2015年1月2日(金)
東京都ウオーキング協会が毎年1月2日に7つのコースで開催している「江戸東京七福
神めぐり」、今年の第13回は、初めての荏原七福神に参加した。
ちなみに荏原七福神は、平成3年(1991)に生まれたという新しい七福神である。
集合は、JR京浜東北線や東急大井町線などの大井町駅から南西に7分ほどの大井中央
公園。JR大井町駅へは、池袋からりんかい線直通の埼京線で21分、わが家の最寄り駅、
西所沢からも59分で着いた。
晴れていた空が、スタートした9時45分にはすっかり曇り、うすら寒い。
大井一丁目のマンションなどのビル群の間を北進すると、東急大井町線の南側、立会
(たちあい)道路に面した狭い敷地に、福禄寿の大井蔵王権現神社がある。
江戸時代、江戸の町に火事や疫病がはやったとき、この地域は大井村の権現神社の天狗
のお陰で、無事だったとか。
ケヤキ並木の続く立会道路を南西へ500mほど進み、北へ少し入った「大盛湯」↑と
いう銭湯の先が、毘沙門天の東光寺である。
開山は天文13年(1534)とのこと。当時この辺りは、平塚村大字下蛇窪と称した
という。毘沙門天は本堂に祭られているようだが、混雑していて確認できない。
本堂前のカシの木の根元に、石仏などが並んでいた。
さらに立会道路を東海道新幹線の高架下まで進み、JR横須賀線の西大井駅前を通過す
る。
新幹線と横須賀線の高架を抜けた先に、うっそうとした木々に囲まれた伊藤博文の墓地
があるが、門が閉じていて参拝は出来ない。
少しの間、新幹線と横須賀線の線路沿いに進み、線路が右カーブした辺りで線路から離
れる。間もなくの西大井五丁目に、広大な敷地を持つ布袋尊の如来寺がある。
植栽の多い境内、斜面を上がる途中に新しい布袋尊があった。
緩やかに上がった正面の大きなお堂、瑞應殿には、品川区有形文化財で「大井の大仏」
と呼び、像高3mある5体の木造五智(ごち)如来座像が祭られている。
五智如来像は木喰但唱(もくじきたんしよう)が弟子とともに信濃国で建立し、寛永13
年(1636)に江戸高輪に如来寺を建てて安置し、明治30年代(1897~)に大井
村(現在地)に移ったとか。
正面の宝生(ほうしよう)如来像の前に、小さな布袋尊が鎮座していた。
折り返すように北西に向かう。伊藤小の前を通過し、朋優学園の先にあった「はらっぱ
公園」で、トイレ休憩となる。
三間道路に出て北に少し入った双葉四丁目に、弁財天の上神明天祖神社がある。大正初
期に建立された大鳥居は、昭和20年(1945)の空襲で境内の建物や樹木などが焼け
た中で、ただ一つ戦火を免れたとか。
天保年間の1644年頃には上、下神明神社に分かれていたとの史実に基づき、平成15
年(2003)には、鎮座360年奉祝大祭が行われたという。
七福神のお堂は本殿右にあり、この弁天社には白蛇伝説の由来があるとのこと。境内に
は、中華そばなどの露店が出ていた。
三間道路に戻って西進し、荏原町商店街に入って源氏前小前を通過する。
いったん三間道路を離れて東急大井町線の荏原町駅↑横の踏切を渡ると、大きな本堂が
目に付く恵比寿神の宝蓮寺である。
開山は蒙古襲来の頃の文永年間(1264~75)と伝えられ、八幡太郎の子孫という
この地の豪族荏原氏の館に創建されたといわれているらしい。
徳川十一代将軍家斉(いえなり)が鷹狩りの途中に現在の旗岡八幡宮に立ち寄り、別当
寺だったこの寺の芝庭で、当時の住職、日詮上人(にっせんしょうにん)と相撲を取った
という伝承があるという。
恵比寿様は、道路際の小さい社に祭られていた。
三間道路に戻って荏原町商店街を更に西進する。旗の台四丁目商店街を抜けて、東急大
井町線と池上線の旗の台駅横を通過した。
都道2号・中原街道を少しで、昭和大病院横から桜並木の続く通りを北に進む。第二延
山小横を過ぎてから西に向かうと、荏原七丁目にある寿老人の摩耶寺に着く。
木々の多い境内、正面のコンクリート造りの本堂に、延命長寿の寿老人が祭られていた。
開山は寛文年間(1661~73)で、本堂の左手には釈迦の生母・摩耶夫人立像を祭
る摩耶堂があり、精巧な摩耶夫人立像は。延宝6年(1678)の製作で、品川区有形文
化財という。
境内のテントではお神酒と甘酒が振る舞われていたので、熱々の甘酒をいただいた。
最後の七福神、大国天の小山八幡神社は、すぐ先の小高い斜面上にあった。創立年代は
不詳のようだが、鎌倉幕府の頃と社伝にはあるとか。口伝では、長元3年(1030)に
は旧小山村の氏神として崇敬されたという。
品川区内随一の標高35mの高台にあり、境内からは区内のビル群などの展望がよい。
大黒天は、社殿左手奥の社に祭られているというが、扉が閉ざされていて見られない。
西小山桜通りを進み、東急目黒線西小山(にしこやま)駅前に11時55分にゴールす
る。今日の参加者は44人と発表された。東急目黒線はこの辺りは地下化されていた。
曇っていた空も、後半には晴天となった。初めて乗る東急目黒線で目黒に出て、JR山
手線で池袋に向かう。
(天気 曇後晴、距離 認定10㎞、実測8㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、
歩行地 品川区 歩数 11,400)
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東京都ウオーキング協会が毎年1月2日に7つのコースで開催している「江戸東京七福
神めぐり」、今年の第13回は、初めての荏原七福神に参加した。
ちなみに荏原七福神は、平成3年(1991)に生まれたという新しい七福神である。
集合は、JR京浜東北線や東急大井町線などの大井町駅から南西に7分ほどの大井中央
公園。JR大井町駅へは、池袋からりんかい線直通の埼京線で21分、わが家の最寄り駅、
西所沢からも59分で着いた。
晴れていた空が、スタートした9時45分にはすっかり曇り、うすら寒い。
大井一丁目のマンションなどのビル群の間を北進すると、東急大井町線の南側、立会
(たちあい)道路に面した狭い敷地に、福禄寿の大井蔵王権現神社がある。
江戸時代、江戸の町に火事や疫病がはやったとき、この地域は大井村の権現神社の天狗
のお陰で、無事だったとか。
ケヤキ並木の続く立会道路を南西へ500mほど進み、北へ少し入った「大盛湯」↑と
いう銭湯の先が、毘沙門天の東光寺である。
開山は天文13年(1534)とのこと。当時この辺りは、平塚村大字下蛇窪と称した
という。毘沙門天は本堂に祭られているようだが、混雑していて確認できない。
本堂前のカシの木の根元に、石仏などが並んでいた。
さらに立会道路を東海道新幹線の高架下まで進み、JR横須賀線の西大井駅前を通過す
る。
新幹線と横須賀線の高架を抜けた先に、うっそうとした木々に囲まれた伊藤博文の墓地
があるが、門が閉じていて参拝は出来ない。
少しの間、新幹線と横須賀線の線路沿いに進み、線路が右カーブした辺りで線路から離
れる。間もなくの西大井五丁目に、広大な敷地を持つ布袋尊の如来寺がある。
植栽の多い境内、斜面を上がる途中に新しい布袋尊があった。
緩やかに上がった正面の大きなお堂、瑞應殿には、品川区有形文化財で「大井の大仏」
と呼び、像高3mある5体の木造五智(ごち)如来座像が祭られている。
五智如来像は木喰但唱(もくじきたんしよう)が弟子とともに信濃国で建立し、寛永13
年(1636)に江戸高輪に如来寺を建てて安置し、明治30年代(1897~)に大井
村(現在地)に移ったとか。
正面の宝生(ほうしよう)如来像の前に、小さな布袋尊が鎮座していた。
折り返すように北西に向かう。伊藤小の前を通過し、朋優学園の先にあった「はらっぱ
公園」で、トイレ休憩となる。
三間道路に出て北に少し入った双葉四丁目に、弁財天の上神明天祖神社がある。大正初
期に建立された大鳥居は、昭和20年(1945)の空襲で境内の建物や樹木などが焼け
た中で、ただ一つ戦火を免れたとか。
天保年間の1644年頃には上、下神明神社に分かれていたとの史実に基づき、平成15
年(2003)には、鎮座360年奉祝大祭が行われたという。
七福神のお堂は本殿右にあり、この弁天社には白蛇伝説の由来があるとのこと。境内に
は、中華そばなどの露店が出ていた。
三間道路に戻って西進し、荏原町商店街に入って源氏前小前を通過する。
いったん三間道路を離れて東急大井町線の荏原町駅↑横の踏切を渡ると、大きな本堂が
目に付く恵比寿神の宝蓮寺である。
開山は蒙古襲来の頃の文永年間(1264~75)と伝えられ、八幡太郎の子孫という
この地の豪族荏原氏の館に創建されたといわれているらしい。
徳川十一代将軍家斉(いえなり)が鷹狩りの途中に現在の旗岡八幡宮に立ち寄り、別当
寺だったこの寺の芝庭で、当時の住職、日詮上人(にっせんしょうにん)と相撲を取った
という伝承があるという。
恵比寿様は、道路際の小さい社に祭られていた。
三間道路に戻って荏原町商店街を更に西進する。旗の台四丁目商店街を抜けて、東急大
井町線と池上線の旗の台駅横を通過した。
都道2号・中原街道を少しで、昭和大病院横から桜並木の続く通りを北に進む。第二延
山小横を過ぎてから西に向かうと、荏原七丁目にある寿老人の摩耶寺に着く。
木々の多い境内、正面のコンクリート造りの本堂に、延命長寿の寿老人が祭られていた。
開山は寛文年間(1661~73)で、本堂の左手には釈迦の生母・摩耶夫人立像を祭
る摩耶堂があり、精巧な摩耶夫人立像は。延宝6年(1678)の製作で、品川区有形文
化財という。
境内のテントではお神酒と甘酒が振る舞われていたので、熱々の甘酒をいただいた。
最後の七福神、大国天の小山八幡神社は、すぐ先の小高い斜面上にあった。創立年代は
不詳のようだが、鎌倉幕府の頃と社伝にはあるとか。口伝では、長元3年(1030)に
は旧小山村の氏神として崇敬されたという。
品川区内随一の標高35mの高台にあり、境内からは区内のビル群などの展望がよい。
大黒天は、社殿左手奥の社に祭られているというが、扉が閉ざされていて見られない。
西小山桜通りを進み、東急目黒線西小山(にしこやま)駅前に11時55分にゴールす
る。今日の参加者は44人と発表された。東急目黒線はこの辺りは地下化されていた。
曇っていた空も、後半には晴天となった。初めて乗る東急目黒線で目黒に出て、JR山
手線で池袋に向かう。
(天気 曇後晴、距離 認定10㎞、実測8㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、
歩行地 品川区 歩数 11,400)
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