あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

9月28日夜のスーパームーン

2015-09-28 22:40:17 | Weblog
 2015年9月28日(月)

 旧暦8月15日の昨日は「中秋の名月」でしたが、今夜は今年最大の満月「スーパーム
ーン」が見られるとの新聞記事やTV報道がありました。

 満月のときにはいつも、月は同じ大きさに見えるのかと思っていましたが、月は地球の
周りを楕円軌道を描いて回っているので、月が地球に最も近づく時と遠ざかる時があると
のことです。

 今日は月が地球に最も近づき、最も遠ざかった3月6日と比較すると、見かけの上では
直径が約1.4倍になるようです。

 夕食後、何度か東の空を見上げました。19時過ぎには雲が多かったのですが、21時
過を過ぎると青空の中に浮かんでいたので、撮ってみました。
    

 もう少しアップしてみると、こんな具合に。
    

 肉眼で見たのでは、とてもこのようには見えません。20倍のズームレンズのお陰です。
それ以上の、デジタルズームも利いたのかもしれません。





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三浦半島の南端東部、剱崎灯台の周辺を歩く(神奈川)

2015-09-28 21:54:23 | カントリーウオーク
 2015年9月27日(日)

 山浦敬子さんが年4回開催している、「三浦半島アートウオークセラピー」の第43回
に参加した。

 10時に京浜急行久里浜線の三浦海岸駅に集合し、10時15分発の三崎東岡行きバス
に乗る。金田湾沿いの県道215号を進み、剱崎(つるぎざき)バス停で10時30分に
下車した。


 予報では午前中は雨も予想される曇天だが、雨は大丈夫そう。気温も23℃前後で、歩
くにはよい気象条件である。

 バス停南側の変則6差路を、南への細道に入る。すぐ先、斜面のヒガンバナがまだ見ご
ろ。
        

 緩やかに下り、県道がUカーブしたところで県道を横断して江差湾東岸に出る。県道手
前の斜面には、青面金剛や庚申塔などの石仏が並んでいた。
    


 対岸に剱崎小などが望まれ、こちらの漁港は休漁日なのか、漁船は皆、陸揚げされてい
た。


 片谷集落のわずかの民家が尽きる辺りから、湾の岩礁沿いの「関東ふれあいの道」を進
むことにする。だが、道は判然とせず、歩きやすいところを探しながら進む。

 砂地には、ノカンゾウに似た花があちこちで見られる。
  


 岩礁の道は江差湾から左に回り込み、半島の南部を東へと進む。長い間の浸食が感じら
れる岩礁の変化が場所毎に変わり、興味深い。



 だが、満潮時に濡れたらしい岩礁も残っていて滑るので、足もとに注意しながら進む。
でも、初参加の柴又のUさんは2度滑って、ズボンなどを濡らしてしまった。



         
 「関東ふれあいの道」の道標と石標の立つ辺りまで進むと、行く手の台地上に剱崎無線
方位信号所のアンテナが見えてきた。


 砂浜にはたくさんのミゾソバが咲き競う。


 無線方位信号所は、航路標識のうち電波を利用して位置を知らせる電波標識局の一種。
海上保安庁交通部が運用し、電波灯台とも呼ばれ、多くは灯台に併設されており、特定の
無線電波を発して付近の船舶に方位や位置を伝え、その航行を補助する施設だという。

 片谷集落の南側、狭い湾状のところまで進み、小さな漁船のそばでスケッチタイムとし、
敬子さんは短時間で描きあげる。



 その先は、アンテナ塔の下の高い断崖下部を進む。足もとには、ヒトデの化石のように
も見える固い星型のものが岩にへばり付いていた。
    


 何人も雨宿りできそうな洞窟の前を通過して、かなり幅広くなった岩礁地帯を抜ける。


         



 無線方位信号所のアンテナ塔の下を過ぎた辺り、剱崎の先端部まで進むと正午が近い。
少し波立つ海面に浮かぶ、数隻の釣り船などを見ながら昼食とした。


    
 記念撮影を終えて、12時8分に出発する。すぐ先、剱崎の先端部下部の斜面に、小さ
なほこらが祭られている。海難防止を祈るものなのだろうか…。
        

 近くに「剱崎の由来」が記されていた。それによれば、剱崎の名のおこりは、徳川時代
の万治年間(1658~60)といわれ、幕府の官財を積んだ五百石船がこの沖で暴風雨
のため難破して沈んだ。

 そこで、海南神社の神主が海に剱を投じて龍神の怒りを鎮めてもらおうと祈ると、すぐ
に風波が静まり沈んだ木材も浮かび出て、それをくり船で磯に運んだと伝えら、以来この
地を剱崎というようになったと伝えられているという。

  
 傍らに「かながわの景勝50選 剱崎」の標石も立っていた。


 近くには釣り舟が見え、砂浜には朱色の海藻が打ち上げられている。
    


 剱崎の北東側岩礁に立つ小さい灯台の近くで岩礁を離れ、背後の高台に回り込み、剱崎
灯台へ。
      
 剱崎灯台は慶応2年(1866)の江戸条約に基づき、明治政府が明治4年(1871)
に設置したもの。
         

      
 対岸の房総半島にある須崎灯台と対で、東京湾の入口をあらわしているとか。灯台の高
さは17m、水面からは約41m、光の強さ48万カンデラ、光りの到達距離は約32㎞
という。

 傍らには、昭和16年(1941)6月7日に行啓された、皇太后陛下の行啓記念碑も
立っていた。
         

 晴れた日には、房総半島の館山から伊豆大島、新島、さらに伊豆半島まで展望できると
いうが、今日は曇っていて対岸の房総半島も霞んで判然としない。


 北側眼下には間口湾が望まれる。


     
 灯台下の広場の一角でノブドウの実が色づき始め、黄色い花が開花していた。
         


 台地上の畑作地帯を北東へ。大畑集落の北西部で県道215号を横断して、県道西側の
旧道を谷戸集落から田鳥川集落へと抜ける。

 次の田鳥原集落のT字路際の民家に、大きなエンゼルトランペットが咲いていた。


 
 左折して少し進むと、福泉寺の山門が見えた。

  
 山門を入った右手にスギの古木が立ち、正面が本堂である。


 山門の左側には、「第56震洋特別攻撃隊岩舘部隊の碑」と「是法平等」と刻まれた大き
な戦没者慰霊碑が立っていた。
      


 寺の西側を少し進んだ斜面に、大きなハギが赤紫と白い花をいっぱいに咲き競い、黄色
いヒガンバナも咲く。
       

 近くに、物置に使っているようだが朽ちかけた、かやぶき屋根の建物が残っていた。


 車道を横断して入集落に入ったたところに古い庚申塔などが並び、その先にも2基の庚
申塔があり、この道筋が古くからの街道らしいと知れる。
    

        
 路傍にアシタバが咲き、近くの畑のヒャクニチソウが花盛り。


 右手に、屋根の上に土を盛ったのか、草の生えた別荘風の家があり、暖炉に使うらしい
まきが、たくさん庭の隅に積まれていた。


 この周辺では「三浦金田緑地」と呼ぶ「かながわのナショナルトラスト運動」が進めら
れていて、緑地が保存されているとの看板が立っていた。

 その近くにも、庚申塔など古い石塔が並んでいる。


         
 金田湾沿いの県道215号に出て、そばの小浜バス停に13時50分に着いた。2分後
に来たバスで三浦海岸駅に向かう。

(天気 曇、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 三浦三崎、歩行地 三浦市、
 歩数 10,500)




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