2011年1月30日(日)続き
東谷寺本堂前の急な石段を下り、竹林の間を進んで、利根川左岸の舗装路に出た。
枯れススキに沿って斜面林の下を右に回り込むと、高い堤防が現れた。先ほど北
側を通った、国交省相野谷川排水機場の手前で堤防に上がる。
相野谷川が利根川へ流入する地点を通過し、上流である西に向かって堤防を進む。
向かい風が強く、雲も増えて寒くなってきた。
浄水場横を過ぎると、北に筑波山が、午前中よりはっきりと望まれる。
堤防上に展望台があったので上がり、利根の流れや筑波山などを一望する。
その先の河川敷は、取手緑地運動公園になっていて、少年野球やサッカーなどの
グランドがある。対岸の遠くのビルの上に、霞んではいるが↓富士山も望まれた。
海から83㎞地点の少し先で堤防を離れ、東三丁目の住宅地付近から県道11号の
本陣通りに入った。
右手に墓地が見えたので、石段を上がると、突き当たりに念仏院の本堂があり、
その前に大イチョウが枝を広げている。
福禄寿は、本堂前のツバキの生け垣の中に、赤ずきんと赤い前垂れをかけて立って
いた。
県道には、街道筋らしい古い蔵造りなどの建物が、幾つか見られる。
取手総鎮守の八坂神社には、節分祭ののぼりが立ち、鳥居の両側の狛犬は、溶岩
のような黒い固まりの上に乗っていた。
取手一丁目まで進み、旧取手宿本陣・染野家住宅前へ。公開しているとの表示が
あったので、門を入ってかやぶき屋根の建物に上がって、内部を拝観した。
染野家は、代々取手宿の名主で、貞享4年(1687)に水戸徳川家から本陣を命じ
られたという。建物の西側斜面を上がると、九代水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)の読
んだ、歌碑があった。
漬け物の新六本店の先を右折して、突き当たりの石段を上がり、最後の長禅寺に入
る。承平元年(931)、平将門が創建したと伝えられ、三代将軍家光以来、代々の徳
川将軍から朱印地を賜っているという。
新四国相馬霊場八十八か所の総本地で、一番、五番、八十八番の札所にもなって
いる。
山門を入った突き当たりの三世堂は、宝暦13年(1763)の建立。外観は二層だが
内部は三層で、守り本尊の十一面観音と、坂東三十三か所、秩父三十四か所、西国
三十三か所の本尊が祭られていて、参拝者は入口から順路を進めば、交差すること
なく一巡できる「さざえ堂」形式になっているという。
七福神最後の大黒天は、本堂前に祭られていたが、本堂内にもあるようだ。広い境
内には大樹が多く、ほかに大師堂、八十八か所総拝堂、鐘楼などの建物がある。
午後は雲が増えて風が冷たく、体も手も冷え切った。寺の西側下を回り、取手駅に
は15時32分に戻った。
(天気 快晴後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 取手市、歩数
23,700)
【コースタイム】JR取手駅10:15ー光明寺10:43~50ー普門院11:03~13ー相野谷川
機場公園11:49~58ー明星院(昼食)12:15~45ー福永寺12:53~13:01ー東谷寺
13:12~23ー展望台13:55~14:00ー念仏院14:25~35ー八坂神社14:39~43ー旧
取手宿本陣14:46~15:05ー長禅寺15:10~27ーJR取手駅15:32
にほんブログ村
東谷寺本堂前の急な石段を下り、竹林の間を進んで、利根川左岸の舗装路に出た。
枯れススキに沿って斜面林の下を右に回り込むと、高い堤防が現れた。先ほど北
側を通った、国交省相野谷川排水機場の手前で堤防に上がる。
相野谷川が利根川へ流入する地点を通過し、上流である西に向かって堤防を進む。
向かい風が強く、雲も増えて寒くなってきた。
浄水場横を過ぎると、北に筑波山が、午前中よりはっきりと望まれる。
堤防上に展望台があったので上がり、利根の流れや筑波山などを一望する。
その先の河川敷は、取手緑地運動公園になっていて、少年野球やサッカーなどの
グランドがある。対岸の遠くのビルの上に、霞んではいるが↓富士山も望まれた。
海から83㎞地点の少し先で堤防を離れ、東三丁目の住宅地付近から県道11号の
本陣通りに入った。
右手に墓地が見えたので、石段を上がると、突き当たりに念仏院の本堂があり、
その前に大イチョウが枝を広げている。
福禄寿は、本堂前のツバキの生け垣の中に、赤ずきんと赤い前垂れをかけて立って
いた。
県道には、街道筋らしい古い蔵造りなどの建物が、幾つか見られる。
取手総鎮守の八坂神社には、節分祭ののぼりが立ち、鳥居の両側の狛犬は、溶岩
のような黒い固まりの上に乗っていた。
取手一丁目まで進み、旧取手宿本陣・染野家住宅前へ。公開しているとの表示が
あったので、門を入ってかやぶき屋根の建物に上がって、内部を拝観した。
染野家は、代々取手宿の名主で、貞享4年(1687)に水戸徳川家から本陣を命じ
られたという。建物の西側斜面を上がると、九代水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)の読
んだ、歌碑があった。
漬け物の新六本店の先を右折して、突き当たりの石段を上がり、最後の長禅寺に入
る。承平元年(931)、平将門が創建したと伝えられ、三代将軍家光以来、代々の徳
川将軍から朱印地を賜っているという。
新四国相馬霊場八十八か所の総本地で、一番、五番、八十八番の札所にもなって
いる。
山門を入った突き当たりの三世堂は、宝暦13年(1763)の建立。外観は二層だが
内部は三層で、守り本尊の十一面観音と、坂東三十三か所、秩父三十四か所、西国
三十三か所の本尊が祭られていて、参拝者は入口から順路を進めば、交差すること
なく一巡できる「さざえ堂」形式になっているという。
七福神最後の大黒天は、本堂前に祭られていたが、本堂内にもあるようだ。広い境
内には大樹が多く、ほかに大師堂、八十八か所総拝堂、鐘楼などの建物がある。
午後は雲が増えて風が冷たく、体も手も冷え切った。寺の西側下を回り、取手駅に
は15時32分に戻った。
(天気 快晴後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 取手市、歩数
23,700)
【コースタイム】JR取手駅10:15ー光明寺10:43~50ー普門院11:03~13ー相野谷川
機場公園11:49~58ー明星院(昼食)12:15~45ー福永寺12:53~13:01ー東谷寺
13:12~23ー展望台13:55~14:00ー念仏院14:25~35ー八坂神社14:39~43ー旧
取手宿本陣14:46~15:05ー長禅寺15:10~27ーJR取手駅15:32
にほんブログ村