2023年11月16日(木) 〈後半:野田市郷土博物館と市民会館の観覧〉
茂木本家美術館の観覧後、流山街道沿いのそば店で昼食を済ませ、郷土博物館などの観
覧に向かうことにした。
昼食をしたそば店の隣に、古い洋館が目につく。「興風会館」で、昭和3(1928)
年に建設されたロマネスクを加味した近世復興式の建物。当時は、千葉県庁に次ぐ大建築
物といわれていたとか。

現在は、最大652人の観客席の大講堂や集会場などがあり、講演会や展覧会、映画会
などが開催されるようで、平成9(1997)年に国の登録有形文化財になったという。
この日は「野田美術会チャリティー展」を開催中だったが、入館は省く。
流山街道をさらに北北西進み、キッコーマンンの本社ビル前を通過する。
その先にも、古い洋館の建物があった。入口には「(株)千秋社」の表札があり、平成
19年(2007)度に経済産業省から認定された「近代化産業遺産」のパネルもあるが、
詳細は記されてない。

次のT字路を右折して東へ、ファミリーマートやキッコーマン環境分析センターの先で
T字路を左折すると、北西側は野田児童遊園公園になっている。
公園の北西側、大イチョウの奥に小さいが鎮守の森があるが、柵があり入れない。

金寶殿本社と呼ぶ建物で、キッコーマン一族の茂木佐平治家のものらしい
その説明パネル

柵の外から金寶殿の精巧な木彫を眺めた。


傾斜した手水舎にも、精巧な木彫が施されている。

一角には、大きく傾くクスノキの老木も立つ。

交差点の東側や北側には長い塀が巡らされ、東側すぐ先に寺院のような立派な門がある。

その広い敷地内に野田市郷土博物館と市民会館があるようなので、13時55分頃に門
を入った。



「野田市郷土博物館 野田市市民会館」リーフレットから↑地図と↓敷地全体図

門内は豊富な植栽があり、ここが郷土博物館や市民会館とは想像しがたい。

まずは、門を入り左手奥にある野田市郷土博物館↓を観覧することに。

郷土博物館の手前にあった、醤油のもろみをしぼる際に使われたという吊り石。

郷土博物館前には、醤油のもろみをかき混ぜるために使われたという空気圧縮機が。

野田市立郷土博物館のリーフレットに掲載の館の概要(入場無料)


受付の左手にある展示コーナーでは、今年度の特別展「野田の剣術・剣道史」を開催し
ていた。
そのリーフレットの表↑と裏面から












詳細に観覧したわけではないが、明治から昭和にかけて、野田では剣術や剣道が隆盛だ
ったことがよく理解できた。


このあとは2階に上がり、回廊状の常設展示「野田に生きた人々の生活と文化」を観覧
する。




目に着いた展示を幾つか。やはり醤油に関する展示が多い。














第二次大戦を終戦に導いた首相・鈴木貫太郎は、市内の関宿(せきやど)に住んでいて、
以前のウオーキングでその自宅横を通った記憶がある。


この郷土博物館の建物は、2年前に国登録有形文化財となったという。

最後に観覧したコーナーで紹介されていた、当館の設計者・山田守の設計した都心の大
手町にあった建物が、私の昭和30(1955)年代前半の勤務先だったことも思い出す。
一巡後、受付の方(館長さん?)に話したら大変興味を示され、当館でも近年に山田守
氏関連の特別展を開催したと教えいただいた。
開館は、現在の上皇ご夫妻の結婚翌年の昭和34(1959)年とのこと。その上皇ご
夫妻の結婚式当日には行列を見たことも申し上げる。
私が所沢から来たことも受付時の記名でご存じで、ご実家の墓地が埼玉県中部にあると
も言われ、私が中学生まで近くの町で育ったことなど話し、思いがけずの縁に話が弾んだ。
14時40分頃郷土博物館を出た。私の入館中、ほかに観覧者の来館は無かったよう。
館前にはこんな展示も。(醤油仕込桶の底板)

このあとは、東側にある市民会館の観覧に。

市民会館というと、コンクリート造りのビルが想定されるが、なんとここは野田の醤油
醸造家だった茂木佐平治氏の邸宅で、市民の文化活動の拠点として活用され、合わせて見
学施設(無料)にもなっている。 リーフレットから↓

玄関を入ったところに掲示の建物のレイアウト

建物は、登録有形文化財と近代化産業遺産に認定されている。

まずは玄関を入ったところの展示



レイアウトに従い、廊下沿いに反時計回りに一巡する。目についたものを展示物などを
含めて順次紹介する。
当館では将棋のタイトル戦も実施されたとか。これは第26期竜王戦対局者のサイン。
















建物内を一巡後、玄関を出て左手の門を入って庭園へ。庭園も国登録記念物である。








ゆっくりと市民会館とその庭園の観覧を終え、15時05分に門を出た。同じ時間帯の
観覧者は4~5組の10人前後だったかと思われる。
日没が早くなっているので今日の観覧はここで終え、駅に向かうことにする。
東に向かい、T字路を右折してスーパー・コモディイイダ前を通過し、次のT字路を左
折すると空き地の向こうに駅が見えてきた。

間もなく開設と思われる改築された高架下の駅舎前を進み、15時17分に野田市駅の
仮駅舎に着いた。

2階のホームへ向かう連絡通路に、昼食前に寄った野田せんべいの「大川や」のシンプ
ルな広告がある。


2階のホームに上がると、西方に夕暮れの近づく気配が望まれる。アンテナ塔は、野田
市下町交差点の南側にあるNTT東日本のもの。

15時26分発の急行電車で大宮に向かい、大宮、南浦和、新秋津から秋津へと乗り継
ぎ、すっかり暗くなった17時33分に帰宅した。
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茂木本家美術館の観覧後、流山街道沿いのそば店で昼食を済ませ、郷土博物館などの観
覧に向かうことにした。
昼食をしたそば店の隣に、古い洋館が目につく。「興風会館」で、昭和3(1928)
年に建設されたロマネスクを加味した近世復興式の建物。当時は、千葉県庁に次ぐ大建築
物といわれていたとか。

現在は、最大652人の観客席の大講堂や集会場などがあり、講演会や展覧会、映画会
などが開催されるようで、平成9(1997)年に国の登録有形文化財になったという。
この日は「野田美術会チャリティー展」を開催中だったが、入館は省く。
流山街道をさらに北北西進み、キッコーマンンの本社ビル前を通過する。
その先にも、古い洋館の建物があった。入口には「(株)千秋社」の表札があり、平成
19年(2007)度に経済産業省から認定された「近代化産業遺産」のパネルもあるが、
詳細は記されてない。

次のT字路を右折して東へ、ファミリーマートやキッコーマン環境分析センターの先で
T字路を左折すると、北西側は野田児童遊園公園になっている。
公園の北西側、大イチョウの奥に小さいが鎮守の森があるが、柵があり入れない。

金寶殿本社と呼ぶ建物で、キッコーマン一族の茂木佐平治家のものらしい
その説明パネル

柵の外から金寶殿の精巧な木彫を眺めた。


傾斜した手水舎にも、精巧な木彫が施されている。

一角には、大きく傾くクスノキの老木も立つ。

交差点の東側や北側には長い塀が巡らされ、東側すぐ先に寺院のような立派な門がある。

その広い敷地内に野田市郷土博物館と市民会館があるようなので、13時55分頃に門
を入った。



「野田市郷土博物館 野田市市民会館」リーフレットから↑地図と↓敷地全体図

門内は豊富な植栽があり、ここが郷土博物館や市民会館とは想像しがたい。

まずは、門を入り左手奥にある野田市郷土博物館↓を観覧することに。

郷土博物館の手前にあった、醤油のもろみをしぼる際に使われたという吊り石。

郷土博物館前には、醤油のもろみをかき混ぜるために使われたという空気圧縮機が。

野田市立郷土博物館のリーフレットに掲載の館の概要(入場無料)


受付の左手にある展示コーナーでは、今年度の特別展「野田の剣術・剣道史」を開催し
ていた。

そのリーフレットの表↑と裏面から












詳細に観覧したわけではないが、明治から昭和にかけて、野田では剣術や剣道が隆盛だ
ったことがよく理解できた。


このあとは2階に上がり、回廊状の常設展示「野田に生きた人々の生活と文化」を観覧
する。




目に着いた展示を幾つか。やはり醤油に関する展示が多い。















第二次大戦を終戦に導いた首相・鈴木貫太郎は、市内の関宿(せきやど)に住んでいて、
以前のウオーキングでその自宅横を通った記憶がある。


この郷土博物館の建物は、2年前に国登録有形文化財となったという。

最後に観覧したコーナーで紹介されていた、当館の設計者・山田守の設計した都心の大
手町にあった建物が、私の昭和30(1955)年代前半の勤務先だったことも思い出す。
一巡後、受付の方(館長さん?)に話したら大変興味を示され、当館でも近年に山田守
氏関連の特別展を開催したと教えいただいた。
開館は、現在の上皇ご夫妻の結婚翌年の昭和34(1959)年とのこと。その上皇ご
夫妻の結婚式当日には行列を見たことも申し上げる。
私が所沢から来たことも受付時の記名でご存じで、ご実家の墓地が埼玉県中部にあると
も言われ、私が中学生まで近くの町で育ったことなど話し、思いがけずの縁に話が弾んだ。
14時40分頃郷土博物館を出た。私の入館中、ほかに観覧者の来館は無かったよう。
館前にはこんな展示も。(醤油仕込桶の底板)

このあとは、東側にある市民会館の観覧に。

市民会館というと、コンクリート造りのビルが想定されるが、なんとここは野田の醤油
醸造家だった茂木佐平治氏の邸宅で、市民の文化活動の拠点として活用され、合わせて見
学施設(無料)にもなっている。 リーフレットから↓

玄関を入ったところに掲示の建物のレイアウト

建物は、登録有形文化財と近代化産業遺産に認定されている。

まずは玄関を入ったところの展示



レイアウトに従い、廊下沿いに反時計回りに一巡する。目についたものを展示物などを
含めて順次紹介する。
当館では将棋のタイトル戦も実施されたとか。これは第26期竜王戦対局者のサイン。
















建物内を一巡後、玄関を出て左手の門を入って庭園へ。庭園も国登録記念物である。








ゆっくりと市民会館とその庭園の観覧を終え、15時05分に門を出た。同じ時間帯の
観覧者は4~5組の10人前後だったかと思われる。
日没が早くなっているので今日の観覧はここで終え、駅に向かうことにする。
東に向かい、T字路を右折してスーパー・コモディイイダ前を通過し、次のT字路を左
折すると空き地の向こうに駅が見えてきた。


間もなく開設と思われる改築された高架下の駅舎前を進み、15時17分に野田市駅の
仮駅舎に着いた。

2階のホームへ向かう連絡通路に、昼食前に寄った野田せんべいの「大川や」のシンプ
ルな広告がある。


2階のホームに上がると、西方に夕暮れの近づく気配が望まれる。アンテナ塔は、野田
市下町交差点の南側にあるNTT東日本のもの。

15時26分発の急行電車で大宮に向かい、大宮、南浦和、新秋津から秋津へと乗り継
ぎ、すっかり暗くなった17時33分に帰宅した。


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