2012年10月6日(土)
第88番目となった関東百駅巡礼歩行に参加する。集合は埼玉高速鉄道の戸塚安行
(とづかあんぎょう)駅。地下ホームから改札を出て、道路に上がって記念撮影後、
11時3分に出発した。
西に向かい、県道103号を横断して小さい流れ沿いに進む。流れは周辺の民家の
雑排水で汚れている。
標識に従い公園を抜けて段丘上に上がり、西福寺(さいふくじ)に入った。
弘仁年間(810~24)に、弘法大師が創建したと伝えられる古寺。境内には、
三代将軍家光の長女千代姫が奉建した三重塔があり、元禄6(1693)年の建立と
いう。高さは23mあり、埼玉県下で一番高い木造建造物とのこと。
正面にある観音堂には、西国、坂東、秩父札所の百観音が安置されていて、ここに
参詣すれば、百か所の観音霊場をお参りしたと同様の功徳(くどく)があるとされて
いる。
境内ではほかに、延命地蔵堂や↑チャボヒバの古木が目についた。入口近くには標
高17.5mの三角点が埋設されている。
寺を出て南西へ。赤芝新田の林や雑草地、樹木畑などの間を進み、外環道の近くか
ら北に回って行くと、谷を隔てて西福寺の観音堂や三重塔が望まれる。
モダンな外壁の体育館がある戸塚西中前を通過して、石神集落に入る。「ご隠居長
屋 和楽久」と呼ぶ、間もなく開設するらしい和風建築の高齢者向け住宅が出来てい
た。
その先のコブシには、もう来春のつぼみがふくらんでいる。
東北自動車道を跨道(こどう)橋で越えて、源左衛門新田集落に入る。乱雑に立ち
並ぶ住宅地を進んで西側の木曽呂集落へ。昼食を予定していた薬王寺に、東側の車道
から入った。
本堂は、近代的なコンクリートづくり。うっそうとした常緑広葉樹に囲まれた境内
では、葬儀を終えて出棺前の学校関係者らしい人たちがいっぱい。昼食する訳にはゆ
かないと、南側の山門をくぐり階段を下って寺を出た。
西の段丘下に回って見沼代用水(みぬまだいようすい)東縁(ひがしべり)に入り、
橋のそばにあったベンチに腰を下ろして昼食をする。
午後は、外環道の南を進んで新井宿(あらいじゆく)駅がゴールの予定だったが、
変更して見沼代用水沿いの「緑のヘルシーロード」を北に向かう。
交通量の多い県道103号を横断して、国史跡に選定されている見沼通船堀(つうせ
んぼり)の東端に行く。
代用水東縁の木々の向こうに、「木曽路の富士」と呼ぶ富士講の信者により作られた
大きな人口の富士山が望まれる。
見沼通船堀は、享保16(1731)年に幕府勘定奉行の井沢弥惣兵衛(いざわやそ
べえ)によりつくられたわが国最古の閘門(こうもん)式運河。東西の見沼代用水と芝
川とを結び、芝川との水位差が約3mあるため、関を設けて水位を調節して船を上下さ
せた。
通船堀を通って江戸に運ばれたのは、年貢米や野菜、薪炭、酒など。江戸からは肥料
や塩、魚類、醤油、荒物などが運ばれたという。
今は水の少ない通船堀の桜並木の下を西縁に向かうと、東縁第一の関があり、そばに
通船の仕組みの説明板が立っていた。
芝川↑を渡って県道103号に出て、見沼通船堀の差配役を努めた鈴木家住宅に行く。
公開日だったので裏庭に回り、納屋や復元したひらた船などを観覧した。
裏庭のヒガンバナが見頃になっている。
県道を少し進んで通船堀に戻り、先に進む。こちらにも西縁一の関と二の関が復元さ
れている。
見沼代用水西縁が近づき、モウソウチクの林の中の遊歩道を進んでたけのこ公園へ。
厚くなってきた雲から少し雨が落ちてきた。
当時の通船の様子を浮き彫りにした絵を掲げた西縁の橋を渡り、ゴールのJR武蔵野
線東浦和駅には14時5分に着いた。
(参加 5人、天気 晴後曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地
川口市、さいたま市緑区、歩数 10,200)
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第88番目となった関東百駅巡礼歩行に参加する。集合は埼玉高速鉄道の戸塚安行
(とづかあんぎょう)駅。地下ホームから改札を出て、道路に上がって記念撮影後、
11時3分に出発した。
西に向かい、県道103号を横断して小さい流れ沿いに進む。流れは周辺の民家の
雑排水で汚れている。
標識に従い公園を抜けて段丘上に上がり、西福寺(さいふくじ)に入った。
弘仁年間(810~24)に、弘法大師が創建したと伝えられる古寺。境内には、
三代将軍家光の長女千代姫が奉建した三重塔があり、元禄6(1693)年の建立と
いう。高さは23mあり、埼玉県下で一番高い木造建造物とのこと。
正面にある観音堂には、西国、坂東、秩父札所の百観音が安置されていて、ここに
参詣すれば、百か所の観音霊場をお参りしたと同様の功徳(くどく)があるとされて
いる。
境内ではほかに、延命地蔵堂や↑チャボヒバの古木が目についた。入口近くには標
高17.5mの三角点が埋設されている。
寺を出て南西へ。赤芝新田の林や雑草地、樹木畑などの間を進み、外環道の近くか
ら北に回って行くと、谷を隔てて西福寺の観音堂や三重塔が望まれる。
モダンな外壁の体育館がある戸塚西中前を通過して、石神集落に入る。「ご隠居長
屋 和楽久」と呼ぶ、間もなく開設するらしい和風建築の高齢者向け住宅が出来てい
た。
その先のコブシには、もう来春のつぼみがふくらんでいる。
東北自動車道を跨道(こどう)橋で越えて、源左衛門新田集落に入る。乱雑に立ち
並ぶ住宅地を進んで西側の木曽呂集落へ。昼食を予定していた薬王寺に、東側の車道
から入った。
本堂は、近代的なコンクリートづくり。うっそうとした常緑広葉樹に囲まれた境内
では、葬儀を終えて出棺前の学校関係者らしい人たちがいっぱい。昼食する訳にはゆ
かないと、南側の山門をくぐり階段を下って寺を出た。
西の段丘下に回って見沼代用水(みぬまだいようすい)東縁(ひがしべり)に入り、
橋のそばにあったベンチに腰を下ろして昼食をする。
午後は、外環道の南を進んで新井宿(あらいじゆく)駅がゴールの予定だったが、
変更して見沼代用水沿いの「緑のヘルシーロード」を北に向かう。
交通量の多い県道103号を横断して、国史跡に選定されている見沼通船堀(つうせ
んぼり)の東端に行く。
代用水東縁の木々の向こうに、「木曽路の富士」と呼ぶ富士講の信者により作られた
大きな人口の富士山が望まれる。
見沼通船堀は、享保16(1731)年に幕府勘定奉行の井沢弥惣兵衛(いざわやそ
べえ)によりつくられたわが国最古の閘門(こうもん)式運河。東西の見沼代用水と芝
川とを結び、芝川との水位差が約3mあるため、関を設けて水位を調節して船を上下さ
せた。
通船堀を通って江戸に運ばれたのは、年貢米や野菜、薪炭、酒など。江戸からは肥料
や塩、魚類、醤油、荒物などが運ばれたという。
今は水の少ない通船堀の桜並木の下を西縁に向かうと、東縁第一の関があり、そばに
通船の仕組みの説明板が立っていた。
芝川↑を渡って県道103号に出て、見沼通船堀の差配役を努めた鈴木家住宅に行く。
公開日だったので裏庭に回り、納屋や復元したひらた船などを観覧した。
裏庭のヒガンバナが見頃になっている。
県道を少し進んで通船堀に戻り、先に進む。こちらにも西縁一の関と二の関が復元さ
れている。
見沼代用水西縁が近づき、モウソウチクの林の中の遊歩道を進んでたけのこ公園へ。
厚くなってきた雲から少し雨が落ちてきた。
当時の通船の様子を浮き彫りにした絵を掲げた西縁の橋を渡り、ゴールのJR武蔵野
線東浦和駅には14時5分に着いた。
(参加 5人、天気 晴後曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地
川口市、さいたま市緑区、歩数 10,200)
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