2012年10月7日(日)
ようやく秋らしくなったこの日、カントリーウオークグループの第197回例会を開催
する。集合は関東鉄道の小絹(こきぬ)駅。小雨なので傘を差し、3組に分かれて10時
10分に出発した。
== 鬼怒川を渡り本郷から坂手町へ ==
関東鉄道の西を平行する国道294号を跨道(こどう)橋で越える。小絹の家並みを北
西に進んだ突き当たりに、八坂神社があった。
室町時代の文亀2(1502)年の創建。樹齢350年以上の松の巨木6本があったと
いうが、松食い虫にやられていまはない。手水鉢の上に、ゾウをかたどったお手ふきが吊
されていた。
南西に回って県道3号に入り、鬼怒川の玉台橋を渡る。両岸には豊富な広葉樹が続き、
水量も多く、穏やかな流れを見せている。
少し先で右折して少さな集落に入り、流れが右にカーブする鬼怒川右岸沿いを進み、長
ノ入集落を北に抜けた。
刈り入れ後の田んぼと畑が続く、広々とした田園地帯に入った。農道の草が伸びて足も
とが濡れるが、スパッツを付けるほどでもない。
本合集落に入り、南に向いている北向梅天神社の社殿下で小休止し、水分補給などした。
200mほど先の三差路を右折して北に向かう。集落を抜けると再び田園地帯。水が入
りひこばえが伸びた田んぼに、3羽のサギが見える。
水路際のポンプ小屋付近に表示されていた標高11.0mの三角点は、見つからなかった。
田んぼが終わって台地に上がり、絹西小の東側から北に回りこむ。校舎は一部改装した
ようだが、講堂も教室のある建物も落ち着いた和風建築で、この地にふさわしいたたずま
いをみせる。
本郷集落の西側を進み、たくさんのセイタカアワダチソウが茂る荒れ地の横を通過する。
坂手町に入ると、本堂前にソメイヨシの古木が立つ無住の寺があった。
寺の名は分からないが、道路際に並ぶ石塔のひとつ「圓光大師霊場」と刻まれた石碑に
は、文政3(1820)年と記されていた。
北側の民家はりっぱな長屋門を構え、邸内の植木も見ごと。柿の色づく篠山集落を抜け、
県道58号を横断して北側から回り込み、南北に長いきぬ総合公園に入る。
入口付近に、地形図には記されてない四等三角点があった。野球場の横を進んで、12
時45分、公園の中心にある池のほとりの休憩舎に着き、昼食にした。
== きぬ総合公園から水海道へ ==
小雨も上がり、ミーティング後に池を背に記念撮影をして、14時ちょうどに出発した。
北側から公園を出て県道58号を横断する。すぐ先のY字路を左折し、柿が色づき、も
み殻を燃やす静かな集落を東に抜けて豊坂川左岸沿いへ。
草の生い茂る自然堤防が続き、流れはよどむように緩やか。流れは田んぼを挟んで少し
離れた後再び合し、Sカーブのところで橋を渡って浜集落に入る。
集落の東で、田園地帯に出て北進する。ほとんどは刈り入れを終えてひこばえが伸びる
が、収穫前の田んぼも残っていた。
前原で国道354号に入って鬼怒川の豊水橋を渡る。流れは川幅いっぱいに広がり、魚
道に上がってくる魚を数羽のカワウが狙う。
橋の東側で国道を離れて南側の旧道へ。すぐの曲がり角に、三階建ての古いレンガ造り
の建物が残っていた。「五木宗レンガ蔵(ごきそうれんがぐら)」と呼ばれる建物だという。
江戸時代初期の鬼怒川開削により物資輸送の中継基地として発展した水海道(みつかい
どう)河岸は、幕末から明治にかけて隆盛を誇り、有力な問屋が軒を連ね、会津藩の廻米
を扱うなど廻漕業を営んでいた五木田家もその一つだったとのこと。
明治15(1882)年建造と伝えられるレンガ蔵は、銅板葺で高さ10m余り。平成
7(1995)~8年に改修し、建築当初の独立した建物とし、現在は五木宗関連資料な
どの展示や、ギャラリーとして活用されているという。
その先を南下して大きな本堂の報国寺に入り、りっぱな鐘楼のところで最後の休憩。境
内のハナミズキが、秋色に色づき始めている。
そばの水海道一高には、「亀陵開館」と呼ぶクラシックな洋風の建物が残されていた。
南に下って県道357号に出て、ゴールの水海道駅には16時12分に着いた。
(参加 13人、天気 曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 守谷、水海道、
歩行地 つくばみらい市、常総市、歩数 27,100)
この行程のコース地図
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ようやく秋らしくなったこの日、カントリーウオークグループの第197回例会を開催
する。集合は関東鉄道の小絹(こきぬ)駅。小雨なので傘を差し、3組に分かれて10時
10分に出発した。
== 鬼怒川を渡り本郷から坂手町へ ==
関東鉄道の西を平行する国道294号を跨道(こどう)橋で越える。小絹の家並みを北
西に進んだ突き当たりに、八坂神社があった。
室町時代の文亀2(1502)年の創建。樹齢350年以上の松の巨木6本があったと
いうが、松食い虫にやられていまはない。手水鉢の上に、ゾウをかたどったお手ふきが吊
されていた。
南西に回って県道3号に入り、鬼怒川の玉台橋を渡る。両岸には豊富な広葉樹が続き、
水量も多く、穏やかな流れを見せている。
少し先で右折して少さな集落に入り、流れが右にカーブする鬼怒川右岸沿いを進み、長
ノ入集落を北に抜けた。
刈り入れ後の田んぼと畑が続く、広々とした田園地帯に入った。農道の草が伸びて足も
とが濡れるが、スパッツを付けるほどでもない。
本合集落に入り、南に向いている北向梅天神社の社殿下で小休止し、水分補給などした。
200mほど先の三差路を右折して北に向かう。集落を抜けると再び田園地帯。水が入
りひこばえが伸びた田んぼに、3羽のサギが見える。
水路際のポンプ小屋付近に表示されていた標高11.0mの三角点は、見つからなかった。
田んぼが終わって台地に上がり、絹西小の東側から北に回りこむ。校舎は一部改装した
ようだが、講堂も教室のある建物も落ち着いた和風建築で、この地にふさわしいたたずま
いをみせる。
本郷集落の西側を進み、たくさんのセイタカアワダチソウが茂る荒れ地の横を通過する。
坂手町に入ると、本堂前にソメイヨシの古木が立つ無住の寺があった。
寺の名は分からないが、道路際に並ぶ石塔のひとつ「圓光大師霊場」と刻まれた石碑に
は、文政3(1820)年と記されていた。
北側の民家はりっぱな長屋門を構え、邸内の植木も見ごと。柿の色づく篠山集落を抜け、
県道58号を横断して北側から回り込み、南北に長いきぬ総合公園に入る。
入口付近に、地形図には記されてない四等三角点があった。野球場の横を進んで、12
時45分、公園の中心にある池のほとりの休憩舎に着き、昼食にした。
== きぬ総合公園から水海道へ ==
小雨も上がり、ミーティング後に池を背に記念撮影をして、14時ちょうどに出発した。
北側から公園を出て県道58号を横断する。すぐ先のY字路を左折し、柿が色づき、も
み殻を燃やす静かな集落を東に抜けて豊坂川左岸沿いへ。
草の生い茂る自然堤防が続き、流れはよどむように緩やか。流れは田んぼを挟んで少し
離れた後再び合し、Sカーブのところで橋を渡って浜集落に入る。
集落の東で、田園地帯に出て北進する。ほとんどは刈り入れを終えてひこばえが伸びる
が、収穫前の田んぼも残っていた。
前原で国道354号に入って鬼怒川の豊水橋を渡る。流れは川幅いっぱいに広がり、魚
道に上がってくる魚を数羽のカワウが狙う。
橋の東側で国道を離れて南側の旧道へ。すぐの曲がり角に、三階建ての古いレンガ造り
の建物が残っていた。「五木宗レンガ蔵(ごきそうれんがぐら)」と呼ばれる建物だという。
江戸時代初期の鬼怒川開削により物資輸送の中継基地として発展した水海道(みつかい
どう)河岸は、幕末から明治にかけて隆盛を誇り、有力な問屋が軒を連ね、会津藩の廻米
を扱うなど廻漕業を営んでいた五木田家もその一つだったとのこと。
明治15(1882)年建造と伝えられるレンガ蔵は、銅板葺で高さ10m余り。平成
7(1995)~8年に改修し、建築当初の独立した建物とし、現在は五木宗関連資料な
どの展示や、ギャラリーとして活用されているという。
その先を南下して大きな本堂の報国寺に入り、りっぱな鐘楼のところで最後の休憩。境
内のハナミズキが、秋色に色づき始めている。
そばの水海道一高には、「亀陵開館」と呼ぶクラシックな洋風の建物が残されていた。
南に下って県道357号に出て、ゴールの水海道駅には16時12分に着いた。
(参加 13人、天気 曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 守谷、水海道、
歩行地 つくばみらい市、常総市、歩数 27,100)
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本日は10月6~7日のウオーキングを拝見させて頂きました。色々な所をセレクトし歩かれるのですね。
仲間が沢山あり楽しそうですね! お身体に気を付けられ頑張って歩いて下さい。結構小まめに拝見させてもらっています。
あちこちのグループの歩きに参加して、関東地方を主に歩いています。
ブログ不調中のものを、このあともアップします。