神仏混合の地であること、足利将軍
家や豊臣家との関係、天皇から庶民に至る幅広い人々からの奉納品、50年ごとの遷宮の
ことなど、知らなかった北野天満宮のことをかなり理解できたように思う。

 そのあと、2階の総合展示室で「祇園祭-郭巨山(かっきょやま)の名宝-」と「京都
府内の学校所蔵考古・歴史資料展2」も観賞した(何れも撮影禁止)。



 さらに2階ロビーでの京の雛人形の展示を見て、13時55分頃京都文化博物館を後に
した。
         




 近くで昼食をしようとしたが、適当な店がない。


 博物館本館1階の、江戸時代末期の京の町並みを再現した「ろうじ店舗」にあった京都
有喜屋に入り、二八そばセットで遅い昼食にした。
    
  

 ろうじ店舗のほかの店も少しのぞき、もう一度別館に戻り、14時52分に出た。


    




 外は気温が下がって真冬のような寒さとなる。北野天満宮に回ろうかと思い、周辺を少
し探したがバス停がないので宿に向かうことにした。

 地下鉄烏丸線の烏丸御池駅から京都駅に行く。

 JR京都駅15時57分発嵯峨野線の嵯峨嵐山行き普通電車に乗り、16時08分に花
園駅で下車する。



 駅前から北東に進み、明日訪ねる臨済宗妙心寺の門前を過ぎ、その妙心寺経営のお寺の
ホテル、花園会館に16時20分過ぎに入る。


 今日の宿伯は、この妙心寺特別拝観県付き宿泊プランによるもの。



                              (歩数 11,300)






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京都国立博物館で「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」を見る

2012-04-26 20:17:04 | 京都を歩く
 2012年4月22日(日) 雨
 
 朝から雨なのでゆっくりして、8時過ぎに東横イン五条大宮で朝食を済ませ、9時過ぎに
出発した。JR山陰本線丹波口駅発9時20分に乗り、3分で京都駅に着く。

 一日中雨の予報なのと、京都の桜の名所のほとんどは見ごろを過ぎているようなので、今
日は寺社の拝観は止め、京都国立博物館に行くことにする。

 小雨模様の京都駅北口を出て、七条通りを東に向かう。東洞院通りとの交差点に、「電気
鉄道事業発祥地」碑があり、明治28年(1895)2月1日にここから伏見下油掛通りま
で6㎞の電車運転を開始したことが記されていた。



 鴨川の七条大橋を渡る。両岸のソメイヨシノの花は散り始め、ヤナギが軟らかな若葉の彩
りを見せる。


 橋の先の川端通りを過ぎ、すぐ近くの小さい書店で、京都国立博物館の前売り券を求める。


 その先の通りには京菓子の店や食べどころなど、京都らしい店が並んでいた。


 10時半頃、京都国立博物館に着き、南門から入る。正面の平常展示館は工事中。今日の
目的は、右手の特別展示館で開催中の「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」である。




 ちなみに、ネオルネッサンス様式平屋建てレンガ造りのこの建物は、東京の赤坂離宮など
も設計した宮廷建築家の片山東熊博士の設計で、明治30年(1897)5月の開館。明治
洋風建築の代表のひとつとして、国の重要文化財に指定されている。


 陽明文庫は京都にあり、昭和13年(1938)、近衛家29代当主でのちに内閣総理大
臣も務めた近衛文麿(ふみまろ)が設立したもの。

 五摂家(摂政や関白に任ぜられる家柄)の筆頭である近衛家の持つ10数万点の宝物を保
存管理しており、この展覧会では同文庫所蔵の国宝8点、重要文化財60点のすべてを初め
て一般公開し、およそ140点を展示しているという。



 館内を約3時間かけて一巡して、8つのパートに分かれて展示されている宮廷貴族のライ
フスタイルともいうべき所蔵品を見る。

 中には、日本最古の日記という藤原道長の国宝「御堂関白記(みどうかんぱくき)」、み
やびな和歌の遊びを記録した国宝「歌合(うたあわせ)」、重文で鎌倉時代の「春日鹿曼荼
羅図」、流麗な文字が記された国宝「倭漢抄下巻」、江戸時代の御所人形や銀細工の小さな
雛(ひな)道具など、千年の歴史や華やかな王朝文化の一端をうかがい知ることができた。

 なお、この展覧会についての詳細は、京都国立博物館のウェブサイトで。


 国立博物館の敷地内は緑が多く、その中にロダンの「考える人」像、古い灯籠や道しるべ
などが散在し、雨に濡れたシダレザクラが散ろうとしていた。








 同じ七条通を京都駅まで戻り、14時過ぎに地下街の食堂で遅い昼食をする。


 早めに帰宅することにして、新幹線改札を入って買い物をして、15時29分発のひかり
526号で東京に向かった。




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京都・仁和寺から平野神社へ

2010-05-14 22:46:17 | 京都を歩く
 2010年4月20日(火)

 京都・仙洞御所の参観を終えて昼食後、洛西といわれるあたりの寺社のひと
つ、仁和寺(にんなじ)前までバスで行き、御室桜(おむろさくら)で知られる仁和
寺に入りました。

 境内にたくさんある御室桜はすでにかなり散っていましたが、まだ咲いている
花もありました。ところが、デジカメのモードダイヤルが動いてしまったのか、撮
ったサクラはみな露出オーバー、ご覧いただけるようなのがありませんでした。

 花見を終えて回った御影堂(みえどう)。この後は撮れていたので紹介します。


 国宝や重要文化財の並ぶ霊宝館を拝観し、境内をあちこち回った後、東側の
山門を出て、仁和寺を後にしました。


 東隣には五智山蓮花寺(れんげじ)があり、本堂の横に古い石仏が並んでいま
した。


 蓮花寺から北東へ、苔寺で知られる龍安寺前を通過し、立命館大学の南にある
等持院(とうじいん)に行きました。

 等持院は、暦応4年(1341)、将軍・足利尊氏が夢窓国師(むそうこくし)に依
頼して、衣笠山の南麓に創建し、足利将軍歴代の菩提所になったところ。特に
庭園は、夢窓国師作の三大名園のひとつとのことなので、拝観しました。

 書院からの眺めです。


 書院の一室。




 書院から庭園に下りて回ることもできるので、回遊してみました。

 庭園の中心は、草書体の「心」の寺をかたどった心字池です。




 等持院の拝観を終え、京福電鉄の終点、北野白梅町駅そばから北に進んで、桜
の名所として知られる平野神社に入りました。


 境内には、珍種10種と呼ばれる、珍しい桜が10種類植えられています。その中
で見ごろだった桜を幾つか紹介しましょう。 これは妹背(いもせ)という桜。


 濃い赤色の桜は、突羽根(つくばね)です。


 緑色の花びら、御衣黄(ぎょいこう)桜。
 

 鬱金(うこん)です。


 こちらは平野撫子(ひらのなでしこ)。


 雨上がりで、時刻も17時近かったので色はいまひとつですが、ほかでは見た
ことのなかった桜も見ることができました。
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京都・仙洞御所を参観する

2010-05-12 23:17:58 | 京都を歩く
 2010年4月20日(火)

 新年早々に申込みをして抽選で当選した、京都・仙洞御所(せんとうごしょ)を、
11時から参観しました。

 場所は、京都市街の中心、京都御苑の一角、京都御所の東南にあり、周囲は
京都御所と同様、築地塀(ついじべい)に囲まれています。

 御所は、たび重なる火災にあい、わずかな建物を残すのみですが、その代わり
独特の宮廷庭園の姿をとどめており、スケールの大きな池泉式回遊庭園として、
評価は高いようです。

 あいにくの冷たい雨の日でしたが、一緒の参観者25名ほどが、約1㎞の庭園
を1時間ほどかけて、宮内庁職員の案内で回りました。

 西側にある表門から入った正面にあるのが、大宮御所常御殿(つねごてん)車
寄(おくるまよせ)と呼ぶ玄関口です。
 

 表門と常御殿の間、南側の広場には、大きな松が枝を広げていました。


 南庭から見た大宮御所常御殿。大きな建物はここだけでした。

 
 案内の宮内庁職員に従い、御所内を回ります。北池の周囲は新緑がいっぱい。


 池の周囲にある、このような園路をめぐります。


 北池の北西端、阿古瀬渕(あこせがふち)と呼ぶあたり。


 阿古瀬淵にかかるのが六枚橋。切石6枚を3枚ずつ2列に並べ、つなぎの部分に
短い橋脚を建て、やや反りを持たせています。


 北池の一角からの眺め。


 南池の中ほどに中島があり、中島を結ぶ橋のひとつ、八ッ橋で、上には藤棚が
かかっていました。


 花咲くモミジ。


 中島へのもう一つの橋、土橋です。


 南池の西側には、州浜(すはま)あるいは大浜ともいう広がりがあり、粒の揃っ
た楕円形の石が一面に敷き詰められています。


 南池の南端から見た州浜と八ッ橋。


 中島にかかるもう一つの橋。 


 南池の西側に柿本社(かきのもとやしろ)という神社があり、万葉の歌人・柿本
人麻呂が祭られています。


 庭園をほぼ一周して北池の西に回ると、又新亭(ゆうしんてい)の中門の横を
通ります。


 こちらが又新亭、かやぶき屋根入母屋造りの建物は茶室です。


 又新亭の北側にあるくぐり門を抜けて、常御殿車寄の前に戻り、約1時間の
参観を終えました。

 ちなみに、この大宮御所のほか、京都御所、修学院離宮、桂離宮などの参
観については、宮内庁参観案内 をご覧下さい。 
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