2012年7月28日(土)
きょうも猛暑の予報だが、「関東百駅巡礼歩行」の第86番に参加した。集合は多摩
都市モノレールの甲州街道駅。参加メンバーは改札口の近くで記念撮影をして、11時
2分に出発した。

都道503号線上の高架を走る駅を下りて、住宅地を北東に向かう。多摩川右岸近く
の道路際に、赤松などの緑に覆われたりっぱな住宅があった。

そばのY字路から多摩川の右岸堤防に上がる。上流すぐに都道256号線の日野橋↓
が、下流には中央自動車道の多摩川橋が望まれる。

堤防下に桜並木の続く右岸を下流へ。中央自動車道近くまで進むと「万願寺渡船場跡」
の説明板があった。

慶安年間(1648~51)に甲州街道の道筋変更で、ここに満願寺の渡しが設けら
れ、日野橋が開通する大正15年(1926)まで利用されたという。
近くには「海から39㎞」の標識もあり、中央自動車道の下を過ぎ、満願寺一丁目で
川を離れた。

コンクリートブロック護岸だが水のきれいな根川を渡り、日野下田郵便局横を通過し
て、モノレールの次の駅、万願寺(まんがんじ)駅下を西に抜ける。

国道20号バイパスに入り、すぐ先で南の石田二丁目にある土方歳三(ひじかたとし
ぞう)資料館に行く。
日野市は新選組のふるさとで知られ、ここは副長土方歳三の生家。文久3年(1863
京都に上洛するまで青春時代を過ごしたという。

門を入ると土方歳三の胸像があり、母屋は改装工事中だった。

現在も土方家の方がお住まいで、公開は第1、3日曜の12時から16時までである。

近くには土方姓のりっぱな屋敷が多いが、その一角の猫の糞害に憤慨している家に、
飼い主へ注意をうながす大きな看板が二つ出ている。糞害に困ることは理解できるが、
もう少し表現に工夫があってもよいように思われた。

その先、浅川左岸沿いにあった石明(せきめい)公園に接した石明神社に12時10
分に入り、緑陰で昼食をする。

20分ほどで出発し、浅川左岸堤防を上流へ。


500mほどで歩行者のみ通れる吊り橋、ふれあい橋のところまで進み、北側の浅川
スポーツ公園を横切る。

公園内では、暑さをものともせず少年達がサッカーの練習中。隣接する大木島(おお
きじま)自然公園は広葉樹が伸び伸びと枝を広げ、よい緑陰を残していた。


満願寺六丁目の住宅地の一角に、小さい風車や陶器製の飾り物、ミニカーなどをたく
さん庭に並べたお宅がある。

その角を北に折れ、国道20号日野バイパスを横断する。交差点際には、新しい和菓
子店が出来ていた。

北に少しで、背の高いクロマツやヒノキに囲まれた別府神社に入り、水分補給を兼ね
て小休止する。

神社の背後の細道を抜けて、宮集落の真ん中を貫く旧道を西に向かうと、りっぱな長
屋門と土蔵の並ぶS家があった。

西側にはケヤキの高木が並び、何台も続く旧家であることが知れる。

日野郵便局の北で、南北に走る川崎街道を横断し、川辺堀之内と神明一丁目との境界
になる緩やかなカーブの旧道を進む。南側の住宅に囲まれところに、わずかだが田んぼ
が残っていた。

旧道が突き当たった斜面は「神明第7緑地」と呼ぶ広葉樹林。

遊歩道を上がると高台に出て東側の展望が広がり、先ほどそばを通過したふれあい橋
や、モノレールの高架などが一望できる。

北側斜面にも、「神明第1緑地」と呼ぶ広葉樹の斜面林が残っていた。

実践女子短大の東を進んで神明四丁目に入り、新選組のふるさと歴史館が今日のゴー
ル。13時35分に着き解散となる。

全員歴史館に入館し、各々のペースで新選組についての常設展示や、新選組から分か
れて結成された庄内ゆかりの新徴組に関する特別展示などを観覧する。

私は14時にふるさと歴史館を出て、最寄りのJR日野駅に向かう。西側の市役所通
りから中央自動車道南側の側道に入り、中央道を陸橋で横断する。
日野本町三丁目のカーブ点にあった矢の山公園には、明治の重鎮、山県有朋(やまが
たありとも)や乃木希典(まれすけ)などが揮ごうした記念碑が並んでいた。

坂を下りJR中央線沿いに出て、駅に近い宝泉寺に寄る。本堂は平成13年落慶とい
う堂々たる建物。

その左手に、新選組副長助勤(じょきん)・六番隊長で、鳥羽伏見の戦いで戦死した
井上源三郎の墓がある。

そばのJR中央線日野駅には、14時24分に着いた。
(天気 晴、距離 7㎞(日野駅まで)、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 日野市、
歩数 13,200)
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きょうも猛暑の予報だが、「関東百駅巡礼歩行」の第86番に参加した。集合は多摩
都市モノレールの甲州街道駅。参加メンバーは改札口の近くで記念撮影をして、11時
2分に出発した。

都道503号線上の高架を走る駅を下りて、住宅地を北東に向かう。多摩川右岸近く
の道路際に、赤松などの緑に覆われたりっぱな住宅があった。

そばのY字路から多摩川の右岸堤防に上がる。上流すぐに都道256号線の日野橋↓
が、下流には中央自動車道の多摩川橋が望まれる。

堤防下に桜並木の続く右岸を下流へ。中央自動車道近くまで進むと「万願寺渡船場跡」
の説明板があった。

慶安年間(1648~51)に甲州街道の道筋変更で、ここに満願寺の渡しが設けら
れ、日野橋が開通する大正15年(1926)まで利用されたという。
近くには「海から39㎞」の標識もあり、中央自動車道の下を過ぎ、満願寺一丁目で
川を離れた。

コンクリートブロック護岸だが水のきれいな根川を渡り、日野下田郵便局横を通過し
て、モノレールの次の駅、万願寺(まんがんじ)駅下を西に抜ける。

国道20号バイパスに入り、すぐ先で南の石田二丁目にある土方歳三(ひじかたとし
ぞう)資料館に行く。
日野市は新選組のふるさとで知られ、ここは副長土方歳三の生家。文久3年(1863
京都に上洛するまで青春時代を過ごしたという。

門を入ると土方歳三の胸像があり、母屋は改装工事中だった。

現在も土方家の方がお住まいで、公開は第1、3日曜の12時から16時までである。

近くには土方姓のりっぱな屋敷が多いが、その一角の猫の糞害に憤慨している家に、
飼い主へ注意をうながす大きな看板が二つ出ている。糞害に困ることは理解できるが、
もう少し表現に工夫があってもよいように思われた。

その先、浅川左岸沿いにあった石明(せきめい)公園に接した石明神社に12時10
分に入り、緑陰で昼食をする。

20分ほどで出発し、浅川左岸堤防を上流へ。


500mほどで歩行者のみ通れる吊り橋、ふれあい橋のところまで進み、北側の浅川
スポーツ公園を横切る。

公園内では、暑さをものともせず少年達がサッカーの練習中。隣接する大木島(おお
きじま)自然公園は広葉樹が伸び伸びと枝を広げ、よい緑陰を残していた。


満願寺六丁目の住宅地の一角に、小さい風車や陶器製の飾り物、ミニカーなどをたく
さん庭に並べたお宅がある。

その角を北に折れ、国道20号日野バイパスを横断する。交差点際には、新しい和菓
子店が出来ていた。

北に少しで、背の高いクロマツやヒノキに囲まれた別府神社に入り、水分補給を兼ね
て小休止する。

神社の背後の細道を抜けて、宮集落の真ん中を貫く旧道を西に向かうと、りっぱな長
屋門と土蔵の並ぶS家があった。

西側にはケヤキの高木が並び、何台も続く旧家であることが知れる。

日野郵便局の北で、南北に走る川崎街道を横断し、川辺堀之内と神明一丁目との境界
になる緩やかなカーブの旧道を進む。南側の住宅に囲まれところに、わずかだが田んぼ
が残っていた。

旧道が突き当たった斜面は「神明第7緑地」と呼ぶ広葉樹林。

遊歩道を上がると高台に出て東側の展望が広がり、先ほどそばを通過したふれあい橋
や、モノレールの高架などが一望できる。

北側斜面にも、「神明第1緑地」と呼ぶ広葉樹の斜面林が残っていた。

実践女子短大の東を進んで神明四丁目に入り、新選組のふるさと歴史館が今日のゴー
ル。13時35分に着き解散となる。

全員歴史館に入館し、各々のペースで新選組についての常設展示や、新選組から分か
れて結成された庄内ゆかりの新徴組に関する特別展示などを観覧する。

私は14時にふるさと歴史館を出て、最寄りのJR日野駅に向かう。西側の市役所通
りから中央自動車道南側の側道に入り、中央道を陸橋で横断する。
日野本町三丁目のカーブ点にあった矢の山公園には、明治の重鎮、山県有朋(やまが
たありとも)や乃木希典(まれすけ)などが揮ごうした記念碑が並んでいた。

坂を下りJR中央線沿いに出て、駅に近い宝泉寺に寄る。本堂は平成13年落慶とい
う堂々たる建物。

その左手に、新選組副長助勤(じょきん)・六番隊長で、鳥羽伏見の戦いで戦死した
井上源三郎の墓がある。

そばのJR中央線日野駅には、14時24分に着いた。
(天気 晴、距離 7㎞(日野駅まで)、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 日野市、
歩数 13,200)


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