東京・両国の江戸東京博物館で開催中の「文豪・
夏目漱石」展の招待券があったのですが、明日11
月18日(日)までなので、今日、観覧に行きました。
文豪・夏目漱石は、慶應3年(1867)江戸・牛込
馬場下に生まれました。翌年、江戸は東京と改め
られ、元号も明治になります。
漱石の人生は、明治時代の初めから終わりまで
に、ほぼ重なります。
展覧会では、漱石の生い立ちから文学者としての
歩みを、東京に初めて里帰りする東北大学「漱石
文庫」の漱石の旧蔵品をはじめ、自筆の書や絵画、
初版本のデザイン稿、漱石が暮らした当時の東京の
様子を伝える地図、版画、写真などもあわせて展示
されていました。
英国留学当時の綿密なノートや、教師時代の資料、
たくさんの小説原稿などで、想像以上の人物だった
ことを知り、また、美術や落語など幅広い趣味にも
たけていたことも分かり、漱石の偉大な足跡を改め
て認識しました。
両国駅近く昼食をして、東京駅八重洲口まで歩く
ことにしました。
駅の南側、両国二丁目交差点際に回向院(えこう
いん)の門が見えたので、立ち寄りました。
回向院は、明暦3年(1657)の江戸大火による
死者10万8千余人を弔うために建立されたものです。
のちの安政大地震(1855)の死者2万5千人が
埋められ、大正12年(1923)の関東大地震の死者
10万余人の分骨も、納骨堂に安置されているとか。
ほかに、鼠小僧次郎吉墓、勧進相撲発祥の地記念
の力塚などが、そう広くない境内に林立しています。
この碑もその一つです。
すぐ西側に、両国花火資料館の看板があったので
入ってみました。
花火をあしらった半円形の小さい建物ですが、館内
には大きな打ち上げ花火の模型?や、打ち上げ筒、
花火大会の写真などが並んでいました。
隅田川の両国橋を渡ります。これは下流の眺め。
浅草橋交差点で江戸通りに入って南西へ進み、横山
町、小伝馬町など、繊維製品の問屋の並ぶ通りを進み
ました。
昭和通りを過ぎ、中山道でもある中央通りの国道
17号に入り、日本橋を渡ります。橋の南側にある
説明板です。
ひとつ西側の外堀通りに回り、東京駅八重洲口まで
来ると、ヤンマービルの1階に京都館の看板が目に
ついたので、入ってみました。
京都の工芸品や民芸品に、特産品などが並び、観光
パンフレットもあり、京都市のアンテナショップのよう
です。
近くのビルには、「北海道フーディスト」の看板が
掲げられ、北海道特産の食品を販売していました。
海産物や農産物など、北海道の幸がいっぱいです。
その先の八重洲ブックセンターに行き、毎年購入
している富山和子さんの「日本の米カレンダー」を
求めて、東京メトロ丸ノ内線で帰途につきました。
夏目漱石」展の招待券があったのですが、明日11
月18日(日)までなので、今日、観覧に行きました。
文豪・夏目漱石は、慶應3年(1867)江戸・牛込
馬場下に生まれました。翌年、江戸は東京と改め
られ、元号も明治になります。
漱石の人生は、明治時代の初めから終わりまで
に、ほぼ重なります。
展覧会では、漱石の生い立ちから文学者としての
歩みを、東京に初めて里帰りする東北大学「漱石
文庫」の漱石の旧蔵品をはじめ、自筆の書や絵画、
初版本のデザイン稿、漱石が暮らした当時の東京の
様子を伝える地図、版画、写真などもあわせて展示
されていました。
英国留学当時の綿密なノートや、教師時代の資料、
たくさんの小説原稿などで、想像以上の人物だった
ことを知り、また、美術や落語など幅広い趣味にも
たけていたことも分かり、漱石の偉大な足跡を改め
て認識しました。
両国駅近く昼食をして、東京駅八重洲口まで歩く
ことにしました。
駅の南側、両国二丁目交差点際に回向院(えこう
いん)の門が見えたので、立ち寄りました。
回向院は、明暦3年(1657)の江戸大火による
死者10万8千余人を弔うために建立されたものです。
のちの安政大地震(1855)の死者2万5千人が
埋められ、大正12年(1923)の関東大地震の死者
10万余人の分骨も、納骨堂に安置されているとか。
ほかに、鼠小僧次郎吉墓、勧進相撲発祥の地記念
の力塚などが、そう広くない境内に林立しています。
この碑もその一つです。
すぐ西側に、両国花火資料館の看板があったので
入ってみました。
花火をあしらった半円形の小さい建物ですが、館内
には大きな打ち上げ花火の模型?や、打ち上げ筒、
花火大会の写真などが並んでいました。
隅田川の両国橋を渡ります。これは下流の眺め。
浅草橋交差点で江戸通りに入って南西へ進み、横山
町、小伝馬町など、繊維製品の問屋の並ぶ通りを進み
ました。
昭和通りを過ぎ、中山道でもある中央通りの国道
17号に入り、日本橋を渡ります。橋の南側にある
説明板です。
ひとつ西側の外堀通りに回り、東京駅八重洲口まで
来ると、ヤンマービルの1階に京都館の看板が目に
ついたので、入ってみました。
京都の工芸品や民芸品に、特産品などが並び、観光
パンフレットもあり、京都市のアンテナショップのよう
です。
近くのビルには、「北海道フーディスト」の看板が
掲げられ、北海道特産の食品を販売していました。
海産物や農産物など、北海道の幸がいっぱいです。
その先の八重洲ブックセンターに行き、毎年購入
している富山和子さんの「日本の米カレンダー」を
求めて、東京メトロ丸ノ内線で帰途につきました。
こんなカレンダーがあるのを知りませんでした。
早速、入手しました(1500円はチト高いが)
情報をありがとうございます。
日本の田んぼの風景を見ていると、非常に心安らぐ気持ちになります
ニックネームを今後「ほはと」としますので宜しく。
(伊藤正彦)
見当がつきません。
日本の米カレンダーは、10年くらい前から使って
います。毎年このような日本の原風景の写真なので、切り取って保存しています。
私は1300円で購入しましたが…、場所により
値段が違うのはずはないと思いますが。
それにしても、カレンダーの写真を切り取って保存するとは、aikoroat」さんの家は収集物でパンクしないか心配になります。
「ほはと」は「歩ha登」で「歩く」、「ハーモニカ」、「登山」の頭文字をとりました。ハーモニカがカタカナなので一見すると分かりません。
ほ、は、と、ともご精励下さい。
本当に、わが家の中は本や紙製品があちこちに
積み重なり、それが2階の部屋なので、地震が
来たらこの部屋の下は、つぶれるだろうと、
連れ合いといつも話しています。