あるきメデス

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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く④(三重・和歌山)(2003年) 

2020-09-12 10:18:43 | 熊野古道を歩く
第4日 2003年10月18日(土)
横垣峠、風伝峠、通り峠、丸山千枚田  =慶長の遺産、丸山千枚田=

 昨日までは毎日、朝は雲ひとつ無い快晴だったが、今朝は曇って遠望は利かず、期待し
た海からの日の出も見えなかった。7時半過ぎ、21人が宿のマイクロバスで御浜町神木
(みはまちょうこうのぎ)まで送ってもらう。

 道標に従いミカン畑の間を西に向かう。雲が低くて今にも降り出しそうな雲行き。ミカ
ン畑が終わりヒノキ林に入った。風がないので、上り坂が続くと汗ばんでくる。

 高度が上がり樹間から展望が開けてきた。霧の向こうに熊野灘らしいのが見える。でも
この先、最終日まで海とはお別れになりそう。


 ポツポツ雨が落ちてきたが、木の下なので雨具を出すほどではない。水場のある地蔵さ
んのところで休む。ヒノキ林を緩やかに上り下りして横垣峠(305m)に着いた。自然
石の新しい峠標石がある。
             

 峠の先は、緩いカーブの続く石畳道を下って車道に下りた。古道は、車道を横切って林
の中を緩やかに下り、折山地蔵の先で坂本川沿いの棚田の横に出る。

 ススキやセイタカアワダチソウを見ながら田のあぜ道を進み、折山神社前で車道組と合
流して休憩。周辺には、かなり前に収穫を終えた石積みの棚田が広がる。あぜのコスモス
が見頃である。


 車道を進んで坂本の集落を抜けた。柿の実が色づき、まだ緑の夏ミカンも実る静かな里
道だ。

 車道は、ヒノキの木立の間や風伝窯(ふうでんがま)と記された窯元の横を過ぎ、国道
311号線を横切って向地から大杉の集落を抜ける。
     
 大杉には、その名のもとになった2本の大杉が、松のような枝振りで立っていた。

 尾呂志川(おろしがわ)を渡って川瀬集落を過ぎると国道に合し、風伝トンネルの東側
に出た。風伝峠へは、トンネルの南側に残る車道を入る。


 薄暗いスギやヒノキの木立の下を進み、最後に少しだけ車道をショートカットして山道
を上ると、あっけなく茶屋のある風伝峠(257m)に出た。

 風伝峠は、我々の進む本宮道と、吉野へ向かう北山道との分岐点。風伝とは風顛(ふう
てん)の当て字で、風のよく通る峠のこと。峠の手前の尾呂志は、峠から吹き下ろす風伝
颪(おろし)が転じたもののようだ。

 峠からの山道をトンネル西側の国道に下り、国道を500m足らずで北側の狭い車道に
入って、通り峠へ向かう。棚田と点在する数戸の集落の間を進んで、集落最上部にあった
トイレのところで休憩する。


 集落から峠への上り口に標識がなかったので、別の道に入って少し戻った。ヒノキ林の
下、苔むした石垣の道などを進んで、ほどなく通り峠(390m)に出る。

 右手に入り、木の手すりもあるかなりの急斜面をジグザクに上がって展望台に着いた。
眼下に、地形そのままに緩やかなカーブを描く丸山千枚田が一望である。

 丸山千枚田は、慶長6(1601)年にはすでに7haの水田に2,200余枚を数えた
との記録があるという。近年、550枚まで減少していたのを、条例を制定して保存会に
より1,340枚まで復田したとのこと。全国の棚田が減反政策や耕作者の高齢化どんど
ん減っている中で、復田したのは嬉しいことである。


 いまは刈り入れ後で、土の見える田んぼはやや色彩に乏しい。田植え後の水の入った時
期とか、刈り入れ前の黄金田の景観を、再訪して見たいものだ。



 道沿いに1輪ずつ咲くリンドウの間を丸山集落に下る。千枚田の最上部を少し西に回り、
水車や休憩舎のある芝生の広場で昼食とする。



 今日の弁当は、朝通過した御浜町のふる里茶屋「おかげさんで」製。高菜(たかな)の
めはり寿司、サンマ寿司、ミカン汁で炊いたいなり寿司が詰めてあった。何れも町の産物
を使った郷土料理。棚田を眺めながら美味しく味わう。




 千枚田の間を下り、大栗須集落を抜けて板屋川沿いの三差路に出た。


 川の左岸に沿って進み、時計塔のある新しい木造校舎のゐる入鹿(いるか)中学校前を
通過し、紀和町役場の先、鉱山資料館で休憩する。天気が回復して青空が広がってきた。


 すぐ先の三差路を南に入った板屋川の支流に、小さい魚がたくさん見える。一族山
(800m)の山ふところに向かう集落にはサザンカが咲き、ムラサキシキブが実をいっ
ぱい付けている。

 今日はまだ先が長い。一族山の山腹、標高250m付近をほぼ等高線沿いに走る県道
780号線に入ると自然に先頭のピッチが上がり、前後が少しずつ離れてきた。

 ヒノキや杉林の下を西から南に回り込んで行くと西側の展望が開け、明倫小学校跡に出
た。沿革の説明板には2棟の校舎やプールの表示もある。
     

 当時は周辺に集落もあったのだろうか。現在その面影は全くなく、桜の植えられた一帯
は「夕陽の丘公園」と呼ぶ自然公園になっている。


 さらにハイピッチで進み、大規模な鶏舎の並んだ三差路を左に入り、最後は少しだけ舗
装の途切れた山道を下って楊枝川(ようじがわ)集落に入る。

 色づき始めた山波を見ながら、楊枝川に沿って右岸を一気に進む。陽が傾いて涼しさを
感じ始めた頃、熊野川との合流点に出た。

 今回の最長距離を歩き、疲れもつのる。前方に見えた三和大橋に向かって急いでいたら、
橋の手前で迎えのマイクロバスが来てくれた。三和大橋を渡って左折、赤木川左岸の「熊
野川温泉さつき」に17時過ぎに着いた。

 平屋建ての比較的新しい旅館。温泉に浸かって疲れをとる。夕食は和食のコース料理。
紀州鶏のすき焼きや、熊野の海の魚などを美味しくいただいた。

〈コースタイム〉神木8:10-横垣峠8:50-折山神社前(WC)9:21~30-風伝峠上り口
10:10-風伝峠10:30~35-通り峠上り口(WC)11:05~10-通り峠11:30-展望台
11:39~47-丸山千枚田(昼食・WC)12:18~55-オートキャンプ場三差路13:13-
鉱山資料館前(WC)13:53~14:09-明倫小学校跡14:50~55-大型鶏舎の分岐15:22
-楊枝川集落の車道15:49-三和大橋北詰16:43=熊野川温泉さつき17:05

(天気 曇後晴、距離 29㎞、地図(1/2.5万) 木本、瀞八丁、大里、本宮、
 歩行地 三重県御浜町、紀和町(現・熊野市)、和歌山県熊野川町(現・新宮市))



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