あるきメデス

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バルト3国とポーランドの旅② ワルシャワ市内とショパン生家へ(1)

2015-07-22 22:31:09 | バルト3国とポーランド旅行
 第2日 7月12日(日)

 == ワルシャワ市内とショパン生家のあるジェラゾバボーラ観光 ==

      

 ワルシャワのノボテル ワルシャワ セントラムホテルにて6時45分に起床、7時から
朝食をして9時5分にバスでホテルを出発する。ドライバーは、最後まで通してのアル
トゥル アザさん、ガイドは昨夕お会いしたアリシャさん。朝の気温は13℃だが、日中
は24~25℃になる予報という。

 午前中は、世界遺産ワルシャワ歴史地区の観光で、ワジェンキ(Lazienkowski)公園か
ら旧市街広場、そしてキューリー夫人生家を巡る予定である。

 ちなみに、ワルシャワの人口は約170万人、今日は日曜でもあるが、ポーランドは夏
休みに入っているので市内の人口は少なく、交通量も少ないという。ワルシャワはピアノ
の詩人ショパンの生まれた町。第2次世界大戦ではドイツ軍に徹底的に破壊されたが、戦
後になって以前と全く同じ姿に復元されたとのこと。


 バスは市の中心街のホテルを出て南東に向かい、10分後の9時15分にワジェンキ公
園に着いた。


 ワジェンキ公園は、ヨーロッパで最も美しい公園のひとつに数えられているとか。公園
は、ポーランド最後の王、スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(Stanislaw August
Poniatowski)の夏の離宮として1766年から30年かけて造営されたという。


 公園の中央に池があり、そのほとりには1926年建立というショパンの像があり、周
辺のたくさんのバラが見頃だった。
        



 池を囲むようにボダイジュやトチなどの木々が伸び伸びと育ち、南側の木の下には同時
代の音楽家でピアノの魔術師と呼ばれたリスト(FerencList)(1811~86)の胸像もあった。
        


 25分ほどで公園を出て市街地を北西へ、ワルシャワ市街の中心部に戻って新世界通り
でバスを下りた。



 北北西への通りを聖十字架教会に向かうと、ポーランド科学アカデミーの前に、15世
紀のポーランド出身の天文学者で地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を初
めて唱えた、ミコワイ・コペルニクス(Mikolaj Kopernik)(1473~1543)の像がある。


        

      
 すぐ先が聖十字架教会↑。教会に入ると白壁に囲まれた正面の祭壇には金銀の装飾が施
され、堂内は荘厳な雰囲気に包まれている。
      

        
 手前の石柱の中に、ショパンの心臓が埋め込まれていた。第2次大戦中に教会はドイツ
軍に破壊され、心臓も持ち出されてしまったが、戦後すぐの1945年10月に返還され
たという。
        

 なお、この教会での日曜日のミサは、ポーランド国内にラジオ放送されるとか。

 通りを北進して隣接するワルシャワ大学前を通過する。北側に接するヴィジトキ
(Wizytek)教会↓は、ワルシャワ大に中・高等学校が併設されていた頃、ショパンがア
ルバイトで日曜のミサのオルガニストとをしていたという。
      


 新世界通りから延びるクラクフ郊外通りに入る辺りから旧市街となる。


 大統領官邸前には、馬に乗ったポーランドの英雄ユーゼフ・ボニャトフスキ
(J.Poniatowskiego)像が目につく。
      


 近くの広場には、ポーランドのロマン派詩人アダム・ミツキヴィッチ(Adam Mickiewicza)
像が立っていた。
      


 400m余りで王宮広場に入る。東北側にある赤レンガ造りの旧王宮↓は、王の住居の
ほかに国会や大統領執務室としても使われ、さらに士官学校や国立劇場だったこともある
という。



 赤レンガの城塞門を入って旧市街広場に行く。


 ビッシリと接した4~5階建ての建物の前にカフェテラスが並び、多くの人で賑わう。


 広場の中心には勇ましい姿の人魚像が置かれていた。
 
 ちなみに、ワルシャワ市の紋章は人魚をデザインしたものという。




 北西側の門を抜けて200mほど進むと、女性で最初のノーベル賞受賞者キューリー夫
人(1867~1934)の生家の建物↓が残り、現在はキューリー夫人博物館になっている。

 壁面には、キューリー夫人が発見したラジウムとポロニュウムの化学記号などが描かれ
ていた。
       


 少し戻りドウガ(Dtuga)通りを南西へ。


 そうとは見えない近代的な造りの最高裁の前の広場に、ワルシャワ蜂起記念碑がある。

 1944年8月1日、ナチス・ドイツの支配に対してワルシャワ市民が立ち上がった記
念碑で、激しい戦闘により町は壊滅的な打撃を受け、ソ連軍の援軍も受けられず孤立して
約20万人もの死者を出したという。「ワルシャワ蜂起」を記念して45周年にあたる
1989年に造られたとのこと。

 11時11分に近くの通りからバスに乗り、ショパンの生まれた西方約56㎞のジェロ
ゾバボーラ(Zelazowa Wola)に向かう。



 市街地を抜けると両側にはボダイジュの並木が続いている。12時13分にショパンの
生家のある公園入口付近に着き、そばのレストランで昼食をする。      (続く)





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コメント (4)
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