あるきメデス

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鎌倉・江ノ島七福神めぐり(神奈川)

2015-01-27 22:43:54 | 七福神めぐり
 2015年1月25日(日)

 暖かくなるという予報に誘われ、一年中御朱印もいただけるという鎌倉・江ノ島七福神
めぐりに出かけた。

 JR池袋駅から湘南新宿ラインに乗り、ちょうど1時間の9時38分に横須賀線の北鎌
倉駅に下車する。やはりこの暖かさに誘われたのか、たくさんの人がこの駅で下りた。


 西側を平行する県道21号・鎌倉街道を南東へ500mほど進み、踏切の手前で右折す
る。突き当たりが、布袋尊の浄智寺(じょうちじ)である。

 鎌倉五山の第4位で、豊富な木々に覆われた境内は国の史跡に指定されている。総門の
手前に、「鎌倉十井(じっせい)」の一つ、甘露の井がある。

 寺は、弘安4年(1281)、北条時頼の三男宗政が29歳で没後、夫人が夫の菩提を
ともらうために創建されたとのこと。

 鐘楼門を入ると、市の天然記念物のビャクシンの古木3本が立ち、境内を一周する遊歩
道を進むと、さらに大きなビャクシンがある。
      

 仏殿には、室町時代造立という阿弥陀・釈迦・弥勒の三世仏座像が並ぶ。



 かやぶき屋根の曲がり屋の背後に回ると、幾つかの洞窟の最後に、布袋尊が祭られてい
た。


        

 県道に戻り、細い歩道をさらに南東に進む。沿道には休憩や食事処、鎌倉彫の店など、
鎌倉らしい店が幾つも見られる。



 鎌倉五山第1位の建長寺前を通過し、巨福路坂(こぶくろざか)のアーチを抜ける。
右手に県立近代美術館別館↓を見てすぐ先を左折すると、鶴岡八幡宮(つるがおかはちま
んぐう)の社殿横に入れる。


 鶴岡八幡宮は鎌倉幕府の宗社で、源氏の守護神として源頼朝が治承4年(1180)に
創建したもの。政子夫人が、源氏隆盛と平家滅亡を祈願して境内の東西に池を作り、東の
池に七福神の一つとなっている旗上(はたあげ)弁財天を祭ったのが始まりとか。


 社殿周辺を始め、境内一帯は結構な人出で賑わっている。参拝して石段を下り、人混み
の中を旗上弁財天に向かうと、ぼたん庭園の冬ボタンが見頃との表示がある。




 弁財天の参拝前に観ることにして「神苑ぼたん庭園」へ。池の周囲に巡らした園内を一
巡して、雪よけのこもを被ったたくさんの冬ぼたんをて観賞し、大鳥居近くの出入り口か
らぼたん庭園を出た(神苑ぼたんについては、前回投稿済み)。


 朱塗りの橋を渡って弁天島に入り、これも朱塗りの旗上弁天社に参拝する。


 鎌倉彫刻の代表傑作といわれる弁財天像は、重要文化財として国宝館に安置されている
という。朱印所では、団体の朱印をもらう人が先着していて、少し待たされた。

    
 そばの枯れ枝に白ハトが止まり、一見(いっけん)花のよう。旗上弁財天の左手背後に
は、パワースポットととして女性に人気という、「政子石」が鎮座していた。
    

 大鳥居を出て左へ、次の交差点の突き当たりが毘沙門天を祭る宝戒寺(ほうかいじ)で
ある。


 新田義貞の鎌倉攻めで、寺の南東の「腹切りやぐら」にて最後の執権・北条高時ほか
870名が自害したと伝えられており、滅亡した北条氏の霊をともらうためと修行道場と
して、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、北条氏の屋敷跡のこの地に建武2年(1335)
に寺を建立させたとのこと。

 境内には四季を通じて花が咲き、9月には白いハギで埋め尽くされる「萩の寺」として
知られるようだが、いまは花は見られず、本堂右手の「東久邇宮お手植え」という、ビャ
クシンの高木だけが目についた。
      

 毘沙門天は、本堂内の本尊で国重文の木造地蔵菩薩立像の横に祭られているというが、
法事中で拝観することはできなかった。


 南に延びる小町大路を少し進み、右手に見えた山門から寿老人の妙隆寺(みょうりゅう
じ)へ。


 創建は至徳2年(1385)で、六代将軍足利義教により投獄され、拷問で焼鍋を被せ
られたが信仰心で耐え、「鍋かぶり上人」と呼ばれた日親上人ゆかりの寺である。


      
 境内右手の小さいお堂に、寿老人像が祭られている。本堂右手には、日進上人が応永
34年(1427)の冬、100日間身を浸して修行したという池が残っていた。

 小町大路をさらに南下する。日蓮聖人が建長5年(1253)に安房(千葉県)から鎌
倉に来て草庵を結び、毎日この辺りで法華経の功徳を説く辻説法を行ったという「日蓮聖
人辻説法跡」がある。


 小町小路は緩やかに左カーブし、滑川の橋の手前で、夷(えびす)神(恵比寿)を祭る
本覚寺(ほんかくじ)に入る。


 本覚寺の創建は永享8年(1436)だが、それ以前にこの地には、源頼朝が鎌倉幕府
の守り神のひとつとして建てた夷堂があたったとのこと。

      
 現在の夷堂は、昭和56年(1981)に落成したというコンクリート造りの八角堂。

        
 堂内には、小さな恵比寿神が祭られ、運慶作と伝えられる本尊・釈迦三尊像を祭る本堂
は、修理中だった。


 橋を渡って大町四ッ角交差点まで進む。右折して県道311号に入り、若宮大路と交差
する下馬(げば)交差点や江ノ島電鉄の踏切を越える。





 六地蔵交差点を過ぎた辺りから、昼食のできるところを探しながら進んだら、「ふたば
や」という弁当も売る小さな食堂があった。
      

 日曜のためか、外に出ていたメニューより限られていたが、注文した豚のしょうが焼き
(900円)は美味しかった。
    

 〈続く〉




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コメント (2)
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